KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

ウィキッド!

2007-09-07 | KOFUKU日記
木曜日、友人と共に現在汐留の四季劇場「海」で上演されている「ウィキッド」のマチネ(昼公演のこと)を観劇してきました。
私には兄がいて、現在この「ウィキッド」にて活躍中なのです。
先日、拝見した「レ・ミゼラブル」とはまた全然違った作品でした。
劇場に入ると舞台の上には大きなドラゴンが浮かび、
舞台を囲むセット(額縁といいます)もゴージャス!
ワクワクしながら待っていると、開演前のアナウンス。
通常は女性の声で
「開演前に先立ちましてお客様にお願いを申し上げます。
 上映中の写真撮影、録音は固く禁じられております~~~
~~~ケータイ電話の電源、アラームは他のお客様のご迷惑に・・・」
と演劇鑑賞のマナーと諸注意が流れるのですが、
これが男性の声で
「皆さんが魔法の国の法律違反に触れて魔法をかけられてしまわないためのささやかなご忠告」
として流されるのが現実に引き戻されること無くとっても気に入りました(^^)

さてウィキッドは皆様よくご存知の「オズの魔法使い」のもう一つの物語です。
オズの魔法使いに出てくる「良い魔女グリンダ」と「東の悪い魔女」の隠された愛と友情の物語。
金色の髪を持ち誰からも愛される美しい容姿のグリンダ、
誰からも愛されず疎ましがられる緑の肌の少女エルファバ、
対照的な二人が出会い、ふれあい、ぶつかり合い、理解しあって、本当の愛と友情を得ていくまでのストーリーがえがかれています。
きっとそこからはたくさんのものを感じる事が出来るでしょう。
お話はオズの魔法使いと並行するように進んで行きます。
今度観に行く予定の方はぜひとも「オズの魔法使い」を読んでから行かれる事をお勧めします。

久しぶりに見るお兄ちゃんはアンサンブルの芯とも言える幕開きのせりふや重要な一言をしゃべる役を担っていて、ああこの人はもう中堅のベテランさんなのね~と時間の流れを感じておりました。
もちろん久しぶりに踊りまくるおにいちゃんも見れたし満足(^^)
しかし、うちのお兄ちゃんはたぶん、アンサンブルの中で一番年齢高い気がするけど若い。。(バカいともいうのか??^^;)
会うたびに「生き血でも飲んでんだろーか?それともコラーゲンは欠かさないとか、そういう奴??」と思ってしまいます。
以前、25の友人を連れてったら、そのこより兄ちゃんのほうが若く見えました。
好きなことを精一杯真剣に生きてるってのはこういうところに現れてくるんですネエ。
ちなみににーちゃんは「ハリー・ポッター」にそっくりです(笑)
この作品では以前私たちのお店を一緒に盛り上げてくれていた「カズくん」も出演中。
長身と美声を生かし、お父さん役で存在感をアピールしておりました。
大好きなお姉さまも見事な悪女ぶりだったしかっこよかった。
主演の一人、緑のエルファバ役の彼女も相変わらずのパワーと美声、そして何より彼女は芝居がいい。
彼女の常日頃の性格のよさと生き方の真剣さがにじみ出てくる。
良いものを見せてもらったなあ、とつくづく。

実は以前わたしはもう一つの物語「オズの魔法使い」のドロシーを一年演じていた。
ドロシーから見れば怖いだけの魔女、なんでそんなにもこの靴欲しいかな?という気持ちだったけど、あれはたった一人の妹の形見で、それにはとても深い気持ちが隠されていたのだと知った。
きっとドロシーが本当にそのわけを知ってたら、靴は返していたろうなあ(^^)

ウィキッド
まだまだ絶賛上演中。
ぜひ一度、オズの国へ!!



あなたへの贈り物~中澤和夫氏の愛言葉集から

2007-09-05 | 神様、天使、平和の祈り、愛の言葉
本日は朝から降ったり晴れたり、暑かったり涼しくなったりの不思議なお天気が続いています。
どうやら台風が近づいている影響のようです。
その気まぐれなお天気の中、お味見ジプシーあんじゅちゃんは今日も駅デパめぐりに行ってきました。
駅の中のあるカフェのメニューを網羅しようとの試みに挑戦中。
けど、今日は期待していたメニューがあまりにも美味しくなくてがっかり。
やっぱり作り置き、冷たい料理は苦手です。
その後、昨日ご紹介したケーキ屋さんの気になるケーキを買ってきてうちで試食。
やっぱりここのは美味しい。出来るだけ、味を研究したいです。

さて、皆さんにはお友達、います??
それも「家族」とか言えるくらいの仲間が?
私はおかげさまで、顔見知りの友達は少なくても、
心と愛で繋がった濃い関係のたましいの家族とも言える友達が多く存在します。
その中でも一番付き合いが長い大好きな親友、いえ心友が「まりちゃん」です。
まりちゃんと出合ったのは、ある劇団でのお仕事でのこと。
彼女はお誕生日でもある1月23日のことをよく話していて、
「23歳の1月23日に結婚する予定なんです~(もちろん夢・笑)」
ときらきらの瞳で真剣に語る、それはそれは今時には珍しい純粋で素直で、まるで天使のように人を疑うことを知らないお嬢さんでした。
それから10年以上の月日を友人として、時に家族として、一緒に歩んできました。
今は長野の小さな手作り保育園の先生として立派に働いている彼女も、当時はみんながこぞって心配するようなちょっと天然の女の子で(^^;)、時々心配になってはお家にお電話をかけて見たりすることも多かったのです。
その頃、よく電話に出てくださったのが彼女のお父さん「中澤和夫さん」でした。
電話口にでられるお父さんはふわふわの綿菓子みたいな彼女と違って、とってもしっかりしてて、「ああ、まりちゃんはよいお家で育っているのだなあ」と思っていました。
お父さんはとってもお話が上手で、また面白くて、私は実はお父さんと話すのが楽しみだったのです。

それから長い月日がたち、私たちは共通の友人であった私のソウルメイトを亡くし、縁あって北海道の同じシュタイナー教育の機関にお世話になっていました。
これまた住むところも同じで、おんなじ寮で楽しく暮らしており、まりちゃんを見る度に会った事も無い彼女のお父さんを思い出すことも多かったのです。
その頃まりちゃんがある本を見せてくれました。
それは長野地方で発売されている雑誌で「蔵」という雑誌です。
残念ながら今は無くなってしまったと先日聞いてガッカリしたのですが・・・。
実はそこに彼女のお父さんが投稿をなさっていて、というより、投稿者だけど編集者というよりも作家というような形でそのページをになっておられました。
それは日本語の五十音で始まる言葉の意味や、またそれにまつわるショートコメントを辞典の様に掲載したものでした。
まあ、自分で言っていいものかわかりませんが、物書きの端くれであった私は、そのお父さんのセンスが自分と似通っている、つまり古きよき時代の感性の持ち主であったことに心ひそかに喜びを感じて毎号楽しみに待っていたのです。
それと一緒に、マリちゃんがいつもくれたのがお父さんが新聞などに掲載されているエッセイでした。
このエッセイも本当に楽しみに読んでいました。
顔もしらない「まりちゃんのお父さん」でしたが、そこ頃すでに、彼は決して私にとって他人ではなく、なんと言うか懐かしい人でさえあったのです。

さて、先日夏休み、この心友まりちゃんに会いに長野までいってきました。
そして一緒に乗り合いで東京まで戻ってきたのですが、なんと彼女を家まで送ったところ、お父さんがいらっしゃるではありませんか!!
あのときの喜びをどう表現していいかわかりませんが、まるでずっと憧れ続けた海外のロックスターに突然出会ったような驚きと興奮と喜びが怒涛のように渦巻き、実際何をしゃべったんだかよく覚えていないほど嬉しかったのです。
思わず、読者であったことを伝えるとお父さんが本を自費出版なさったとの事で、そのエッセイをまとめたご本をくださいました。
私はすかさず握手とサインを求め、出会いの喜びとその本を胸に抱きしめて家路につきました。
帰ってから家のものが体調を崩したりして忙しかったため、外に出ない限り家のなかでは全く自分の時間が取れずに居ましたが、九月に入りやっと余裕が出てきました。
そして、お礼状を書くべく、その本をじっくり読むことにしたのです。

中澤和夫著「あなたへの贈り物」、まだ春浅い芽吹きを思わせるような薄いグリーンの表紙の小さなこの本には、中澤さんの長きに渡る税務署長としてのお仕事、そして人生のなかから生まれたエピソードがぎっしりと、そしてゆったりと詰まっていました。
なんと言うか、自分で収穫し、丁寧に仕込んだ果実酒が時間を経てまろみを帯びて味わい深くなったような読み心地があります。
冒頭に「人生は出会いの旅です」と書かれています。
人、物、言葉、時間、たくさんの出来事、それらは全て「出会い」だと。
その言葉に、向き合い、すれ違っただけの人々にまで笑顔を投げかけるお父さんのお顔が浮かびました(^^)
読み進むうちになんとこの人は繊細な心の持ち主かと思いました。
少しご紹介いたしましょう。

「毎日の生活はドラマティックな事など何もおきない平凡な日々の積み重ねかもしれません。
そんなことを考えながら、窓の外を見れば今にも雨が降り出しそうな曇り空。空をおおう雲とその下を思いがけないほど早く流れてゆく黒い雲。深い緑色を増してきた木々の枝が強く風に揺れています。
 何気ない風景を新鮮な気持ちで見ることができる今の自分に嬉しさを覚えます。
平凡だった一日に感謝すれば、小さいながらも幸せを感じます。
夜明け前、そんな昨日の一日が妙に懐かしく思い出され、目が覚めました。静かな雨音が、心を静めるように聞こえてきます。
「人生捨てたものじゃないな」、そう思ったら、喜びが心の中にこみ上げてきました。」(平凡な一日に感謝より抜粋)


これが男性の文章か。なんと言うか、私の中に流れる「古きよき時代の女学生」と同じ哀愁を帯びた感性と同じもの、もしくは「高下駄の学生」のロマンチシズムと純粋さといったものに共通するすがすがしさと深い優しさ。いい。いい。

世間は私たちを含め、若い世代の人間がすこし上の人たちを「おやじ」呼ばわりし軽んじているけれど、ぜひとも中澤さんのような「おじ様」がたにたくさん語っていただきたいと思いました。
ロマン、というようなものが姿を消しつつある現代に、その息吹をもって颯爽と立っていて欲しい。

中澤和夫さんの座右の銘は
「あしたもこころはあったかい」

そのあたたかいが人々の心をあたため、またそのあたたかさが次の人へと伝わっていくのでしょう。

私は近々、自分のお店を持つことになっているが、お店が開店したらぜひとも「中澤和夫、心の言葉講演会」を企画しようともくろんでいます(笑)
本来ならば一編一編の文章に言葉を付けてファンレターを贈りたいと思っているのですが、もっと多くの人に中澤和夫氏を知っていただきたく、今回ここでご紹介することにいたしました。
ご本の欲しい方。仲介承ります。どうぞご連絡ください。
きっと手にしたあなたへの贈り物になること請け合いです(^^)

この場を借りて、心友まりちゃんのお父さんへ、心より感謝と敬愛の気持ちをこめてお礼申し上げます。
素敵なご本をありがとうございました。
そして素敵な出会いをありがとうございます。
お父さんとお母さんの存在あってのまりちゃん、まりちゃんをこの世に呼んでくださってありがとうございます。
こころから感謝します。
あしたもこころにあったかい風吹きますように

REFRESHMENT

2007-09-04 | KOFUKU日記
今日も無事、一日が過ぎてゆきます。
さて、数日なにやら低空飛行していた私もどうやら復活の兆しです(笑)
まあ、落ち込んでるって言うよりも「もやもやしている」に近かったんですが。
霧や煙も徐々に晴れてくると同じように、もやもやも薄くなっています。

その霧を晴らす太陽の役目をしてくれたのが「目標」です。
今、私はあたらしい自分のお店(まだどういう店かはないしょ・笑)の準備をしています。
本来はもうオープンしてもいいくらいの感じなのですが、場所にこだわっているのでそこは妥協せずにじっくりゆっくりのペースでさがしています。
この3ヶ月イメージを広げるための資料集め、サンプル集めから始まって、自分の求めているものの形をしっかり決める作業をしてきました。
やっと方向性や欲しているものが形になり始めたので、最近は目標達成に必要な「食べ物」を求めて少しづつ食べ歩きを始めています。
昨日も書きましたが、「動く」という事は流れる水のようなもので、新しい感情を次々に運んできてくれます。
たぶん、動くと共に視点も変っていくからかもしれません。
そして、先日も書いたように朝日を浴び、すこしの甘いものを取る事は、笑顔と幸せを呼ぶのですね~(単純・^^;)
とにかく、今月は「美味しく食べておでぶになろう!の月」と決めて食べ歩いています(笑)
ありがたいことに、私のお仕事のパートナーは親友の一人なんですが、性別は違えどもとても理解のある人で、それはそれは乙女ちっくな妄想の元に動き回る私に「僕にはわかんないけど、いいと思う事はどんどんやって!」といろんなものを惜しみなく協力してくれるのです。
おかげさまで色々な資料も、サンプルも、試食も、全て自由に必要なだけやらせてもらえていて、本当にありがたいことだと思っています。
(この場を借りて、Tちゃんにココロより深く感謝申し上げます)
実はこのところ凹んでいたのもその友人が元気なくなっちゃったってのも理由の一つにあったんですが。。。
しかし、だからといって、ごろんごろんしてる暇はないわけです。
なんかやろう!と思ったら時間はあって無いに等しい。
で、この数日も、自分の住む町の気になったお店のメニューを覗いては試食。

実は私、例のメンタルヘルスが原因で一人では「ドアが閉まっている店」に入れません。
一人ではどうしてもドアを開けることが出来ないのです。
でも透明の自動ドアと表がオープンになっているところは大丈夫。
なので一人のときは殆ど駅ビルの中をさまよいます。
その姿は「ハンター」ならぬ「お味見ジプシー」(笑)
メモ帳片手に書き込みつつ、きカフェ、デリ、スイーツ、気になるメニューをぐるぐる巡っては入ったり買ったり。
大体レストランはドアがあるので、そういう場所は友人のTちゃんに付き合ってもらったり、妹分のSちゃんに付き合ってもらってお店に入ります。
時にはお兄ちゃんにもお願いして一緒に行ってもらいます。
一緒に行くと沢山のメニューを試すことが出来るのでありがたいです。
女の子とだと、気軽に味見も出来るし(^^)
お兄ちゃんと一緒のときは、必ず味に対する意見なども聞いてみます。
テイクアウトのときも半分は残しておいて、食べてもらい意見を聞きます。
今度は妹の子供たちが一緒に付き合ってくれるそうなので、小学生のお子様の選ぶものを食してこようと思っています。
お店の人は選ぶ段階からものすゴーく時間がかかってるし、メモばっかり取ってるし、食べずに残すし(美味しいものなら全部食べるけど)やな感じかも(^^;)
しかし、これまたなかなか「おいし~~~~い!」って物にはありつけない物です。
見た目は良くっても、それだけだったりして。
だからヒット!ってのに当たるとすごく嬉しい。
そして少しづつ口に入れては食材を推理するのです。作ってるところはじーっと見ていたり。
美味しいものを作るって言うのは本当に真剣勝負ですから。
やっぱり、美味しいものを食べてもらいたいじゃないですか?
今日はお願いして、あるお惣菜やさんの豆腐ハンバーグが美味しかったので中身を教えてもらいました。
そして今日は大ヒットがありました(^^)
テイクアウトのスイーツが私の好みにぴーったりだったのです。
甘いんだけど、甘さを忘れるくらい美味しい!
普通は「甘いだけ」だったりするもんなんだけど。
今日の写真はその大ヒットのスイーツ「イチジクのタルト」
マヂでおいちいのあんまり美味しいから独り占めしたいのでどこのか教えるのはやめときます(いぢわる^^)
ううう、これ絶対作りたい~、という味でした。

とまあ、一日が過ぎてみたらだんだんに元気になっている自分が居ました(^^)
そして、この秋以降はお店に先駆けてHPの開設もするし、演劇活動のほうも、スクールは発表会を控えているし、夢の街もそろそろ次回作品に着手しそうな勢いを増してきました(いぇーい!)
とにかく秋、冬は私の季節なんですよ。やってきたって感じ。うん(ゲンキン・笑)
たぶん、一週間が飛ぶように過ぎていく後半になることでしょう。
でもきっとそれは「充実」という名前になると思いますが。
もともと私はかなり忙しいほうが調子がいい人です。
公演で日本中旅してるときはなんと穴日(つまり、丸一日お休みの日のこと)が一年に三日しかないところで主役張ってましたし、とにかく動き回ってました。
下手に休むと動けなくなるんです。
その頃の仲間は「本当にマグロみたいだよなあ」
(つまり止まったら死ぬぞと)と(^^;)
考えて見れば、その頃の元気回復法も仕事(とにかく演じること、歌うことが生きることだから)、電車や車の中でのクラフト制作と料理、地方の美味しいものを食べること、甘いものを食べること、雑貨屋とカフェ、面白い店や家めぐりでした。
結局、好きなことっていくつになっても変らないし、好きなことってものすごく元気をくれるんもんですね。

さて、さらに明後日はお友達と大好きな上のおにいちゃんに会いに汐留の自由劇場までミュージカル「ウィキッド」を観にいく予定です。
今、上のお兄ちゃんは現在ウィキッドに出てるんですが、どうやら魔法使いの国の人らしい。う~ん、また人間じゃないのか(爆)
うちのお兄ちゃんはキャッツが長くて、ずっと猫ちゃんでした。
あ、他のに出るのね~と思うと「シマウマ」だったり、長い間「はやく人間に戻りたい」って言ってましたが、つい先日、ちょこっと人間に戻れたと思ったら、また逆戻りのようです(笑)
まあ、年季の入った人間離れ振りを観察してこようと思います。
ウィキッドにはソウルメイトの親友や親しい仲間が一杯出ています。
きっと彼も一緒にそこに居る気がしますって言うか、間違いなく一緒についてくるでしょうネエ。そんで出ちゃうっていうね(笑)
ともかく楽しみです。
食べ物にしろ、ミュージカルにしろ、私にはいいリフレッシュになりそうで楽しみです(^^)


人生いろいろ 2 ~ 不思議不思議の巻

2007-09-04 | KOFUKU日記
今回のお友達の一連の事からトラウマって言うのは本当に厄介なものだなあっておもいました。
あたしの持病は「内的外傷ストレス障害(PTSD)」といいますが、このTはトラウマティックのTです。
まさにトラウマが病気の原因であるわけなんですが。。。
こんかいの話の二人の友人も病気の原因となっているのは「トラウマ」のような気がします。というか「トラウマになるような出来事」でしょうか。
私は本当にいろいろとあって、複雑性PTSDというのも持っています。
これは幼い頃の出来事に由来するトラウマによって起こる疾患です。

私は実は長い間、とても悩んでいることがありました。
ちょっとホラーの香りさえすることです。
私は人と出会い、一緒に過ごすことがとても苦手です。
けれど人がとっても大好きで大事だったりします。
同じことが正と負の理由になっているのです。

そのトラウマの原因の一個ともいえる出来事があります。
実は昔から、私に深く関わった人は二つの結果を迎えるのです。
うーん、なんと言っていいか分からないけど、現世的に言うなら「成功」と「失敗」、「勝ち組」と「負け組」みたいな感じでしょうか?(^^;)
どういうわけか、私と深く関わり、私が好感を持っていい関係を築いてる人は必ず何らかの形で成功が訪れて、反対に私を傷つけたり、私に降りてくる天啓みたいなのを馬鹿にしたり忠告を無視したり、ようは後足で砂かけるみたいな形になってしまう人は仕事や家族を失ったり、全てを失って行方不明になっちゃったり、果てには亡くなったりしてしまう事もあるのです(><)
うちは実は霊能者の家系だったりしますが、昔からとにかく不思議な現象が続く子供でした。
あるとき、不思議なおばあさんに会いました。おばあさんはいいました。

「貴方はとても強いちからを持っている。そしてさらにとても強い力に守られている。それがいい風に出ればいいけど、悪い風に出ると周りの人が大変なことになる。だからいつも優しい子で人を恨んだりねたんだりしないようにしなさいね」、と。

その時は小さくて「ふえ~??」っと首を傾げるばかりでしたが。。。
しかし、分かってきました、本当にそうなるのです。
たとえば、父はとても気性の激しい人でしたが、私にとても優しくして、私のことを信じてくれると必ず何か仕事やなんかで成功して彼の一番好きな「お金」が入ってくる(笑)
けど理不尽に私を責めて私が嫌な思いをすると、絶対失敗するのです(^^;)
小学校では私を不当にいじめたり、私の話をはなッから馬鹿にしたりした先生が、次の日に突然転属させられたり、首になったり。
私に怪我をさせた不良は事故にあってしまったり。
私を裏切って後足で砂をかけるような事をした人は、仕事も夢もすべて失って行方不明になってしまったり。
本当に怒ったときは日本一大きい会社だったりしたところが3ヶ月であっという間につぶれたり。。。

更に親しく付き合っていた方が居たんですが、親しくなるにつれ、その人の本質的なところが変ってきていることに気がつきました。
男女関係のことなんですが、そういう部分で尊敬もしてたのに、どー言うわけかそこら辺がとてもルーズになってきたのです。
う~ん、このままじゃあこの人はだめになってよくないことが起こるという啓示みたいなのがまざまざと思い浮かび、これは伝えねばならぬと思い、何気にお話申し上げたところ、彼は結局欲望に陥落、ルーズ(快楽)への道をまい進。
私が尊敬申し上げるときはいろんな意味でイケイケだったのに、「あ、この人はもうだめだ」、と思ったとたん、その女の人は出て行くわ、仕事は大変になるわでもう大変。
「やっぱりあんちゃんの言った通りになったよ~、楽なほうに流れちゃだめだね」なんて言ってて一安心かと思ったら、「よりを戻そうかと思うんだけどどう思う?」と・・・(^。^;)なんでそんなに色に目が行くのか、、、奥さんも子供も居るのに、、娘さんはもう30過ぎてるってのに、、、ここまで来るともう病気です。死ななきゃ治らないのかしらん?(色ボケとはこのことである・苦笑)
「だめに決まってます。そんな都合のいいことうまく行くわけないでしょう?」って言ったのですが。。。
結局一時の寂しさを埋めるために復縁、昨日の経過報告では、その上結局その女の人とはもめに揉め、帰ってきたと思ったら、わずか3週間でまた出て行ったそうです、今度は慰謝料までごっそり持って。。。だから言ったのに(--)
わずか2ヶ月の出来事、、会社まで失いそうな勢い。
なんて事が次々に起こっちゃうわけですよ~。
つい最近も私に理不尽な要求を突きつけ、理不尽な対応をしたバイト先が突然廃業、それを行った社長さんはクビになりました。。。(--;)
おかげで私は突然職を失ったわけですが、不思議とそういう変換のときは助けがあって困らないのです。
しかし、あまりにも起きる出来事の数々。。小さいときは幼いながらに悩んだりして、いっそのこと宗教に走ったろうか?と思い悩んだほどでしたが。
しかし年齢も高まり、いや、これはやはり偶然だろうと何も気にしませんでしたが、それにしても何でかなあ?とは思っていました。
そしたら運命の日がやってきて。。。。

ある有名な霊能者の人に会う機会がありました。するとその人は私を見るなり血相を変えて言ったのです。

「あなた、自分の負の力を出しすぎています。もう何人か。。。いえ、決して貴方が悪いのでなく、相手がそういう種をまいているのですが・・」と。

えええ?そう、あなたは念で無意識のうちに人を追いやったり、命を奪っちゃったりするのだ、って言うんです。怖い、自分が怖すぎる。
いや、そりゃア、いきなり街で腕を掴まれて
「あなた、占い師とか霊能者になりませんか?」とか
「うちの教祖になってください」とか
ある程度世界的な教会で一番偉い人に「預言者」呼ばわりされた事がないわけではないが(おいおい、十分おかしいって)、上の兄ちゃんみたいに死んでる人が生きてるように見えて、お話できるわけでもなし~(本当です)、それはないだろう~!(心の中の叫び)
しかし、隣を見ると、世の中で一番信頼を置ける霊能力の持ち主のソウルメイトが真剣にうなずいている、、、やっぱり、あたし、ヤバイのだろうか。。。え~ん(><)
で、更にいきなり、「出来るだけちからを封じましょう」と儀式が。。。。
いや、怖かったの、なんなのって。
だって「あなた人、殺してます」って言われて平気な人は居ないでしょう?
でもまたこの人の話がぴったり当たってて。さすがに落ち込みました。
それ以来、人と関わるのはとってもとっても怖いし、「嫌いだ、こいつ!」と思うと何かしら起こるので、それも怖くなってしまいました。
なんか些細なことがあっても、あたしのせいかな~って思ったりして。
ずーっとずーっと悩んでいたのです。
さらにソウルメイトが亡くなったのでそれはピークに達しました。

ところがこの一年位前に、ある有名な霊能者の方にお会いしました。
(あの人とかこの人を想像してください^^)
その方はやはり私を見るなり、「あなた、いろいろお悩みですね」とおっしゃり「うん、これは強いものをお持ちだから」とおっしゃいました。
たまたま話す機会があり、ご相談をさせて頂くと、きっぱりとこういってくださったのです。

「それは貴方のせいではありません。」

この一言に私はどれだけ救われたことか(;。;)

「確かに大きな力が取り巻いています。けれど、それは相手がその結果を選んだのですよ。貴方がしたのではないのです。
ただ、人には使命のようなものがあって、貴方には人の鏡となる、といったことがあるようです。
貴方はあえてそのような人の前に置かれるのです。人は貴方を通して真実を突きつけられるのです。そうして道を選ぶんですよ。間違った道を選べば死もありえるでしょう。
それに悪く思える結果になっていたとしてもそうとは限りません。貴方にあったことであえてその道を良しとして選ぶ人も居るんです。
あなたは今のご職業も含めて、人に「選ばせる」、つまり人の人生の岐路に立つ事を使命で持ってきているんです。
そうですねえ、例えて言えば、有名な画家がモデルや何かに力を得て素晴らしい作品を残すでしょう?そういうモデルのようなちからを与える役割なんですよ。
貴方のお仕事のように、人に何か影響を与える役割を選んできていらっしゃるんです。
そういう人が居てこそ、人の人生は成り立つもの。貴方の存在は周りにとってとても重要なんです。
ただ苦労も多いでしょう。中傷もあるかもしれません。
けれどそれは乗り越えられます。自分で選んできたんですから。
貴方は大丈夫ですよ。辛いことも明日のためにあるんです。」

その言葉のおかげで、真っ暗な空にぱあああああ~っと光差すような気持ちになれました。本当に感謝です。

という事で、心のもや、つまりトラウマが一つ解消されたわけですね。
とは言ってもこの私にまつわるジンクスは親しい人の中では語り継がれており、本当にそういう事が起きるのを目の当たりにする為、親しい仲間に私をいじめる人は居ません(苦笑)
いや、現在もそのようなことがおき続けるので冗談抜きで怖いらしく、恐れられています。
あいつと付き合おうものなら恐ろしくて別れられないぞ~、マジだぞ~、気をつけろ~くらいの勢いで・・・
(実際、それが怖くて好きだけど言えない、とかわけ分からんこと言われたことあるし、、、--;;;)
でもいいの~、わたしのせいじゃないって言われたし~(ここまできたらあっけらかーん、ですよ!)
そうなって行く人は自分でそれを選ぶんです。
なので、そういう人は私に近寄らないでください(笑)
それで私のせいにしないでください
それに忘れないでねっ!いい関係が保てればラッキーを次々呼ぶってこと!
そう幸せ満載なのよ!見落とさないで~(笑)
怖いだけじゃないのよ~、みんな~(;。;)
お願いだからあたしの言葉じゃない言葉(天のお告げ)もきいてくれ~。
そんでもっていい人、大歓迎(どういうのがいい人かわかんないけど^^)
一緒に鯉の滝登りですよ!Go GO!です(笑)
そうでもおもわなきゃやっていけない今日この頃のあたくし(^。^;)
しかし世の中には不思議なこともあるものですよね。
(すでに他人事気分・笑)

さてこの写真は友人が送ってくれた不思議写真。
天からの救いの手なんだそうですよ。
シェアするといいことあるらしい(写真はちと怖いけど)


人生いろいろ 1 ~ ココロって、、、の巻

2007-09-04 | KOFUKU日記
私にとってブログは読んでくださる方には申し訳ないことだけど、自分を解放するための一つの場所になっている。
日々起こる出来事を上手く解消できないとき、私は「書く」。
ブログに書くのではなく、その辺にある紙にちっこーい字でとにかくその時の感情を書いて秘密の箱に入れてしまう(笑)
それでもなんだか思いが残るときこうしてブログに書いているのかも知れない。

昨日、今日ととても親しい人の話を聞き続けている。
その人が生まれてから今日までのバイオグラフィを。
その人はとても純粋で素直だ、だからとても強いけれど、反面傷つきやすくてもろい。
けれど、その人の素晴らしいところは、素直に自分の気持ちを語れるところにあると思う。
この世で一番の見栄っ張りなんちゃうん?と思っている自分とはえらい違いである(^。^;)

話を聞きながら自分の生きてきた道を思った。
うん、ほんと悩みってあるよね(笑)
通り過ぎれば笑えることもあるが、一度傷ついた感情はやっぱり思い出すとチクチクする。
さらにザラザラして、いつまでも消えない傷を作り続ける思いでもある。
思い出の傷は残ってもいいのだが、今も痛いとかなわない。
はやくかさぶたにならないものか。。と願ってしまう。

話を聞いていると友人は「自分のせいで」と思ってることがいっぱいあって、それで自分の存在を疎ましく思っているらしい。時には死を考えるほどに。
あたしも去年4月までは本当にそんな状態だった。
いつ向こうの世界にいったっておかしくないくらいだった。
実際、気持ちは半分向こうにあったのだ。
だからその人の自分を消し去りたい気持ちがとてもよく分かる。

メンタルな問題を抱えてみて、そういう人とも交流が増え、分かったことがある。
それはもちろん私だけの見解に寄るんだけど。
メンタルな問題を抱えてる人は大きく二つに分かれる気がする。
私の見解はこうである。

「死にたくなる人」と「死にたくない人」(^^;)

すごいカテゴリーだと思うが、そう感じる。
たとえば今話を聞いてる友達はたぶん、本当に苦しくなったら、自分を責めて責めて死を選らんでしまう人なんだと思う。
もう一人、親しい人にそういう人が居るが、たぶんその人はどんなに苦しくても決して死にたいなんて思えないと思う。
もちろん、どっちがすごいとかえらいとかじゃないけど。
ただ、あり方の違いに大きな差があるな~と思う。

「死にたくなる人」は何事も真剣だ。一つ一つのことに意味を見出して納得しようとする。
真剣だから、誰かとの関係も相手が思っているより深く強く考えている。
だから自分が思ったことと違う出来事が起きたとき、とても傷つくのだ。
本当に生死を揺るがすほどに。すべてに純粋に真剣なのである。

「死にたくない人」はべつに軽いと言うわけではなく、重きを持つところが違うんだとおもう。
こちらのタイプの人は、自分の見た目や状況に大きく左右される気がする。つまりちょっぴり「見栄っ張り」な感じを受ける。
外からどう見られるとか、どう思われるとか、そういう事が気になるらしい。
だから人から自分の事を非難されると真剣なカテゴリーの人が「理解されない」と悩むとすれば、こっちの人は「自分を中傷されたこと」にものすごくへこんで焦ってメンタル症状を引き起こすようだ。

えてして私らメンタル持ち(笑)はどっちのタイプにしたって自己中で我侭である事は確かなんだけど(すみません、世間のみなさん)
真剣なカテゴリーの人が真剣に純粋に思うゆえにわが身振り乱し奔走するところを、後者のタイプはいかに周りからおかしくないようにどう演じて生きるかを考える。
どっちにしたって身体に変調をきたすほどの真剣な問題なんである。
とにかく前者のタイプの人は全て投げ打つのでもう死んでいいとなり、後者の人は
そんな周りから非難されること絶対出来ないと死ぬなんて考えないのではなかろうか。(と、勝手な見解なんですが)

で、わたしが何を言いたいかって言うと、その差に合わせての周りの対応が必要だなあと思うってことなのだ。
なんだよ、周りの対応って?人に合わせてもらわなきゃだめなのかよ?これだからメンタル持ちって・・・、と世間の皆さんは思われるひともおられるだろう。
でもそうなの、その通りなの。メンタル疾患抱えてるときって「自分ではどうにもならない」のよ~(--;)
恥ずかしい話だけど、本当のことだ。経験してるから分かる。
周りの人、特に親しいひと、ご家族、恋人、などにはぜひそれを知っていて欲しいと思う。
どうにもできないんです、実際。自分で変えられたり対処できたら病気になってないんです。発作なんて起きたらひとたまりもありません。

でも、ご安心あれ!周りの人に助けられて、少しづつ自分の欲する感情を満たし、落ち着いて周りが見られる余裕が出来れば、自分の感情や性質、性格の弱さも直視できるようになります。
そして何より、助けてくれた周りの人の事を考えられるようになります。
そうしてみんな、メンタルの山や川、谷を超えて行くのです。
それが出来ない人は自己中の海におぼれて、何度でも繰り返す、そんな気がします。
でもいいのそれでも、最終的に何とか脱出すれば、それでオーケー。
有り、有り、です(笑)

という事でそういう人間にとっては人様の力がとっても大事なんですね。
暗闇の光、海の上の羅針盤、北極星や南十字星並みに重要です。
しかしながら、病んでいるときは言葉も感情もなかなかココロまで到達しないから、周りの人は疲れて、あきらめたり、果てにはご自分まで壊れてしまいがちです。
でもあきらめないであげて欲しい。そして自分の周りの人がどちらのタイプかよく吟味して声をかけてあげて欲しい。
一人で立てるようにちからを貸してあげて欲しい。
どちらのカテゴリーに居る人も、みんなの中に居たい、一緒に生きたいと思って悩んでいるからです。
今回、ある友人の言動や、もう一人の友人の相談に乗って、ご家族の状態も見ていてそう強く思ったのでした。

今日の写真は無心に遊ぶぴーちゃん。
あああ、願わくばこんな風に素直に生きたいもんです。
素直万歳(笑)