寒いです。気温が上がってきません。
こちら南の国も15度くらいしかございません。
ちびさんたちもお洋服を着て、毛布さんにくるまりんこです。

《ひえひえしてきたでしゅよ。毛布さんであったまるでちゅ》
寒いので生姜入りのお茶を飲んで、物書きにいそしんでおりましたが
冷えで身体が固まっているので、2本指でできることをいたしましょう…
と、いう事で今日二回目のブログさんとの対話です。
さっき、いろんなことができないと書きましたが
いろんなことが出来なくなると、ぼーっとするので記憶も低下します。
それを阻止するためにも、動けるときに動く、かけるときに書くを心がけています。
そして私の場合、出来るだけ考えます。と言うか、思いめぐらします。
それでどツボに嵌るときもありますが、頭を使っていないと不安になります。
なので良くやるのは、過去(悲しいことは考えない)を思い返し、
そのことから感謝をしたり反省したりしてみます。
私は立派な人格でもなければ、しっかりした家庭で生きているわけでもなく
職業的な個性と環境を除けば至って普通の家庭に生きてきたと思っています。
普通っていうか、生活環境的にはこの日本にあってかなりハードと言えるでしょう。
そんな家に育った我が家の人間は「生きる」ことに貪欲です。
いろんな壁も乗り越えてきています。
その乗り越え方については、一般の方には驚くこともあるかもしれません。
けど、それは「生きる知恵」ともいえると認識しています。
そんな過酷な環境にあったけれど、我が家の人間はかなりイケている。
そう私は思っています。もちろん、他人様がなんというかはわかりませんけどね(^_^;)
多分それは善なる「母親」と反面教師の「父親」の影響が大きいでしょう。
おかげで私の兄弟は基本、道を外れずに済みました~(^_^;)
そして、ハードな環境のおかげもあり、自分で考え、立ち上がる力と
何が大切かを選ぶ力を学んでこられたと思っています。
そんなことを思うとき、やっぱり影響が強かったのは母の存在です。
朝、誰よりも早く起きて、夜は夜で一番おそくまで仕事をし、
朝ごはん、お弁当づくり、掃除洗濯、子供の世話に、父のお世話、休む暇なし。
でも、昔のお母さんはきっとみんなそうだったはず。
だから子供たちは皆、「お母さんに楽させたい」の一心で働けました。
子どもはわずかでもお給料を家に入れました。
自分の食い扶持ぐらいは稼いで当たり前でした。
そんなお母さんたちはそのお金を内緒でせっせと溜めて
子どもたちの晴れの日のために用意して、、、
お母さんっていう生き物はいつでも自分の事は後回しでした。
私の母も紛れもなく、そんな母親の一人です。
私たち子どもがどんなに部屋を散らしても、
いつも片付けてくれたお母さん。
どんなに疲れていてもご飯を作ってくれたお母さん。
全自動のない時代に冷たい水でお洗濯してくれたお母さん。
洋服でもなんでも作ってくれたお母さん。
そんなお母さんを見ていたから、私も同じことができる。
同じように生きられるように頑張ろうと思える。
こんな風に人のために見返りもなく生きれる人になりたいと思えた。
そして何よりもお母さん、お父さん、大人と言うものは
人としてしてはいけないこと、人としてすべきこと、
男としてすべきこと、他家に嫁ぐ女としてすべきこと
家庭は子どもたちにいろんなことを教えてくれるものじゃなかったか?
親孝行も自立もそんな風に生活の中で培われていくものだったと思います。
所が大人になって、そんなお母さんたちが少なくなったことに気が付きました。
恵まれて子どもと関わる現場にいたから、なおさら感じたのかもしれません。
気が付けば昔のお母さんはどこへやら。
子どもより自分が大切なお母さん。
自分の欲求に我慢のきかないお母さん。
自分の望みどおりにできないと、自由がない、と言うお母さん。
仕事をしてるから、子育てが出来なくても仕方ない、というお母さん。
学校や何かの機関に子どもを任せて何にもしないお母さん。
果てには「お母さんに見られるのが嫌」と言う。
何で子供を産んだのか、聞いてみたいお母さんがいっぱいいました。
気が付けば、そんなお母さんの子どもはみなお母さんに似ている。
仕事の現場でも、いい加減な若者が多くなりました。
自分の事ばっかりで、人の事は二の次。
しかも、それが自由だと信じている。
忍耐は我慢だ、嫌なことをすることだと思っている。
嫌なことと感じている自分に非があることになんて、
まったくもって気が付いていない。
親が自由を謳って、知るべき常識も教えないから、なにも知らない、何もできない。
そうか、世の中からは親孝行の心はもう消えて行ってるんだな、
つくづく家庭って、育てるって、本当に大切なことなんだなぁと感じました。
ここまで書くとうるさい人だなと思われるでしょうが、
ええ、ものすごく、うるさいんです(笑)
今、我が家には10代と20代の子どもと御嬢さんがいます。
ただうるさいのは事実だけど、私が言葉を発するのは本当に目に余った時です。
3回までは勘違いもあり、5回できなきゃ理解していないものとして言います。
言っても3回目までは待ちます。
3回言ってもしなかったら、それは相手の非と考えます。
「こうしなければいけない」と言うのは「こうしなくてはならない」ということ。
「こうしてほしい」と言う人がいるという事は
「こうしてもらえないと困る」人がいるということ。
答えをもらったのにしないのは人間として最低レベルの意識の持ち主だと私は考えます。
困っている人が居ても、努力も何もしないわけだから。
日頃何をしていようが、何を言っていようが、恩も義理も人情も、
そう人にはわからないからそうしていると思うからです。
だから家族がそういうことをすれば本気で注意します。
なぜそんなことを言うのか?
人の世界に在って、ちゃんと人として生きられる人になってほしいと思うからです。
もちろん私自身、完璧な人間じゃありません。
失敗もするし、間違いもあるし、わかんないことだってあります。
今は病もありできないことも多く、ダメダメな人間像まっしぐらの時ですし(・。・;
だけど、あえて、自分を棚に上げて言うのです。
先に生まれた者、学んだ者には誰にもそういう責任があると思うのです。
だって、そうでなくては前後して生まれてくる意味もなく、
人間関係が存在する意味もない、と思うからです。
私は人は影響しあい、学ぶために生きて居る
と言っても過言じゃないと思っていますから。
意見や注意をすることで人が自分の真ん中をしっかり表すことは
まだ指針がはっきりしない若者には大切じゃないかと思っているのです。
揺るがない魂があることは、その姿勢で表していく事が大事じゃないかって思います。
親のあり方や家庭の在り方、躾なども同じだとおもいます。
震災後、流れていたACのCMを覚えていますか?
思いは見えないけれど、思いやりは見える、と言うやつです。
私はその詩の心を育てるのが親であり、家庭であり
そして自分自身の力であると思っています。
では人として生きるとはどんなことか?
ACのCMは宮澤章二さんの「行為の意味」という詩ですが
このように書かれています。
―――あなたの<こころ>はどんな形ですか
と 人に聞かれても答えようがない
自分にも他人も<こころ>は見えない
けれど 本当に見えないのであろうか
確かに<こころ>はだれにも見えない
けれど<こころづかい>は見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから
同じように胸の中の<思い>は見えない
けれど<思いやり>は誰にでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから
あたたかい心が あたたかい行為になり
やさしい思いが やさしい行為になるとき
<心>も<思い>も 初めて美しく生きる
――――それは 人が人として生きることだ
いかがでしょう?感じるものがありませんか?
あたたかいこころ、やさしい思いとは親の在り様、
それが自分の意思で行う「「行為」になって初めて生きることができる。
心の中で思うことは簡単です。
それを行うことはとても難しい。
でも、その難しさを超えて初めて「愛」になる。
行いは「感謝」ともいえると思います。
その感謝を知り、感謝出来るようになるために
しつけも注意も意見もあるのではないかなって思います。
だから、「しない」と言うのは、愛を受け止めていないこと、
人から恩を受けても、感謝をしていないこと、
迷惑をかけても、そのままで平気でいることと同じなのです。
何よりも、そんな生き方である事は自分の心と体に恥ずかしい。
恥を知らない人間であるという事です。
私はそう思います。
先日、敬天愛人の意味を書きましたが、昔の人はいいこと言いましたね。
会津若松藩、日新館の「什の掟」は6歳から10歳までの子どもたちの決まり事です。
いま、どれほどの人がこれを守ることができ
またこれを言い切れる大人がいるのかなと思います。
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言をいふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
この中で私はならぬことはならぬと言える大人の姿勢が
何よりも大切な生き方を教えているのだと思います。
こういうのもあります。
時代が変わっても変わらないしつけの3原則というのがあるそうです。
それは、
①くつをそろえること,よその家にいっても自宅に帰ってきても
きちんとかかとを揃えてそろえているか,椅子はきちんと入れてあるかということ。
家でできていないことは、外でなど到底できない。
②「はい。」と返事をすること。
家族の間でもきちんと返事が交わされているかということです。
③挨拶をすること。
この3つが最低限度の躾として備わっていなければ
社会で生きていくことは容易ではなくなるのです。
人間は人間に育てられ,人間の行動を学ぶことで初めて人間らしくなるわけです。
そういう意味から躾は大事です。
「学ぶ」のもともとの語意は「まねぶ」「まねる」です。
狼に半年間育てられた人間の赤ん坊は,その後人間に育てられても,
コップを持てるまでに5年もかかるそうです。
人間に育てられれば1歳でできるようになることがです。
やはり親の育て方一つなのです。
ただし子供は親の言う通り,考えている通りには育ちません。
親のする通りに育ちます。
躾という字は、身を美しくすると書きます。
正しく美しく育って行ってくれる様、
わたしたち大人は、自分自身を
正しく美しい人間でいられるよう肝に命じたいと思います。
―――しつけの語源―――
着物を仕立てをするときに,仕立てが崩れないように
「仕付(しつけ)糸」で大まかに仮留めをしておく。
着物を着る直前になって、しつけ糸を切り取る。
その時は、着物の形が安定していて、
ちょっとのことでは型崩れしなくなる。
そのようにきちんと仕付糸で型を安定させることで
美しくなる。
それから転用されて、行儀作用を身に付かせ美しく
振舞えるように型を人に指導していくことに
対して「しつけ」というようになった。
そして、「躾」は「身」に「美」と書く。
これは日本人が作った国字であるが、
「しつける」ことで、身を美しく保ち
振舞うことができる。
それゆえに、「しつけ」は
「身」に「美」と書いて、「躾」と書くようになったという。
一貫して美しい生き方を語られた中原淳一さんもおっしゃっています。
「良き女性の人生は善き少女時代を送った人に与えられる」と。
私は、我が家の若い人たちに愛と勇気を持った人になってほしいです。
自分の事は自分でできる力と責任を持ちながら、
人の事には見返りを持たずに尽くせる人。
自分を裏切らない誠実さと勇気を持てる人。
愛のある行為のできる人。
おかげさまと感謝の心のある人。
そんな人になってほしい。
その為にはぜんぜん「うるさいおばさん」でいいと思ってます(*^^)v
それでも学べなかったら、それは本人の問題だから仕方ないけれど。
でもぎりぎりまでは言うよ。
だから、私はうるさい鬼ばああなのさ(^_^;)
最後に、あるコンテストで入賞した言葉を一つ。
関西の女性の句です。
「苦労して、やっとわかった親心。くそじじいはお不動さま。鬼ばばあは観音さま」
あたしはやっぱ、鬼ばああでいいや~(笑)