KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

放射能から子どもたちを守りましょう~追記・食べて応援は危険です

2011-11-10 | KOFUKU日記


大切な友人からこのようなシェアがありました。
お心動かされた方、ぜひご参加ください。


福島の子供達 を救おう!今すぐこの嘆願書に署名!
《ここをクリックしてね!》福島の子どもたちを救おう!

サイトより

今現在、福島市とその付近では、数千人の地元住民が、
高レベル汚染地区に閉じ込められています。
黒い雨が空から降り、地元の農作物は汚染され、
津波によって住む場所をなくした家族や
その子供達は避難することもできません。

それでも政府は彼らを助けることを拒んでいます。

そこで福島の女性たちが動きだしました。
日本中から数百人のサポーターが集まり
福島の子供たちが避難するための支援を野田総理大臣に求めるため、
東京の経済産業省前に座り込み、訴えています。

私たちも彼女達と供に訴えることができます。

これは事実上、彼らの命をかけた行動です。
放射能汚染の真只中にいる子供達には、時間がありません。
プレッシャーを感じ始め、日本政府は24時間後に緊急会議を開催する予定です。

福島の母と子供たちをサポートしよう!
下記の緊急署名嘆願書に署名の上、このEメールを拡散してください。
嘆願書は、会議前に、首相官邸に直接届けます。

《こちらをクリック!》福島の子どもを救おう24時間



さて国会中継で枝野さんがこんなことを言いました。

2011年11月08日19時02分
提供:トピックニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/6008714/

8日、衆議院予算委員会の質疑における
枝野幸男氏の答弁が話題になっている。
枝野氏は、自民党・村上誠一郎議員から受けた
震災初期対応の不備を指摘する質問に答える形で

「わたくしは3月11日からの最初の二週間で、
39回の記者会見を行っておりますが、
そのうち「ただちに人体、健康に害が無い」
ということを申し上げたのは全部で7回でございます。

そのうちの5回は食べ物、飲み物の話でございまして、
一般論としてただちに影響がないと申し上げたのではなくて、
放射性物質が検出された牛乳が1年間飲み続ければ
健康に被害を与えると定められた基準値がありまして、
万が一そういったものを一度か二度摂取しても、
ただちに問題ないとくり返し申し上げたものです」

と回答した。


枝野氏の「ただちに影響ない」という言葉は、
震災直後、混乱する日本で一種の流行語になったが、
改めて、同氏は

「これは『基準値超えの食品を一度か二度摂取した場合』に限られる」

と説明し直した。

今回の発言を受け、
「今までと変わらぬ生活を続けてもただちに影響ない」
という意味だと信じていたネットユーザー達は、
それぞれのツイッターや掲示板上で、

「こう言うと思ってた」
「枝野を信じて汚染水道水を飲んでた自分が悔しい」
「子どもの言い訳か」
「全力で国民を騙した」
「『食べても心配ない』と曲解して報道したマスコミに責任」

などと書き込み、様々な反発の声を上げたのだった。


みなさん、震災後から言ってますが、食べて応援は危険です。
以前も掲載しましたが500ベクレルは全面核戦争勃発時の緊急的措置の値です。
しかも3か月続けてはいけない、とあります。
くれぐれも子どもたちを内部被ばくさせないようにしてください。

心臓血管系は危険だそうです。
心臓はカルシウムをたくさん使うので、
間違ってセシウムを取り込んでしまい影響が大きく、
心筋梗塞などを起こすそうです。

頑張れニッポン、がんばれ東北。
私もそう思います。

でも大切なのは、食べて応援することでなく、
そこにいる方たちが、汚染されてしまったものを売らなくても
そこに居なくても暮らしていけるように協力することのような気がします。

皆で気をつけて、そして真の協力をして行きましょうね。


ならぬものはならぬものです~人としての学びについて

2011-11-09 | KOFUKU日記
寒いです。気温が上がってきません。
こちら南の国も15度くらいしかございません。
ちびさんたちもお洋服を着て、毛布さんにくるまりんこです。


 
《ひえひえしてきたでしゅよ。毛布さんであったまるでちゅ》

寒いので生姜入りのお茶を飲んで、物書きにいそしんでおりましたが
冷えで身体が固まっているので、2本指でできることをいたしましょう…
と、いう事で今日二回目のブログさんとの対話です。

さっき、いろんなことができないと書きましたが
いろんなことが出来なくなると、ぼーっとするので記憶も低下します。
それを阻止するためにも、動けるときに動く、かけるときに書くを心がけています。
そして私の場合、出来るだけ考えます。と言うか、思いめぐらします。
それでどツボに嵌るときもありますが、頭を使っていないと不安になります。
なので良くやるのは、過去(悲しいことは考えない)を思い返し、
そのことから感謝をしたり反省したりしてみます。

私は立派な人格でもなければ、しっかりした家庭で生きているわけでもなく
職業的な個性と環境を除けば至って普通の家庭に生きてきたと思っています。
普通っていうか、生活環境的にはこの日本にあってかなりハードと言えるでしょう。
そんな家に育った我が家の人間は「生きる」ことに貪欲です。
いろんな壁も乗り越えてきています。
その乗り越え方については、一般の方には驚くこともあるかもしれません。
けど、それは「生きる知恵」ともいえると認識しています。

そんな過酷な環境にあったけれど、我が家の人間はかなりイケている。
そう私は思っています。もちろん、他人様がなんというかはわかりませんけどね(^_^;)
多分それは善なる「母親」と反面教師の「父親」の影響が大きいでしょう。
おかげで私の兄弟は基本、道を外れずに済みました~(^_^;)
そして、ハードな環境のおかげもあり、自分で考え、立ち上がる力と
何が大切かを選ぶ力を学んでこられたと思っています。

そんなことを思うとき、やっぱり影響が強かったのは母の存在です。

朝、誰よりも早く起きて、夜は夜で一番おそくまで仕事をし、
朝ごはん、お弁当づくり、掃除洗濯、子供の世話に、父のお世話、休む暇なし。
でも、昔のお母さんはきっとみんなそうだったはず。

だから子供たちは皆、「お母さんに楽させたい」の一心で働けました。
子どもはわずかでもお給料を家に入れました。
自分の食い扶持ぐらいは稼いで当たり前でした。

そんなお母さんたちはそのお金を内緒でせっせと溜めて
子どもたちの晴れの日のために用意して、、、
お母さんっていう生き物はいつでも自分の事は後回しでした。
私の母も紛れもなく、そんな母親の一人です。

私たち子どもがどんなに部屋を散らしても、
いつも片付けてくれたお母さん。
どんなに疲れていてもご飯を作ってくれたお母さん。
全自動のない時代に冷たい水でお洗濯してくれたお母さん。
洋服でもなんでも作ってくれたお母さん。

そんなお母さんを見ていたから、私も同じことができる。
同じように生きられるように頑張ろうと思える。
こんな風に人のために見返りもなく生きれる人になりたいと思えた。

そして何よりもお母さん、お父さん、大人と言うものは
人としてしてはいけないこと、人としてすべきこと、
男としてすべきこと、他家に嫁ぐ女としてすべきこと
家庭は子どもたちにいろんなことを教えてくれるものじゃなかったか?
親孝行も自立もそんな風に生活の中で培われていくものだったと思います。


所が大人になって、そんなお母さんたちが少なくなったことに気が付きました。
恵まれて子どもと関わる現場にいたから、なおさら感じたのかもしれません。

気が付けば昔のお母さんはどこへやら。
子どもより自分が大切なお母さん。
自分の欲求に我慢のきかないお母さん。
自分の望みどおりにできないと、自由がない、と言うお母さん。
仕事をしてるから、子育てが出来なくても仕方ない、というお母さん。
学校や何かの機関に子どもを任せて何にもしないお母さん。
果てには「お母さんに見られるのが嫌」と言う。
何で子供を産んだのか、聞いてみたいお母さんがいっぱいいました。
気が付けば、そんなお母さんの子どもはみなお母さんに似ている。

仕事の現場でも、いい加減な若者が多くなりました。
自分の事ばっかりで、人の事は二の次。
しかも、それが自由だと信じている。
忍耐は我慢だ、嫌なことをすることだと思っている。
嫌なことと感じている自分に非があることになんて、
まったくもって気が付いていない。
親が自由を謳って、知るべき常識も教えないから、なにも知らない、何もできない。

そうか、世の中からは親孝行の心はもう消えて行ってるんだな、
つくづく家庭って、育てるって、本当に大切なことなんだなぁと感じました。

ここまで書くとうるさい人だなと思われるでしょうが、
ええ、ものすごく、うるさいんです(笑)

今、我が家には10代と20代の子どもと御嬢さんがいます。
ただうるさいのは事実だけど、私が言葉を発するのは本当に目に余った時です。
3回までは勘違いもあり、5回できなきゃ理解していないものとして言います。

言っても3回目までは待ちます。
3回言ってもしなかったら、それは相手の非と考えます。

「こうしなければいけない」と言うのは「こうしなくてはならない」ということ。
「こうしてほしい」と言う人がいるという事は
「こうしてもらえないと困る」人がいるということ。

答えをもらったのにしないのは人間として最低レベルの意識の持ち主だと私は考えます。
困っている人が居ても、努力も何もしないわけだから。
日頃何をしていようが、何を言っていようが、恩も義理も人情も、
そう人にはわからないからそうしていると思うからです。
だから家族がそういうことをすれば本気で注意します。

なぜそんなことを言うのか?
人の世界に在って、ちゃんと人として生きられる人になってほしいと思うからです。

もちろん私自身、完璧な人間じゃありません。
失敗もするし、間違いもあるし、わかんないことだってあります。
今は病もありできないことも多く、ダメダメな人間像まっしぐらの時ですし(・。・;

だけど、あえて、自分を棚に上げて言うのです。
先に生まれた者、学んだ者には誰にもそういう責任があると思うのです。

だって、そうでなくては前後して生まれてくる意味もなく、
人間関係が存在する意味もない、と思うからです。
私は人は影響しあい、学ぶために生きて居る
と言っても過言じゃないと思っていますから。

意見や注意をすることで人が自分の真ん中をしっかり表すことは
まだ指針がはっきりしない若者には大切じゃないかと思っているのです。
揺るがない魂があることは、その姿勢で表していく事が大事じゃないかって思います。
親のあり方や家庭の在り方、躾なども同じだとおもいます。


震災後、流れていたACのCMを覚えていますか?
思いは見えないけれど、思いやりは見える、と言うやつです。

私はその詩の心を育てるのが親であり、家庭であり
そして自分自身の力であると思っています。

では人として生きるとはどんなことか?
ACのCMは宮澤章二さんの「行為の意味」という詩ですが
このように書かれています。
          

―――あなたの<こころ>はどんな形ですか

と 人に聞かれても答えようがない


自分にも他人も<こころ>は見えない

けれど 本当に見えないのであろうか


確かに<こころ>はだれにも見えない

けれど<こころづかい>は見えるのだ


それは 人に対する積極的な行為だから




同じように胸の中の<思い>は見えない

けれど<思いやり>は誰にでも見える

それも人に対する積極的な行為なのだから




あたたかい心が あたたかい行為になり

やさしい思いが やさしい行為になるとき

<心>も<思い>も 初めて美しく生きる


――――それは 人が人として生きることだ




いかがでしょう?感じるものがありませんか?

あたたかいこころ、やさしい思いとは親の在り様、
それが自分の意思で行う「「行為」になって初めて生きることができる。

心の中で思うことは簡単です。
それを行うことはとても難しい。
でも、その難しさを超えて初めて「愛」になる。

行いは「感謝」ともいえると思います。
その感謝を知り、感謝出来るようになるために
しつけも注意も意見もあるのではないかなって思います。

だから、「しない」と言うのは、愛を受け止めていないこと、
人から恩を受けても、感謝をしていないこと、
迷惑をかけても、そのままで平気でいることと同じなのです。
何よりも、そんな生き方である事は自分の心と体に恥ずかしい。
恥を知らない人間であるという事です。
私はそう思います。


先日、敬天愛人の意味を書きましたが、昔の人はいいこと言いましたね。

会津若松藩、日新館の「什の掟」は6歳から10歳までの子どもたちの決まり事です。
いま、どれほどの人がこれを守ることができ
またこれを言い切れる大人がいるのかなと思います。


一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言をいふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです 


この中で私はならぬことはならぬと言える大人の姿勢が
何よりも大切な生き方を教えているのだと思います。


こういうのもあります。
時代が変わっても変わらないしつけの3原則というのがあるそうです。
それは、


①くつをそろえること,よその家にいっても自宅に帰ってきても
きちんとかかとを揃えてそろえているか,椅子はきちんと入れてあるかということ。
家でできていないことは、外でなど到底できない。

②「はい。」と返事をすること。
家族の間でもきちんと返事が交わされているかということです。

③挨拶をすること。

この3つが最低限度の躾として備わっていなければ
社会で生きていくことは容易ではなくなるのです。

人間は人間に育てられ,人間の行動を学ぶことで初めて人間らしくなるわけです。
そういう意味から躾は大事です。
「学ぶ」のもともとの語意は「まねぶ」「まねる」です。

狼に半年間育てられた人間の赤ん坊は,その後人間に育てられても,
コップを持てるまでに5年もかかるそうです。
人間に育てられれば1歳でできるようになることがです。

やはり親の育て方一つなのです。
ただし子供は親の言う通り,考えている通りには育ちません。
親のする通りに育ちます。


躾という字は、身を美しくすると書きます。
正しく美しく育って行ってくれる様、
わたしたち大人は、自分自身を
正しく美しい人間でいられるよう肝に命じたいと思います。



―――しつけの語源―――

着物を仕立てをするときに,仕立てが崩れないように
「仕付(しつけ)糸」で大まかに仮留めをしておく。
着物を着る直前になって、しつけ糸を切り取る。
その時は、着物の形が安定していて、
ちょっとのことでは型崩れしなくなる。

そのようにきちんと仕付糸で型を安定させることで
美しくなる。

それから転用されて、行儀作用を身に付かせ美しく
振舞えるように型を人に指導していくことに
対して「しつけ」というようになった。

そして、「躾」は「身」に「美」と書く。
これは日本人が作った国字であるが、
「しつける」ことで、身を美しく保ち
振舞うことができる。
それゆえに、「しつけ」は
「身」に「美」と書いて、「躾」と書くようになったという。




一貫して美しい生き方を語られた中原淳一さんもおっしゃっています。
「良き女性の人生は善き少女時代を送った人に与えられる」と。

私は、我が家の若い人たちに愛と勇気を持った人になってほしいです。
自分の事は自分でできる力と責任を持ちながら、
人の事には見返りを持たずに尽くせる人。
自分を裏切らない誠実さと勇気を持てる人。
愛のある行為のできる人。
おかげさまと感謝の心のある人。
そんな人になってほしい。

その為にはぜんぜん「うるさいおばさん」でいいと思ってます(*^^)v
それでも学べなかったら、それは本人の問題だから仕方ないけれど。
でもぎりぎりまでは言うよ。
だから、私はうるさい鬼ばああなのさ(^_^;)


最後に、あるコンテストで入賞した言葉を一つ。
関西の女性の句です。


「苦労して、やっとわかった親心。くそじじいはお不動さま。鬼ばばあは観音さま」


あたしはやっぱ、鬼ばああでいいや~(笑)

きばらんなね~

2011-11-09 | KOFUKU日記
昨日までの暑さに代わって立冬の朝はぐっと冷えてきました。
午後からお天気も崩れるようなので、今のうちにちびさんたちも日光浴です。

 
《お庭に出動前のピグさんとまろくん「はやくだして!」》
 
 
《お日様が気持ちいい~♪おなかぽかぽかになるう~♪》


この頃、生姜湯と漢方薬を飲み始めました。
と、言いますのは、先日は病院の受診日だったのですが
どちらの先生からもそろってお奨めがありましたのです。

私はもともと血圧がかなり低いのですが
(と言ってもこの頃は不安症とかで少し高め)
そのせいか、ものすごく体が冷えるのです。
マッサージを2時間受けても、まったく体が温まらないくらいです。

私は頸、腰、膝が結構悪いのでリハビリに通っていますが
これからさらに冷えてくるのと、精神的にも冷えは良くないので
体を温める治療をしていきましょうという事で漢方薬を頂きました。

スパイシーな漢方薬は体を温めてくれるし、温まると気分も緩むそうです。
落ち込みにも温かい飲み物は良いのだそうです。
それですすめられたのが生姜湯。
飲みやすい、ゆず生姜湯でスタートです。
生姜湯は朝の冷える時や夜飲むのがいいそうです。
この時期は甘酒もいいんだそうです。
お味噌汁にも生姜を入れるといいですよ~と言われているので
今日からやってみたいと思っています。
スパイスって体をあっためますもんね。
代謝も悪いのでこれで改善するといいなぁ~と期待しています。

なんで急にこんなことを始めたかと言いますと、
相方さんの一周忌に向けて、お世話になった方にお手紙など書いておりますと
やっぱりいろいろ思い出したりなんかしてしまうわけですね。
なんかどんどんどんどん冷えて行っちゃいそうなので…軽く阻止デス(^_^;)

あとは手紙を書きながら気が付いて数えたんですが、
相方さんが亡くなって、お葬式が済んでからこちら
個人的に会った人の数、お話した人の数が
家族と医師を除くと両手の指で余りました。
それだけ私はこの一年の間、誰にも会わず、話さず
引きこもっていたという事で、そして今も同じという事です。

心の病と言うものは治そうにもなかなか難しいものですね。
(もちろんサラッと元気になる人もいるんでしょうけど…)
なんせ目に見える怪我とは違うし。
しかも他人にも見えないけど、自分にも見えないんだよね、コレがね…(・。・;
生活に支障をきたして初めて自分も問題だとわかるというかね…。

ノートルダム女子大の学長だった、シスター渡辺和子先生が著書の中で
ひどい鬱になり、入院していた日々の事を書いておられます。
元来、先生は性格もはっきりしていて、我慢強く、
仕事も生活も必死にできる頑張り屋タイプの方です。
だから、精神的に弱い人を見ると、もっと頑張ればいいとか、
逆にやらないからダメなんじゃないのか?と思ってきたそうです。
けれど自分が病んで初めて、どうにもなるものじゃないのだと思ったとか。
そして、なんと自分は自分の基準だけで考えていたろう、
思いやりのない人間だったのだろうと思ったのだそうです。
そんなもんなんですよ。

しかも、先生のようなタイプの人は、鬱になっても人の前で頑張れるのですよ。
鬱状態になっても自分からは出て行かないけど、来る人の対応はしちゃう。
しかもちゃんとこなしちゃう。だから人からは病気だと思われない。
そうだと、もっと頑張れるんじゃないかとか、やってないんじゃないかと言われる。
やりたいのにできない本人は本当につらいもので…悪循環です。

で、私はまったく同じようなタイプかと思われます(何も出来はしないけど^_^;)
猪突猛進型?なんですかね~。マグロ型ともいう?
(病気になるまで、ずっと止まったら死ぬよね、みたいに言われてました、、^_^;)
ずっと、そんな感じで生きてきました。
必死だったから別に無理してるってことも感じませんでした。
常に下にいる人がいて守るものもあったので、
自分のあり方次第で周りに大きな影響が出ますから責任もあるし、
どんなに自分が疲れていても、人前でくじけることはなかったのです。
それが私の美徳であったし、今も崩したくない心でもあります。

でも…この「常に対応できる」ってこと自体がすでに「病」なのだそうです…。
もう中身は限界なのに無意識のうちに必死に頑張ってしまう。
でも本人は全然それがわからない。だから倒れるまでやってしまう。
いつまでたっても疲れちゃってて全然良くならないのだそうです。
だから、疲れたら、ちゃんと休む、って事はすごく重要なんだそうですよ。

私は今は何かをしたくても、その気持ちとは裏腹に
どうしてもできなかったりします。
性分からそれが悔しかったり、悲しかったりします。
そのジレンマが心を追いやって病気につながっていきます。
中には何かをやることが面倒でそれが苦痛になって
わたしと同じ病になる方もいらっしゃいますが
私の場合は心因性の症状に加えて、それでも日常の責任を果たしたい気力と
それを維持する気力体力のバランスが合わず、
生活に支障が出てそんな自分が歯がゆくなる、
それが苦痛になってしまうのです。

ですが、病になってしまったことで、初めてわかったこともあります。
身体と言うものは限界がある、自分の体との会話は大切という事
しっかり生きると同時に休む時にはしっかり休むという事が大切だという事
その他にも、私は苦労もいとわず頑張って生きてこれたのだなぁという誇り。
そういう心や生き方を与えてくれた親や周りの方への感謝。
言葉の中に秘められている、たくさんの意味を理解して選択できる大切さ。
数えきれないものがあります。

私のような症状には大概「頑張りすぎ」はダメですよ、
と言うような診断を下されるのだとおもいますが
実はこの頑張りすぎって言葉の中身も実はたくさんあるのですね。

その意味合いを取り違えると大変なことになります。
でも、どういう意味なのかは自分が考えねば答えは出てこないし
結果としてもまったく表れてきません。
このへんが人が考える能力を持っている理由なのかもしれません。

よく勘違いしてる人もいますが「無理するな」「頑張りすぎるな」ってことは
「頑張らなくていい」とか「何もしなくていい」ことではないのです。
今頑張ってる場所ではダメなのだから、頑張るところを変えることが大事ってことだと思います。
たとえば私であれば、出来ないことを認めることを努力していくことかと思います。
しかも負担にならない努力を積み重ねていくことでしょう。
手放す努力だって必要。

何もできないとき、出来ることを出来るだけやることや
出来ることを繰り返す努力をすることって大切だなって思います。

人は望んだものができなかったり、手に入らないと
あれもできない、これもできないと落ち込みます。
でも一番大切なのは、何もできないときにできることこそが
自分の能力の中で一番大切なんだと今は良く理解できます。
それこそが本当の才能ではないでしょうか。

自分に才能がないと思われている方は特に、
どんなときにも自分ができることを考えてみてください。
そこにご自身の才能が隠れているかもしれませんよ。

今はできることをやることが自分にとって大切なことです。
心が向いた方を向く、そんな努力も必要ってことですね。
このブログもそう。
いつでもキーが打てるように、いつでも手紙が書けるように
いろんなチャレンジを周りにおいています。
出来なくても、それでよし。

秋もじんわりと進んできますが、歩みも同じ。
いつか色づけば、なお善し(^◇^)

きばらんなね!(頑張らなくちゃ)

ご当地ヒーロー*薩摩剣士隼人

2011-11-06 | KOFUKU日記
11月も早いもので一週間が過ぎようとしています。
相方さんの一周忌まで2週間を過ぎました。
なんだか思い出すことばっかりで落ち込みすぎてしまうので、
敢えてここには相方さんも好きそうな、喜んでくれそうな
できるだけ楽しいことを書いていこうと思います(^^)

そのまえに、今日のちびさんたち(^^)
 
《ちびさんたちは今日もお元気。家族に愛されております》


さてさて、いま流行のゆるキャラ、とやら。
東京にいる時はあまり気になっていませんでしたが
やはり田舎に戻ってきますと、他県から何十年ぶりの帰郷のせいか
地元人よりも地元のいろいろなことが気になったりします。
だけどやっぱり地元の人間なので、より地元っぽいものに反応します(笑)

今、我が家全員でハマっているのが「ご当地ヒーロー」とその仲間のゆるキャラさんたち。
「薩摩剣士隼人」(さつまけんしはやと)デス!!

 
《隼人のポスターと薩摩隼人の像と一緒の隼人とつんつん》


《こんなパンも売っています~》

ご当地ヒーローとはいいますが、結構かっこいいでしょ?
今、毎週テレビシリーズをやっていて、家族で楽しみに見ています。
どんなお話しかと言うと~。

《番組のあらすじより》
南の国・鹿児島では、古来よりボッケモンと呼ばれる精霊たちが、人々と共に暮らしていた。
行方不明になった伝説のボッケモン「ダイサイゴー」を探して鹿児島県内を旅する薩摩犬「つんつん」。
一方、吉野の山では、大石兵六に退治された狐一族の守護神「ヤッセンボー」が復活した。
人々を救うべく立ち向かうボッケモンたち、しかしヤッセンボーの魔力はあまりに強大であった。
もはや絶体絶命のその時、太鼓の響きと共に現れた謎の剣士!その名は...
「薩摩剣士・隼人!!」
鹿児島の自然を愛し、伝統・文化を愛し、郷土料理に目が無い、
強く優しい薩摩のヒーロー・隼人の示現流が冴えわたる!
今、鹿児島の未来をかけた戦いの火蓋が切って落とされた!

せっかくなので、動画もどうぞ(^^)

薩摩剣士隼人


こんな感じで、鹿児島弁バリバリのご当地ヒーローなのであります。
薩摩犬のつんつんや吉野のこぎつね・こんこんなどのゆるキャラも可愛い。
毎回、県内のいろんな場所で撮影をしていて、鹿児島情緒あふれる番組です。

薩摩剣士隼人の頭のマークは県の形をひっくり返したもの。
胸には薩摩十字。
作品の中のナレーションにも出てきますが、
薩摩十字には異なった道にあるものを交わらせ輪を結ぶ、
という意味があります。

隼人は敵にも愛を道を唱え、携えたその剣には刃はなく人を切ることはありません。
まだ子どものつんつんとこんこんは隼人やいろいろな精霊たち
「ぼっけもん」の優しさや強さに触れて、成長していきます。
まったりで、お笑いたっぷりな番組ですが、芯はしっかりしたものがあります。
鹿児島気質をあますところなく伝えてくれる貴重な番組・キャラクターだと思っています。

番組の真ん中を貫く隼人やぼっけもんの性格には「敬天愛人」の教えが生きています。
敬天愛人は西郷隆盛の教えとして有名ですが、鹿児島人の心でもあります。
あと、目上の者が目下の者に道を教えていく姿。

鹿児島には、『郷中教育』という薩摩藩の伝統的な縦割り教育がありました
(『ごじゅうきょういく』、または『ごうじゅうきょういく』とも呼ばれます)。
郷中とは、町内の区画や集落単位の自治会組織のことで、今でいう町内会と考えればいいでしょう。

郷中は、青少年を「稚児(ちご)」と「二才(にせ)」に分けて、
勉学・武芸・山坂達者(やまさかたっしゃ、今でいう体育・スポーツ)を通じて、
先輩が後輩を指導することによって強い武士をつくろうとする組織でした。

年長者は年少者を指導すること、年少者は年長者を尊敬すること、
負けるな、うそをつくな、弱い者をいじめるなということなどを、
人として生きていくために最も必要なこととして教えました。
これは時代の流れで、武家だけでなく、そのまま薩摩の文化の中に残りました。

たとえば、年末近くになると、赤穂浪士のお話を聞きに行ったりするのです。
昔、と言っても私たちの父母の時代までは郷中教育が生きていて
七高生(今の大学生)にお勉強を教えてもらったりしたそうです。

たしかに鹿児島では目上の方であれば、お名前を知らない方でも親しみと尊敬の念をこめて
「あんさん」(お兄さん)「ねえさん」(お姉さん)と呼んで敬います。
私はこの薩摩人気質はとってもいいなと思っています。

敬天愛人は西郷隆盛の教えとして有名です。
これは薩摩人であれば必ず教えられるものです。
私もこの教えを大事にしたいと思っている一人です。

敬天愛人の教えとはどんな内容かと言いますと~、

■ 敬天愛人の教え

  道は天地自然の物にして、人はこれを
  行うものなれば天を敬するを目的とす。
  天を敬い人を愛し、天を知り、己を尽くし、
  人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ねるべし。

  
  即ち天とは、宇宙を含め、天地自然の道であり、人の道である。
  故に天地自然を敬うは天意である。

 

  天は人も我も、同一に愛し給うゆえ
  我を愛する心を以って、人を愛するなり。


  この道は、総てに通じ、幾多の辛酸を歴た、西郷隆盛の教えである。
 


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敬天愛人 考



敬・・・うやまう つつしむ いましむ

敬天・・天を敬う

敬神・・神を敬う

   「易経に敬以って内を直する」「義以って外に方(むかう)う」とあり。

敬愛・・敬い、いつくしむ事

敬虔・・慎む事

    茶道の方では「和敬静寂」

敬慎・・天の怒りを慎み敢えて戯豫せず  戯豫は遊び戯れる事



天(神、見えざる偉大な存在)と仏(親や先祖)と
人(先輩、後輩、妻、子供)を心から深く敬う事。
それは、人の持つ魂を深く啓することである。
敬を深めることにより人格が深まる。



敬天・・大いなるものを敬う事である。

    本来は儒教の言葉である。

天とは・宇宙であり神であり仏でありサムシンググレイトである。

    大いなるものの前では人間は謙虚でなければならない。


天・・あめ そら 造化の神 天神 上帝

天命・めぐり合わせ 運命

天帝・天の主宰 万物造化の神

天恩・天使のご恩

天倫・自然の常 人倫

天佑・天の助け

天理・天地の万物に通づる道

天誅・天誅組



日本人は天をあめといった。宇宙を表現するためにあめつち(天地)と言う。

日本人の深層意識の中にも当然、神聖にして大いなる存在であるという観念が
あって、古代中国の祭典の祭儀に通る際祀があるという。

天命は民意を媒介して表現され、敬天とは民を敬うことを強く意識したものである。



愛・・いつくしむ したしむ めぐむ 憐れむ

博愛・広く平等に愛すること 「博愛これを仁と言う」

公愛・公衆を愛すること。

愛人・公愛である。

   他者を愛することは、普遍の愛を実践することである。

   
人・・天地の性最も貴きものなり。

人格・人柄 人の品格

人望・信頼できる人物として、人々から慕われ仰がれること。

人情・人の思い。

天が与えてくれた人としての命は尊く、生かさなければ天意に背くことなり。



この敬天愛人の教えに加えて、
「泣こかい、飛ぼかい、泣くよか、ひっ飛べ!」
(恐れに泣こうか、それとも恐れるよりやってしまおうか、
泣いてしまうくらいなら、やってやろう!の意)
と言った鹿児島人気質を具体化したご当地ヒーローが
「薩摩剣士隼人」なのです。
インターネットでも見られるので、ぜひ一度ご覧ください(^^)

ヒバリのように生きる

2011-11-01 | KOFUKU日記
今日から11月になりました。
今朝は秋晴れの良いお天気です。

さて今日もまろぴぴぴさんたちはお元気です。
秋晴れの中、日向ぼっこしては家の中で涼んでいます(笑)


このお三方は非常に仲良子よしなのですが、特にこの二名は仲が良しです。


まろくんとぴぴさんですが、この二人、性格は違うものの
なんと言いますか、行動や考え方がまるで双子の様なのです。
いつも「シンメトリー」もしくは「シンクロ」してます。
仲が良いというのは善いことですな。

 
《寝ているまろくんを叩き起こすピピさん。
 起きないので一緒に寝てしまいました(笑)》

こんなちびっこたちに日々癒されつつ暮らしているワタクシですが
なんだかいろんな検査の中、動脈硬化の進行度で引っかかっちゃったり、
肩こり検診で重度と判断され、またも新たな治療を始めねばなりません。
しかも、メンタルの方でも、うつ症状が顕著でしかも重いとやらで
とうとう、今までのPTSDや不安症に加えて、
うつ病の投薬治療も始まってしまいました…

でもこのところ、相方さんの一周忌も近いせいか、
昨年の事やら何やら、ひたすら思い出し、
さらに病状から、遠方まで出歩けないので一周忌も行けずでへこみ加減の日々。
親しい人の喜ばしいこともまったく喜べなかったり、
先々が不安になりすぎて落ち込んだり、いろいろでしたので
仕方がないのかなぁ~と思いつつも、やっぱりなにかとブルーなワタシでございます。

そんな時、ハロウィンがあり(今年はあえて何もしなかったんですが)
死者との交わりを思い、死者の日のことを思いました。

私は固定の宗教は持ちませんが、友人にはキリスト教のシスターや
仏教の僧侶の方など信仰を持ち祈りの生活をしている方が多くおります。
悪を崇拝するのでもない限り、私は他の宗教を否定しませんし
誰かがその宗教を信ずることも否定しません。

同じように宗教関係なく、善き教えは善きものとして
善き行いはよきものとして、自分の生活の中に取り入れます。

明日はカトリックの暦では「死者の日」になっています。
10年前家族を亡くして以来、8月やお彼岸などと同じように
11月の死者の月に亡くなった方に思いを寄せます。

19日は相方さんの一周忌です。
明日は相方さんの為にも祈りたいと思います。


こうして死を考えるとき、必然的に生きることを考えます。
なぜ自分が生きているんだろう?とか、いろいろです。
そして、こんな状態でも生きていかねばならないなら、
どんなふうに生きるかに思いをはせることになります。

私は本が好きで大好きな本と言うのは本当にたくさんありますが
生と死について書かれた本の中では
三浦綾子さんの「道ありき」
フィンの「アンナの小さな神様」
プラグの「もう一度逢えたら」
シスター鈴木の「死者は語る」
まだまだありますが、こういう本に感銘を受けました。

生き方に関してはディケンズの「クリスマス・キャロル」や
アッシジのフランチェスコの生きざまに強く惹かれるものがあります。
今日はこのフランチェスコ、聖フランシスの話をしたいと思います。

アッシジのフランチェスコは「平和の祈り」で知られるカトリックの聖人です。
この人の人生を語ったものの中で、心に深く残っているのは
「ロミオとジュリエット」で有名なゼッフェレリ監督の映画
「ブラザー・サン シスター・ムーン」です。
私の中では一番と言っていいほどの作品です。

彼は裕福な生まれでありながら、一切の富を捨て清貧に生きた一人の人間です。
その彼を神に導いたのは「ヒバリ」でした。

 
《映画のワンシーンとカンナちゃん作のフランチェスコドール》

彼は野に咲く花、歌を歌い空を舞うヒバリを見て、
自分もそのように生きたいと願い、そのように生きようとするのです。

Brother sun, sister moon-San Francisco-(Franco Zeffirelli)

《ブラザーサンシスタームーンより、ヒバリによる目覚めのシーン》

そしてこう祈ります。

主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
争いのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。
ああ主よ、わたしに、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。
わたしたちは与えるので受け、
ゆるすのでゆるされ、
自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。

最初は家族も人もバカにしますが、裕福な友たちは彼の姿に打たれ
自分たちも次々に富を捨てて神の道に入ります。

St. Francis Prayer - Brother Sun, Sister Moon

《映画より、平和の祈りの歌と聖女クララの入信の決意のシーン》


言葉ではうまく語れませんが、純粋に生きようとする道にまっすぐに
愛を真実に忠実に迷わず進む姿に私は大きな共感を覚えるのです。

特にこの「ヒバリのように自由に愛を歌って生きるだけでいい」
それだけで素晴らしい恵みの中にいるじゃないか、
だからヒバリのように生きたいと願う心に共感します。

ブラザー・サンシスター・ムーン

《映画よりヒバリのように生きる為の法王との対話のシーン》


一部をご紹介しましたが、機会がありましたら
どうぞ映画をご覧になってみてください。

このフランチェスコのヒバリのように生きたいと願う心は
同じように私の中にあります。

人生本当に色々です。できるときもあればできないときもある。
けれど、どんな時にもヒバリの様に生きられるようにと願える心でありたいと思います。
そして、フランチェスコの様にそのための生き方を選べる人間でありたいと思います。
その為の生き方のできる、わが道を信じ、自分から逃げない、
そんな生き方のできる人間でありたいと思います。