いぃ~い入道雲が浮かんでおりますなぁ~。どうもこんにちは、そうだいでっす。
今日もいいお天気ですな。日射しも強いしずいぶんと気温は上がっているんですが、ふと風が吹いたり雲で日が陰ったりしたとたんに涼しくなるんですねぇ。秋も近いんだね。
みなさん、夢、見てますか? 寝て見る夢のほう。
最近、起きたあとも記憶に残るような鮮烈な夢を見ることが多いんですよ、私。
夕べもなかなかいい夢を見ましたねぇ。
ほら、よく、「空を飛ぶ夢」は「欲求不満のあらわれ」って言うじゃないですか。
夕べ、思いっきり飛んじゃったよ……
っていってもね、鳥みたいな飛び方じゃなくて、グライダーでリアルに滑空する夢だったんですよ。
リアル、リアル。だって、両手で金具をつかんだり両足を伸ばしたりしながら風に乗ってバランスをとらなきゃいけなかったですからね。しかも、私のうしろにインストラクターのおっさんがいたし。頼もしかったなぁ。
すごいんですよ。けっこう高い山の頂上から、高さ20メートルはありそうな杉の森が地平線のかなたまで一面に広がっている、『ロード・オブ・ザ・リング』みたいな山地をサーッと滑空して行くんですね。落ちそうでこわいんだけど気持ちいい! インストラクターのおっさんが私に声をかけてくれます。
「どうですかぁ~、上空からながめる岐阜の町なみはぁ。」
岐阜すか!? 町なみも何も、人が住んでいる形跡さえ見えない森林ばっかなんですけど……そうか、実際の岐阜はこんなにロッキー山脈っぽいところなのかぁ。
杉の大木のてっぺんに足先が届くかというすれすれを、色とりどりの紅葉を楽しみながら滑空していって、ようやく見えたお土産屋さんのパーキングに着陸したところで目が覚めました。
体感時間としては、飛んでいたのは20分くらいでしたかねぇ。岐阜どころか、ほんとに日本だったら海に出ててもおかしくないような距離を飛んでいたような気がします。いやぁ、ずいぶんと爽快な夢でしたね。インストラクターさん、ありがとう!
なぜ今、「空を飛ぶ夢」を……
ただ、正確には「滑空」ですからねぇ。みなさんは、もっと本格的に鳥みたいに自力で飛ぶ夢って、見ます? 今度はそういう飛び方もしてみたいなぁ!
さあさあ、そんな文字通り夢みたいな話をするのはここまでにしておきまして、ここからは……やっぱ夢みたいな話だわ。
あんの~、前回まで私が小学校低学年だった時にハマッた100円ガシャポンの「バンダイ SD ホラーワールド」の話をしていたんですけどね。
そのシリーズ自体も、たかだか3センチほどの消しゴム人形の造型が素晴らしいというような魅力はあったんですけれど、のちのちの私にとってもっと重要だったのは、そのラインナップが当時まだ「ホラー映画」らしいものをまったく観たことのなかったガキンチョにとっての、「最低限ここだけはおさえておきたいホラーの古典」としてインプットされたことだったのです。
吸血鬼ドラキュラ、フランケンシュタインの人造人間、ロンドンの狼男、アマゾン川の半魚人……
もとになった映画は古すぎて、田舎ではTVでの放送はおろかビデオレンタル屋に置いてある可能性も低いという状況だったのですが、私は学校の必須科目であるかのような必死度でそれらのキャラクターを記憶していきました。まぁ、今でいうポケモンみたいな感覚でおぼえていったわけですよ。
そういえば、当時ケイブンシャなどからリリースされていた子供向けの特撮関連本は、小学生だった私でさえ「怒られないの、それ!?」と心配してしまうほどざっくりしたくくり方になっておりまして、「ゴジラVSガメラ」や「キングギドラVSゼットン」といったドリームマッチが平気で展開されているおおらかさがあり、そういった「かっこよくて恐いキャラクター」という概念の中に、ホラー映画のエイリアンやゾンビなどが混線することもしばしばだったのです。
いや、そりゃあどっちも「モンスター」だけどさぁ……自分が殺されるかも知れない怖さと、自分の住む町が破壊されるかも知れない怖さは別でしょ。
しかも折もおり、1980年代後半には「怪獣・怪人ブーム」に加えて「海外のホラー・スプラッタ映画ブーム」や「アジアのキョンシーブーム」、そしてアニメ第3期版『ゲゲゲの鬼太郎』のヒットによる「日本の妖怪ブーム」というあたりの新興勢力までもが参戦してきたため、私の頭の中は世界規模でのわけのわかんない奴らが跳梁跋扈する365日オルウェイズ百鬼夜行パラダイス銀河状態になってしまっていたのです。まわりの友だちはふつうにミニ四駆とかジャッキー=チェンに夢中になっていました。
ともあれ、こんな感じでゴキゲンに呪われていた少年時代の私にとっては、「SD ホラーワールド」の面々は「テスト必出レベル」で頭にたたき込まなければならない偉大なるレジェンド諸先輩方だったというわけで。
言うまでもなくあの『怪物くん』のレギュラーメンバーにもなっておられたユニヴァーサルモンスターの御三家などはスーッと頭に入ってきます。
『日曜洋画劇場』でしょっちゅうやっていた「ジョーズ」はもう知ってましたねぇ。ハエ男やオペラ(座)の怪人といったあたりも、そのインパクト大の外見からすぐにおぼえられました。
ところがねぇ。ど~にも気になるキャラクターがいるんだなぁ。
このさぁ……「ノーマン=ベイツ」と「ヒッチコック監督」って、なに? 誰?
人形の外観は前にもちょっと触れましたけど、ただのおっさん。単なるおっさん人形なんですよ、どっちも。
「ノーマン=ベイツ」のほうは、でかい包丁を持った顔のこわい中年男です。2頭身の SD人形なのに、この口元と眉間にきざまれたシワの深さは……
いっぽう、「ヒッチコック監督」はというと、これはもう武器もなにも持っていない背広姿のはげて太ったおじさん。それだけの人形。
なんなんだ、この2人は。彼らはいったい、どんな恐ろしいことをしでかしてドラキュラや物体Xにならぶモンスターになったのだろうか……外見が普通のおっさんであるだけに逆に恐い!!
この人形をながめる、1986年当時の私の頭の中には「?」だけしか浮かばなかったのですが、その後、まず最初にわかってきたのは、「ヒッチコック監督」が「映画のキャラクター」じゃなくて映画をつくる側の「監督」という職業の人なんだということでした。
確か、1990年にフジテレビで放送されていた大人気バラエティ番組『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』の中でやっていた、ヒッチコック監督の『裏窓』をもとにしたパロディコント。それが私にとっての、動くヒッチコック監督との最初の出会いでしたねぇ。いや、正確にはヒッチコック監督のメイクをしたウッチャンだったんですけど。
もしかしたら『誰かがやらねば!』の後続番組の『やるならやらねば!』(1990~93年)の方だったのかも知れないのですが、そのコントを観てはじめて、
「あぁ、アルフレッド=ヒッチコックって、ジェイソンとかフレディみたいな架空のキャラじゃなかったんだ。」
と認識したわけなのです。そして同時に、ヒッチコック監督がつくっていた映画の「恐さ」の種類が、「人間じゃない何かの怖さ」を見せるホラー映画ではなくて、「人間の怖さ」を見せるサスペンス映画とかスリラー映画と呼ばれるものなんだそうだ、ということもうっすらわかってきました。スタッフさんの腕が良かったためか、パロディといえどもその回のコントは本家譲りのハラハラドキドキ展開で、まだまだ子どもだった私はずいぶんと興奮しながら見入ったものです。家政婦役の田中律子さんがかわいかった。
その後、何があったのかはわかりませんが1992年には立て続けにヒッチコック監督が伝記バラエティ番組に取りあげられるということに。具体的にはその年の5月に NHK総合の『西田ひかるの痛快人間伝』で、7月に日本テレビの『知ってるつもり?!』でヒッチコックが特集されたんですね。
……なつかしいねぇ、どっちも。『知ってるつもり?!』なんて、2002年に番組が終わってるんだねぇ。知ってるつもり?って聞かれても、もはやこの番組の存在自体を知らない人もざらですからねぇ。よくこの番組のコメンテイターとして出演していた杏里さんとか EPOさんってお元気かなぁ。
そういえば、車のコマーシャルにヒッチコック監督の生前の映像(監督は1980年に80歳で死去している)が使用されて話題になったのもちょうどそのころだったんじゃないでしょうか。
あの、かつてアメリカで放送されていたオムニバスドラマ番組『ヒッチコック劇場』ののんきすぎて恐いテーマ曲とともに、ヒッチコック監督の映像に声優の熊倉一雄さんのナレーションを重ねていたCMですね。
『ヒッチコック劇場』とは、ヒッチコック監督がプロデュースしてサスペンス系・ホラー系をあわせた数々のショートドラマをオムニバス形式で放送していた『世にも奇妙な物語』の大先輩にあたるアメリカの人気番組で、ヒッチコック監督みずからがタモリのようなストーリーテラー役としてレギュラー出演していました。
この番組は本国アメリカでは1955~65年に白黒で放送されていたのですが、ヒッチコック監督没後の1985年にはカラー版リメイクシリーズが制作されています。
ともかくですね、そういったちょっとしたヒッチコック・ブームのようなものをまともに受けた私は、タイミング良くその頃わが家でも洋画放送を主体とした「NHK衛星放送第2」を受信するようになったことから、積極的にヒッチコック監督の手がけたさまざまなサスペンス・スリラーの古典にいどむこととなりました。
『裏窓』、『めまい』、『北北西に進路を取れ』、『バルカン超特急』、『ハリーの災難』などなど。
これらで「サスペンスの神様」の神テクニックを堪能し、
「あぁ、モンスターが『ガーッ!』て出てくるだけが恐い映画じゃないんだなやぁ。」
としみじみ感じ入った中学生の私だったのですが、いよいよ、その再会のときはやって来てしまいました。
「ん、なになに、今ちまたを騒がせている(1990年代前半当時)『サイコサスペンス』というジャンルのお初を撮ったのもヒッチコック監督だったんだって? じゃあその最初の作品ってのも観てみようじゃないか!」
そう、そしてその映画で待っていた人物こそが、あの「包丁を持った恐い顔のおっさん」だったのであります……ギャー!
ひっぱれてるか? これ。
まぁいいや、とにかく続く!
今日もいいお天気ですな。日射しも強いしずいぶんと気温は上がっているんですが、ふと風が吹いたり雲で日が陰ったりしたとたんに涼しくなるんですねぇ。秋も近いんだね。
みなさん、夢、見てますか? 寝て見る夢のほう。
最近、起きたあとも記憶に残るような鮮烈な夢を見ることが多いんですよ、私。
夕べもなかなかいい夢を見ましたねぇ。
ほら、よく、「空を飛ぶ夢」は「欲求不満のあらわれ」って言うじゃないですか。
夕べ、思いっきり飛んじゃったよ……
っていってもね、鳥みたいな飛び方じゃなくて、グライダーでリアルに滑空する夢だったんですよ。
リアル、リアル。だって、両手で金具をつかんだり両足を伸ばしたりしながら風に乗ってバランスをとらなきゃいけなかったですからね。しかも、私のうしろにインストラクターのおっさんがいたし。頼もしかったなぁ。
すごいんですよ。けっこう高い山の頂上から、高さ20メートルはありそうな杉の森が地平線のかなたまで一面に広がっている、『ロード・オブ・ザ・リング』みたいな山地をサーッと滑空して行くんですね。落ちそうでこわいんだけど気持ちいい! インストラクターのおっさんが私に声をかけてくれます。
「どうですかぁ~、上空からながめる岐阜の町なみはぁ。」
岐阜すか!? 町なみも何も、人が住んでいる形跡さえ見えない森林ばっかなんですけど……そうか、実際の岐阜はこんなにロッキー山脈っぽいところなのかぁ。
杉の大木のてっぺんに足先が届くかというすれすれを、色とりどりの紅葉を楽しみながら滑空していって、ようやく見えたお土産屋さんのパーキングに着陸したところで目が覚めました。
体感時間としては、飛んでいたのは20分くらいでしたかねぇ。岐阜どころか、ほんとに日本だったら海に出ててもおかしくないような距離を飛んでいたような気がします。いやぁ、ずいぶんと爽快な夢でしたね。インストラクターさん、ありがとう!
なぜ今、「空を飛ぶ夢」を……
ただ、正確には「滑空」ですからねぇ。みなさんは、もっと本格的に鳥みたいに自力で飛ぶ夢って、見ます? 今度はそういう飛び方もしてみたいなぁ!
さあさあ、そんな文字通り夢みたいな話をするのはここまでにしておきまして、ここからは……やっぱ夢みたいな話だわ。
あんの~、前回まで私が小学校低学年だった時にハマッた100円ガシャポンの「バンダイ SD ホラーワールド」の話をしていたんですけどね。
そのシリーズ自体も、たかだか3センチほどの消しゴム人形の造型が素晴らしいというような魅力はあったんですけれど、のちのちの私にとってもっと重要だったのは、そのラインナップが当時まだ「ホラー映画」らしいものをまったく観たことのなかったガキンチョにとっての、「最低限ここだけはおさえておきたいホラーの古典」としてインプットされたことだったのです。
吸血鬼ドラキュラ、フランケンシュタインの人造人間、ロンドンの狼男、アマゾン川の半魚人……
もとになった映画は古すぎて、田舎ではTVでの放送はおろかビデオレンタル屋に置いてある可能性も低いという状況だったのですが、私は学校の必須科目であるかのような必死度でそれらのキャラクターを記憶していきました。まぁ、今でいうポケモンみたいな感覚でおぼえていったわけですよ。
そういえば、当時ケイブンシャなどからリリースされていた子供向けの特撮関連本は、小学生だった私でさえ「怒られないの、それ!?」と心配してしまうほどざっくりしたくくり方になっておりまして、「ゴジラVSガメラ」や「キングギドラVSゼットン」といったドリームマッチが平気で展開されているおおらかさがあり、そういった「かっこよくて恐いキャラクター」という概念の中に、ホラー映画のエイリアンやゾンビなどが混線することもしばしばだったのです。
いや、そりゃあどっちも「モンスター」だけどさぁ……自分が殺されるかも知れない怖さと、自分の住む町が破壊されるかも知れない怖さは別でしょ。
しかも折もおり、1980年代後半には「怪獣・怪人ブーム」に加えて「海外のホラー・スプラッタ映画ブーム」や「アジアのキョンシーブーム」、そしてアニメ第3期版『ゲゲゲの鬼太郎』のヒットによる「日本の妖怪ブーム」というあたりの新興勢力までもが参戦してきたため、私の頭の中は世界規模でのわけのわかんない奴らが跳梁跋扈する365日オルウェイズ百鬼夜行パラダイス銀河状態になってしまっていたのです。まわりの友だちはふつうにミニ四駆とかジャッキー=チェンに夢中になっていました。
ともあれ、こんな感じでゴキゲンに呪われていた少年時代の私にとっては、「SD ホラーワールド」の面々は「テスト必出レベル」で頭にたたき込まなければならない偉大なるレジェンド諸先輩方だったというわけで。
言うまでもなくあの『怪物くん』のレギュラーメンバーにもなっておられたユニヴァーサルモンスターの御三家などはスーッと頭に入ってきます。
『日曜洋画劇場』でしょっちゅうやっていた「ジョーズ」はもう知ってましたねぇ。ハエ男やオペラ(座)の怪人といったあたりも、そのインパクト大の外見からすぐにおぼえられました。
ところがねぇ。ど~にも気になるキャラクターがいるんだなぁ。
このさぁ……「ノーマン=ベイツ」と「ヒッチコック監督」って、なに? 誰?
人形の外観は前にもちょっと触れましたけど、ただのおっさん。単なるおっさん人形なんですよ、どっちも。
「ノーマン=ベイツ」のほうは、でかい包丁を持った顔のこわい中年男です。2頭身の SD人形なのに、この口元と眉間にきざまれたシワの深さは……
いっぽう、「ヒッチコック監督」はというと、これはもう武器もなにも持っていない背広姿のはげて太ったおじさん。それだけの人形。
なんなんだ、この2人は。彼らはいったい、どんな恐ろしいことをしでかしてドラキュラや物体Xにならぶモンスターになったのだろうか……外見が普通のおっさんであるだけに逆に恐い!!
この人形をながめる、1986年当時の私の頭の中には「?」だけしか浮かばなかったのですが、その後、まず最初にわかってきたのは、「ヒッチコック監督」が「映画のキャラクター」じゃなくて映画をつくる側の「監督」という職業の人なんだということでした。
確か、1990年にフジテレビで放送されていた大人気バラエティ番組『ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!』の中でやっていた、ヒッチコック監督の『裏窓』をもとにしたパロディコント。それが私にとっての、動くヒッチコック監督との最初の出会いでしたねぇ。いや、正確にはヒッチコック監督のメイクをしたウッチャンだったんですけど。
もしかしたら『誰かがやらねば!』の後続番組の『やるならやらねば!』(1990~93年)の方だったのかも知れないのですが、そのコントを観てはじめて、
「あぁ、アルフレッド=ヒッチコックって、ジェイソンとかフレディみたいな架空のキャラじゃなかったんだ。」
と認識したわけなのです。そして同時に、ヒッチコック監督がつくっていた映画の「恐さ」の種類が、「人間じゃない何かの怖さ」を見せるホラー映画ではなくて、「人間の怖さ」を見せるサスペンス映画とかスリラー映画と呼ばれるものなんだそうだ、ということもうっすらわかってきました。スタッフさんの腕が良かったためか、パロディといえどもその回のコントは本家譲りのハラハラドキドキ展開で、まだまだ子どもだった私はずいぶんと興奮しながら見入ったものです。家政婦役の田中律子さんがかわいかった。
その後、何があったのかはわかりませんが1992年には立て続けにヒッチコック監督が伝記バラエティ番組に取りあげられるということに。具体的にはその年の5月に NHK総合の『西田ひかるの痛快人間伝』で、7月に日本テレビの『知ってるつもり?!』でヒッチコックが特集されたんですね。
……なつかしいねぇ、どっちも。『知ってるつもり?!』なんて、2002年に番組が終わってるんだねぇ。知ってるつもり?って聞かれても、もはやこの番組の存在自体を知らない人もざらですからねぇ。よくこの番組のコメンテイターとして出演していた杏里さんとか EPOさんってお元気かなぁ。
そういえば、車のコマーシャルにヒッチコック監督の生前の映像(監督は1980年に80歳で死去している)が使用されて話題になったのもちょうどそのころだったんじゃないでしょうか。
あの、かつてアメリカで放送されていたオムニバスドラマ番組『ヒッチコック劇場』ののんきすぎて恐いテーマ曲とともに、ヒッチコック監督の映像に声優の熊倉一雄さんのナレーションを重ねていたCMですね。
『ヒッチコック劇場』とは、ヒッチコック監督がプロデュースしてサスペンス系・ホラー系をあわせた数々のショートドラマをオムニバス形式で放送していた『世にも奇妙な物語』の大先輩にあたるアメリカの人気番組で、ヒッチコック監督みずからがタモリのようなストーリーテラー役としてレギュラー出演していました。
この番組は本国アメリカでは1955~65年に白黒で放送されていたのですが、ヒッチコック監督没後の1985年にはカラー版リメイクシリーズが制作されています。
ともかくですね、そういったちょっとしたヒッチコック・ブームのようなものをまともに受けた私は、タイミング良くその頃わが家でも洋画放送を主体とした「NHK衛星放送第2」を受信するようになったことから、積極的にヒッチコック監督の手がけたさまざまなサスペンス・スリラーの古典にいどむこととなりました。
『裏窓』、『めまい』、『北北西に進路を取れ』、『バルカン超特急』、『ハリーの災難』などなど。
これらで「サスペンスの神様」の神テクニックを堪能し、
「あぁ、モンスターが『ガーッ!』て出てくるだけが恐い映画じゃないんだなやぁ。」
としみじみ感じ入った中学生の私だったのですが、いよいよ、その再会のときはやって来てしまいました。
「ん、なになに、今ちまたを騒がせている(1990年代前半当時)『サイコサスペンス』というジャンルのお初を撮ったのもヒッチコック監督だったんだって? じゃあその最初の作品ってのも観てみようじゃないか!」
そう、そしてその映画で待っていた人物こそが、あの「包丁を持った恐い顔のおっさん」だったのであります……ギャー!
ひっぱれてるか? これ。
まぁいいや、とにかく続く!