うわおぉ~い。どうもこんにちは、そうだいでございます。
今日も天気いいですねぇ~、関東は。引き続き適度に暑く適度にカラッとした好日にめぐまれております。
こんな日なんですけど、お題は前回に続いての思いっきりインドア系なんです……かなりネクラな。
いや、でも、むしろこんないい日だからこそやるべきなのかもしんない! だって、雨のしとしと降る日にこんなことをつづっていたら心がすさみきっちゃうからね。
「あなたが闇を見つめる時、闇もあなたを見つめている。」 ニーチェ(だっけ!?)
これですよ……この標語を復唱しながら、今日もいちにち安全第一でがんばりましょー!
前回は、当時若干小学校低学年(6~7歳)だったそうだい少年の心に「お前の将来の趣味」刻印をきざんでしまった恐怖の100円ガシャポン、
「バンダイ SD ホラーワールド」
のガチすぎるラインナップ全17種類の紹介をしてみたのですが、簡単な説明にとどまってしまいました。
ガシャポン。なつかしいですねぇ。当時の地元では「ガチャガチャ」って言ってました。
私が小学生だった時、放課後の帰り道にあった駄菓子屋(酢漬けイカとかフェリックスガムがあった)や本屋(小学生向けのマンガ雑誌・学習雑誌しか置いていない、昭和の終わりも近いというのに現役時代の王貞治選手がバットを振りかぶっている『小学一年生』のポスターが貼ってあった)の店先には何台かのガシャポン販売機が並んでいたんですよ。
確か私がハマッていた頃の相場は1回50円か100円になっていて、50円コースがバネやゴムなどを使ったちょっとしたビックリおもちゃ程度だったのに対して、100円のほうが消しゴム人形(塩ビ人形)の「ガシャポン戦士 SDガンダム」などの花形コースだったんですね。
お小遣いが続くかぎり、夕方には必ずなにかの人形を手にしながら家に帰っていましたね。中学生になって通学路が変わるまでは、毎日のように新しいシリーズが出ていないかをチェックしていました。
ただ、1990年すぎくらいから徐々に「1回200円」のガシャポンが増えてきたんですよねぇ。値段が2倍だぜ!? 通学路の変更の他に、そんなあたりもガシャポン卒業の原因になっていきましたね。「インフレーション」という経済現象の存在を身をもって知った少年期の思い出でした。
最近のガシャポンはもう1回200円か500円になっていて、中に入っているものも「人形」というよりは「フィギュア」と言ったほうがしっくりくるようなレベルに達しているようですね。
ただ、そうなるともう、私が大好きだった100円ガシャポンの人形とはまさしく「隔世の感」があるわけですねぇ。もうダメっす。
でもね、よくよく思い出してみると、私が小学生だったころに遊びに行った年上の先輩の家には、至るところに「キン肉マン消しゴム」の遊びあきたやつが転がっていたような気がします。全身マジックで真っ黒にペインティングされてるのとか。男子のおもちゃ文化にも歴史ありですな。
ところで、当時バンダイから発売されていた「SD(スーパー・ディフォルメ)」シリーズは、私が思い出せるだけでも『ガンダム』系率いる「スーパーロボット」もの全般やら『ゴジラ』ものやら『ウルトラマン』ものやら『仮面ライダー』ものやらと、日本一のおもちゃ会社バンダイの名に恥じぬ広範囲ぶりを誇っていたのですが、なんとまぁ、ほとんどすべての SD化デザインを担当していたのはたった1人の若者だったそうなんですよ!
その名は、横井孝二。当時は「横井画伯」という通称で全国のチビッコやマニア層に尊崇されていました。
私が小学生だった頃には横井画伯は『コミックボンボン』の4コマギャグマンガ『元祖!SDガンダム』の連載もおこなっていたのですが、「SDガンダム」の企画が始まった1984年に全キャラクターのデザインを任された当時、なんと画伯は若干16歳の若さだったというのですよ! 学生さんすか!!
横井画伯は1987年にプロのデザイナーとなって現在にいたっておられるそうなのですが、もうすでにアマ時代からプロ顔負けの仕事量を第一線でこなしていたということになります。早すぎる天才だ!
画伯ご自身は、あの鳥山明の大ヒットギャグマンガ『Dr.スランプ』に登場したさまざまな2頭身キャラに影響を受けられたそうなのですが、それにしても天下のバンダイの一大ヒットシリーズの生命線「キャラクターデザイン」を学生にして引き受けることとなった天運の強さと、その重責を軽々とにないきってしまった腕の確かさはとてつもないものがありました。
本家「ガンダム」シリーズのキャラクターたちをマンガやイラストの形でアレンジしなおす方は、昔から公認非公認を問わずあまたいらっしゃったわけなのですが、とにかく横井画伯の第一にすごいところは、その「許容範囲の広さ」にあったのではないでしょうか。
一言に「ガンダム」といっても、1つの作品の中には対立する2つ以上の勢力があるし、それぞれの軍隊の特徴を持った「モビルスーツ」もあれば「モビルアーマー」もあれば「宇宙戦艦」もある。なによりも忘れてはならないのは、それらの兵器以外にも1人1人ひとクセもふたクセもある個性豊かな「人物キャラクター」がひしめきあっているということなのです。しかも、そんなのが2~3作あるんですよ? 1980年代当時だけでも。
その上、有名な話ですが、第1作『機動戦士ガンダム』と第2作『機動戦士Zガンダム』とのあいだには制作に実に「5年」のブランクがあいており、しかもモビルスーツなどのデザインを担当した「メカニックデザイン」と、登場人物のデザインを担当した「キャラクターデザイン」はまったく別の方の仕事となっています。『Zガンダム』では、モビルスーツごとにデザイナーが違うということも特に珍しいことではありませんでした。
つまり、ひとくちに横井画伯が「SDガンダムワールドをつくった。」と言っても、ただそれだけの量の仕事をこなしたという単純な話ではなく、幾人もの個性豊かな先人たちの種類も時代も違う各ジャンルでの仕事を、その魅力をそこなうことなく継承しつつ全く別の「ひとつの世界の住民」に変えていくという、実に日本人らしい超繊細な神経を必要とする偉業を成し遂げたということだったのです。まぁたいへん。
とにかく、スピーディであざやか、そしてなによりもカッコいい横井画伯の仕事はガシャポンやカードダスバトルの世界でまたたく間に広がっていき、ロボットだろうが人間だろうが善玉だろうが悪玉だろうが老若男女かかわりなく2頭身キャラに変換していく SDワールドに当時の私はゾッコンになってしまったのです。だって、この後にTVの再放送やレンタルビデオなどの形で「本家」を観た時になって初めて、
「えっ、『ファースト』と『Z』って、こんなに絵が違うの!?」
って衝撃を受けたんですからね。『機動戦士ガンダム』は明らかに「1970年代」の作品で、『Z』は明らかに「1980年代」の作品ですよね。
だからこそ、横井画伯の世界は『ゴジラ』『ウルトラマン』『仮面ライダー』までをも統一してしまう包容力を持っていたのでしょう。ここにきて横井ワールドは「人物」「ロボット」の他に「怪獣」「怪人」さえも呑み込んでしまう広がりを見せることとなったのです。
んで、んで、んでで!
長々とガンダムまわりの話が続いてしまいましたが、そんな横井画伯の底なしのポテンシャルを味わう上でも重要な意味を持っていたのが、何を隠そう「SD ホラーワールド」だったんじゃないかと思うんですよねぇ。
なんといってもこの「ホラーワールド」、セレクトが多岐にわたりすぎ……というか、選考基準が曖昧!
1920年代の白黒サイレント映画から80年代の最先端SFX映画(ただしCG前夜)まで半世紀以上の時間が範囲になっていますし、「ホラー」とはいいながらも「ホラー映画」という認識からはちょっとずれたジャンルに位置づけられている作品のキャラクターもチラホラしています。
あの、まず『ノートルダムのせむし男』を「ホラー映画」にすることからして、かなりでかい地雷を踏んでるのでは……容姿が普通じゃないだけのただの人間ですからね、悪いことしてないし。
なんで「全17種類」なんですかね。ドラキュラや狼男といった「ユニヴァーサルモンスター」はいいんですけど、モグラ人間まできちゃうとなんか「むりくり集めてきました」感が満載でちと苦しい。
しかし、こんなムチャ振りに近い企画でも、横井画伯はその実力をいかんなく発揮していました。この「ホラーワールド」が発売されたのは1986年のことだったのですが、すでに画伯はデビュー3年目の18歳にして円熟の域に達しておられたとみて間違いないでしょう。はやっ!
今ここでそのガシャポン人形の画像を伝えられないのが本当に残念なのですが、まぁ~似てるんですね! 元の俳優さんやクリーチャーに。
いや、この場合は横井画伯と同時に、画伯のイラストを忠実に3次元化してくだすった人形の造型師さんもおおいにたたえなければならないでしょう。
こう言っちゃあナンなのですが、2次元のアニメキャラクターやロボット、3次元だったとしても特撮番組に登場するようなぬいぐるみ(特殊スーツ)のヒーローや怪獣、怪人といった面々は、すでに自然の世界にあるリアルななにかをディフォルメしている場合が多いので、あるいは SD化も簡単かもしれません。
でも、ホラー映画の有名なキャラクターの中には、役者さんがほとんど「素の顔」で演じているキャラクターもいるんですよ。これを似せながら2頭身にするのは至難の業でしょ!
それを「ホラーワールド」はやっちまったんだ……ドラキュラとかミイラ男とかねぇ。たった3センチくらいの人形なのにちゃんと似てたんですよ。このクオリティが子どものおもちゃになっているとは……恐るべし日本。
しかし、東北の片田舎にいる小学生低学年のガキンチョにとっては、そんなホラー映画のマスターピースたちの元ネタなど見たこともないものばかり。だって、ほとんどが数十年前の白黒映画なんだぜ!?
それでも、なんとなく「あ……なんかいいな。コンプリートしよう。」と感じてしまったのだから末恐ろしいバカさかげんです。
ともあれ、このニッチすぎる企画にひっかかったことによって、私の趣味の方向性はほぼ決定づけられることとなってしまったのでありました。
あら、また字数がいっぱいになってきたようで。
次回は、次回こそは! この「ホラーワールド」がきっかけでのめり込んでしまった「あの偉大なる異常な映画」についてのお話に入っていきたいと思いま~す。
結局、ネクラな本題の「ほ」の字にも入れなかったし……ゆるしてノーマン!!
今日も天気いいですねぇ~、関東は。引き続き適度に暑く適度にカラッとした好日にめぐまれております。
こんな日なんですけど、お題は前回に続いての思いっきりインドア系なんです……かなりネクラな。
いや、でも、むしろこんないい日だからこそやるべきなのかもしんない! だって、雨のしとしと降る日にこんなことをつづっていたら心がすさみきっちゃうからね。
「あなたが闇を見つめる時、闇もあなたを見つめている。」 ニーチェ(だっけ!?)
これですよ……この標語を復唱しながら、今日もいちにち安全第一でがんばりましょー!
前回は、当時若干小学校低学年(6~7歳)だったそうだい少年の心に「お前の将来の趣味」刻印をきざんでしまった恐怖の100円ガシャポン、
「バンダイ SD ホラーワールド」
のガチすぎるラインナップ全17種類の紹介をしてみたのですが、簡単な説明にとどまってしまいました。
ガシャポン。なつかしいですねぇ。当時の地元では「ガチャガチャ」って言ってました。
私が小学生だった時、放課後の帰り道にあった駄菓子屋(酢漬けイカとかフェリックスガムがあった)や本屋(小学生向けのマンガ雑誌・学習雑誌しか置いていない、昭和の終わりも近いというのに現役時代の王貞治選手がバットを振りかぶっている『小学一年生』のポスターが貼ってあった)の店先には何台かのガシャポン販売機が並んでいたんですよ。
確か私がハマッていた頃の相場は1回50円か100円になっていて、50円コースがバネやゴムなどを使ったちょっとしたビックリおもちゃ程度だったのに対して、100円のほうが消しゴム人形(塩ビ人形)の「ガシャポン戦士 SDガンダム」などの花形コースだったんですね。
お小遣いが続くかぎり、夕方には必ずなにかの人形を手にしながら家に帰っていましたね。中学生になって通学路が変わるまでは、毎日のように新しいシリーズが出ていないかをチェックしていました。
ただ、1990年すぎくらいから徐々に「1回200円」のガシャポンが増えてきたんですよねぇ。値段が2倍だぜ!? 通学路の変更の他に、そんなあたりもガシャポン卒業の原因になっていきましたね。「インフレーション」という経済現象の存在を身をもって知った少年期の思い出でした。
最近のガシャポンはもう1回200円か500円になっていて、中に入っているものも「人形」というよりは「フィギュア」と言ったほうがしっくりくるようなレベルに達しているようですね。
ただ、そうなるともう、私が大好きだった100円ガシャポンの人形とはまさしく「隔世の感」があるわけですねぇ。もうダメっす。
でもね、よくよく思い出してみると、私が小学生だったころに遊びに行った年上の先輩の家には、至るところに「キン肉マン消しゴム」の遊びあきたやつが転がっていたような気がします。全身マジックで真っ黒にペインティングされてるのとか。男子のおもちゃ文化にも歴史ありですな。
ところで、当時バンダイから発売されていた「SD(スーパー・ディフォルメ)」シリーズは、私が思い出せるだけでも『ガンダム』系率いる「スーパーロボット」もの全般やら『ゴジラ』ものやら『ウルトラマン』ものやら『仮面ライダー』ものやらと、日本一のおもちゃ会社バンダイの名に恥じぬ広範囲ぶりを誇っていたのですが、なんとまぁ、ほとんどすべての SD化デザインを担当していたのはたった1人の若者だったそうなんですよ!
その名は、横井孝二。当時は「横井画伯」という通称で全国のチビッコやマニア層に尊崇されていました。
私が小学生だった頃には横井画伯は『コミックボンボン』の4コマギャグマンガ『元祖!SDガンダム』の連載もおこなっていたのですが、「SDガンダム」の企画が始まった1984年に全キャラクターのデザインを任された当時、なんと画伯は若干16歳の若さだったというのですよ! 学生さんすか!!
横井画伯は1987年にプロのデザイナーとなって現在にいたっておられるそうなのですが、もうすでにアマ時代からプロ顔負けの仕事量を第一線でこなしていたということになります。早すぎる天才だ!
画伯ご自身は、あの鳥山明の大ヒットギャグマンガ『Dr.スランプ』に登場したさまざまな2頭身キャラに影響を受けられたそうなのですが、それにしても天下のバンダイの一大ヒットシリーズの生命線「キャラクターデザイン」を学生にして引き受けることとなった天運の強さと、その重責を軽々とにないきってしまった腕の確かさはとてつもないものがありました。
本家「ガンダム」シリーズのキャラクターたちをマンガやイラストの形でアレンジしなおす方は、昔から公認非公認を問わずあまたいらっしゃったわけなのですが、とにかく横井画伯の第一にすごいところは、その「許容範囲の広さ」にあったのではないでしょうか。
一言に「ガンダム」といっても、1つの作品の中には対立する2つ以上の勢力があるし、それぞれの軍隊の特徴を持った「モビルスーツ」もあれば「モビルアーマー」もあれば「宇宙戦艦」もある。なによりも忘れてはならないのは、それらの兵器以外にも1人1人ひとクセもふたクセもある個性豊かな「人物キャラクター」がひしめきあっているということなのです。しかも、そんなのが2~3作あるんですよ? 1980年代当時だけでも。
その上、有名な話ですが、第1作『機動戦士ガンダム』と第2作『機動戦士Zガンダム』とのあいだには制作に実に「5年」のブランクがあいており、しかもモビルスーツなどのデザインを担当した「メカニックデザイン」と、登場人物のデザインを担当した「キャラクターデザイン」はまったく別の方の仕事となっています。『Zガンダム』では、モビルスーツごとにデザイナーが違うということも特に珍しいことではありませんでした。
つまり、ひとくちに横井画伯が「SDガンダムワールドをつくった。」と言っても、ただそれだけの量の仕事をこなしたという単純な話ではなく、幾人もの個性豊かな先人たちの種類も時代も違う各ジャンルでの仕事を、その魅力をそこなうことなく継承しつつ全く別の「ひとつの世界の住民」に変えていくという、実に日本人らしい超繊細な神経を必要とする偉業を成し遂げたということだったのです。まぁたいへん。
とにかく、スピーディであざやか、そしてなによりもカッコいい横井画伯の仕事はガシャポンやカードダスバトルの世界でまたたく間に広がっていき、ロボットだろうが人間だろうが善玉だろうが悪玉だろうが老若男女かかわりなく2頭身キャラに変換していく SDワールドに当時の私はゾッコンになってしまったのです。だって、この後にTVの再放送やレンタルビデオなどの形で「本家」を観た時になって初めて、
「えっ、『ファースト』と『Z』って、こんなに絵が違うの!?」
って衝撃を受けたんですからね。『機動戦士ガンダム』は明らかに「1970年代」の作品で、『Z』は明らかに「1980年代」の作品ですよね。
だからこそ、横井画伯の世界は『ゴジラ』『ウルトラマン』『仮面ライダー』までをも統一してしまう包容力を持っていたのでしょう。ここにきて横井ワールドは「人物」「ロボット」の他に「怪獣」「怪人」さえも呑み込んでしまう広がりを見せることとなったのです。
んで、んで、んでで!
長々とガンダムまわりの話が続いてしまいましたが、そんな横井画伯の底なしのポテンシャルを味わう上でも重要な意味を持っていたのが、何を隠そう「SD ホラーワールド」だったんじゃないかと思うんですよねぇ。
なんといってもこの「ホラーワールド」、セレクトが多岐にわたりすぎ……というか、選考基準が曖昧!
1920年代の白黒サイレント映画から80年代の最先端SFX映画(ただしCG前夜)まで半世紀以上の時間が範囲になっていますし、「ホラー」とはいいながらも「ホラー映画」という認識からはちょっとずれたジャンルに位置づけられている作品のキャラクターもチラホラしています。
あの、まず『ノートルダムのせむし男』を「ホラー映画」にすることからして、かなりでかい地雷を踏んでるのでは……容姿が普通じゃないだけのただの人間ですからね、悪いことしてないし。
なんで「全17種類」なんですかね。ドラキュラや狼男といった「ユニヴァーサルモンスター」はいいんですけど、モグラ人間まできちゃうとなんか「むりくり集めてきました」感が満載でちと苦しい。
しかし、こんなムチャ振りに近い企画でも、横井画伯はその実力をいかんなく発揮していました。この「ホラーワールド」が発売されたのは1986年のことだったのですが、すでに画伯はデビュー3年目の18歳にして円熟の域に達しておられたとみて間違いないでしょう。はやっ!
今ここでそのガシャポン人形の画像を伝えられないのが本当に残念なのですが、まぁ~似てるんですね! 元の俳優さんやクリーチャーに。
いや、この場合は横井画伯と同時に、画伯のイラストを忠実に3次元化してくだすった人形の造型師さんもおおいにたたえなければならないでしょう。
こう言っちゃあナンなのですが、2次元のアニメキャラクターやロボット、3次元だったとしても特撮番組に登場するようなぬいぐるみ(特殊スーツ)のヒーローや怪獣、怪人といった面々は、すでに自然の世界にあるリアルななにかをディフォルメしている場合が多いので、あるいは SD化も簡単かもしれません。
でも、ホラー映画の有名なキャラクターの中には、役者さんがほとんど「素の顔」で演じているキャラクターもいるんですよ。これを似せながら2頭身にするのは至難の業でしょ!
それを「ホラーワールド」はやっちまったんだ……ドラキュラとかミイラ男とかねぇ。たった3センチくらいの人形なのにちゃんと似てたんですよ。このクオリティが子どものおもちゃになっているとは……恐るべし日本。
しかし、東北の片田舎にいる小学生低学年のガキンチョにとっては、そんなホラー映画のマスターピースたちの元ネタなど見たこともないものばかり。だって、ほとんどが数十年前の白黒映画なんだぜ!?
それでも、なんとなく「あ……なんかいいな。コンプリートしよう。」と感じてしまったのだから末恐ろしいバカさかげんです。
ともあれ、このニッチすぎる企画にひっかかったことによって、私の趣味の方向性はほぼ決定づけられることとなってしまったのでありました。
あら、また字数がいっぱいになってきたようで。
次回は、次回こそは! この「ホラーワールド」がきっかけでのめり込んでしまった「あの偉大なる異常な映画」についてのお話に入っていきたいと思いま~す。
結局、ネクラな本題の「ほ」の字にも入れなかったし……ゆるしてノーマン!!