ぎこぎこぎこぎこぎこっ、ぎぎこぎこぎこぎこぎこきっ、
どうもみなさんこんにちは、そうだいです。
上のぎこぎこは、別に民謡『こきりこ節』の一節ではありません。アルフレッド=ヒッチコック監督の伝説のスリラー映画『サイコ』(1960年)のオープニング曲の後半に、少なくとも私には確かにそう聴こえる部分があるのです。
こわいですねぇ~。チェロかコントラバスかわからないのですが、低音の弦楽器をぎこぎこと執拗にひく音は、不吉な物語のはじまりを強烈に感じさせるものになっています。
モノクロの画面に上下左右から細かく分断されたラインがしかれていき、それらがそろった時にキャスト・スタッフのクレジットが浮かび上がる。かと思うと、ラインはすぐに分解されてしまい、また別の方向から新しいラインがざざざっと画面にとびこんでくる。
この繰り返しで展開される『サイコ』のオープニングクレジットは、その流れが妙にそっけなく機械的であるところが逆に恐いし、「サイコ」のタイトルと最後の「監督・アルフレッド=ヒッチコック」の表記だけラインのならびに気持ちの悪いズレができるところは、小憎らしいまでにこれから始まる作品の「ゆがみ」を予兆したものになっています。ぞくぞくするねぇ。
そして、ここで流れる『サイコ』のテーマ曲が見事なまでにおそろしい!
前回の最後にふれた「ジャン!ジャン!ジャジャン!」というのっけから突っ走る迫力押しの部分と、そこから一転してヒッチコック監督らしい心理劇の展開を予想させる繊細なヴァイオリンの高音によるメロディ、そして今回の最初にあげたような、聴く者に漠然とした不安感を与える低音の不協和音すれすれのはずし。
たった2分弱のオープニングなのですが、クレジット映像とテーマ曲は、どちらも「ヒッチコック印のエンターテインメント」のはじまりと「そのあいまからチラチラかいま見える狂気」の存在をしっかり伝えるという最高の仕事をしているんですねぇ。
まさに、「つかみはオッケー!」。中学生になって初めて『サイコ』を観ることとなった私は、序盤からのこの緊張感ガン上がり具合に、正座の姿勢のままで固まってしまいました。こりゃあ、なんだがわがんねぇげどすげぇなぁど思っでよ、まんず!
ちなみに、この『サイコ』の音楽を担当した作曲家バーナード=ハーマンは、ヒッチコック監督の黄金期とも言える1950~60年代の『ハリーの災難』(1956年)、『北北西に進路を取れ』(1959年)といったさまざまな名作でサスペンスフルな名曲の数々を作りあげたことで有名です。『知りすぎていた男』(1956年)のクライマックスで印象的に使われた歌『ケ・セラ・セラ』なんかはもう、今では作品自体よりも知名度が高くなっているかもしれませんね。
このヒッチコックとハーマンのコンビは正味10年間続き、最終的には仲違いという形で解消してしまったのですが、1920~70年代という半世紀にわたるヒッチコックのキャリアの中でも、特にハーマンと組んでいた時期の作品の輝きはもう別格、あぶらノリノリのものとなっています。
あと、音楽とならんで印象的なクレジット映像を制作したのはグラフィックデザイナーのソウル=バスで、『ウエスト・サイド物語』(1961年)や『オーシャンと十一人の仲間』(1960年のオリジナル版のほう)など、個性的なデザインのクレジットが展開されるオープニングタイトルを数多く手がけています。「味の素」と「紀文」のロゴデザインもこのお方らしいぜ!? てぇしたもんだ。
バスがヒッチコック監督と組んだのは『サイコ』も含めて3作品だけだったのですが、その中のひとつである『めまい』(1958年)のオープニング映像は、映画史上初めて CG技術が使用された例だとされています。
ついでに言うと、バスさんは生涯にたった1度だけ映画監督をつとめたことがありまして、それこそがかのカルトSF映画の極北といわれる大問題作『フェイズⅣ 戦慄!昆虫パニック』(1973年)なのであります……タイトルからもその片鱗がうかがえるのですが、これ、ある意味では『サイコ』以上にサイコな作品です。おもしろいかどうかは別として。
そんなこんなで『サイコ』のオープニングは普通じゃない緊張感に満ち満ちており、今までのヒッチコック作品とはちと違う「安心できないなにか」を感じさせるものになっているのです。
だが、しかし。
実際にそのオープニングが過ぎて本編が始まると、「ただれた恋愛関係」「つまらない日常生活に不満アリアリの美人OL」「ほんの出来心から会社の大金を横領」「人目を気にしながらの女一匹逃避行」といった感じで、こう言っちゃあナンなんですがベッタベタなサスペンスドラマの一点押しになるんですね。
あれえ。やっぱりこんな感じなのか? あのオープニングの「狂気」はいったい、どこに……
『サイコ』は2時間弱、109分の物語なのですが、そのうちの前半3分の1、約30分が金髪の美人OLマリオン(演・ジャネット=リー)視点の筋になっているのですから、観客はてっきり、このマリオンが『サイコ』の主人公なんだろうな、と思いこんでしまうわけなのです。
ところが! 大金を持って長距離を車で逃げるマリオンが、田舎の道沿いにあった優しい好青年の経営するモーテルに泊まったあたりから、なんとなく物語の「どこか」にゆがみが生じてきたような気がして、なんかヘンだなーと思っていたら……
シャッ。
「キャーッ!!」さくっ「キャー!」さくっ「ギャー!」さくっ「ぎゃあああ……」さくっ「……」ばったり。
ええええ~っ!? びび、美人OLさんがシャワーを浴びてたら、あんなことに!
あの~。この『サイコ』という映画は純然たる「スリラー映画」でありますので、展開をあれこれ説明していくのは非常に野暮なことなのですが、さすがにこのシャワーシーンは世界的に有名ですからね……もう「ネタバレ」もへったくれもないですよね?
まさか、主人公っぽいあつかいだった人が物語の途中でああなるとは。なんの前情報もなしに『サイコ』を観た1960年公開当時の人々のショックたるや、甚大なものがあったでしょう。
映画の展開の1パターンとして、「主人公だと思っていた人が主人公じゃなかった!」というびっくりは相当に観客の注目を集める効果があるのですが、これは反面、退場した「主人公デコイ」以上の魅力を持った「本当の主人公」がちゃんといてくれないと、物語への興味がむしろ尻すぼみになってしまうという「両刃の剣」でもあるんですね。そういったドンデン返しをやらかしてしまった以上は、それなりのフォローをちゃんと用意していないといけないわけなのです。
そういえば、つい最近もそういう理由で後半ずいぶんとガッカリしちゃった映画があったなぁ。『長岡京エイリアン』でも扱いましたね。
その点、『サイコ』の前半の「美人OLデコイ」は、その後に繰り広げられる狂気の世界へのジャンプ台となるために、あえてベタで平板な描写に徹していたようなフシさえうかがえます。いや、それでも撮り方がうまいから充分におもしろいんですけどね。
で、美人OLマリオンが「ああいうこと」になってしまった後にストーリーラインのバトンを受け取るのが、くだんの田舎モーテルにいた青年ということになるのです。
彼の名は、ノーマン=ベイツ(演・アンソニー=パーキンス)。
出ました。あの「バンダイ SD ホラーワールドガシャポン」でキッチンナイフを持っていたおっさんですね。
……え? 「おっさん」?
いやいやいや、『サイコ』に出てくるノーマン=ベイツの顔には、あんな深いシワは刻まれてはいませんよ? どこからどう見てもさわやかな笑顔がステキな青年ですよ。
実際、演じていたアンソニー=パーキンスは当時28歳。アカデミー助演男優賞のノミネート経験もある実力派の青春スターとして人気を集めていました。
ノーマン青年は、「年上の都会のおねえさん」といった感じで色気をふりまいていた美人OLマリオン(演じていたジャネット=リーは32歳)に圧倒されてオドオドする、いかにも田舎ふうの不器用な若者でした。
そうなんです、『サイコ』に登場するノーマン=ベイツと SD人形になったノーマン=ベイツとのあいだには大きなへだたりがあるんですね。
そして、そのへだたりの深さと暗さこそが、ホラー映画史上に残る名キャラクターとなった「ノーマン=ベイツ」の魅力そのものだったのです。
しかし、いくらノーマン=ベイツがドラキュラや狼男といっしょに消しゴム人形になるようなホラーキャラクターなのだとしても、彼がデビューした『サイコ』はホラー映画ではありません。犯人探しを物語の主眼においたスリラー映画で、その中のノーマン=ベイツはあくまでも「容疑者の1人」にすぎないわけです。そして、まぁ~パーキンスさんの演技力とヒッチコック監督のストーリーテリングが見事なものですから、観るものは映画ラストのミラクルどんでん返しにひっくり返ってしまうと。
ううぅ~、具体的になにがどうなのはなんにも言えない! 観てない人はぜしとも観て。
わたくしはこの『サイコ』によって、初めて「だまされる楽しみ」を味わってしまったのです。
あのシャワーシーンもそうなのですが、この『サイコ』もヒッチコック作品らしく、「現代の私たち」からみても観るに耐えない残酷描写というものはさほどありません。「狂気の世界」と言いましたが、実は「狂っている」と目される人物も1人しか登場せず、作品世界全体が狂っているというわけでもないのです。
でも。あのラストシーンの「顔」は、こ~わ~い~ねぇ~!!
中学生時代の私はもうシビレちゃいましたよ。ヒッチコックブランドの「安全・安心神話」はガラガラと崩壊してしまいました。ニクイよ!
せっかくここまできましたんで、次回はその『サイコ』の親戚やクセのありすぎる息子さんたちを紹介してシメましょう。
実は、この『サイコ』以上にひっくり返ってしまう結末の「続編」があって……ありゃあビックラこいたね。
どうもみなさんこんにちは、そうだいです。
上のぎこぎこは、別に民謡『こきりこ節』の一節ではありません。アルフレッド=ヒッチコック監督の伝説のスリラー映画『サイコ』(1960年)のオープニング曲の後半に、少なくとも私には確かにそう聴こえる部分があるのです。
こわいですねぇ~。チェロかコントラバスかわからないのですが、低音の弦楽器をぎこぎこと執拗にひく音は、不吉な物語のはじまりを強烈に感じさせるものになっています。
モノクロの画面に上下左右から細かく分断されたラインがしかれていき、それらがそろった時にキャスト・スタッフのクレジットが浮かび上がる。かと思うと、ラインはすぐに分解されてしまい、また別の方向から新しいラインがざざざっと画面にとびこんでくる。
この繰り返しで展開される『サイコ』のオープニングクレジットは、その流れが妙にそっけなく機械的であるところが逆に恐いし、「サイコ」のタイトルと最後の「監督・アルフレッド=ヒッチコック」の表記だけラインのならびに気持ちの悪いズレができるところは、小憎らしいまでにこれから始まる作品の「ゆがみ」を予兆したものになっています。ぞくぞくするねぇ。
そして、ここで流れる『サイコ』のテーマ曲が見事なまでにおそろしい!
前回の最後にふれた「ジャン!ジャン!ジャジャン!」というのっけから突っ走る迫力押しの部分と、そこから一転してヒッチコック監督らしい心理劇の展開を予想させる繊細なヴァイオリンの高音によるメロディ、そして今回の最初にあげたような、聴く者に漠然とした不安感を与える低音の不協和音すれすれのはずし。
たった2分弱のオープニングなのですが、クレジット映像とテーマ曲は、どちらも「ヒッチコック印のエンターテインメント」のはじまりと「そのあいまからチラチラかいま見える狂気」の存在をしっかり伝えるという最高の仕事をしているんですねぇ。
まさに、「つかみはオッケー!」。中学生になって初めて『サイコ』を観ることとなった私は、序盤からのこの緊張感ガン上がり具合に、正座の姿勢のままで固まってしまいました。こりゃあ、なんだがわがんねぇげどすげぇなぁど思っでよ、まんず!
ちなみに、この『サイコ』の音楽を担当した作曲家バーナード=ハーマンは、ヒッチコック監督の黄金期とも言える1950~60年代の『ハリーの災難』(1956年)、『北北西に進路を取れ』(1959年)といったさまざまな名作でサスペンスフルな名曲の数々を作りあげたことで有名です。『知りすぎていた男』(1956年)のクライマックスで印象的に使われた歌『ケ・セラ・セラ』なんかはもう、今では作品自体よりも知名度が高くなっているかもしれませんね。
このヒッチコックとハーマンのコンビは正味10年間続き、最終的には仲違いという形で解消してしまったのですが、1920~70年代という半世紀にわたるヒッチコックのキャリアの中でも、特にハーマンと組んでいた時期の作品の輝きはもう別格、あぶらノリノリのものとなっています。
あと、音楽とならんで印象的なクレジット映像を制作したのはグラフィックデザイナーのソウル=バスで、『ウエスト・サイド物語』(1961年)や『オーシャンと十一人の仲間』(1960年のオリジナル版のほう)など、個性的なデザインのクレジットが展開されるオープニングタイトルを数多く手がけています。「味の素」と「紀文」のロゴデザインもこのお方らしいぜ!? てぇしたもんだ。
バスがヒッチコック監督と組んだのは『サイコ』も含めて3作品だけだったのですが、その中のひとつである『めまい』(1958年)のオープニング映像は、映画史上初めて CG技術が使用された例だとされています。
ついでに言うと、バスさんは生涯にたった1度だけ映画監督をつとめたことがありまして、それこそがかのカルトSF映画の極北といわれる大問題作『フェイズⅣ 戦慄!昆虫パニック』(1973年)なのであります……タイトルからもその片鱗がうかがえるのですが、これ、ある意味では『サイコ』以上にサイコな作品です。おもしろいかどうかは別として。
そんなこんなで『サイコ』のオープニングは普通じゃない緊張感に満ち満ちており、今までのヒッチコック作品とはちと違う「安心できないなにか」を感じさせるものになっているのです。
だが、しかし。
実際にそのオープニングが過ぎて本編が始まると、「ただれた恋愛関係」「つまらない日常生活に不満アリアリの美人OL」「ほんの出来心から会社の大金を横領」「人目を気にしながらの女一匹逃避行」といった感じで、こう言っちゃあナンなんですがベッタベタなサスペンスドラマの一点押しになるんですね。
あれえ。やっぱりこんな感じなのか? あのオープニングの「狂気」はいったい、どこに……
『サイコ』は2時間弱、109分の物語なのですが、そのうちの前半3分の1、約30分が金髪の美人OLマリオン(演・ジャネット=リー)視点の筋になっているのですから、観客はてっきり、このマリオンが『サイコ』の主人公なんだろうな、と思いこんでしまうわけなのです。
ところが! 大金を持って長距離を車で逃げるマリオンが、田舎の道沿いにあった優しい好青年の経営するモーテルに泊まったあたりから、なんとなく物語の「どこか」にゆがみが生じてきたような気がして、なんかヘンだなーと思っていたら……
シャッ。
「キャーッ!!」さくっ「キャー!」さくっ「ギャー!」さくっ「ぎゃあああ……」さくっ「……」ばったり。
ええええ~っ!? びび、美人OLさんがシャワーを浴びてたら、あんなことに!
あの~。この『サイコ』という映画は純然たる「スリラー映画」でありますので、展開をあれこれ説明していくのは非常に野暮なことなのですが、さすがにこのシャワーシーンは世界的に有名ですからね……もう「ネタバレ」もへったくれもないですよね?
まさか、主人公っぽいあつかいだった人が物語の途中でああなるとは。なんの前情報もなしに『サイコ』を観た1960年公開当時の人々のショックたるや、甚大なものがあったでしょう。
映画の展開の1パターンとして、「主人公だと思っていた人が主人公じゃなかった!」というびっくりは相当に観客の注目を集める効果があるのですが、これは反面、退場した「主人公デコイ」以上の魅力を持った「本当の主人公」がちゃんといてくれないと、物語への興味がむしろ尻すぼみになってしまうという「両刃の剣」でもあるんですね。そういったドンデン返しをやらかしてしまった以上は、それなりのフォローをちゃんと用意していないといけないわけなのです。
そういえば、つい最近もそういう理由で後半ずいぶんとガッカリしちゃった映画があったなぁ。『長岡京エイリアン』でも扱いましたね。
その点、『サイコ』の前半の「美人OLデコイ」は、その後に繰り広げられる狂気の世界へのジャンプ台となるために、あえてベタで平板な描写に徹していたようなフシさえうかがえます。いや、それでも撮り方がうまいから充分におもしろいんですけどね。
で、美人OLマリオンが「ああいうこと」になってしまった後にストーリーラインのバトンを受け取るのが、くだんの田舎モーテルにいた青年ということになるのです。
彼の名は、ノーマン=ベイツ(演・アンソニー=パーキンス)。
出ました。あの「バンダイ SD ホラーワールドガシャポン」でキッチンナイフを持っていたおっさんですね。
……え? 「おっさん」?
いやいやいや、『サイコ』に出てくるノーマン=ベイツの顔には、あんな深いシワは刻まれてはいませんよ? どこからどう見てもさわやかな笑顔がステキな青年ですよ。
実際、演じていたアンソニー=パーキンスは当時28歳。アカデミー助演男優賞のノミネート経験もある実力派の青春スターとして人気を集めていました。
ノーマン青年は、「年上の都会のおねえさん」といった感じで色気をふりまいていた美人OLマリオン(演じていたジャネット=リーは32歳)に圧倒されてオドオドする、いかにも田舎ふうの不器用な若者でした。
そうなんです、『サイコ』に登場するノーマン=ベイツと SD人形になったノーマン=ベイツとのあいだには大きなへだたりがあるんですね。
そして、そのへだたりの深さと暗さこそが、ホラー映画史上に残る名キャラクターとなった「ノーマン=ベイツ」の魅力そのものだったのです。
しかし、いくらノーマン=ベイツがドラキュラや狼男といっしょに消しゴム人形になるようなホラーキャラクターなのだとしても、彼がデビューした『サイコ』はホラー映画ではありません。犯人探しを物語の主眼においたスリラー映画で、その中のノーマン=ベイツはあくまでも「容疑者の1人」にすぎないわけです。そして、まぁ~パーキンスさんの演技力とヒッチコック監督のストーリーテリングが見事なものですから、観るものは映画ラストのミラクルどんでん返しにひっくり返ってしまうと。
ううぅ~、具体的になにがどうなのはなんにも言えない! 観てない人はぜしとも観て。
わたくしはこの『サイコ』によって、初めて「だまされる楽しみ」を味わってしまったのです。
あのシャワーシーンもそうなのですが、この『サイコ』もヒッチコック作品らしく、「現代の私たち」からみても観るに耐えない残酷描写というものはさほどありません。「狂気の世界」と言いましたが、実は「狂っている」と目される人物も1人しか登場せず、作品世界全体が狂っているというわけでもないのです。
でも。あのラストシーンの「顔」は、こ~わ~い~ねぇ~!!
中学生時代の私はもうシビレちゃいましたよ。ヒッチコックブランドの「安全・安心神話」はガラガラと崩壊してしまいました。ニクイよ!
せっかくここまできましたんで、次回はその『サイコ』の親戚やクセのありすぎる息子さんたちを紹介してシメましょう。
実は、この『サイコ』以上にひっくり返ってしまう結末の「続編」があって……ありゃあビックラこいたね。