ウィリアム・ブルワー『レッド・アロー』
ラリったら、本の表紙はきっとこんなふうに見える。そんなカバー。薬物中毒になったことはないけれども。
帯の下、きちんと読ませるべきタイトルの文字でさえ、まだ薬が抜け切っていないようなぼやけたものになっていて、じっと見ていると体調が悪いときの気分を思い出す。
帯の文言「幻覚剤の旅」を見て支離滅裂な話かと思いきや、出だしは順調、面白くなりそうな展開だ。
イタリアの高速列車フレッチャロッサ(レッド・アロー)に乗り、人を探しにいく男が車中で語る。
彼はある物理学者の回顧録を、ゴーストライターとして書いている。途中までは問題なく書き進められたのだが、最後の詰めで物理学者が姿を消した。彼は大きな借金をしていて、何がなんでもこの仕事を成し遂げなくてはいけない。
それはこの本の担当編集者も同じで、必ず物理学者を見つけてこいと彼をせっつく。でないと「失職だ」「破滅だ」と切羽詰まっている。
少し気になるのは、彼が「治療」を受けた後で、治療が効いたおかけで幸せな気分でいられるというところ。治療とは一体何なのか。
この話の向かうところ、それはやはり「幻覚」なのだろうか。
物理学者との対話はよくわからなくて、1人の頭の中で展開されているようにも感じられて、物理学者は本当に存在するのか、そもそもこの物語は存在するのか疑問になってくる不思議な感覚。
装丁は森敬太氏。(2024)
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