2011年6月11日「津幡の街角で見つめたアイドル歴」と題し、
個人的なアイドル歴について投稿した。
記憶を手繰る糸口になったのは、
文房具店の店頭に張り出された「AKB48」の「カードシール」である。
未だに顔と名前が一致しないのは相変わらずだが、
彼女達の活躍の場が、以前に増して拡大しているのは実感。
その一例が「今日の一枚」…「ダスラー津幡店」傍で発見した幟だ。
今回は、これを端緒に個人的な記憶に残る、
日本の女性アイドル・グループ達を振り返ってみたい。
まずは「花の中三トリオ」。
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左から「山口百恵」「森雅子」「桜田淳子」。
70年代初頭に「スター誕生」からデビューした若く可愛い少女達が、
それぞれ違った路線の作品をリリース。
「花の中三トリオ」は、正確にはグループではないが、一種のユニット。
ライバル同士でありながら、求めに応じて離散集合しながら活動するのは、
三羽烏、御三家、三人娘などの伝統を受け継ぐ形態である。
僕は、憂いを湛えた大人っぽい「山口百恵」が好きだった。
このトリオ編成で大成功したのが「キャンディーズ」である。
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「スクールメイツ」「8時だョ!全員集合」のアシスタントとしての
下積みを経て昭和48年(1973年)にレコードデビュー。
「年下の男の子」「ハートのエースが出てこない」「春一番」。
「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」「微笑みがえし」など
残したヒット曲は多数。
人気絶頂時「普通の女の子に戻りたい」と解散を宣言し、
紙テープが乱れ飛ぶ舞台上で「本当に私たちは幸せでした」と終止符を打つ。
当時、津幡小学校の教室でも散々話題になった「事件」だった。
そして“真打”「ピンク・レディー」。
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昭和51年(1976年)「ペッパー警部」でデビュー以降、
世の中を席巻したスーパーアイドルと言えるだろう。
ヒット記録・受賞歴は、前述の「キャンディーズ」を大きく凌駕。
更に、音楽界の枠を大きく飛び越えていったからだ。
当時、2人の姿をプリントしたキャラクター商品が幾つあったことか。
玩具・衣料・文房具・食品・食器・自転車等々…枚挙に暇がない。
「ピンク・レディー」という“市場”があったのだ。
また、作品に合わせた衣装を身にまとい、毎回違ったダンスを披露。
彼女達の歌や踊りを覚えようと練習するファンが大勢いた。
身近でいて巨大な存在だったのである。
…それは「AKB48」のプロトタイプと言えるかもしれない。
※追記:2012年9月29日
よくよく考えてみたところ、
「先に挙げた2つも影響を与えているのでは?」…と思い始める。
大所帯グループの中でメンバー同士による個別ユニットを組む手法は、
「中三トリオ」の例に倣う。
「前田敦子」(←さすがにこの人は知っている^_^;)の卒業公演は、
近い将来の幕引きを予め伝え、人気を更に盛り上げた点で、
「キャンディーズ」解散コンサートに重なるのである。
個人的なアイドル歴について投稿した。
記憶を手繰る糸口になったのは、
文房具店の店頭に張り出された「AKB48」の「カードシール」である。
未だに顔と名前が一致しないのは相変わらずだが、
彼女達の活躍の場が、以前に増して拡大しているのは実感。
その一例が「今日の一枚」…「ダスラー津幡店」傍で発見した幟だ。
今回は、これを端緒に個人的な記憶に残る、
日本の女性アイドル・グループ達を振り返ってみたい。
まずは「花の中三トリオ」。
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左から「山口百恵」「森雅子」「桜田淳子」。
70年代初頭に「スター誕生」からデビューした若く可愛い少女達が、
それぞれ違った路線の作品をリリース。
「花の中三トリオ」は、正確にはグループではないが、一種のユニット。
ライバル同士でありながら、求めに応じて離散集合しながら活動するのは、
三羽烏、御三家、三人娘などの伝統を受け継ぐ形態である。
僕は、憂いを湛えた大人っぽい「山口百恵」が好きだった。
このトリオ編成で大成功したのが「キャンディーズ」である。
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「スクールメイツ」「8時だョ!全員集合」のアシスタントとしての
下積みを経て昭和48年(1973年)にレコードデビュー。
「年下の男の子」「ハートのエースが出てこない」「春一番」。
「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」「微笑みがえし」など
残したヒット曲は多数。
人気絶頂時「普通の女の子に戻りたい」と解散を宣言し、
紙テープが乱れ飛ぶ舞台上で「本当に私たちは幸せでした」と終止符を打つ。
当時、津幡小学校の教室でも散々話題になった「事件」だった。
そして“真打”「ピンク・レディー」。
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昭和51年(1976年)「ペッパー警部」でデビュー以降、
世の中を席巻したスーパーアイドルと言えるだろう。
ヒット記録・受賞歴は、前述の「キャンディーズ」を大きく凌駕。
更に、音楽界の枠を大きく飛び越えていったからだ。
当時、2人の姿をプリントしたキャラクター商品が幾つあったことか。
玩具・衣料・文房具・食品・食器・自転車等々…枚挙に暇がない。
「ピンク・レディー」という“市場”があったのだ。
また、作品に合わせた衣装を身にまとい、毎回違ったダンスを披露。
彼女達の歌や踊りを覚えようと練習するファンが大勢いた。
身近でいて巨大な存在だったのである。
…それは「AKB48」のプロトタイプと言えるかもしれない。
※追記:2012年9月29日
よくよく考えてみたところ、
「先に挙げた2つも影響を与えているのでは?」…と思い始める。
大所帯グループの中でメンバー同士による個別ユニットを組む手法は、
「中三トリオ」の例に倣う。
「前田敦子」(←さすがにこの人は知っている^_^;)の卒業公演は、
近い将来の幕引きを予め伝え、人気を更に盛り上げた点で、
「キャンディーズ」解散コンサートに重なるのである。