つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町で「強さ」について考えた。

2013年04月10日 22時26分37秒 | 日記
「今日の一枚」の撮影場所は、津幡小学校校舎前「ふれあい広場」。
樹木が生長し、幹の外側を覆っていたコンクリート塀を打ち崩してしまった。
人智を凌駕する自然は「強い」と言わねばならない。

「強い」という字を辞書で引くと…
『力や技がすぐれていて他に負けない。』
『健康である。心身が丈夫。』
『環境や条件に屈しない。物事に耐える力がある。』
…など、複数の意味を持っているが、その成り立ちは武器に由来する。
「強」は「弘」の「ム」の下に「虫」を加えたもの。
偏は文字通りの「弓」。
旁(つくり)の「ム」は、弓の握りに紐を巻きつけた事を指す。
そして「虫」は釣り糸などに用いられる丈夫な「天蚕糸(てぐす)」。
つまり、丈夫で耐久性に優れた弓をして「強」になった訳だ。

最近、その「強さ」を誇示して国際社会から疎んじられているのが「北朝鮮」だ。
正式名称「朝鮮民主主義人民共和国」。
実際には絶対君主制の「金王朝」。
いつ現代の火矢…“ミサイル”が飛んでくるかと思うと落ち着かない。
困ったものである。

また一昨日、かつて「強さ」を標榜した女傑が他界した。
「マーガレット・サッチャー」、享年87。
第二次大戦でGDPの250%にのぼる借金を抱え込み、
天井知らずのインフレに悩む大英帝国を強靱な意志で再生した“鉄の女”。
東西冷戦終息の立役者でもある。
一方で、弱者切り捨てや軍事介入策が非難を浴びているが、
昭和を彩る「強いリーダー」が鬼籍の人となったのは残念だ。
コメント
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