もうすぐ「海の日」。
「海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」として、
国民の祝日になったのは平成8年。
日本各地で記念行事が予定されているが、
わが愛する「競艇」界でも、SG(Special Grade)レース
「オーシャンカップ競走」の決勝戦がある。
今年は、石川県のお隣・福井県の「三国競艇場」が戦いの舞台。
隙あらば、是非、本場へ出かけたいと考えている(笑)。
…とまあ、それはさて置き、
先日、散歩中に買い物したコンビニで「珍しい釣銭」をもらった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/77/12e06cd233ec80a546372a52bbfef2e8.jpg)
画像の中心に置いた「沖縄国際海洋博覧会」の記念100円硬貨である。
沖縄エキスポの開催は、硬貨に刻印されている通り、
昭和50年(1975年)7月20日から、
翌年1月18日までのおよそ半年間。
当時のニュース映像で、同イベントのシンボル、
「手塚治虫」プロデュースによる未来型海洋都市「アクロポリス」や、
白亜の大観覧車がそびえる遊園地「エキスポランド」、
それらの会場へ向かう人波などを見た記憶がある。
アメリカから日本へ返還されて、まだ3年余り。
陽光降り注ぐ亜熱帯の風景。
耳慣れぬ島唄の旋律と方言。
北陸の小学生にとって、まだ見ぬ「OKINAWA」は、
充分にエキゾチックで、遠い異国のようなものであった。
あれから40年。
当時と比べれば、僕と沖縄の距離はグッと近くなった。
沖縄出身のミュージシャンやタレント、アスリートは、
日本のメインストリームで確固たる地位を築いている。
沖縄の食材や料理を口にすることは珍しくない。
沖縄出身の友人だってできた。
…しかし、僕は、まだ直接足を運んだ事がない。
沖縄に関する知識は増えたが、肌で体験していないためか、
実感としては、島影はやはり遥かなる彼方に浮かんでいる。
ところで!
前述の「第20回 オーシャンカップ競走」では、
沖縄在住のレーサー「原田幸哉」選手が、予選3日目を終えて、
得点ランク2位に着けている。
こうして沖縄に関する投稿を思いついたのも何かの縁。
ひとつ、彼から狙ってみるか?!
「海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う日」として、
国民の祝日になったのは平成8年。
日本各地で記念行事が予定されているが、
わが愛する「競艇」界でも、SG(Special Grade)レース
「オーシャンカップ競走」の決勝戦がある。
今年は、石川県のお隣・福井県の「三国競艇場」が戦いの舞台。
隙あらば、是非、本場へ出かけたいと考えている(笑)。
…とまあ、それはさて置き、
先日、散歩中に買い物したコンビニで「珍しい釣銭」をもらった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/77/12e06cd233ec80a546372a52bbfef2e8.jpg)
画像の中心に置いた「沖縄国際海洋博覧会」の記念100円硬貨である。
沖縄エキスポの開催は、硬貨に刻印されている通り、
昭和50年(1975年)7月20日から、
翌年1月18日までのおよそ半年間。
当時のニュース映像で、同イベントのシンボル、
「手塚治虫」プロデュースによる未来型海洋都市「アクロポリス」や、
白亜の大観覧車がそびえる遊園地「エキスポランド」、
それらの会場へ向かう人波などを見た記憶がある。
アメリカから日本へ返還されて、まだ3年余り。
陽光降り注ぐ亜熱帯の風景。
耳慣れぬ島唄の旋律と方言。
北陸の小学生にとって、まだ見ぬ「OKINAWA」は、
充分にエキゾチックで、遠い異国のようなものであった。
あれから40年。
当時と比べれば、僕と沖縄の距離はグッと近くなった。
沖縄出身のミュージシャンやタレント、アスリートは、
日本のメインストリームで確固たる地位を築いている。
沖縄の食材や料理を口にすることは珍しくない。
沖縄出身の友人だってできた。
…しかし、僕は、まだ直接足を運んだ事がない。
沖縄に関する知識は増えたが、肌で体験していないためか、
実感としては、島影はやはり遥かなる彼方に浮かんでいる。
ところで!
前述の「第20回 オーシャンカップ競走」では、
沖縄在住のレーサー「原田幸哉」選手が、予選3日目を終えて、
得点ランク2位に着けている。
こうして沖縄に関する投稿を思いついたのも何かの縁。
ひとつ、彼から狙ってみるか?!