つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

伝承~Carry On My Wayward Son.

2015年07月25日 11時32分48秒 | 日記
津幡町西部…津幡川下流域に位置する「井上地区」。
ここは、大きく2つの地域に分かれていると言えるだろう。
昭和29年(1954年)3月31日に合併するまで「井上村」だった旧市街地と、
平成14年(2002年)に都市計画が始まった「井上の庄」だ。
俯瞰図を見れば一目瞭然。
それぞれの街を歩いてみると、その違いは更に顕著である。

  

青枠内の新住宅街は、高さや規格に一定の基準を設けた建物が並ぶ。
上水道、公共下水道、ガスなど、インフラ類は予め整備済み。
電線も地中に敷設されていて、統制が取れている。

対して、赤枠で囲った旧市街地は、区割りも建物のサイズもまちまち。
道幅は狭く、林立する電柱から電柱へと空中線が這い、
神社やお寺、墓地などが住宅と隣接している。

個人的な好みという点では、
古式蒼然として昭和の面影を残す後者に軍配を上げたい。
景色に統一性がなく、軒先や辻に生活感が溢れ、散歩していて面白いのである。

また、この井上の旧市街は「伝承」にも熱心だ。

  

画面中央からやや左手…十字路道路標識の辺り。
用水路と建物の間に立つ小さな高札には、次のような文面が記されている。

【共同浴場跡】
『昭和二十二年~平成の初め頃まで川尻地内に
 六ヵ所の共同浴場が存在した。川尻においては
 明治期から中橋地内より飲料水を通水していたが
 そのイケ(井戸)仲間が六組織あった。
 このイケ仲間が共同浴場をつくる母体になったのである。
 共同浴場は衛生面はもとよりコミュニケーションの場として
 また地域の連帯感や活性化、そして躾や教育面などにも
 大きな役割を果たしてきたのである。
                平成二十五年 井上地区』

湯煙に混ざって、人々の笑い声が聞こえていた様子が偲ばれる。
井上地区には、他にも、ゆかりのある偉人や遺構について、
同様の配慮がなされた場所が多い。
こうした、失われた過去を伝承する取り組みは、意義深いと思う。

ところで、共同浴場跡の画像の右端に、
4人のランナーが写っているのが分かるだろうか?
これは、津幡町の夏の風物詩、
早朝ジョギングによって、夏休み中に100キロ走破を目指す「100キロコンペ」の一幕だ。

100キロコンペは、昭和47年(1972年)、
石川県政100周年記念事業としてスタートした。
つまり、元々は全県下で展開していたが、今や津幡町のみ。
しかも井上と中条、2つの地区だけが伝承している。

かつては、町内の他地域でも盛んに行われていたが、
中心部は自動車の通行量増加、山間部は熊出没が増えるなど、
安全を考慮した結果、減少していったそうだ。
加えて、個々の生活と地域社会の繋がりが薄れた事、
世の中から次第に余裕がなくなっていった事が遠因ではないだろうか?

【100キロコンペコース跡】
…などと札(ふだ)が立たない未来を望む。

 
コメント
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