つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

闇より出でて光の下へ。 ~ エビータ。

2017年07月23日 08時01分43秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載、第五十二弾は、「エビータ」こと「エバ・ペロン」。

国政を担う人物の夫人を「ファースト・レディ」という。
為政者の在任中、傍らに寄り添う姿が注目を集める事は珍しくないが、
連合いが現役を引退後…更に、入寂後も脚光を浴び続けるケースは稀だ。
「マリア・エバ・ドゥアルテ・デ・ペロン」のように。

彼女は1919年(大正8年)生まれ。
前回投稿した革命家と同じ南米・アルゼンチン出身。
どちらも歴史に名を残す人物ながら、その経歴はかなり違う。
「ゲバラ」は、都会の裕福な御曹司。
病弱な医学生から革命の道へ進み、命を賭して理想に殉じた。
「ペロン」は、田舎町の私生児。
美貌を武器に貧困から身を起こし、権力者のハートを射止めた。

首都・ブエノスアイレスにやって来たのは16歳の時。
多くの男と浮名を流しながら仕事を掴み、
モデル、女優、ラジオパーソナリティーとして活躍。
そして、あるパーティーの席上で、24歳年上の軍人政治家に見初められ、結婚。
二人三脚で権力の階段を登ってゆき、
1946年(昭和21年)、大統領夫人になった。

以来、政治に介入し、アルゼンチンにおける「女性参政権」の初導入に尽力。
「エバ・ペロン財団」を設立し、貧困層の主に子供たちへの援助を実行。
最大の支持基盤、労働者階級の住宅供給などを断行。
大衆からは、救いの神と崇められ「エビータ」の愛称で人気を博す。
一方、貴族階級や文化人からは、
無策だ、慈善を隠れ蓑に私腹を肥やしているなどと非難された。
果たして、聖女か、毒婦か。
きっと、どちらも併せ持っていたのだろう。
人は、善と悪を行き来し、清と濁を使い分ける事のできる生き物だ。

一旦は頂点を極めた「ペロン政権」だったが、舵取りを失敗。
世界大戦で荒廃したヨーロッパの食糧庫になり、
貯えた莫大な外貨を、わずか4年で使い果たす。
そんな坂を転がり落ちる祖国と歩調を合わせるかのように、
彼女の人生も幕を閉じた。
子宮癌に侵され、33歳の若さで他界。
しかし、波乱万丈のシンデレラストーリーは、歌や芝居、映画の題材になり、
今もスポットライトの下にある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする