いったい何日ぶりだろう。
2021年になって初めてかもしれない。
今日は、洗濯物を外に干した。
ある程度の気温と太陽に恵まれ、夜になる前に取り込む都合がつく。
立春を過ぎ、そんな条件がようやく揃った。
気持ちよく乾いた仕上がりを想像しながら、
僕は愛犬のリードを握り散歩に出発。
流石にまだ防寒着は必須だが、雪の消えた路面を行く足取りは軽い。


夜明け間もない「津幡中央銀座商店街」と、おやど橋から眺める津幡川。
毎度見慣れた景色も、朝焼けのお陰か、妙に美しく感じる。
目に映る世界がオレンジ色に包まれるのも幾つかの気象条件が必要だし、
余り長く持続するわけでもない。
その意味で、ちょいと「豪華なタイミング」と言えるかもしれない。
やがて、僕は「スガイ書店」に到着。
そして、思わず見入ってしまった。

ウインドに大きく張り出されていたのは、
ある日の新聞記事から引用した「書店」からのメッセージである。
「別れが教えてくれること (作家)村山由佳
人間を他のあらゆる生きものから分けているものは「想像力」だと私は思っている。
<自分が嬉しいことを相手にもしてあげる>というのではまだ足りなくて、
<自分が嬉しいことを相手は喜ばないかもしれない>というところまで
思い至って初めて「想像力」と呼べる。
ただ、考えてみてほしい。
あなたに生きることができるのは自身の人生ただひとつに過ぎない。
たったそれだけの乏しい経験をもとに、いったい他人の、あるいは社会の、
さらには世界の何を想像できるだろう?
だからこそ私たちには物語が必要なのだ。
登場人物に感情移入することによって、実際には経験していない痛みや喜びや切なさ、
慈愛や挫折といったものを疑似体験できる。
何より、いま生きているものが誰一人として体験したことのない<死>についても---。
愛する者の死は、必ずと言っていいほど深くて癒えない傷を残してゆく。
けれどまた、その傷の痛みこそが、あなたにかけがえのない何ごとかを
教えてくれるのも事実なのだ。
別れが教えてくれること。
それは時に出会いがもたらしてくれるものよりも大きい」
ご意見様々あるだろうが、いい文章だと思う。
「本」を読むことで、心はより「豊か」になる。
また「想像」を加えることで、現実の見え方も「変わる」。
なるほどな~と独り言ちて、歩を進め「しらとり児童公園」に差し掛かった。

冬支度の一環だろうか、伐採の準備だろうか?
一葉も残さず、徹底的に剪定された樹木が佇んでいた。
確か銀杏か、メタセコイヤだと思うが、こうなっては判別不能。
枝を切られる時は、さぞ嫌だっただろうなと想像する。

木製ベンチの上には、昨秋まで藤棚があった(過去記事へのリンク有)。
今月の大雪で潰れてしまったのか?
だとすれば、きっと崩壊の瞬間はさぞ痛みを伴い、無念だったに違いない。

「岩井 守 商店」前の交差点では「津幡中学校」の生徒とすれ違う。
40数年前、僕も同じように部活へ向かった。
彼女たちは、何を考えているのだろう?
中学生の僕は、何を考えていたのだろう?
僕の残りの人生には、どんな別れが待っているんだろう?
辺りを眺めながら歩いているだけで想像は尽きない。
--- 夕刻、取り込んだ洗濯物の乾き具合は、想像を遥かに上回っていた。