歴史ファンならご存知のとおり、
平安期の貴族「紀 貫之(きの・つらゆき)」は、
『古今和歌集』の撰者であり、日本史上でも傑出した歌人である。
また、日本最古の日記文学『土佐日記』は、後世の文学に大きな影響を与えた。
その書き出しは、こうだ。
<男もすなる、日記といふものを、女もしてみむとて、するなり>
地方官吏の任期を終え、都に戻るまでの出来事を日記文学としてまとめる際、
漢文ではなく和文で書くことを決意。
当時、男性は漢文を使うのが常識だったため、
女性のふりをして新たな挑戦に踏み切ったとされる。(※諸説アリ)
僕の場合は、こうなるかもしれない。
<世の人もすなる、ブログといふものを、りくすけもしてみむとて、するなり>
--- ということで、今回は「紀 貫之」作品を交えながら、
最近の散歩の様子を投稿してみようと思う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/c2/ade1c96703175e3ed3b2b0240eca51bd.jpg)
かすみ立ち 木の芽もはるの雪降れば 花なき里も花ぞ散りける
<霞がかり、木の芽も芽吹く春に雪が降り、
まだ花が咲かない里にも、花が散るように見えることよ。>
一昨昨日(さきおととい/2021/02/24)、雪が降った。
春の淡雪ゆえ、午後にはあらかた消えてしまった。
もうすぐ2月も過ぎようというのに、朝晩はそれなりに寒く、
未だに暖房器具頼りだ。
太陽が支配する昼は、春めく陽気。
闇に閉ざされる夜は、冬が居残る。
近頃の津幡町は、そんな感じだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/c8/94469c69a24c8de07540cb829572c068.jpg)
袖ひちて 掬(むす)びし水の 氷(こほ)れるを 春立つけふの風やとくらむ
<(夏に)袖を濡らして手に掬ったあの水が(冬は)凍っていたが、
きっと立春の今は、風が融かしていることだろう。>
今朝は、道端の水溜まりに薄氷が張っていた。
指で押したら--- いや息を吹きかけたら融けてしまいそうに儚い薄氷。
それは残り少ない冬の最後の抵抗に思える。
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人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞむかしの香に 匂ひける
<あなたが昔のままの心かどうかわからない。
でも、故郷では、昔と変わぬ梅の香りが迎えてくれている。>
「紀 貫之」は幼少の頃、奈良・長谷寺にいる伯父のもとに身を寄せていた。
やがて都へ上り宮仕えの身に。
久しぶりに寺を訪れた時、叔父は「随分とご無沙汰ですね」と、
皮肉っぽく冗談めいた挨拶をした。
そこで梅の枝を手折り詠んだ歌である。
「まあ、そう邪険にしないで、この梅のように快く迎えてください。」
--- という訳だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/10/9ba3be26b0b1d1aa0fa7704059e81b1d.jpg)
桜がもてはやされる前は、梅が花全ての代表だった。
梅は百花の魁(さきがけ)。
八重咲の白梅からは、控えめだが爽やかな春の香りがした。