今投稿のタイミングは、令和5年(2023年)12月31日。
大晦日である。
「みそか」は月末にあたる『三十日』を指していて、
「おお」は『1年のクライマックス』を表している。
拙ブログをご覧の皆さまはいかがお過ごしだろうか。
わが津幡町の天気は雨模様だが、
好天に恵まれたきのう(2023/12/30)の散歩中に見聞した、よしなしごとを簡潔にお届けしたい。
【ああ 川の流れはゆるやかに。】
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画像は、津幡川に架かる「川尻水門橋」。
川は奥から手前に向かって流れている。
若干さざ波が立っているものの大変穏やか。
護岸の枯野がむき出しになっていて雪もない。
付近をねぐらにする鴨たちが起こす泳跡派が扇状に広がる様子から、静水面が見て取れる。
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さて、先日「2023年 津幡町10大ニュース」が発表された。
一席は<県内初めての線状降水帯による被害甚大「7月豪雨 町内各所に爪痕」>
振り返ると今年7月12日、石川県は大雨に見舞われた。
金沢地方気象台は「顕著な大雨に関する気象情報」を発表。
津幡町では夜半前から1時間80ミリの猛烈な雨が降り、町内各所に避難指示を発出。
4つの河川で氾濫が認められた。
人的被害がなかったのは不幸中の幸い。
しかし、物的損害は小さくなかった。
住宅全壊7棟、大規模半壊1棟を含む370棟に影響。
道路150か所、河川40か所を含む町管理設備に被害が及んだ。
僕が暮らす所は、前掲画像・津幡川下流域に近い。
豪雨当夜は氾濫には至らなかったものの、危険水域だったと聞く。
あと少し雨量が多かったら、どうなっていたか分からないのである。
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わが津幡町は昔から水害が多い。
荒ぶる水を鎮める意味か水辺の傍に鎮守が建つ。
上掲画像、津幡川沿いの川尻地区「住吉神社」には以下の伝承が残っている。
『住吉神社の祭神は庄村の住吉神が津幡川を蕪の葉に乗って川尻村へ流れ着いたという。
村では川上の庄村へ送り届けたが、しばらくするとまた漂着し、
当地の「クロベイブチ」(現在地)に落ち着かれることになったという。
住吉の神様は海上交通の神といわれる。
川尻村は河北潟や津幡川の水運に深く関わってきた集落であり、
勧請の神としてふさわしい神様であるといえる。
昭和初期頃まで、毎年三月八日に「蕪まつり」が行われていた。』
(※『 』内太字 お宮前の立札より引用、原文ママ)
「クロベイブチ」とは「九郎兵衛淵」。
この地はかつて沼地だった。
大洪水の際「九郎兵衛」という人が、
人柱(ひとばしら=工事の無事を祈り、建造物の基礎に生贄として埋められる人)になり、
災害を防いだことから名が付いたとか。
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果たして「クロベイブチ奇譚」は本当なのか否か?
本殿の正月飾りに問いかけてみたが、返答のあるはずもなし。
あったのかもしれないし、なかったのかもしれない。
何にせよ洪水は勘弁して欲しいものだ。
川尻の住吉さんに水難無縁をお願いして踵を返した。
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最後の画像は、川面に映るわが影。
少々輪郭がぼやけてしまったが、ご挨拶に手を挙げている。
今年一年、拙ブログをご観覧いただき誠にありがとうございました。
よい年をお迎えくださいませ。
来年もどうぞよしなに。
では、また。
<津幡短信 vol.119>
なぜか、りくすけさんの強い郷土愛を感じました。
僕のような根なし草には、理解できない世界を感じました。
りくすけさんと津幡町の平安をお祈りしています。
では、また。
地震だいじょうぶでしたか
今関東も大きな揺れで、震源地が石川だったので気になってメッセージしました
少し調べましたが
石川県の津幡町は深度5弱らしいですね。
無事であることを只々祈るばかりです。
不安ですよね…
安全をお祈りしています。
どうぞ引き続き、気をつけてお過ごしくださいね。