つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

女給哀歌(エレジー)。

2021年09月12日 11時33分33秒 | 手すさびにて候。
        


わたしゃ夜咲く 酒場の花よ
赤い口紅 錦紗のたもと
ネオン・ライトで 浮かれて踊り
さめてさみしい 涙花
     
わたしゃ悲しい 酒場の花よ
夜は乙女よ 昼間は母よ
昔隠した 涙のたもと
更けて重いは 露じゃない
     
女給商売 さらりとやめて
可愛い坊やと 二人のくらし
抱いて寝かせて 母さんらしく
せめて一夜を 子守唄
     
雨が降る降る 今夜も雨が
更けて寂しい 銀座の街に
涙落ちるも 恋しい昔
偲べ偲べと 雨が降る
     
昭和6年(1931年)のヒット曲「女給の唄」。
「西城八十」の筆による歌詞に登場する女性の職場は、
いわゆる「接待を伴う飲食店」である。

ほんの手すさび 手慰み。
不定期イラスト連載 第百八十二弾は「昭和の夜に舞う蝶 」。



前述の流行歌が世に出る20年ほど昔。
東京・銀座を中心に「喫茶店文化」が根付きはじめた。
端緒の1つとなったのが、明治44年(1911年)に開店した
「カフェー・プランタン」だ。

創業者は、東京芸大出身の画家。
彼は、海外留学経験を持つ恩師からこんな話を聞いた。
『巴里(パリ)では「カフェー」なる店でアーティストが集い交流している』
日本にも同じ場所が必要だと考え、画家仲間と共に立ち上げた。

本場に倣い、メニューにはコーヒーやまだ珍しかった洋酒・洋食を揃え、
日本独自の演出として、うら若き「女性給仕」が配膳した。
モダンでハイカラな雰囲気が話題を呼び、なかなかの盛況ぶり。
その成功を受け、他にも同じ業態の店が誕生してゆく。

客層に文人墨客、新進気鋭の芸術家たち、マスコミ関係者が多かったこともあり、
女給をテーマにした小説が出版されたり、雑誌で女給特集が組まれたりした。
容姿端麗な娘を目当てに足しげく通うファンも多かったという。
つまり、彼女たちは「清純派アイドル」だったのである。

大正12年(1923年)9月1日、午前11時58分32秒までは--- 。

マグニチュード7.9の驚天動地「関東大震災」。
南関東および隣接地で死者・行方不明者は推定10万人超。
190万人が被災、全壊住宅10万9千棟余り、焼失およそ21万2千棟。
房総・神奈川南部は隆起し、東京以西・神奈川北方は沈下。
関東沿岸に津波が襲来。
帝都は壊滅した。

再興のさ中、カフェーが乱立する。
震災からわずか4年で、以前のおよそ4倍の数にまで膨れ上がった。
まったくの私見だが、その背景にはやはり「混乱」があるのではないだろうか。

地権がうやむやになり、地価が暴落し、出店が容易になった。
建築・土木を中心とした復興特需により、一時的にカネが溢れた。
日本各地から集まったブルーワーカーたちの娯楽需要が高まる一方、
生活再建を図りたい女性たちが供給の受け皿となった。
--- こうした要因が全てではないだろうが、カフェー急増の引金になったと推測する。

ともかく同業者の増加は、競争を生み出し、サービスが加熱。
やがて、女給が客の隣に座り接待する、濃厚お色気「風俗カフェー」が常態化。
風紀を乱す社会問題として、度々取り上げられるようになった。
更に、関西から大規模過激店が大挙参入。
事態はさらにエスカレートしてゆく。
客引きや同伴外出は当たり前。
マンツーマン接客に加え、個室や浴槽を設ける店も登場。
--- こうなると、もうカオスである。
(この頃、冒頭「女給の唄」が流行った)

警察は取り締まりを強化し始め、昭和8年(1933年)、
風俗カフェーを「特殊飲食店」と位置づけ、規制・罰則規定を設けた。

ちなみに“不純な”特殊飲食店に対し、
性的接待を行わずノンアル飲食サービスに徹する店は「純喫茶」と呼ばれた。
また、女給の定番スタイル、エプロンの紐を後で大きな蝶結びにしていた様子から、
水商売で働く女性を「夜の蝶」と呼ぶようになった説もアリ。
今に受け継がれる言葉は、戦前のカフェーで紡がれ、
やがて、銀座はネオン瞬く夜の街として隆盛することになる。

<後記>
ブームに終わりが来るのは世の常。
規制の始まりと歩を合わせ、飽和状態となった風俗カフェー業界は下降に転じ、
戦時色が濃くなるにつれフェードアウト。
終戦後は「赤線」や「青線」に発生した特殊飲食街にカフェーを名乗る店ができた。
売春防止法が施行され64年が経った今、表向きは姿を消したことになっている。
                

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 9月の空へ伸びる鉄(くろが... | トップ | 津幡地区 獅子頭展~津幡町の... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
りくすけさんへ (Zhen)
2021-09-12 17:04:52
こんばんは、りくすけさんの「手すさびにて候」シリーズ、ほんと、素晴らしいですね。

コロナ禍でも、依然として営業を続ける店もあれば、店を閉じ、職を失った人もいる。
コロナ禍が、ネオン街、水商売、風俗史の中で、どのような位置づけになるのか、僕には想像もつきません。何らかのターニングポイントになるのでしょうか?

では、また。
返信する
Zhen様へ。 (りくすけ)
2021-09-12 20:08:56
毎度コメントと過分なお褒めを
ありがとうございます。
恐縮です。

此度のコロナ過は、夜の街に影響を与え、
ターニングポイントになると思います。
未来の姿はもう少し時を待たねばなりません。
もしかしたらその様相の表面上は
余り変わらないかもしれませんが、
コロナ前と後は、歴史が必ず線を引くはず。
そう考えています。

では、また。
返信する

コメントを投稿