今(2024/02)津幡町ふるさと歴史館「れきしる」にて、
企画展「石川中央都市圏考古資料展~古代編」を開催中。
先日、足を運び見学してきた。
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南北に長い石川県の真ん中あたりに隣接した4つの市と2つの町、
金沢市、白山市、かほく市、野々市市、津幡町、内灘町の「石川中央都市圏」では、
古くから人々が生活し、文化を築いてきた。
それぞれ、縄文から近世までの史跡や考古資料が数多く残されている。
これからの歴史遺産の保存活用のため4市2町が連携。
考古資料の巡回展を行っている。
その中から、津幡町の「北陸道」に関連する展示を取り上げてみたい。
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古代の北陸道は、都が置かれた畿内と日本海側中部を結ぶ官道。
上掲地図赤丸に位置するわが津幡町は、
ちょうど越前⇔加賀・能登⇔越中の中継分岐点である。
道往く人馬の拠点--- 宿泊場所、馬の補給地になったのが「駅」。
北陸道に「深見(ふかみ)駅」と呼ばれるところがあったことは記録に残っていて、
現在の津幡町辺りと推測されるが、まだ正確な所在地は特定されていない。
候補の一つに挙げられるのが「北中条(きたちゅうじょう)遺跡」だ。
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河北潟に面するやや高い土地に位置する「北中条遺跡」は、奈良時代後期の跡。
そこからは、井戸の痕跡、古代のメモ「木簡」などに加え、
沢山の「墨書土器」---墨で字を書いた土器が出土している。
なかでも「深見駅」と記されたものが発見された。
上掲画像はそれではないが、展示物の1つ。
1200年間も土の下に埋まっていたのに褪せていない。
改めて墨は凄いツールだと感心する。
いったい誰が、何のために認め(したため)たのか?
墨文字を見詰めながら、しばし古代の暮らしに思いを馳せた。
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もう一つ、深見駅の候補地と目されるのが「加茂(かも)遺跡」。
津幡町とお隣の富山県・小矢部市を結ぶ「津幡北バイパス」の高架下にあたるここは、
石川県でも有数の遺跡密集地帯。
古代北陸道の道路遺構、大溝、40棟以上の掘立柱建物、井戸などが確認されている。
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多量の墨書土器・木製食器などとともに一枚の木簡が出土したのは四半世紀前。
上・下端部を欠く縦23.3センチ、横61.3センチの長方形のヒノキ材で、
表面の墨色は殆ど失われていたが、字画部分が盛り上がっていたため判読が可能。
解読の結果、平安時代前期の命令書を路傍に掲示したものであることが明らかに。
国の重要文化財「加賀郡ぼう示札」だ。
発令者は加賀郡司。
宛先は郡内の「深見村」有力者。
故に、北陸道に設けられた「深見駅」関連遺跡と考えられる。
北中条と加茂、どちらが深見駅なのか?
それぞれに存在を匂わせるものの決定打に欠けるのが現状。
今後の調査研究に期待したい。
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企画展「石川中央都市圏考古資料展~古代編」は、3月17日(日)まで開催。
窯跡群、寺院跡、墓跡、荘園、北陸道と、
集落遺跡の5つのテーマごとに整理し計146点が閲覧できる。
古代の時を紐解き、ロマンに浸ってみてはいかがだろうか。
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