つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

上越めぐり。~ 武郵伝。

2022年03月06日 22時00分00秒 | 旅行
<新潟県・上越市への小旅行、続篇>
                     
松平→酒井→松平→幕府直轄→稲葉→戸田→松平→榊原。
きのう投稿した通り、上越市内に威容を残す「高田城」の主は、
藩政400年の間に何度も入れ替わった。
その経緯を踏まえ、僕は一つの疑問を抱く。
『上越市民にとって歴史的象徴・ヒーローは誰なんだろう?』
高田城を訪れた際、城郭管理の方に伺ってみたところ、
少し逡巡しつつ、こんな趣旨の返答をしてくれた。
『--- やはり多くの人が思い浮かべるのは「上杉謙信」だろう』



上越市内には「謙信公」にあやかったネーミングや肖像が溢れている。
言わずと知れた戦国の雄。
“越後の龍”は、高田城築城の50年以上前「春日山(かすがやま)城」で生まれた。



「土偏」に「成る」と書いて「城」。
春日山城はまさに「土の城」である。
自然の地形を利用し、空堀(からぼり/尾根を掘って作る人工的な凹地)や
土塁(どるい/土を盛って作った障壁)に守られた山城跡を訪ねた。







僕の道行きは、中腹より下の「春日山神社」でストップ。
山頂への道は雪で閉ざされ、辿り着けず。
本丸跡からの眺望は断念、残念無念。



「毘沙門天」(びしゃもんてん)の頭文字をあしらった旗印を見た途端、
気持ちがアガってしまうのは、歴史ファンの性だろうか。
「上杉謙信」は自身を、毘沙門天の生まれ変わりであると信じ、
家臣にも『我を毘沙門天と思え』と語った逸話もあるとか。
有名なエピソードだ。



謙信公の面影の一端を見聞した後、別の偉人の記念館を訪ねた。
名は「前島 密(まえじま・ひそか)」という。
江戸末期、現在の上越市・下井池部に生まれた。
全国津々浦々へ同じ料金で手紙が配達される郵便制度を確立した“近代郵便の父”。
日本通運や日本郵船の土台となる会社を設立した。

その顔は、1円切手の肖像画でもお馴染みかもしれない。
彼については、随分前に自身の思い出を投稿したことがある。
僕が、切手収集を趣味にしていた小学生当時のハナシだ。
以下、拙文を再掲載したい。

【多分、まず名前に魅かれたのだと思う。
 「密」と書いて「ひそか」。 ミステリアスで高貴な感じがする。
 また、彼のアイディアが受け継がれている事に感心したのだと思う。
 「切手」「葉書」「郵便」…これらの言葉は「前島密」の発案だと知った。
 そして明治官僚の気骨。
 「縁の下の力持ちになることを厭うな。 人のためによかれと願う心を常に持て。」
 強い信条の元、日本の近代化を陰から支えた彼のモノクロ写真に、
 僕は、まだ幼いころ亡くなった明治生まれの祖父の面影を重ね合わせた。】
(※【   】内、拙ブログ2010年7月5日投稿より抜粋/引用)



通信における時間と距離の概念がなくなった現代。
明治とはすっかり様変わりした世界を見たとしたら、
「前島翁」は、さぞ驚くことだろう。どんな感慨を抱くのだろうか。



さて、ラストは、上越市民が慣れ親しんでるという食のハナシ。
70年近く営業している「塚田そば」は、
老若男女の客足が絶えない人気店。
上掲画像の電光掲示にある通り、確かに「安い」。



自家製茹で中華麺を温め、玉ねぎのかき揚げをトッピング。
アツアツの蕎麦つゆをかけた「天ぷら中か」は、300円。
小盛りが嬉しい甘口カレーは、330円。
どちらもコスパ最高、旨いっす!
大学時代の「学食」の雰囲気を思い出しつつ完食。



どうも、ごちそうさまでした!!
           
(後記:今投稿のタイトル「武郵伝(ぶゆうでん)」は、
    上杉謙信の「武勇」と前島密の「郵便」をかけたモノです)
                       

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