世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。
散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み。
不定期連載「monotone Journey」第七篇。
最近、雪の話題ばかりになり心苦しいが、もう1回お付き合い願いたい。
きのう投稿したとおり、北陸・津幡町の雪は落ち着いているが融け残る量は多い。
重機によって道路脇に押しやられ、あちらこちらで山積みになっている。
子供の頃の記憶を辿ってみると、
こうした光景に接する機会は、今より少なかったかもしれない。
積雪量が少なかったからではない。
むしろコンスタントに多かった気がする。
にも拘わらず(かかわらず)印象が薄いのは、
やはり時代の違いなのかなと推察。
--- 除雪の機械化率が低かった。
--- 自動車の交通量が少なく、除雪の必要範囲が狭かった。
--- 職場や学校、商店は近隣にあり移動は徒歩でまかなえた。
などの事情から、側道は自然に無くなるまで放置するケースも珍しくなかった。
僕が撮影に使っているスマホカメラには「AIオート」なるモードがあり、
電脳が勝手に被写体を判別してくれる。
料理なら「ナイフフォークのアイコン」、花は「花アイコン」。
遠景なら「山アイコン」らが表示され、対象に相応しい処理をしてくれるらしい。
雨に洗われてできた雪の「突起」をAIは「人の顔」と認識した。
うず高い雪の山を眺めているうち、昔の記憶が甦ってきた。
それは「放射能」。
1960~70年代、中国、インドで行われた核実験の放射能が、
風に乗って日本へ運ばれ雨や雪に混ざって落ちてくると報道された。
僕たち昭和の子供は、ニュースを耳にして「ヤベえな」などと言いながら、
雪や氷柱(つらら)を平気で口にした。
無知だったのである。
ラストは上掲画像奥、雪山越しに写る神社の境内で見つけた早春の息吹。
雪の中で「日本水仙(ニホンズイセン)」が開きはじめていた。
ヒガンバナ科スイセン属の品種の一つ。
名前からすると日本在来種のような印象を受けるが、中近東から地中海沿岸の原産。
海のシルクロードを通って中国に至り、室町時代に渡来したという。
別名(和名)は「雪中花」「雅客」。
花は、長い旅路の果てに津幡町へやって来て、寒さに負けず可憐に咲いている。
本文冒頭に記したとおり、色を消すと、階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がします。それは過去だったり、夢幻だったり、自由に感じられる幅が広がる妙味があると思います。但し、観る側にZhen様のような感性が備わっていることが条件ですが。
雪との対峙の仕方は、やはり時代によって変わるのでしょう。今年、雪かきに汗を流しながら「もし自分が車を持っていなかったら、こんなに苦労しないだろうな」と思いました。便利な手段は、時に大きな荷物になるようです。
春到来でコロナ終息、そうなるといいですね。
では、また。
その分、むずかしいと思います。
カラーだと、鮮やかさの色で誤魔化せますが、モノクロは、それができない。
そのモノクロで勝負するりくすけさんは、やっぱり凄い。
話は変わりますが、昨今の豪雪禍に対する時代背景の変化からの洞察は、鋭い視点です。感服です。
春の到来と共にコロナも終息することを祈念します。
では、また。