つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

店屋物。

2010年05月25日 23時50分33秒 | 日記
実家の近所、国道沿いには「本多食堂」があった。
正確に言えば、建物はまだ残っているが機能はしていない。
先日、散歩の折、改めて正面入口を見てみると、張り紙があった。
そこには、長年商売を続け、地域に世話になった旨と感謝の気持ちが綴られていて、
また、営業停止の理由として、土地買収による製麺所の閉鎖が挙げられていた。
日付を見ると、割と最近まで営業していたようだが、
果たして、どのくらいの人が利用していたのだろう?

何度か出前もしてもらった事もあったように思う。
確か「きつねうどん」とか「カツ丼」や「ラーメン」を食べたはずだ。
残念ながら、その味の記憶は殆どない。
ただ、とても嬉しかった記憶はある。
出前の兄ちゃんが、カブの荷台から「岡持ち」を降ろし、
ラップがかかった丼を出す仕草を嬉々として見ていたものだ。

普段の食事が不味かった訳ではないが、祖母や母親以外の人…
曲がりなりにもプロが作った料理なんて、滅多に口にできなかった。
実家の仕事が立て込んでいたり、旅行・出張などで片親が不在だったり、
グッドタイミングがないと「店屋物」は口にできなっかった。
今でこそ「ココイチ」とか「8番」とか「スガキヤ」「ケンタ」「マック」など
津幡町でも色んなメニューを気軽に口にできるが、当時、30年前は何もなかった。
「本多食堂」は貴重な存在だったのである。

今思えば、ラップの内側に水滴が付いた様子や、
メニューの湿気による岡持ちの木の匂い、
プンと鼻をくすぐるカツオ出汁の香りなどは、昭和の光景だった。





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緋越しの黄。~津幡町の初夏を彩る。

2010年05月25日 01時51分16秒 | 草花
津幡小学校へ登校する小学生を見かけた。

花の緋色と、子供たちの身につけた黄色が鮮やかに目に映り、
どちらの色にも意味がある。

つつじの花の色は、花粉を媒介してくれる虫へのアピール。
蜜の匂いとカラーで交感神経を刺激し、自分へと誘う。
方や、帽子やランドセルカバーの黄色は、安全へのアピール。
膨張色のイエローで、ドライバーに回避を促すのだ。

どちらも遠目からそれが分かり、自分の存在を知らせたい目標は同じだが、
目標が正反対。 
面白いものだと思う。
色って大切だとも思う。

昔に比べ、辺りの風景は変わった。
道幅、車のデザイン。家屋の流行。
時間と共に移り変わっていくが、
「つつじ」と「小学生」…この2つの対比は変わらない初夏の景色だ。



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