つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

緋越しの黄。~津幡町の初夏を彩る。

2010年05月25日 01時51分16秒 | 草花
津幡小学校へ登校する小学生を見かけた。

花の緋色と、子供たちの身につけた黄色が鮮やかに目に映り、
どちらの色にも意味がある。

つつじの花の色は、花粉を媒介してくれる虫へのアピール。
蜜の匂いとカラーで交感神経を刺激し、自分へと誘う。
方や、帽子やランドセルカバーの黄色は、安全へのアピール。
膨張色のイエローで、ドライバーに回避を促すのだ。

どちらも遠目からそれが分かり、自分の存在を知らせたい目標は同じだが、
目標が正反対。 
面白いものだと思う。
色って大切だとも思う。

昔に比べ、辺りの風景は変わった。
道幅、車のデザイン。家屋の流行。
時間と共に移り変わっていくが、
「つつじ」と「小学生」…この2つの対比は変わらない初夏の景色だ。



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津幡川沿いの歴史あるお寺。

2010年05月23日 11時19分31秒 | 日記
“暴れ川”だった「津幡川」の災害復旧工事と河川改修完成記念碑が建つお寺、
加賀爪の「弘願寺(ぐがんじ)」。
写真は、川越しに横から写したものだが、正面に回ると立派な鐘楼があり、
本堂も、広くて立派な寺院だ。
建物が日差しを遮ってくれるので、前庭は常にほの暗く、涼しく、静謐が漂う。
一方、本堂の甍の大屋根は、日の光を浴びて鈍く輝き、重厚な美しさが感じられる。

愛犬との散歩途中、よく立ち寄るお気に入りの場所だが、
先日、ここで遊んだ事を思い出した。
それは、お寺の縁の下でウスバカゲロウの幼虫「蟻地獄」を観察した時の思い出。

適度に乾燥していて雨風がしのげる縁の下。
幾つもの「すり鉢状の穴」を見つけ、アリやダンゴムシを捕まえてきては
穴に落として、捕食の様子を観察した。
巣穴の底で大きなキバを開いて獲物が落ちるのを辛抱強く待っている「蟻地獄」。
獲物が落ちると、穴の底から大きな2本の牙を使って土砂を跳ね上げ、脱出を妨害。
土を散弾代わりにした一種の狙撃みたいなものだが、狙いはなかなか正確である。
しかも、乾燥したすり鉢の壁は崩れやすく、這いあがれない。
アリはまさに奈落へ落ちていった。

ところで「弘願寺」は、元々、加賀爪にあったわけではないらしい。
最初は「鳥越山弘願寺」…もっと山沿いにあって、加賀一向一揆の拠点だった。
観応元年(1350)津幡町鳥越で創建され、
慶長14年(1609)町中心部の加賀爪に移ったのだとか。
その経緯の裏には、戦国の世で、自主独立を果たした歓喜や
奈落へ囚われたアリ以上に悲惨な運命など…どんなドラマがあったんだろう。
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川は流れる、津幡の街を。

2010年05月22日 09時13分18秒 | 日記
写真は、街の真ん中を流れる「津幡川」。
「四つ角」の交差点~「おやど橋」の上から西を臨んだ景色である。
今朝は、大きな鯉が跳ね、水音が響いていた。

穏やかな川面だが、かつては毎年のように氾濫したらしい。
僕が生まれる1年前、昭和39年には、かなり大きな水害が起こり、
700戸以上が浸水して、死者も出たそうだ。
津幡川の災害復旧工事は、河川改修と併せて昭和40年より進められ、44年に達成。
写真とは反対側にある川沿いの寺院「弘願寺」に、工事完了を記念する碑が建っている。
そんな過去があるから、以前にも書いた「忠犬伝説」が生まれた。

さて、童謡の名曲『ふるさと』に準えるなら、津幡川は僕にとって故郷の象徴だ。
残念ながら、山で兎を追った経験はないが、前回の投稿のとおり、川で小鮒は釣った。
また、魚以外の生き物も捕まえた事がある。

魚釣りの最中、草が茂る対岸の土手を、ゆっくりと登る黒っぽい物体を発見し、
目を凝らしてよ~く見てみると・・・楕円形の体に長い首、足は4本。
・・・カメだ!イシガメだ!
釣竿を放り出し、橋を渡って向こう岸へ渡り、草に捉りながらカメに手を伸ばした。
人間の急接近に驚いたカメは、慌てて首をひっこめるのが関の山。
あのスロースピードでは、逃げられるはずもなく、憐れ囚われの身に。
それから、彼(彼女?)は、我が家の玄関、靴箱の上の水槽で暮らすようになる。

・・・しかし、その姿は、夏のある日忽然と消える。
逃走現場では、水槽の蓋がめくれ落ち、玄関の引き戸もカメのサイズ分だけ開いていた。
どうやら、蓋に重しを乗せるのを忘れたため、自力で抜け出したらしい。
カメは、こちらの隙を伺っていたのだ。 
野生の自由を求める逞しさに、少年の僕は恐れ入った。
蝉時雨が鳴りやまない。
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文具と釣り。

2010年05月21日 22時42分44秒 | 日記
今朝、写真を撮りながらそぞろ歩きをしていたら、思わず散歩が長くなり
小学生の登校時間になった。
ちょうど児童が横断歩道を渡る先には「文具のいわい」の文字。
この「文具」という響きがいい。
カタカナで「ステーショナリー」と聞くより、強い勉学への意欲が感じられる。
書いて字の如く、文(ふみ)を書くための道具。
地球上で唯一文字を操る生物としての自負を感じると言ったら大げさだろうか…?

とにかく、この「文具のいわい」で買った文具は様々ある。
鉛筆、消しゴム、ノート、墨汁、筆、コンパス、定規…など、
一般的なアイテムは言うに及ばず、釣り竿セットや魚のエサもあったはずだ。

ある日、僕はこづかいを握りしめ、「いわい」で買い物をした。
ニスでテカテカと光った安い釣り竿。
ヘラブナの絵が描かれた針と糸。
オガクズの中にウネウネとうごめくゴカイ。
水を混ぜて練って仕上げる撒き餌。
青い網でできたタモや水槽。
一式を飼い揃えて、津幡川へ向かった。

果たして、釣果は「小鮒」が数匹。
喜び勇んで持ち帰り、水を張った水槽に泳がせた僕は、
次の大物を狙って、また「文具のいわい」へとペダルを漕いだ。
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津幡の万屋・きくやストア跡

2010年05月19日 23時31分46秒 | 日記
写真正面、真っ直ぐに延びた道路の奥に小さく見える赤茶色の建物は、
津幡文化会館「シグナス」の大ホール。
写真左、自販機を置いた建物が、かつての「きくやストア」だ。
現在は、怪しい整体治療院らしい。

そこは、今で言うところのコンビニ…「万屋(よろずや)」だった。
昔は、街の一角に必ずと言っていいほどあった、地域密着の何でも屋さん。
生鮮食品。青果。インスタント食品やお菓子類。
生活雑貨に雑誌まで、高いレベルを望まなければ何でも手に入った。
アスファルトで舗装されている道も、かつては砂利だったはず。

確か幼稚園に入園するとき、僕は和服を着た祖母に手を引かれ、
この交差点を通った。
記憶の中にある「きくや」(たぶん屋号なのだろう)の店頭には、
文字通り「菊の花」が並んでいたように思う。
鉢の形をした白と黄色の花が、青いポリバケツに入れられて売られていた。
そして、業務用のブックスタンドがあり、
立てかけられた少年マガジンをねだって、買ってもらった。
当時のマガジン連載陣は、もうすっかり覚えていない。
ただ、表紙のビジュアルだけは、妙に心に残っている。

公害問題がマスコミを賑わせていた世相を反映したゴジラシリーズの怪獣「ヘドラ」。
ただれた海坊主のような顔に輝く大きく真っ赤な2つの眼は、記憶に深く刻まれている。
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