つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町の備え。

2011年03月26日 10時53分02秒 | 日記
「今日の一枚」は、津幡川に架かる「住ノ江橋」付近で撮影。
ちょうど「津幡郵便局」に隣接した辺り、
緩やかな下り坂の欄干には、点々とパンジーの鉢植えが飾られている。
散歩中、その風に揺れる花びらに目をやると、
奥にある倉庫の壁に書かれた文字が目に付いた。

『水防備蓄資材置場』。

写真ではピントが花に合っていてよく読めないが、そう書いてある。
倉庫の前に回ってみると…

堰を造るための木の杭や石、木材が置いてあった。

去年、11月13日にも投稿ように、かつての津幡川は「暴れ川」。
現在は護岸工事と水門などによる治水で、なだらかな流れになっているが、
度々氾濫し、近隣に甚大な被害を与えてきた。
資材は、その教訓を活かした備品なのではないかと推測する。
…正直、大事が起った時、ここにある量では賄いきれないだろう。
しかし、小規模ならば抵抗はできるかもしれない。
そして、災害への心構えを忘れない意味でも、存在価値はあるのだ。

また「アルプラザ津幡」近くの新興住宅街とバイパスの間には、
プールのような広いスペースが確保してある。

コンクリートで固めたそこは「2号調整池」。
近くに立て看板があって、次のような説明文が書かれていた。

『この調整池は、津幡町北中条地区土地区画整理事業に伴う
 防災上の調整池であり、下記の施設については責任をもって
 維持管理します。(※中略/調整池の概要) 管理者 津幡町』

「調整池」とは…一言で言うなら「人工の受け皿」だ。
宅地や工場など、人の手によって山林が開発され、
治水能力が低下した土地に作られるケースが多い。
集中豪雨など、短時間の局地的な出水が河川に流れ込む前に、
一旦、ここに溜めてから少しづつ放流する。

未だ、水を讃えた様子は見たことがない。
見ずに済めば越したことはない。
これも「備え」だ。
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津幡町の防災朝礼。

2011年03月25日 10時59分06秒 | 日記
東日本大震災から2週間余りが経った。
日々、被災地から届く映像に接する度に、色々と考えさせられる。
緊急時の対応は勿論、普段の行動についても。

日常は、何もかも一瞬にして奪い去る脅威と隣り合わせ。
これから自分はどう行動するか。
何をして生き、命をどう使うのか。
瑣末な事から大局…アイデンティティや死生観に至るまで、
想いを巡らせずにはいられないのである。
こうして、僕の中で何かが変わっていくのだろう。
例えば「防災意識」も、その一つだ。

「今日の一枚」は津幡町消防本部前で行われていた朝礼の様子。
隊員の皆さんが、統制を取りながらテキパキと進行していた。
点呼、確認、消防車など機材の動作。
おそらく、毎朝繰り返されているセレモニーには澱みがない。
また、庁舎・車庫の横に目を移すと、鍛錬の場があった。

何度も何度も登り降りしたであろう靴痕が残る20メートル近い垂直の壁。
いざという時の為に訓練を積んでいる様子は、頼もしく感じる。
僕も体を鍛えておかなければ。
いざという時に動ける体を作っておくのも、
一種の防災への備えではないだろうか。

今回の震災では、全国各地から緊急災害消防隊が派遣された。
余震と津波の危険に脅かされながら生存者の捜索にあたったが、
発見されたのは殆どが亡骸だったと聞いている。
しかも、それらの収容すら終わっていない。

今、僕等が被災地へできる事は限られている。
消防本部近くのスーパーマーケット「Aコープ津幡店」には
募金を呼びかけるチラシが貼ってあった。

これも一つの「できる事」。
復活への道は、まだ始まったばかりだ。
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津幡より、哀と愛を込めて、風を贈る。

2011年03月19日 16時07分06秒 | 日記
東日本大震災から1週間余りが経った。
傷はまだまだ癒えていない。
被災地の事を考え、報道を目にし耳にするたび、
胸が痛み、目頭が熱くなる。
このブログも、更新が滞りがちだ。
何だか「その気にならない」のである。
無邪気に懐かしさに浸る気分になれない。
閉鎖するつもりはないが、今しばらくは遅々とした歩みになるだろう。

投稿を怠っているにも関わらず、
「四人の子持ち様」から、貴重な情報をコメントしていただいた。
ありがとうございました。
日を改めて「たいとや」についても書いてみようと思います。
また、以前にコメントをいただいた「meme様」。
現在は津幡を離れているとの事でしたが、もしや住居は東北方面に?
そして、同じく「M様」。
他県にお住まいとの事ですが、震災の影響があった地域とは違いますか?
詳細分からぬまま、遅ればせながら、この場を借りてお尋ねしてみました。

…さて、久しぶりの「今日の一枚」は、
「夜空に浮かぶ月」である。
16年前の「阪神淡路大震災」があった夜は満月だった。
その気象現象を背景に、日本のロックバンドが手がけた曲がある。
タイトルは「満月の夕(ゆうべ)」。

『風が吹く港の方から
 焼け跡を包むようにおどす風
 悲しくて全てを笑う
 乾く冬の夕

 夕暮れが悲しみの街を包む
 見渡すながめに言葉もなく
 行くあてのない怒りだけが
 胸をあつくする

 声のない叫びは煙となり
 風に吹かれ空へと舞い上がる
 言葉にいったい何の意味がある
 乾く冬の夕

 ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
 ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
 解き放て 命で笑え 満月の夕

 絶え間なくつき動かされて、誰もが時代に走らされた
 すべてを失くした人はどこへ行けばいいのだろう

 それでも人はまた 汗を流し
 何度でも出会いと別れを繰り返し
 過ぎた日々の痛みを胸に、いつか見た夢を目指すだろう

 ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
 ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
 解き放て 命で笑え 満月の夕

 ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
 ヤサホーヤ たき火を囲む 吐く息の白さが踊る
 解き放て 命で笑え 満月の夕』
(作詞・作曲:中川敬/山口洋)

明日は満月。
月を眺めていたらこの曲を思い出した。
口ずさんでいたら夜風が冷たかった。
きっと、被災地の寒風は体の芯まで冷えるだろう。
普段ならなんなく防げる風に、心も体も苛まれるだろう。

人生は、常に順風満帆ではない。
心が折れそうになる逆風の時だってある。
事実、今、日本には苦しんでいる方々が大勢いる。
我々が忘れてはいけないのは「応援の風」を送り続ける事。
出来る範囲で継続するのが肝心。
たまたま実害がなかっただけで、同じ国に暮らす僕達も当事者なのだ。
傍観者になってはいけない。
風を止めてはいけない。
被災地に「よい風」が吹くその日まで。
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津幡とて、無縁ではない。

2011年03月13日 10時27分59秒 | 日記
東日本大震災。
未曾有の災害が襲った。
凄まじい自然の驚異を嫌と言うほど見せつけられた。
時間の経過につれ被害の大きさが明らかになると共に、
痛ましい気持ちが増してゆく。
今は、まず危機的状況から逃れる段階だ。
あらゆる難局を振り切って命を繋ぐ、大変な作業である。

そして、次にやってくるのは震災以前への復興。
これは更に厳しく大変な道のりだ。
北海道~東北~関東を中心にした被災地を筆頭に、
幸運にも大きなダメージを免れた地域も含め、重くのしかかってくるだろう。
日本が一丸になって取り組まなければならない「茨の道」である。

…行くしかない。
我々は前進するしかない。
一つ一つ障害を越え、明るい未来を目指して。

しかし、日本人の民度の高さは流石である。
苦しみ、悲しみ、痛み…言葉で表せない複雑な感情とも戦いながら、
パニックを起こさず良好な治安を保ち、
冷静に困難と立ち向かう様子は、自然災害を乗り越えるお手本になるだろう。
もし、僕が被災者となったとしても、こうありたい。
心からそう感じた。

「今日の一枚」は、自宅近くの「住吉公園」前の看板。
災害時の避難場所を表示してある。
いつ起こるとも知れない禍に対しては、
日頃からの心構えと備えを怠ってはならない。
津幡町とて、無縁ではないのだ。
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津幡町の春の恐怖??②

2011年03月08日 08時27分01秒 | 日記
きのう投稿したように、野生動物の冬眠期間が終わり、
散歩中に、もしも猪やツキノワグマと遭遇したなら…怖い。
また「今日の一枚」も、別の春の恐怖を表わすスナップ。
「クスリのアオキ 本津幡店」前で風に揺れる「花粉症」の文字だ。

僕は、医者から花粉症と診断された訳ではないが、
少々症状らしきものを意識し始めている。
目が痒いのだ…かなり。
ついに発症か?と、戦々恐々。
ま、しかし、なってしまったとしたら仕方がない。
一病息災、上手に付き合っていくしかない。
何やら聞くところによると、今年は飛散量が多いらしい。
だが、自然に対しては「お手柔らかに」とお願いする他ない。

花粉症が日本の国民病になった原因が、人間にあるのは今や定説だ。
材木確保のためとして植林してきた杉から舞う大量の花粉。
自然を造り替えてきたツケが回ってきたのだ。
この負債を返す労苦は並大抵でなく、時間もかかる。
覚悟しよう。

気の毒なのは、犬や猫だ。
彼等も花粉症になるらしい。

「りくすけ」…なったらゴメンな。
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