つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

ある夏の日の散歩。

2015年07月12日 08時14分03秒 | 日記
東シナ海を北北東に進む「台風9号」から送り込まれた湿った空気と、
発達した高気圧の影響で、きのうの列島は厳しい暑さに。
わが津幡町も例外ではなく、午前9時には夏日を突破し、
昼下がりからは真夏日に迫る勢い。
散歩に出かけたのは、日差しが落ち着く夕方になった。

最初は熱気の余韻を感じながらの道行きだったが、
程なく、かなり過ごしやすくなりペースアップ。
心地よい汗をかく事ができた。

ちなみに7月11日の散歩コースは…
自宅出発⇒津幡小学校グラウンド⇒おやど橋⇒
⇒弘願寺(ぐがんじ)裏の川沿いを歩き⇒津幡中学校⇒
⇒総合体育館⇒中津幡駅⇒銀座商店街⇒本津幡駅⇒
⇒プラント3⇒住吉公園⇒帰着。
…地元の方しかピンと来ないだろうが、
総移動距離の目算、およそ4.2キロ。
所要時間1時間20分あまりは「標準レベル」の道程である。

この時期、散歩の定番は涼しい朝方だが、
暮れかかるトワイライトタイムも、また良いもの。
店じまいを控えた商店にはのんびりとした空気が漂い、
逆に、夜がメインの飲食店には活気が出始める。
ペダルを漕ぐ部活帰りの中学生とすれ違い、
夕餉の支度をする家々からは、一家団欒の雰囲気が滲み出る。
日没に向かって、刻々と、光も色合いも変化してゆくのも趣深い。
昼と夜の狭間ならではの楽しさに溢れていた。

…という事で、津幡城址・大西山の坂道にて記念撮影。

 

大いなる生甲斐の1つの真最中のスナップだけに、
充実した面持ちである。
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野生ニアラズ、サレド野ニ生キル。

2015年07月11日 12時35分43秒 | 自然
拙ブログに度々登場する「津幡川」は、
河川法によって定められた『都道府県知事が管理する水系』。
いわゆる「二級河川」だ。

流域面積は64平方キロメートルあまり。
津幡市街地の住民にとっては、最も身近な水辺だ。
また、この川と河北潟を往来する舟の「津(停泊地)の端」から、
「津端」⇒「津幡」となったという町名由来説もある程だから、
親しみ深く、感慨も一入(ひとしお)である。

「清流」とは呼び難いが、川を拠り所に暮らす生き物も多い。
代表的な1つが…日本の河川や湖沼を代表する淡水魚…「鯉」だ。
川沿いを散歩していると、堂々とした円筒形の魚影をよく見かける。
中でも「住ノ江橋」の袂に定住している個体は、とても立派だ。

 

鯉の体長は、成魚で60センチ程度が一般的とされるが、
こいつらは80センチはあろうかというビッグサイズ揃い。
橋の欄干から身を乗り出せば、たちまち20~30匹が集まってくる。
おそらく誰かによって餌付けされてしまったのだろう。
自力で糧を得るよりも、他者からの施しを充てにする姿は、
最早「野生」ではない。

そうした「変化」は、自然を歪めてしまったようにも思えるが、
当の鯉からすれば、ごく自然な成り行きではないだろうか。
楽に栄養が摂れるなら、好んで苦労を選ぶ道理はない。
生きるために狡猾になる事は、野生の常識なのだ。
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21世紀のハコモノ。

2015年07月05日 11時13分12秒 | 日記
昭和29年から32年(1954年~57年)にかけ、1町6村が合併し、
現在の津幡町が形作られた当時…町の人口は2万人あまり。
それから半世紀が過ぎた今は、3万7千人を超えた。
特に、平成以降の上昇カーブは顕著である。
金沢市のベッドタウンとして機能している結果なのは、明らかだ。

ちなみに、町のHPによれば、平成27年になってからも
毎月10~20人単位で増えている。
少子高齢化、山間地域の過疎化などの問題はあるものの、
人口減少に頭を悩ませる自治体と比べれば「勢いがある」と言えるだろう。

そうした背景事情を反映してか、様々な施設や環境整備が進んでいる。
今朝の散歩中に発見した「津幡町歴史資料館(仮称)」の建築もその1つ。

 

場所は、旧・津幡小学校校舎があった津幡城址…「大西山」。
歴史的、地勢的に考えて、確かにここが最も相応しいだろう。
「つばた議会だより133号」によれば、
総建築費は1億6,822万円(うち町負担1億1,397万円)。
来年・平成28年3月に完成予定。
設計管理は「(株)中島建築事務所」。
津幡小学校新校舎をはじめ、県内外の教育施設、医療施設を手掛けている。
どんな施設になるのか…?
個人的には大いに楽しみである。
前述の「つばた議会だより」によれば、外観イメージはこんな感じらしい。

 

かつての高度経済成長期には、国からの補助を受け、
日本各地で「ハコモノ建築」が横行した。
学校や庁舎、公民館、図書館、文化会館、体育館、高齢者施設などが、
まるで競い合うかのように豪華な仕様で建ち上がった。
そして、それらの何割かは、維持費・管理費の採算が合わず、
地域のお荷物と化し、問題となっている。

我が津幡町は、ゆっくりと民力を蓄えてきたお蔭で
「昭和ハコモノ狂騒時代」を無難にやり過ごし、
過去の失敗例を検討できる21世紀になってから、
各種のインフラ整備が充実してきた。
どうか慎重に計画を進め、身の丈に合った、充実した施設を目指して欲しい。

公の立場としては、先史から現代までを辿る必要はあるだろうが、
総花的な展示に固定せず、時代やテーマによって内容を入れ替え、
何度も足を運ばせてくれるような「ダイナミズム」を期待したい。
関係者の皆さん、頑張って下さい!
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7月4日を迎えて(GREET ON THE FOURTH OF JULY)。

2015年07月04日 10時24分22秒 | 日記
昭和40年(1965年)に生まれた僕にとって、
「アメリカの印象」は、紛れのない「大国」だ。

米ドルは「基軸通貨」であり続け
「経済力世界一」の座を譲っていない。
軍事力、宇宙開発なども世界最強・最大。
あらゆるエンターテイメントにおいて、
アメリカでの成功は「世界的」と同義であり、
近代五輪のメダル獲得数も抜きん出ている。
コカ・コーラやマクドナルドは地球上を席巻。
僕が暮らす津幡町にも、アメリカの象徴は溶け込んでいる。

 

幾つかの分野で彼の国が凌駕される瞬間はあったにせよ、
総合的・客観的に見て、第一次大戦以降の20世紀は、
“アメリカの時代”だったと言って過言ではないだろう。

今日・7月4日、アメリカ合衆国は、239回目の独立記念日を迎えた。
ニューヨークでは、デパートが主催する恒例の花火大会や
ファストフードチェーン主催の「国際ホットドッグ早食いコンテスト」。
各地でパレード、パーティー、コンサートなどが催されお祭りムードだ。
その一方で、メモリアルデーを狙った「テロ」対策にも余念がない。

アメリカは、21世紀の今も世界というステージのメインキャストだ。
しかし、もはやアメリカだけが主役ではない。
ピンスポットが照らす舞台袖からは
「五星紅旗」が壇上に上がろうとしている。
観客の耳には、BGMの代わりに
銃声交じりの「コーラン」の朗読が聞こえている。
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