つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

monotone Journey 2.

2018年10月14日 16時22分45秒 | 白と黒の旅
世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。

散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み。
不定期連載「monotone Journey」第二篇。


町医者として地域に貢献してきた「酒井医院」が閉院しておよそ1年が経つ。
江戸時代、武士を筆頭にした特権階級の象徴、
「名字帯刀」を許されたことから付いた屋号は「たいとや」。
定めし名家だったのだろう。
道を挟んだはす向かいには、同家所蔵のお屋敷「長寿庵(ちょうじゅあん)」が。
伝統的な日本家屋と日本庭園を護る幅4.3メートルの武家屋敷門は、実に堂々とした構えだ。


「牛村歯科医院」が閉院したのは、もう6年前。
鉄筋コンクリート造の立派な建物と大文字看板は、今も津幡川沿いにある。
前述の「たいとや」と共に、かつては「津幡小学校」の校医。
学校の委嘱を受け、児童の健康管理・検査などを担った。
僕自身も診てもらった記憶がある。


とある民家の庭先にて廃車を見つけた。
あまり詳しくないのだが・・・トヨタ・パブリカ?ホンダS660?
いずれ昭和の自動車だろう。
風を切って走っていた頃の面影はない。


とある廃屋が目に留まる。
障子は破れ、外壁の板はくたびれ、庭は荒れ放題。
なのに、居間には家具が残り、まるで誰かが暮らしているかのようだが、それは錯覚。
主なき家屋は、朽ち果てるのを待っている。

さて、最後にカラー画像を掲載。

現在「津幡ふるさと歴史館・れきしる」にて、特別展が行われている。
「HOME TOWN ~津幡を愛した写真家が残した風景~」。
『バイパスや住宅街、大きな店舗がなかったころ。
 津幡の人はどのように暮らし、どんな風景を見たのでしょう。
 現代のわたしたちが忘れかけたふるさとの姿を、ぜひ一度ご覧ください。』
・・・と紹介されている。
僕も足を運んでみた。
特に「今の津幡町」を知る方にオススメしたい。
同施設と併せて、時間旅行が楽しめるだろう。
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秋風に 棚引く雲の 絶え間より 漏れいずる陽の 碧は清けし。

2018年10月13日 18時54分08秒 | 自然
週末に晴れ間を拝めるのは、久しぶりに思える。
随分と長雨や台風に祟られてきたが、
ようやく秋らしい爽やかな朝の気配の中で、散歩を楽しんだ。
今日は、そんな津幡町の秋の様子を投稿する。

少し雲の多い青空の下、小さな赤い実を付けた「モチノキ」。
本州中部以西から九州沿海の山地に分布する常緑樹。
際立った特徴はないが、安定した樹勢は日本庭園に欠かせない「庭木の三大名木」の一つ。
ここ北陸の民家にも多くの姿が見受けられる。

道端へ視線を移すと、秋の野花が風に揺れていた。

「セイタカアワダチソウ」。
北米原産で、20世紀初頭から日本へ上陸。
その姿が目立つようになったのは、アメリカとの関係が深くなった戦後と言われている。

「薄(ススキ)」。
セイタカアワダチソウと生息領域を争う在来種。
どちらも少々地味ながら、よくよく眺めてみると美しい。

近所のイチョウ並木も色づいてきた。
まだ黄葉の途上で、やや緑が混ざった「蘗(きはだ)色」といったところか。
しばらく朝晩は気温が下がる予報。
進行は早いかもしれない。

イチョウの枝には「女郎蜘蛛(じょろうぐも)」。
夏に比べ日差しが弱くなり、生き物の動きも緩やかになる時期。
やがて来る冬に備え、獲物を捕獲すべく大きな巣を張っていた。

『夕焼小焼の 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か
 山の畑の 桑の実を 小籠(こかご)に摘んだは まぼろしか
 十五で姐や(ねえや)は 嫁に行き お里のたよりも 絶えはてた
 夕焼小焼の 赤とんぼ とまっているよ 竿の先』
(作詞:三木露風/作曲:山田耕筰)
思わず口を突いて出るのは、秋を連想させる童歌。
朝に見る「アキアカネ」は実に大人しかった。

黒猫と対峙する「りくすけ」。
相手がなかなか逃げ出さないものだから、チラチラと振り返り不安気。
僕が追っ払った後、ようやく「ワン!」と一鳴きした(笑)。
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甘味とラーメンとスカールと。 ~ 寿がきやスーちゃん。

2018年10月08日 04時54分27秒 | 手すさびにて候。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載・第九十六弾は「寿がきや」のキャラクター「スーちゃん」。

今回は「スカール」から筆を起こそう。

時は、昭和48年(1973年)。
わが津幡町に「ショッピングセンター スカール」が開業した。
当時、館内を中央を貫く通路や吹き抜けのホールを配した構造は、大変に斬新。
食品、衣料、雑貨、玩具、電化製品、書籍。
旅行代理店やクリーニング、ゲーセン、レコード。
商店街が丸ごと収まったそこは、田舎の小学生にとって“夢の国”。
そして、安価に楽しめる外食が「寿がきや」だった。

「寿がきや」は、敗戦間もない昭和21年(1946年)、
名古屋・栄にて「甘党の店」として創業。
店名は、創業者「菅木兄弟」の名前に、縁起のいい「寿」の字を入れたのが由来。
やがて、メニューにラーメン類が加わり、ファストフードの体裁が整う。
名古屋を中心とした東海ご当地の味が、早々と「スカール」へ出店したのは、
同施設に「名古屋鉄道」が資本参入していた為と推測される。
お蔭で、僕の買い食い生活は豊かなものになった。

ちなみに、同店のキャラクター「スーちゃん」が誕生したのは、昭和33年(1958年)。
つまり、彼女は、今年・平成30年(2018年)に還暦を迎えた事になる。
オリジナルは、右手にラーメン、左手にソフトクリーム。
今拙作は、右手にソフトクリーム、左手に寿がきや発のアイディア食器、
「ラーメンフォーク」を握ってもらった。

・・・さて「ショッピングセンター スカール」の跡地には
「津幡町立 津幡小学校」が建っている。
かつての面影は、心の中にしかない。
しかし、津幡町から「寿がきや」の灯は消えていない。

僕は、時折「アルプラザ津幡店」のフードコートへ足を運ぶ。

注文するのは、いつも「肉入りラーメン」と「ソフトクリーム(ミニ)」。
和風とんこつの香りとバニラフレーバーに鼻をくすぐられると、
脳裏に、あの頃が浮かんでは消える。
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津幡町・町営バス見聞。

2018年10月07日 09時40分35秒 | 日記
先日、散歩の折に「町営バス」車庫前を通りかかった。
僕は、なかなか利用する機会はないが、
町内を動き回っている小型バスの姿は、よく目にしている。

興味関心を持ち、改めて車体を眺めると一種のラッピングバスなのだと気付く。
四方から観察してみた。

正面には「八重桜」。
おそらく富山県・小矢部市との県境「倶利伽羅峠」のそれをデザインしたのだろう。
毎年、染井吉野が散った後、4月下旬から5月初旬にかけ、
およそ6,000本の八重桜が咲き誇り、大勢の人出で賑わう。

車体左右には「ゆるキャラ」。
同じ「倶利伽羅峠」を舞台に繰り広げられた源平合戦に於ける奇策、
牛の角に松明を括り付けて放った「火牛の計」に由来する。
倶利伽羅合戦については、拙ブログ過去投稿や他サイトに詳しい。
ご興味があれば、検索してみてはいかがだろうか。

やはり車体左右に配された水辺は「河北潟」だ。
県のほぼ中央に位置るそこは、野鳥の宝庫。
向かって左側のスワンボートは、津幡町の町の鳥「ハクチョウ」。
その上に開く花は、町の花「ツツジ」。
右側のレガッタは「石川県津幡漕艇(そうてい)競技場」。
向日葵は、河北潟干拓地内の「ひまわり村」を表していると思える。
2.3ヘクタールの敷地に咲く35万本の向日葵は、夏の風物詩だ。
その種から採った「ひまわり油」は、特産品になっている。

津幡町営バスはJR津幡駅を起点として、町内10路線で運行。
山間部へのアクセスは「加越能鉄道」や「北陸鉄道」の廃止ルートを継承していると聞く。
やがて「自動運転」とやらになったりするんだろうか?
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風を制する者。

2018年10月06日 23時58分28秒 | 賭けたり競ったり
風は、勝敗の行方を左右する。
「競艇」の話だ。

同じ競争水面であっても、風のあるなしでは別物に変貌する。
スタートラインに対し向かい風なら、助走距離の長いダッシュ勢が台頭しやすい。
反対に追い風なら、助走距離が短くても背中を押されるスロー勢に有利に働く。
強さに比例して、影響は大きくなる。
風は、いつも波乱の立役者なのだ。

本日・10月6日(土)、台風25号が接近する中、
徳島県・鳴門競艇場にて、開設記念G1レース「第65回 大渦大賞」優勝戦が行われた。
6日間の激戦を勝ち抜き、最後の戦いへ舳先を進めたのは以下の6人。

1号艇:毒島 誠(群馬)
2号艇:田村隆信(徳島)
3号艇:石野貴之(大阪)
4号艇:佐々木康幸(静岡)
5号艇:徳増秀樹(徳島)
6号艇:木下翔太(大阪)

レース時の風は、6~10m/秒のアゲインスト。
前述のとおり、4・5・6号艇に勝運が傾く可能性がある。
しかし、投票に迷いはなかった。

『悪条件を克服してこそチャンピオンロードを歩む資格がある』

僕は「毒島」を頭に張った。

ファンファーレが鳴り、一斉にピットを出る6戦士。
並びは内から、123/465。
大時計が時を刻み始め、スタート開始!
向かい風をモノともせずにトップを決めた1号艇!
他には何もさせず、好旋回!
強い!!

ターンマークを回った瞬間に勝負はついていた。
1-6-4でゴール。
G1V8を飾った。

行く手を阻む風を切り裂き、順風を張らんで突き進め。
疾風怒濤を乗り越えた先には、艇界の王座が待っている。
大舞台の幕が開くまで、あと2ヶ月を切った。
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