つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

墓石は、雄弁に物語る。

2021年02月15日 23時04分09秒 | 日記
    
きのう(2021/02/14)朝、散歩の足は「鷹の松南墓地公園」へ向いた。
特段の理由はない。
せっかくの晴れ。
高みから町を見てみたくなったのだ。



急勾配(推定20度)の坂道を息を切らしながら一気に登る。
僕にとっても、連れ合いの愛犬にとっても、いい運動になった。
眺めのいい景色を楽しめる平坦な場所に至ると、そこが墓地公園。



よく整備された小路を歩く。
一つ一つに歴史があり、思いが滲む墓石群の中を彷徨っていると、
割合に古そうで立派な一基に目が留まった。



画像向かって右、手前のやや色濃く、くすんだのがそれ。
竿石の正面には故人の名前の上に「陸軍歩兵伍長」とある。
側面に刻まれていた略歴によると、生まれは明治11年(1878年)。
富山・石川・福井の北陸人兵士で構成された第9師団に従軍。
没年は明治37年(1904年)。
日露戦争の激戦地、旅順要塞攻囲戦の途上で斃(たお)れたようだ。

つまり、享年26。
117年後に墓石を見上げる僕の半分以下の年齢である。

旅順要塞周辺は、草木なき乾いた荒れ地。
対峙する敵は、高電圧鉄条網と機関砲で守られた難攻不落の陣地。
そこに立ち向かう時の怖ろしさはいかばかりか。
--- 同じ町に生まれ育ち、戦場へ赴き、若い身空で命を散らした先人に思いを馳せるうち、
僕は頭を垂れ、手を合わせていた。

個人的な思想は、右でも左でもない。
熱心な仏教徒とも言い難い。
しかし、そうするのが何だか自然に思えたのだ。


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行く末は、いずこへ?!

2021年02月13日 22時47分19秒 | 日記
      
過去にも投稿したが、わが津幡町の人口は微増傾向である。
町のHPによれば、2021年1月期は「37,527人」。
僕が小学生だった頃と比べれば、およそ180%増。
特に世帯数が伸びている点から考えて、
他地域からの流入--- 隣接する金沢市のベッドタウンとして機能していると推察。

単独で「市政」を敷くには、まだ1万人以上少ない(基準5万)。
少子高齢化の進む国だ。
そこまで到達できるかどうかは不透明。
ま、とにかく今のところアチコチに新しい住宅が建っている。



今朝の散歩中にも「農地転用許可済証明書」という小さな立て看板を見かけた。
元々、農業耕作地(田んぼ)だったが、別の用途(宅地)にすることを認める告知である。
--- こうした公示などの諸々は「農地法」に基づくようだ。

法の起こりは戦後間もなく。
GHQ最高司令官「ダグラス・マッカーサー」は、地主たちから所有地を買い上げ、
小作農へ安価に売り渡す「農地改革」を行った。

日本の軍国化を進めた地主の力を削ぐため。
地主と小作農の貧富の格差を是正するため。
共産主義を支持する小作農の意識改革のため。
--- などの目的を実現しようと地主制は廃止。
農地が払い下げられ、多くの小規模自作農家が誕生する。
しかし、時代が進み、兼業農家も増えた。
高齢化などを要因に農作をやめて所有地を売るケースが珍しくなくなり、
農地が減る原因にもなっている。

宅地が増え、人口が増す。
つまり、町の税収やマンパワーが大きくなる。
それは悪くない。
だが一方で、食糧生産力が小さくなり、自給率が減ってゆく未来に不安を覚えるのは、
僕だけだろうか?!
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春の音と冬仕舞い。

2021年02月11日 18時34分07秒 | 日記
     
本日は国民の祝日「建国記念の日」である。
「建国記念日」ではなく「建国記念日」なのには訳がある。

そもそも、その根拠は奈良時代に編纂された「古事記」や「日本書紀」記載の日本神話。
初代の天皇「神武(じんむ)天皇」が即位した日だ。
明治になり、当日をグレゴリオ暦に置き換えたのが「2月11日」らしい。
故に、戦前は「紀元節」と呼ばれた。

戦後、占領軍の意向で一旦廃止されるも、程なく復活の動きが起る。
2・11に対する反対意見もあった。
そこで「」が登場。
“建国という出来事を記念する日である”とも解釈できるよう、
語感の柔らかいネーミングに落ち着いたという。

神話に基づく建国の設定とは、何とも曖昧な気がするが、
これほど「日の丸(日章旗)」が似合う日はないかもしれない。



今朝、散歩の折に立ち寄った「津幡中学校」正面玄関近くに据え付けられた大きな日の丸。
はためいた状態を収めようと、しばらく風待ちをしてからシャッターを切った。
その間、およそ10分。
様々な音が、僕の耳朶に触れた。

画像の奥、グラウンドからは野球部員たちの掛け声、
ノック音やボールを受けたグローブの音。
画像左手、校舎の中からは調律する金管楽器。
敷地内を走る中学生たちの足音と息づかい。
空からはアカゲラの羽音とさえずり。

場所柄もあるが、これらのサウンドに活動的な春を感じた。



無事に前掲の写真を撮り終えて岐路に就く。
中学校横「町立総合体育館」の軒下では、通学を助けて大活躍したであろう除雪機が、
雪のない路面を静かに眺めていた。



通りがかった民家の前庭では、
やはり雪の重みから木々の枝を守り抜いた雪吊りを見かけた。

どちらも、もうお役御免だ。
間もなく風景を構成する要素から消えてゆく運命である。
お疲れさまでした。
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拝啓、数千年前の大先輩へ。

2021年02月07日 20時21分44秒 | 日記
     
「弥生時代」のはじまりは紀元前5世紀頃。
終わりは紀元3世紀頃と言われる。
しかし、近年、自然科学の年代測定技術が発達し、
はじまりは更に500年程度早いとも考えられ始めているらしい。

ま、ともかく、現在「津幡ふるさと歴史館 れきしる」で開催中の企画展、
「石川中央都市圏 考古資料展~弥生時代 編~」では、想像逞しくすれば、
今から数千年も昔に暮らしていた大先輩方の息吹を、感じられるかもしれない。



石川県内の4市2町、
白山市、野々市市、金沢市、かほく市、内灘町、津幡町が連携して行う
「石川中央都市圏事業」の一環で開催されるイベントである。
わが町からは「北中条(きたちゅうじょう)遺跡」と、
「谷内石山(やちいしやま)遺跡」の出土品が並ぶ。



「縄文時代」の由来は、当時の土器に多く見受けられる「縄目模様」。
「弥生時代」の由来は、地名。
東京都・文京区・弥生(現、東大農学部と工学部の境)で、
薄手の赤褐色の土器が発見されたことがキッカケだ。

朝鮮半島など大陸から移り住んだ人々によって、稲作が九州北部に伝わり、
やがて東日本まで拡大。
人々は水田に適した場所に村をつくって住み、集落ができた。
また、金属器も伝わり、銅鏡や銅鐸などは祭祀物、宝物に。
鉄器は、武器のほか、農具や工具にも使われた。

栄養豊富な食糧と、その生産をコントロールできるようになった弥生時代は、
「国造り」の礎(いしずえ)となった時期だと言えるだろう。



「北中条遺跡」の発掘調査では、弥生時代の河川跡から大量の土器、木器、石器が出土。
展示品の年代は弥生後期にあたり、完成品が多くあることから
一度に廃棄したものか「河川祭祀」に伴い一括投棄したと推測されるそうだ。

定住化・集団化が進めは、文化や宗教が芽生える。
これらを使っていたご先祖方は、どんな顔をして、どんな暮らしをしていたのか。
遺物を見つめて考えてみるのは、なかなか楽しい時間である。

たっぷり眺め、たっぷり考え、数千年前へ思いを馳せたら常設展示へ。
まだまだ、空想の続きが待ち構えてくれている。
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想像するチカラ。

2021年02月06日 19時43分16秒 | 日記
     
いったい何日ぶりだろう。
2021年になって初めてかもしれない。
今日は、洗濯物を外に干した。
ある程度の気温と太陽に恵まれ、夜になる前に取り込む都合がつく。
立春を過ぎ、そんな条件がようやく揃った。

気持ちよく乾いた仕上がりを想像しながら、
僕は愛犬のリードを握り散歩に出発。
流石にまだ防寒着は必須だが、雪の消えた路面を行く足取りは軽い。





夜明け間もない「津幡中央銀座商店街」と、おやど橋から眺める津幡川。
毎度見慣れた景色も、朝焼けのお陰か、妙に美しく感じる。
目に映る世界がオレンジ色に包まれるのも幾つかの気象条件が必要だし、
余り長く持続するわけでもない。
その意味で、ちょいと「豪華なタイミング」と言えるかもしれない。

やがて、僕は「スガイ書店」に到着。
そして、思わず見入ってしまった。



ウインドに大きく張り出されていたのは、
ある日の新聞記事から引用した「書店」からのメッセージである。

「別れが教えてくれること (作家)村山由佳

 人間を他のあらゆる生きものから分けているものは「想像力」だと私は思っている。
 <自分が嬉しいことを相手にもしてあげる>というのではまだ足りなくて、
 <自分が嬉しいことを相手は喜ばないかもしれない>というところまで
 思い至って初めて「想像力」と呼べる。

 ただ、考えてみてほしい。
 あなたに生きることができるのは自身の人生ただひとつに過ぎない。
 たったそれだけの乏しい経験をもとに、いったい他人の、あるいは社会の、
 さらには世界の何を想像できるだろう?

 だからこそ私たちには物語が必要なのだ。
 登場人物に感情移入することによって、実際には経験していない痛みや喜びや切なさ、
 慈愛や挫折といったものを疑似体験できる。
 何より、いま生きているものが誰一人として体験したことのない<死>についても---。
 
 愛する者の死は、必ずと言っていいほど深くて癒えない傷を残してゆく。
 けれどまた、その傷の痛みこそが、あなたにかけがえのない何ごとかを
 教えてくれるのも事実なのだ。
 
 別れが教えてくれること。
 それは時に出会いがもたらしてくれるものよりも大きい」


ご意見様々あるだろうが、いい文章だと思う。
「本」を読むことで、心はより「豊か」になる。
また「想像」を加えることで、現実の見え方も「変わる」。
なるほどな~と独り言ちて、歩を進め「しらとり児童公園」に差し掛かった。



冬支度の一環だろうか、伐採の準備だろうか?
一葉も残さず、徹底的に剪定された樹木が佇んでいた。
確か銀杏か、メタセコイヤだと思うが、こうなっては判別不能。
枝を切られる時は、さぞ嫌だっただろうなと想像する。



木製ベンチの上には、昨秋まで藤棚があった(過去記事へのリンク有)。
今月の大雪で潰れてしまったのか?
だとすれば、きっと崩壊の瞬間はさぞ痛みを伴い、無念だったに違いない。



「岩井 守 商店」前の交差点では「津幡中学校」の生徒とすれ違う。
40数年前、僕も同じように部活へ向かった。
彼女たちは、何を考えているのだろう?
中学生の僕は、何を考えていたのだろう?
僕の残りの人生には、どんな別れが待っているんだろう?
辺りを眺めながら歩いているだけで想像は尽きない。

--- 夕刻、取り込んだ洗濯物の乾き具合は、想像を遥かに上回っていた。
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