高山市議員による高山市民憲章唱和
もともと町内会の総会で「高山市民憲章」を唱和させられた時に何か時代に逆行している感じがして、違和感を感じていたのだが最近は唱和していないようだが市議会で議員さんが定例会の冒頭で唱和しているのを見て、前にも増して違和感を覚えるので書きます(^^)。
吾輩には文章力、表現力が不足しているので同じように違和感を持っておられる人がネット検索の結果、見つけたので引用したい。(結局コピペになったが・・・)熟読してもらいたい。
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市民憲章の強制はおかしい
http://www.genki-yamashita.com/kaigiroku/simin20010920.htm
2001年9月20日 決算委員会
○山下委員 さらに 市民憲章 の問題です。私は茨木市歌についても時世にあわないというふうに思っておりますけれども、 市民憲章 も、だんだん内容的に問題があるのではないかというのが1点。もう一つは他市の状況から言いますと、市民が唱和するというスタイルです。これは非常に茨木だけの特異な現象になっているのではないかというふうに思っています。
市民憲章 も調べさせていただきました。北摂と北河内、比較的茨木市によく似ているような文化風土のところですけれども、これでいいますと、箕面市は 市民憲章 がございません。それから同じく豊中市もありません。池田市も 市民憲章 的なものは、例えば都市宣言というようなものはありますけれども、これは平和安全都市とか、そういったたぐいのものでして、いわゆる茨木市の 市民憲章 とは全く異なるものです。それから吹田市も 市民憲章 はございません。それから門真市にはありますけれども、唱和というようなスタイルはとっておりません。それから枚方市も公共施設の入口付近に掲示をしているという程度にとどまっております。それから守口市もありますけれども、唱和はしておりません。交野もしておりません。それから摂津も 市民憲章 はありますけれども、唱和はとっておりません。残りの四條畷、寝屋川、高槻が唱和しているという事例がありますけれども、これも成人式ぐらいにやっているだけで、茨木市みたいに行事のたびごとまでとは言いませんけれども、頻繁にリードする人が「1.わたくしたち茨木市民は」という形で、後に続くというようなことはやっていないわけです。
私は「仕事にはげんで明るい家庭をきずきましょう」というのが、いつも中にありますけれども、これは皆が皆、仕事をしたいと思って仕事につけている状況だったらいいけれども、これだけ不況になってきて、失業者がどんどんふえて、そんな中で、脳天気といったら失礼かもしれませんけれども、仕事に励んでなんていうのは、私は口にしにくい。同時に昔のように1人のリーダーが声をかけて、皆がそれに口を合わせて言うという、このスタイルは「日の丸」「君が代」ではないですけれども、非常に抵抗感を覚えるのです。皆が皆、 市民憲章 の中身で、これは万全だと普遍的な価値を言っているのだと、そういうふうになっているとは思わないのです。
市民憲章 の中身もいろいろ議論があって当然だし、そういったのを十年一日がごとく、皆、立たないと目立つという状況の中で、実質強制しているような状況がありはしないかと。市民感覚から言いますと、ああいった唱和するスタイルの雰囲気というのは、日ごろ経験していないことなのです。 市民憲章 についてどういうふうに思っているかは全く抜きにして、個々の感情とか感覚とか、そんなことは一切無視して、ともかく皆、自分だけ立たなかったら、何か言われるのと違うかとか、そういう雰囲気の中で、これをやるということについては、私は他市の状況も含めて見直すべきだというふうに思うんです。形式で強制するというやり方は、私は卑怯なやり方だというふうに思います。 いろんな意味で、個性とかそれぞれの感覚とか、そんなものを重視するというのが、私は時代に沿ったやり方だというふうに思うんです。そういう点で、 市民憲章 の内容はいろいろありますけれども、置いておいたとしても、皆で一同起立、そして唱和させると、このスタイルは市の行事からも、あるいは教育委員会の行事からも、できるだけなくしていくという努力がいるのではないかというふうに思いますけれども、答弁をいただきたいというふうに思います。
○中畑市民生活部長 市民憲章 の関係についてご答弁申しあげます。
まず時世に内容があわないと、こういったことでのご質疑、ご指摘をいただいているわけでございますが、これも大変長い年月、昭和41年に制定をされておりまして、そういった時代と今と比較しますと、確かにそういった部分、不明確な部分といったことも一定あるかもわかりませんが、ただ生活信条といたしましては、普遍的な考え方ということは変わっていないと、このような考え方を持っているわけでございます。 現時点で今おっしゃっているような形で見直すという考えは持っておりません。時世は動いているということ、これは事実でございます。
それと、他市の例を出されてご質疑があったわけでございますが、それはそれぞれの市のさまざまな成り立ち、そのような形の中で、それぞれの市が判断をなされたことでございますので、私どもがどうこういうのは持っておりません。本市としてはこういった形で、長い間市民の中で親しまれてやってきておりますので、今後についても、こういった形で唱和を行ってまいりたい。
また、これを広める団体といたしまして、住みよいまちづくり協議会といった中で、市民の方々に普及啓発を図っていただいていると、こういったこともございます。また、それを市民に広く広めていこうといったことで、市の諸行事の中で唱和をすると、これについても今おっしゃられたような形で見直すという考えは持っておりませんので、よろしくお願い申しあげます。
○山下委員 それから 市民憲章 については、私は内容的には普通のことを普通に書いているだけに過ぎないと。あいさつみたいなものだと、私は思うんです。おはよう、こんにちは、ありがとう、それを励行しましょうというようなことを書いているだけに過ぎない、内容的に言いますと。茨木のほうは 市民憲章 運動というのが恐らく全国的に、どこかの団体が音頭をとってやったのだというふうに推測をいたします。当初はこういった茨木みたいな 市民憲章 だったと思いますけれども、他市の 市民憲章 は茨木よりはずっとましだと思うんです。内容について時間がありませんので紹介しません。ここに 市民憲章 でどういったことを書いているかというのがありますけれども、やはり日本国憲法の平和とか、それから地方自治体の自治とか、もっとすばらしい内容になっていると思うんです。 茨木の分は市の施設も一緒で、新しい施設は立派だけれども、昔の施設は老朽化して見るに耐えないということがありますけれども、この 市民憲章 も一番最初につくったときよりも、後からつくられたもののほうが、まだまだ立派といいますか、そういった傾向があります。私は 市民憲章 そのものを定めることの是非については置いておきますけれども、ただ問題なのは、行事、セレモニーのたびにともかく全員を立たせて唱和をさせる。この形式はどうもなじめない。内容がどんなことであるかというよりも、皆を立たせることに本当に意味があるのではないかというような、そういうふうにまで、私は考えてしまうのです。ともかく皆を立たせて口を開かせて、同じことを言ってもらう。ここに意味があるのではないかと。 これは会場の雰囲気で一人ひとりに強制をするということにつながってくるのです。別に皆で言うことに何の意味もないというふうに私は思います。 市民憲章 があるというだけでいいではないですか。それをわざわざ何で唱和をさせるのですか。せめて唱和をするというスタイルだけでも、今後やめるということも含めて、それぞれの主催団体もありますけど、市としてはそういったことはやめてほしいと思いますけれども、ぜひ検討いただきたいと思いますが、この点についての答弁をいただきたいというふうに思います。
○中畑市民生活部長 市民憲章 の唱和の関係でございますが、セレモニーのたびに唱和させるのがおかしいのではないかと、こういったご質疑をいただいているわけでございますが、先ほどもご答弁申しあげましたように、 市民憲章 そのものを制定されたのは市民の盛り上がりといったことから、こういう制定を行ったものでございまして、また本市としても、これらの考え方、生活信条として普遍的な考え方を市民の方々に広く浸透させていこうと、こういう意味もございまして、市民の方々が参加をいただく諸行事の中で、唱和をしていただいているということでございますので、こういったことについての見直しとか、そういったことについては考えておりませんので、よろしくお願い申しあげます
○山下委員 それから、 市民憲章 についても、私は人間というのは面従腹背という言葉がありますけれども、見た感じでは従っているように見えるけれども、心の中では別のことを考える、そんなことがあります。 市民憲章 の中身は確かに悪いことを書いてあるとまでは、私は言いませんけれども、ごくごくわずかなことを小学校や幼稚園で言うようなことを、大の大人が声を出して大きな声で言うなんていうのは、これは普通の市民にとっては物すごく違和感を感じることなんです。違和感を感じているにもかかわらず、しかもそんな人がたくさんいるにもかかわらず、それが表に出せない雰囲気を行政がつくり出すと、こういうことは極力なくしていかなければならない。私はそう思うんです。嫌だと思いながら、しかし立たなければ何か言われると。皆立っているし、同じにしていたほうが無難かと。
よその状況はさっき言ったとおりです。茨木市みたいな形でやっているのは北摂と北河内の中でごくごくわずか。それも成人式等に限定されている。茨木市は行事のたびごとまでは言いませんけれども、かなりの頻度で 市民憲章 をただプリントにして渡しているだけではなくて、唱和させています。それは時世に合わないし、市民感覚に合わないし、面従腹背というような気持ちを起こさせる。しかも内容的にも本当に普通の道徳的なことを言っている、いいことを言ってるから、それでいいではないかという理屈はおかしいというふうに思います。
そういう点で、ぜひ唱和をする機会を少なくすると。そういう考え方はできないものでしょうか。答弁いただきたいというふうに思います。
○中畑市民生活部長 先ほどもご答弁申しあげましたように、こういった市民の生活信条、この内容、それらを市民の方々に広めていこうといったことで、私どももさまざまな刊行物とか、あるいは広報等、あるいは駅前広場等にも掲げて、市民の方々に知っていただこうと、こういった考え方でやっておるわけでございまして、市が主催する諸行事の中でも、こういったことで市民の方々に少しでも浸透させていきたいと、こんな考え方をもっておりますので、今ご指摘いただいているように、唱和を見直すという考え方は持っておりませんので、よろしくお願いいたします。
○山下委員 中畑さんとだけずっとやっていても仕方ないかというふうに思います。私は 市民憲章 でここに書かれてあることというのは、要するに、そういったセレモニーに参加なされている方は、ほとんど実行しているか、あるいはそれに近い方々が多いかというふうに思うんです。ただ、こういった決まりを守らない人というのは、その場にそもそも来ないという状況があるような気すらするのです。個人の思想、信条とか、あるいは生活習慣とか、そういったことにかかわる問題だと思うんです。それに一定の枠を公的団体が強いるということについては、問題があるというふうに思いますけれども、前のお三方のほうからご答弁いただきたいというふうに思います。
○野村助役 市民憲章 の制定の経過につきましては、先ほど来から市民生活部長が答弁しているとおりでございますが、内容につきましては、市民一人ひとりの生活信条として「明るく住みよいまちづくり」を目指しての指針でございます。また、内容につきましても、普遍的な内容で表現されているところでございまして、すべての行事について唱和するということではなしに、唱和がなじむような行事については唱和しているところでございます。 したがいまして、今後とも、この 市民憲章 が市民一人ひとりの生活信条として浸透しますように、唱和は続けてまいりたいと存じます。
○山下委員 困りました、その答弁というのは。まさに私が言ってることと反対のことをどんどんやりたいと、そういうようなふうに聞こえたわけですけれども、 市民憲章 は。茨木市歌というのもあります。時世とともに、内容がふさわしくなくなってくる。茨木市歌の歌詞を見て、今の茨木市にふさわしいと思っている人はほとんどいてないのではないかというふうに思うんです。私が茨木市歌の問題を言ったときに、ともかくそれを作曲された方、作詩をされた方、そういった方々もいらっしゃるのでというようなことも含めて、そういった方への配慮ということで、茨木市が市制50周年とか、そんな節目に見直したらどうかということを言いましたけれども、見直しがなされないままです。 そしたら、先ほどの教育委員会の話ではないですけれども、未来永劫、茨木市民は茨木市歌というのを歌っていかなければならないのか。あるいは茨木 市民憲章 というのを未来永劫、見直しをされないままやっていくのかということにもなってくるのです。だから1番最初に 市民憲章 がつくられた。 市民憲章 をつくった方々もいらっしゃる。茨木市歌もつくった方がいらっしゃる。それは尊重したらいいと思うんです。第1次茨木市歌、第1次茨木 市民憲章 でいいと思うんです。やっぱり第2次をつくらないといけないときには第2次をつくる。あるいはそれがもういらないということだったら、思い切って廃止をすると。そんなことが内容的に要るかと思うんです。 もう一つは唱和というスタイルが、昔、皇居のあるほうを向いて、臣民の誓いみたいなことをやっていましたでしょう。あれは日本人だけではなくて、本会議でも言いましたけれども、朝鮮だとか、要するに侵略したところでも皇居を遙拝をさせる。そのときに帝国臣民の誓いみたいなことをやらせていたわけです。そのスタイルはその内容について、違和感を持っていようが何しようが、一つの型にはめて、その型の中で有無を言わさないような雰囲気をつくり出すという、そういった効果も私は考えていたのだと思うんです。当時の支配者というのは。私も茨木 市民憲章 を唱和するスタイルというのは、そのときの情景にダブって仕方がないのです。いろんなことを考えていようが、ともかく立たせる、唱和してもらうというスタイルが、これは卑怯です。権力を持っている者が権力にものを言わせて、皆を立たせる、しゃべらせる、どうもそういう雰囲気を私は感じるのです。 そういう点でいうたら、唱和というスタイルはぜひ少なくしていただきたい。一挙にゼロというふうにはならないかもしれませんけれども、少なくするというのが、市民の思想信、条というものを大事にする、公権力で強制しない、そういうことだというふうに思うんです。ぜひその点は意見だけ言いまして終わりたいと思います。
私見:
昭和41年に制定・・・・この頃から所謂「日本会議」という右派組織が浸透し始め地方の自治体は、全体主義的保守と言う美名に酔って、日教組批判をお題目にし選挙基盤として自民党と結びつき個人の心情より国家意識の増幅に政官財と癒着していくのである。
自民党と日本会議は表裏一体:日本会議の系譜と年表
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http://tamutamu2011.kuronowish.com/takayamaheiwanohi.htm
高山市;「平和の日」
旅は平和であってこそ(2014年9月20日配信『東京新聞』-「社説」)
春と秋の高山祭などで知られる岐阜県高山市が、2014年から9月21日を「平和の日」に定めた。「自由な旅は平和であってこそ」と。山里の小さな観光都市が何を発信してくれるのか注目したい。高山市は北アルプスなどの山々に囲まれた約9万2000人の町だ。
2013年は約400万人の観光客が訪れた。このうちアジアや欧米など海外からの宿泊客は過去最多の22万人余を数えた。台湾など海外の観光展への積極的な出展や、フランス・ミシュラン社の旅行ガイドで必見の観光地として3つ星を獲得するなど、積み重ねてきた誘客対策が実を結んでいる。その高山市が「世界が平和でないと旅もままならない」と、国連の国際平和デーである9月21日を「平和の日」に決めたのは、2013年の9月議会だった。
日本の民間団体(中川千代治)が贈った「平和の鐘(Peace Bell)」が、国際平和デーに合わせてニューヨークの国連本部で鳴らされる習慣がある。これが、平和の日制定の弾みになった。高山市は、21日の本番に向け、正午に一斉に鐘を鳴らすよう全国約200の自治体や市民団体、宗教者などに協力を呼びかけた。多くの賛同が得られるという。
【国際平和デー】における一斉鐘打にご協力ください 高山市 市民活動推進課
高山市では、国際連合が定めた「国際平和デー」である9月21日を多くの方々に知っていただくとともに、改めて平和について考えていただき、一人でも多くの方々に平和への願いと感謝の気持ちが浸透し、その思いが未来に引き継がれることを目指しています。国連では、日本から寄贈された平和の鐘を「国際平和デー」に国連事務総長が打ち鳴らす特別記念行事が行われており、市といたしましても、多くの方々に平和への願いと感謝の気持ちを今一度考えていただくきっかけとするため、国連のこの取組みに賛同し、寺院、教会など鐘を所有されている皆様のご協力のもと9月21日(土)の正午に一斉鐘打を実施したいと考えています。つきましては、ぜひ事業の趣旨にご賛同いただくとともに、一斉鐘打にご協力をお願いいたします。
※鐘打いただく回数や鐘の種類は問いませんので、それぞれのご判断でお願いいたします。
きょうは被爆地の広島、長崎や姉妹都市の長野県松本市からパネリストを招き、地方から平和と文化をどう伝えるか公開討論する。これは息長く続けるべき企画であり、他の観光都市と連携していくのも一計ではないか。
観光とは別に「平和の日」を制定している自治体は全国に多い。
東京都が東京大空襲に遭った3月10日、沖縄県沖縄市が沖縄戦の終結日とする9月7日など。大半は先の太平洋戦争の戦禍に関連した日を充てている。
日を定めて観光と平和を結びつける高山市の取り組みは、むしろ珍しい。昔は往々にして自由に旅ができるということ自体が困難でもあった。
国島芳明(みちひろ)・高山市長は自民、公明などの推薦で再選されている。
しかし安倍政権の集団的自衛権の考えには「もっと国民的議論をしていくべきだ」と話している。平和政策も国任せでなく、地方から伝えられるはず、と。
旅では異なった文化や人々と出会う。互いに共感し、理解が深まることもある。「平和へのパスポート」(Tourism;Passport to Peace)」=国連の標語)ともいう旅の魅力を、この山里の観光都市から発信し、国や地域同士を結ぶきっかけにつなげてほしい。
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高山市平和の日
2013(平成25)年9月27日告示第117号
9月21日を「高山市平和の日」として制定したので、告示する。
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高山市平和の日について
高山市では、1966(昭和41)年に「高山市民憲章」を制定して以来、さまざまな組織が朗唱運動や実践活動を通じてその具現化に尽力されてきました。長年にわたるこうした活動が実を結び、高山市は住む人にとっても訪れる人にとっても、安全安心で豊かな自然と伝統文化が息づく国際観光都市へと成長してきました。
また、同じ年に制定された「高山市の歌」においては、「平和」「歴史」「希望」という歌詞が盛り込まれており、それらはまさに高山市が将来にわたって目指すべき姿であると言えます。
先の大戦から月日が経過し、悲惨な戦争の記憶が薄れる中、高山市民憲章と高山市の歌の理念のもとに、改めて市民一人ひとりが守り引き継ぐべき美しい郷土や平和の大切さについて考え、家族や友人、地域などで語り合う機会が必要となっています。
一方、国外では、現在も紛争や飢餓、貧困が絶えず、多くの尊い命が奪われており、これは一刻も早く解決していかなければならない人類共通の課題です。
高山市は、全世界から多くの観光客が訪れる国際観光都市です。国際連合の「観光は平和へのパスポート」という標語や、同じく国際連合が「国際平和デー」に国際平和に関する取組みを世界中の機関、組織、個人に求めていることを考えると、高山市が、人類共通の願いである平和な世界の実現を国内外に訴えていくことが必要です。
こうした状況を踏まえ、2013(平成25)年9月27日に「国際平和デー」である9月21日を「高山市平和の日」とすることを議会の同意を得て告示しました。
今後は、市民一人ひとりに平和への願いと感謝の気持ちが浸透し、その想いが未来に引き継がれることを目指すとともに、国内外に向けて恒久平和の実現を訴えていきます。
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高山市民憲章
1966(昭和41)年11月1日 市告示第64号
改正 1981(昭和56)年5月11日 市告示第13号
わたくしたちは乗鞍(のりくら)のふもと
・山(やま)も水(みず)もうつくしい飛騨高山(ひだたかやま)の市民です。
・ うつくしい郷土(きょうど)に生きるわたくしたちの期待(きたい)とねがいをこめて、この憲章(けんしょう)を定(さだ)めます。
・ 全市民は力をあわせて、この憲章(けんしょう)を守り、理想(りそう)のまちを建設(けんせつ)しましょう。
たがいに信(しん)じ、助(たす)けあい
心(こころ)のなかにもきれいな花(はな)を咲(さ)かせましょう。
・ 礼儀(れいぎ)を守(まも)り、感謝(かんしゃ)の念(ねん)を深(ふか)め、たびの人をあたたかくむかえる。
・ みんなが仲(なか)よくつきあい、他人(たにん)のわたくしごとをとやかくいわない。
・ 老人(ろうじん)をうやまい、恵(めぐ)まれない人をいたわり、進(すす)んで社会(しゃかい)のためにつくす。
環境(かんきょう)をととのえ、きまりを守り
みんなのしあわせを大事(だいじ)にしましょう。
・ 公害(こうがい)をなくし、道(みち)やみぞ、川(かわ)をきれいにし、ごみは必(かなら)ずごみ箱(ばこ)に入(い)れる。
・ 城山(しろやま)の木(き)や小鳥(ことり)、宮川(みやがわ)の魚(さかな)などをかわいがり、まちを花(はな)でかざる。
・ 時を大切(たいせつ)にし、資源(しげん)を愛(あい)し、交通道徳(こうつうどうとく)を守り、ひとのめいわくになることはしない。
からだをきたえ、元気(げんき)で働(はたら)き
明(あか)るい豊(ゆた)かなまちをきずきましょう。
・ 衛生(えいせい)に注意(ちゅうい)し、スポーツを楽(たの)しみ、健康(けんこう)なからだをつくる。
・ 働(はたら)くことに喜(よろこ)びをもち、仕事(しごと)の場(ば)を明るくして、能率(のうりつ)をたかめる。
・ 郷土(きょうど)の産業(さんぎょう)に望(のぞ)みをかけ、その発展(はってん)に力をあわせる。
文化(ぶんか)をたっとび、伝統(でんとう)を生かし
正しい教養(きょうよう)を身につけましょう。
・ 伝統ある高山の文化に深い愛情(あいじょう)をもち、文化財(ぶんかざい)を尊重(そんちょう)する。
・ 文化諸活動(ぶんかしょかつどう)を盛(さか)んにして、友愛(ゆうあい)を深め、品性(ひんせい)の向上(こうじょう)に役立(やくだ)てる。
・ 国際理解(こくさいりかい)をたかめ、時代(じだい)の進歩(しんぽ)に歩調(ほちょう)をあわせる。
こどもを愛し、健(すこ)やかに育て、
夢(ゆめ)と誇(ほこ)りをもたせましょう。
・ こどもの将来(しょうらい)をよく考えて、幼(おさな)いときからしっかり家庭(かてい)のしつけをする。
・ こども会の活動(かつどう)を見守(みまも)り、こどもの自主性(じしゅせい)を正しく育(そだ)てる。
・ こどもは社会(しゃかい)の子、よい環境(かんきょう)をあたえ、みんなのあたたかい心でみちびく。
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高山市の歌
1966(昭和41)年11月1日告示第65号
作詞 辰巳 利郎
作曲 長尾 量平
1番
しろがねの 雪のアルプス 真向いに
紫匂う 朝がすみ
百重(ももえ)の山を めぐらして
人の和清く 展(ひら)けゆく
平和の都 高山市
2番
宮川の 瀬音(せおと)清らに さみどりの
柳をひたし ゆくところ
偲(しの)ぶにあまる 数々の
史蹟にかおる 世々のあと
歴史の都 高山市
3番
城山の 花にもみじに 春秋の
祭も床(ゆか)し うまし郷土(さと)
今躍進の 意気あらた
文化産業 栄えゆく
希望の都 高山市
「憲法で軍隊を持つことを禁じている国」(2014年9月21日配信『毎日新聞』-「大自在」)
中米の小国コスタリカ。多くの日本人には、なじみ深い国とはいえないだろう。それでも、日本と同様に「憲法で軍隊を持つことを禁じている国」と知る人は少なくないかもしれない
▼そのコスタリカと英国の提案で「国際平和デー」制定が国連で決議されたのは30年余り前。通常総会が始まる9月の第3火曜を、平和への関心を高める日とした。だが長い間、記念の行事もなく、周知も十分とはいえなかった
▼そんな状況を憂慮し1人の男性が活動を始める。英国人俳優ジェレミー・ギリさん。紛争当事国もその日だけは武器を手にしない「停戦と非暴力の日」として位置付け直すことを訴え、日も固定するよう呼び掛けた
▼変人扱いもされたが、粘り強い訴えはやがて世界の指導者らを動かす。活動が実り、あらためて全世界的な停戦の日として9月21日を「国際平和デー」とする決議が国連で行われた。2001年、米国同時多発テロが起きた年だ
▼以後、国連はこの日に合わせて式典を開き、事務総長らが本部中庭の「世界平和の鐘」を鳴らして平和を祈念する。世界の子どもたちが集めた硬貨を鋳造して造った鐘は、かつて日本が贈った平和のシンボルである
▼広島、長崎市を中心にした平和首長会議も賛同し、加盟自治体に記念行事を呼び掛ける。呼応して三島市のようにサイレンや鐘を鳴らし、住民に祈りを促す市町もある。誰も武器を持たないきょう1日が、1カ月になり、1年になり、そして永遠になるように。「国際平和デー」を生み育ててきた全ての関係者の思いだろう。
2014平和をつむぐ:シンボルの「鐘」、高山市が設置 21日にお披露目、祈り込め打ち鳴らす(2014年9月4日配信『毎日新聞』-「岐阜版」)
高山市は、平和のシンボルとなるモニュメント「平和への絆」を市本庁舎前広場に設置する。「高山市平和の日」の21日に除幕式を開いてお披露目し、平和の祈りを込めて鐘を打ち鳴らす。モニュメントは高さ約2・5メートル。飛騨地方に伝わる匠(たくみ)の技をつかった千鳥格子のデザインで地元産のスギ材を使用している。中央に直径40センチ、重さ31キロの青銅製の鐘をつるしている。事業費は378万円で、市民や国内外からの観光客に平和への意識を高めてもらおうと、市の平和のシンボルとして設置する。市は2010年、平和首長会議に加盟。翌11年、飛騨の匠で仏師の都竹峰仙(1911?99年)が平和への願いを込めて彫った「平和の女神」3体のうち1体を遺族が国連に寄贈し、市は昨年、国連「国際平和デー」にちなみ、地域の寺社などによびかけて21日正午に一斉に鐘を鳴らすとともに、同日を「平和の日」に制定した。今年も飛騨地域の寺社や市と交流のある都市に呼びかけて同日正午に一斉に鐘を鳴らす計画だ。また、平和の日に合わせて20日午後7時から、市民文化会館小ホールで「平和サミット」を開催する。被爆地の広島、長崎両市などからゲストを招いてパネルディスカッションを開くほか、イタリア・クレモナ市で制作され、伝統工芸・飛騨春慶を施したバイオリンの記念演奏などを予定している。
平和の鐘、祈り深く 各務原空襲の犠牲者追悼(2014年6月23日配信『岐阜新聞』)
各務原空襲の犠牲者の冥福を祈り鐘を突く参加者=各務原市前渡西町、佛眼院
69年前の各務原(かがみはら)空襲の犠牲者を悼み、各務原市の31カ所の寺院で22日、一斉に「平和の鐘」が鳴らされ、市民らが平和を祈った。同市では1945年6月22日、米軍のB29爆撃機による空襲があり、169人以上が犠牲になったとされる。市では90年に同日を「平和の日」に制定。平和の鐘は、各務原ユネスコ協会(北角浩一会長)が市仏教会の協力で7年前から毎年実施している。
同市前渡西町の佛眼院では、檀家ら約20人が空襲のあった午前9時30分から、鐘を突き静かに手を合わせた。空襲体験者らは、集まった子どもたちに思い出を語り、当時国民学校6年生だった富樫政孝さん(81)=同所=は「自分は防空ごうに隠れて助かったが、同級生で亡くなった人もいる。嫌な殺し合いの戦争をしないように皆で約束してほしい」と呼び掛けた。
同市那加桜町の市産業文化センターでは平和の日にちなみ、同協会による「平和展」が23日まで、県原爆被爆者の会・岐朋会岐阜地区支部による「平和パネル展」
が24日まで開催され、戦争の悲惨さを伝えている。市による「平和の折り鶴」の展示と募集も7月23日まで行われており、代表児童が広島市に行き平和記念公園の
「原爆の子の像」に納める。
http://tamutamu2014.web.fc2.com/
小沢元民主党代表強制起訴・尖閣諸島問題
http://tamutamu2011.kuronowish.com/ozawakisosoutou.htm
もともと町内会の総会で「高山市民憲章」を唱和させられた時に何か時代に逆行している感じがして、違和感を感じていたのだが最近は唱和していないようだが市議会で議員さんが定例会の冒頭で唱和しているのを見て、前にも増して違和感を覚えるので書きます(^^)。
吾輩には文章力、表現力が不足しているので同じように違和感を持っておられる人がネット検索の結果、見つけたので引用したい。(結局コピペになったが・・・)熟読してもらいたい。
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市民憲章の強制はおかしい
http://www.genki-yamashita.com/kaigiroku/simin20010920.htm
2001年9月20日 決算委員会
○山下委員 さらに 市民憲章 の問題です。私は茨木市歌についても時世にあわないというふうに思っておりますけれども、 市民憲章 も、だんだん内容的に問題があるのではないかというのが1点。もう一つは他市の状況から言いますと、市民が唱和するというスタイルです。これは非常に茨木だけの特異な現象になっているのではないかというふうに思っています。
市民憲章 も調べさせていただきました。北摂と北河内、比較的茨木市によく似ているような文化風土のところですけれども、これでいいますと、箕面市は 市民憲章 がございません。それから同じく豊中市もありません。池田市も 市民憲章 的なものは、例えば都市宣言というようなものはありますけれども、これは平和安全都市とか、そういったたぐいのものでして、いわゆる茨木市の 市民憲章 とは全く異なるものです。それから吹田市も 市民憲章 はございません。それから門真市にはありますけれども、唱和というようなスタイルはとっておりません。それから枚方市も公共施設の入口付近に掲示をしているという程度にとどまっております。それから守口市もありますけれども、唱和はしておりません。交野もしておりません。それから摂津も 市民憲章 はありますけれども、唱和はとっておりません。残りの四條畷、寝屋川、高槻が唱和しているという事例がありますけれども、これも成人式ぐらいにやっているだけで、茨木市みたいに行事のたびごとまでとは言いませんけれども、頻繁にリードする人が「1.わたくしたち茨木市民は」という形で、後に続くというようなことはやっていないわけです。
私は「仕事にはげんで明るい家庭をきずきましょう」というのが、いつも中にありますけれども、これは皆が皆、仕事をしたいと思って仕事につけている状況だったらいいけれども、これだけ不況になってきて、失業者がどんどんふえて、そんな中で、脳天気といったら失礼かもしれませんけれども、仕事に励んでなんていうのは、私は口にしにくい。同時に昔のように1人のリーダーが声をかけて、皆がそれに口を合わせて言うという、このスタイルは「日の丸」「君が代」ではないですけれども、非常に抵抗感を覚えるのです。皆が皆、 市民憲章 の中身で、これは万全だと普遍的な価値を言っているのだと、そういうふうになっているとは思わないのです。
市民憲章 の中身もいろいろ議論があって当然だし、そういったのを十年一日がごとく、皆、立たないと目立つという状況の中で、実質強制しているような状況がありはしないかと。市民感覚から言いますと、ああいった唱和するスタイルの雰囲気というのは、日ごろ経験していないことなのです。 市民憲章 についてどういうふうに思っているかは全く抜きにして、個々の感情とか感覚とか、そんなことは一切無視して、ともかく皆、自分だけ立たなかったら、何か言われるのと違うかとか、そういう雰囲気の中で、これをやるということについては、私は他市の状況も含めて見直すべきだというふうに思うんです。形式で強制するというやり方は、私は卑怯なやり方だというふうに思います。 いろんな意味で、個性とかそれぞれの感覚とか、そんなものを重視するというのが、私は時代に沿ったやり方だというふうに思うんです。そういう点で、 市民憲章 の内容はいろいろありますけれども、置いておいたとしても、皆で一同起立、そして唱和させると、このスタイルは市の行事からも、あるいは教育委員会の行事からも、できるだけなくしていくという努力がいるのではないかというふうに思いますけれども、答弁をいただきたいというふうに思います。
○中畑市民生活部長 市民憲章 の関係についてご答弁申しあげます。
まず時世に内容があわないと、こういったことでのご質疑、ご指摘をいただいているわけでございますが、これも大変長い年月、昭和41年に制定をされておりまして、そういった時代と今と比較しますと、確かにそういった部分、不明確な部分といったことも一定あるかもわかりませんが、ただ生活信条といたしましては、普遍的な考え方ということは変わっていないと、このような考え方を持っているわけでございます。 現時点で今おっしゃっているような形で見直すという考えは持っておりません。時世は動いているということ、これは事実でございます。
それと、他市の例を出されてご質疑があったわけでございますが、それはそれぞれの市のさまざまな成り立ち、そのような形の中で、それぞれの市が判断をなされたことでございますので、私どもがどうこういうのは持っておりません。本市としてはこういった形で、長い間市民の中で親しまれてやってきておりますので、今後についても、こういった形で唱和を行ってまいりたい。
また、これを広める団体といたしまして、住みよいまちづくり協議会といった中で、市民の方々に普及啓発を図っていただいていると、こういったこともございます。また、それを市民に広く広めていこうといったことで、市の諸行事の中で唱和をすると、これについても今おっしゃられたような形で見直すという考えは持っておりませんので、よろしくお願い申しあげます。
○山下委員 それから 市民憲章 については、私は内容的には普通のことを普通に書いているだけに過ぎないと。あいさつみたいなものだと、私は思うんです。おはよう、こんにちは、ありがとう、それを励行しましょうというようなことを書いているだけに過ぎない、内容的に言いますと。茨木のほうは 市民憲章 運動というのが恐らく全国的に、どこかの団体が音頭をとってやったのだというふうに推測をいたします。当初はこういった茨木みたいな 市民憲章 だったと思いますけれども、他市の 市民憲章 は茨木よりはずっとましだと思うんです。内容について時間がありませんので紹介しません。ここに 市民憲章 でどういったことを書いているかというのがありますけれども、やはり日本国憲法の平和とか、それから地方自治体の自治とか、もっとすばらしい内容になっていると思うんです。 茨木の分は市の施設も一緒で、新しい施設は立派だけれども、昔の施設は老朽化して見るに耐えないということがありますけれども、この 市民憲章 も一番最初につくったときよりも、後からつくられたもののほうが、まだまだ立派といいますか、そういった傾向があります。私は 市民憲章 そのものを定めることの是非については置いておきますけれども、ただ問題なのは、行事、セレモニーのたびにともかく全員を立たせて唱和をさせる。この形式はどうもなじめない。内容がどんなことであるかというよりも、皆を立たせることに本当に意味があるのではないかというような、そういうふうにまで、私は考えてしまうのです。ともかく皆を立たせて口を開かせて、同じことを言ってもらう。ここに意味があるのではないかと。 これは会場の雰囲気で一人ひとりに強制をするということにつながってくるのです。別に皆で言うことに何の意味もないというふうに私は思います。 市民憲章 があるというだけでいいではないですか。それをわざわざ何で唱和をさせるのですか。せめて唱和をするというスタイルだけでも、今後やめるということも含めて、それぞれの主催団体もありますけど、市としてはそういったことはやめてほしいと思いますけれども、ぜひ検討いただきたいと思いますが、この点についての答弁をいただきたいというふうに思います。
○中畑市民生活部長 市民憲章 の唱和の関係でございますが、セレモニーのたびに唱和させるのがおかしいのではないかと、こういったご質疑をいただいているわけでございますが、先ほどもご答弁申しあげましたように、 市民憲章 そのものを制定されたのは市民の盛り上がりといったことから、こういう制定を行ったものでございまして、また本市としても、これらの考え方、生活信条として普遍的な考え方を市民の方々に広く浸透させていこうと、こういう意味もございまして、市民の方々が参加をいただく諸行事の中で、唱和をしていただいているということでございますので、こういったことについての見直しとか、そういったことについては考えておりませんので、よろしくお願い申しあげます
○山下委員 それから、 市民憲章 についても、私は人間というのは面従腹背という言葉がありますけれども、見た感じでは従っているように見えるけれども、心の中では別のことを考える、そんなことがあります。 市民憲章 の中身は確かに悪いことを書いてあるとまでは、私は言いませんけれども、ごくごくわずかなことを小学校や幼稚園で言うようなことを、大の大人が声を出して大きな声で言うなんていうのは、これは普通の市民にとっては物すごく違和感を感じることなんです。違和感を感じているにもかかわらず、しかもそんな人がたくさんいるにもかかわらず、それが表に出せない雰囲気を行政がつくり出すと、こういうことは極力なくしていかなければならない。私はそう思うんです。嫌だと思いながら、しかし立たなければ何か言われると。皆立っているし、同じにしていたほうが無難かと。
よその状況はさっき言ったとおりです。茨木市みたいな形でやっているのは北摂と北河内の中でごくごくわずか。それも成人式等に限定されている。茨木市は行事のたびごとまでは言いませんけれども、かなりの頻度で 市民憲章 をただプリントにして渡しているだけではなくて、唱和させています。それは時世に合わないし、市民感覚に合わないし、面従腹背というような気持ちを起こさせる。しかも内容的にも本当に普通の道徳的なことを言っている、いいことを言ってるから、それでいいではないかという理屈はおかしいというふうに思います。
そういう点で、ぜひ唱和をする機会を少なくすると。そういう考え方はできないものでしょうか。答弁いただきたいというふうに思います。
○中畑市民生活部長 先ほどもご答弁申しあげましたように、こういった市民の生活信条、この内容、それらを市民の方々に広めていこうといったことで、私どももさまざまな刊行物とか、あるいは広報等、あるいは駅前広場等にも掲げて、市民の方々に知っていただこうと、こういった考え方でやっておるわけでございまして、市が主催する諸行事の中でも、こういったことで市民の方々に少しでも浸透させていきたいと、こんな考え方をもっておりますので、今ご指摘いただいているように、唱和を見直すという考え方は持っておりませんので、よろしくお願いいたします。
○山下委員 中畑さんとだけずっとやっていても仕方ないかというふうに思います。私は 市民憲章 でここに書かれてあることというのは、要するに、そういったセレモニーに参加なされている方は、ほとんど実行しているか、あるいはそれに近い方々が多いかというふうに思うんです。ただ、こういった決まりを守らない人というのは、その場にそもそも来ないという状況があるような気すらするのです。個人の思想、信条とか、あるいは生活習慣とか、そういったことにかかわる問題だと思うんです。それに一定の枠を公的団体が強いるということについては、問題があるというふうに思いますけれども、前のお三方のほうからご答弁いただきたいというふうに思います。
○野村助役 市民憲章 の制定の経過につきましては、先ほど来から市民生活部長が答弁しているとおりでございますが、内容につきましては、市民一人ひとりの生活信条として「明るく住みよいまちづくり」を目指しての指針でございます。また、内容につきましても、普遍的な内容で表現されているところでございまして、すべての行事について唱和するということではなしに、唱和がなじむような行事については唱和しているところでございます。 したがいまして、今後とも、この 市民憲章 が市民一人ひとりの生活信条として浸透しますように、唱和は続けてまいりたいと存じます。
○山下委員 困りました、その答弁というのは。まさに私が言ってることと反対のことをどんどんやりたいと、そういうようなふうに聞こえたわけですけれども、 市民憲章 は。茨木市歌というのもあります。時世とともに、内容がふさわしくなくなってくる。茨木市歌の歌詞を見て、今の茨木市にふさわしいと思っている人はほとんどいてないのではないかというふうに思うんです。私が茨木市歌の問題を言ったときに、ともかくそれを作曲された方、作詩をされた方、そういった方々もいらっしゃるのでというようなことも含めて、そういった方への配慮ということで、茨木市が市制50周年とか、そんな節目に見直したらどうかということを言いましたけれども、見直しがなされないままです。 そしたら、先ほどの教育委員会の話ではないですけれども、未来永劫、茨木市民は茨木市歌というのを歌っていかなければならないのか。あるいは茨木 市民憲章 というのを未来永劫、見直しをされないままやっていくのかということにもなってくるのです。だから1番最初に 市民憲章 がつくられた。 市民憲章 をつくった方々もいらっしゃる。茨木市歌もつくった方がいらっしゃる。それは尊重したらいいと思うんです。第1次茨木市歌、第1次茨木 市民憲章 でいいと思うんです。やっぱり第2次をつくらないといけないときには第2次をつくる。あるいはそれがもういらないということだったら、思い切って廃止をすると。そんなことが内容的に要るかと思うんです。 もう一つは唱和というスタイルが、昔、皇居のあるほうを向いて、臣民の誓いみたいなことをやっていましたでしょう。あれは日本人だけではなくて、本会議でも言いましたけれども、朝鮮だとか、要するに侵略したところでも皇居を遙拝をさせる。そのときに帝国臣民の誓いみたいなことをやらせていたわけです。そのスタイルはその内容について、違和感を持っていようが何しようが、一つの型にはめて、その型の中で有無を言わさないような雰囲気をつくり出すという、そういった効果も私は考えていたのだと思うんです。当時の支配者というのは。私も茨木 市民憲章 を唱和するスタイルというのは、そのときの情景にダブって仕方がないのです。いろんなことを考えていようが、ともかく立たせる、唱和してもらうというスタイルが、これは卑怯です。権力を持っている者が権力にものを言わせて、皆を立たせる、しゃべらせる、どうもそういう雰囲気を私は感じるのです。 そういう点でいうたら、唱和というスタイルはぜひ少なくしていただきたい。一挙にゼロというふうにはならないかもしれませんけれども、少なくするというのが、市民の思想信、条というものを大事にする、公権力で強制しない、そういうことだというふうに思うんです。ぜひその点は意見だけ言いまして終わりたいと思います。
私見:
昭和41年に制定・・・・この頃から所謂「日本会議」という右派組織が浸透し始め地方の自治体は、全体主義的保守と言う美名に酔って、日教組批判をお題目にし選挙基盤として自民党と結びつき個人の心情より国家意識の増幅に政官財と癒着していくのである。
自民党と日本会議は表裏一体:日本会議の系譜と年表
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http://tamutamu2011.kuronowish.com/takayamaheiwanohi.htm
高山市;「平和の日」
旅は平和であってこそ(2014年9月20日配信『東京新聞』-「社説」)
春と秋の高山祭などで知られる岐阜県高山市が、2014年から9月21日を「平和の日」に定めた。「自由な旅は平和であってこそ」と。山里の小さな観光都市が何を発信してくれるのか注目したい。高山市は北アルプスなどの山々に囲まれた約9万2000人の町だ。
2013年は約400万人の観光客が訪れた。このうちアジアや欧米など海外からの宿泊客は過去最多の22万人余を数えた。台湾など海外の観光展への積極的な出展や、フランス・ミシュラン社の旅行ガイドで必見の観光地として3つ星を獲得するなど、積み重ねてきた誘客対策が実を結んでいる。その高山市が「世界が平和でないと旅もままならない」と、国連の国際平和デーである9月21日を「平和の日」に決めたのは、2013年の9月議会だった。
日本の民間団体(中川千代治)が贈った「平和の鐘(Peace Bell)」が、国際平和デーに合わせてニューヨークの国連本部で鳴らされる習慣がある。これが、平和の日制定の弾みになった。高山市は、21日の本番に向け、正午に一斉に鐘を鳴らすよう全国約200の自治体や市民団体、宗教者などに協力を呼びかけた。多くの賛同が得られるという。
【国際平和デー】における一斉鐘打にご協力ください 高山市 市民活動推進課
高山市では、国際連合が定めた「国際平和デー」である9月21日を多くの方々に知っていただくとともに、改めて平和について考えていただき、一人でも多くの方々に平和への願いと感謝の気持ちが浸透し、その思いが未来に引き継がれることを目指しています。国連では、日本から寄贈された平和の鐘を「国際平和デー」に国連事務総長が打ち鳴らす特別記念行事が行われており、市といたしましても、多くの方々に平和への願いと感謝の気持ちを今一度考えていただくきっかけとするため、国連のこの取組みに賛同し、寺院、教会など鐘を所有されている皆様のご協力のもと9月21日(土)の正午に一斉鐘打を実施したいと考えています。つきましては、ぜひ事業の趣旨にご賛同いただくとともに、一斉鐘打にご協力をお願いいたします。
※鐘打いただく回数や鐘の種類は問いませんので、それぞれのご判断でお願いいたします。
きょうは被爆地の広島、長崎や姉妹都市の長野県松本市からパネリストを招き、地方から平和と文化をどう伝えるか公開討論する。これは息長く続けるべき企画であり、他の観光都市と連携していくのも一計ではないか。
観光とは別に「平和の日」を制定している自治体は全国に多い。
東京都が東京大空襲に遭った3月10日、沖縄県沖縄市が沖縄戦の終結日とする9月7日など。大半は先の太平洋戦争の戦禍に関連した日を充てている。
日を定めて観光と平和を結びつける高山市の取り組みは、むしろ珍しい。昔は往々にして自由に旅ができるということ自体が困難でもあった。
国島芳明(みちひろ)・高山市長は自民、公明などの推薦で再選されている。
しかし安倍政権の集団的自衛権の考えには「もっと国民的議論をしていくべきだ」と話している。平和政策も国任せでなく、地方から伝えられるはず、と。
旅では異なった文化や人々と出会う。互いに共感し、理解が深まることもある。「平和へのパスポート」(Tourism;Passport to Peace)」=国連の標語)ともいう旅の魅力を、この山里の観光都市から発信し、国や地域同士を結ぶきっかけにつなげてほしい。
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高山市平和の日
2013(平成25)年9月27日告示第117号
9月21日を「高山市平和の日」として制定したので、告示する。
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高山市平和の日について
高山市では、1966(昭和41)年に「高山市民憲章」を制定して以来、さまざまな組織が朗唱運動や実践活動を通じてその具現化に尽力されてきました。長年にわたるこうした活動が実を結び、高山市は住む人にとっても訪れる人にとっても、安全安心で豊かな自然と伝統文化が息づく国際観光都市へと成長してきました。
また、同じ年に制定された「高山市の歌」においては、「平和」「歴史」「希望」という歌詞が盛り込まれており、それらはまさに高山市が将来にわたって目指すべき姿であると言えます。
先の大戦から月日が経過し、悲惨な戦争の記憶が薄れる中、高山市民憲章と高山市の歌の理念のもとに、改めて市民一人ひとりが守り引き継ぐべき美しい郷土や平和の大切さについて考え、家族や友人、地域などで語り合う機会が必要となっています。
一方、国外では、現在も紛争や飢餓、貧困が絶えず、多くの尊い命が奪われており、これは一刻も早く解決していかなければならない人類共通の課題です。
高山市は、全世界から多くの観光客が訪れる国際観光都市です。国際連合の「観光は平和へのパスポート」という標語や、同じく国際連合が「国際平和デー」に国際平和に関する取組みを世界中の機関、組織、個人に求めていることを考えると、高山市が、人類共通の願いである平和な世界の実現を国内外に訴えていくことが必要です。
こうした状況を踏まえ、2013(平成25)年9月27日に「国際平和デー」である9月21日を「高山市平和の日」とすることを議会の同意を得て告示しました。
今後は、市民一人ひとりに平和への願いと感謝の気持ちが浸透し、その想いが未来に引き継がれることを目指すとともに、国内外に向けて恒久平和の実現を訴えていきます。
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高山市民憲章
1966(昭和41)年11月1日 市告示第64号
改正 1981(昭和56)年5月11日 市告示第13号
わたくしたちは乗鞍(のりくら)のふもと
・山(やま)も水(みず)もうつくしい飛騨高山(ひだたかやま)の市民です。
・ うつくしい郷土(きょうど)に生きるわたくしたちの期待(きたい)とねがいをこめて、この憲章(けんしょう)を定(さだ)めます。
・ 全市民は力をあわせて、この憲章(けんしょう)を守り、理想(りそう)のまちを建設(けんせつ)しましょう。
たがいに信(しん)じ、助(たす)けあい
心(こころ)のなかにもきれいな花(はな)を咲(さ)かせましょう。
・ 礼儀(れいぎ)を守(まも)り、感謝(かんしゃ)の念(ねん)を深(ふか)め、たびの人をあたたかくむかえる。
・ みんなが仲(なか)よくつきあい、他人(たにん)のわたくしごとをとやかくいわない。
・ 老人(ろうじん)をうやまい、恵(めぐ)まれない人をいたわり、進(すす)んで社会(しゃかい)のためにつくす。
環境(かんきょう)をととのえ、きまりを守り
みんなのしあわせを大事(だいじ)にしましょう。
・ 公害(こうがい)をなくし、道(みち)やみぞ、川(かわ)をきれいにし、ごみは必(かなら)ずごみ箱(ばこ)に入(い)れる。
・ 城山(しろやま)の木(き)や小鳥(ことり)、宮川(みやがわ)の魚(さかな)などをかわいがり、まちを花(はな)でかざる。
・ 時を大切(たいせつ)にし、資源(しげん)を愛(あい)し、交通道徳(こうつうどうとく)を守り、ひとのめいわくになることはしない。
からだをきたえ、元気(げんき)で働(はたら)き
明(あか)るい豊(ゆた)かなまちをきずきましょう。
・ 衛生(えいせい)に注意(ちゅうい)し、スポーツを楽(たの)しみ、健康(けんこう)なからだをつくる。
・ 働(はたら)くことに喜(よろこ)びをもち、仕事(しごと)の場(ば)を明るくして、能率(のうりつ)をたかめる。
・ 郷土(きょうど)の産業(さんぎょう)に望(のぞ)みをかけ、その発展(はってん)に力をあわせる。
文化(ぶんか)をたっとび、伝統(でんとう)を生かし
正しい教養(きょうよう)を身につけましょう。
・ 伝統ある高山の文化に深い愛情(あいじょう)をもち、文化財(ぶんかざい)を尊重(そんちょう)する。
・ 文化諸活動(ぶんかしょかつどう)を盛(さか)んにして、友愛(ゆうあい)を深め、品性(ひんせい)の向上(こうじょう)に役立(やくだ)てる。
・ 国際理解(こくさいりかい)をたかめ、時代(じだい)の進歩(しんぽ)に歩調(ほちょう)をあわせる。
こどもを愛し、健(すこ)やかに育て、
夢(ゆめ)と誇(ほこ)りをもたせましょう。
・ こどもの将来(しょうらい)をよく考えて、幼(おさな)いときからしっかり家庭(かてい)のしつけをする。
・ こども会の活動(かつどう)を見守(みまも)り、こどもの自主性(じしゅせい)を正しく育(そだ)てる。
・ こどもは社会(しゃかい)の子、よい環境(かんきょう)をあたえ、みんなのあたたかい心でみちびく。
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高山市の歌
1966(昭和41)年11月1日告示第65号
作詞 辰巳 利郎
作曲 長尾 量平
1番
しろがねの 雪のアルプス 真向いに
紫匂う 朝がすみ
百重(ももえ)の山を めぐらして
人の和清く 展(ひら)けゆく
平和の都 高山市
2番
宮川の 瀬音(せおと)清らに さみどりの
柳をひたし ゆくところ
偲(しの)ぶにあまる 数々の
史蹟にかおる 世々のあと
歴史の都 高山市
3番
城山の 花にもみじに 春秋の
祭も床(ゆか)し うまし郷土(さと)
今躍進の 意気あらた
文化産業 栄えゆく
希望の都 高山市
「憲法で軍隊を持つことを禁じている国」(2014年9月21日配信『毎日新聞』-「大自在」)
中米の小国コスタリカ。多くの日本人には、なじみ深い国とはいえないだろう。それでも、日本と同様に「憲法で軍隊を持つことを禁じている国」と知る人は少なくないかもしれない
▼そのコスタリカと英国の提案で「国際平和デー」制定が国連で決議されたのは30年余り前。通常総会が始まる9月の第3火曜を、平和への関心を高める日とした。だが長い間、記念の行事もなく、周知も十分とはいえなかった
▼そんな状況を憂慮し1人の男性が活動を始める。英国人俳優ジェレミー・ギリさん。紛争当事国もその日だけは武器を手にしない「停戦と非暴力の日」として位置付け直すことを訴え、日も固定するよう呼び掛けた
▼変人扱いもされたが、粘り強い訴えはやがて世界の指導者らを動かす。活動が実り、あらためて全世界的な停戦の日として9月21日を「国際平和デー」とする決議が国連で行われた。2001年、米国同時多発テロが起きた年だ
▼以後、国連はこの日に合わせて式典を開き、事務総長らが本部中庭の「世界平和の鐘」を鳴らして平和を祈念する。世界の子どもたちが集めた硬貨を鋳造して造った鐘は、かつて日本が贈った平和のシンボルである
▼広島、長崎市を中心にした平和首長会議も賛同し、加盟自治体に記念行事を呼び掛ける。呼応して三島市のようにサイレンや鐘を鳴らし、住民に祈りを促す市町もある。誰も武器を持たないきょう1日が、1カ月になり、1年になり、そして永遠になるように。「国際平和デー」を生み育ててきた全ての関係者の思いだろう。
2014平和をつむぐ:シンボルの「鐘」、高山市が設置 21日にお披露目、祈り込め打ち鳴らす(2014年9月4日配信『毎日新聞』-「岐阜版」)
高山市は、平和のシンボルとなるモニュメント「平和への絆」を市本庁舎前広場に設置する。「高山市平和の日」の21日に除幕式を開いてお披露目し、平和の祈りを込めて鐘を打ち鳴らす。モニュメントは高さ約2・5メートル。飛騨地方に伝わる匠(たくみ)の技をつかった千鳥格子のデザインで地元産のスギ材を使用している。中央に直径40センチ、重さ31キロの青銅製の鐘をつるしている。事業費は378万円で、市民や国内外からの観光客に平和への意識を高めてもらおうと、市の平和のシンボルとして設置する。市は2010年、平和首長会議に加盟。翌11年、飛騨の匠で仏師の都竹峰仙(1911?99年)が平和への願いを込めて彫った「平和の女神」3体のうち1体を遺族が国連に寄贈し、市は昨年、国連「国際平和デー」にちなみ、地域の寺社などによびかけて21日正午に一斉に鐘を鳴らすとともに、同日を「平和の日」に制定した。今年も飛騨地域の寺社や市と交流のある都市に呼びかけて同日正午に一斉に鐘を鳴らす計画だ。また、平和の日に合わせて20日午後7時から、市民文化会館小ホールで「平和サミット」を開催する。被爆地の広島、長崎両市などからゲストを招いてパネルディスカッションを開くほか、イタリア・クレモナ市で制作され、伝統工芸・飛騨春慶を施したバイオリンの記念演奏などを予定している。
平和の鐘、祈り深く 各務原空襲の犠牲者追悼(2014年6月23日配信『岐阜新聞』)
各務原空襲の犠牲者の冥福を祈り鐘を突く参加者=各務原市前渡西町、佛眼院
69年前の各務原(かがみはら)空襲の犠牲者を悼み、各務原市の31カ所の寺院で22日、一斉に「平和の鐘」が鳴らされ、市民らが平和を祈った。同市では1945年6月22日、米軍のB29爆撃機による空襲があり、169人以上が犠牲になったとされる。市では90年に同日を「平和の日」に制定。平和の鐘は、各務原ユネスコ協会(北角浩一会長)が市仏教会の協力で7年前から毎年実施している。
同市前渡西町の佛眼院では、檀家ら約20人が空襲のあった午前9時30分から、鐘を突き静かに手を合わせた。空襲体験者らは、集まった子どもたちに思い出を語り、当時国民学校6年生だった富樫政孝さん(81)=同所=は「自分は防空ごうに隠れて助かったが、同級生で亡くなった人もいる。嫌な殺し合いの戦争をしないように皆で約束してほしい」と呼び掛けた。
同市那加桜町の市産業文化センターでは平和の日にちなみ、同協会による「平和展」が23日まで、県原爆被爆者の会・岐朋会岐阜地区支部による「平和パネル展」
が24日まで開催され、戦争の悲惨さを伝えている。市による「平和の折り鶴」の展示と募集も7月23日まで行われており、代表児童が広島市に行き平和記念公園の
「原爆の子の像」に納める。
http://tamutamu2014.web.fc2.com/
小沢元民主党代表強制起訴・尖閣諸島問題
http://tamutamu2011.kuronowish.com/ozawakisosoutou.htm