米大統領おもてなしの歴史 高級すし店、居酒屋、別荘…、国民は隷属すれば日本に有利になると思っているが、逆。徹底的にしゃぶられる。中曽根首相-50%の円高容認で輸出不振と企業海外移転で日本空洞化、吉田首相―好きな場所に好きなだけ基地提供
A;事実関係
米大統領おもてなしの歴史 高級すし店、居酒屋、別荘…(毎日新聞)
米大統領が来日した際には、日本側は宮中や首相公邸、東京・元赤坂の迎賓館などで公式の夕食会を開くのが慣例だ。さらに非公式な会食などでもてなし、首脳同士の「親密さ」を演出するケースは多いが、その場で懸案を巡って首脳会談並みのやり取りが交わされることもある。最近では2014年4月のオバマ大統領の来日時、安倍晋三首相が東京・銀座のすし店「すきやばし次郎」に招待。格付け本「ミシュランガイド」で三つ星を獲得した名店で、店主の小野二郎さんのドキュメンタリー映画が公開されたことから、米国でも知られる。ただオバマ氏は会食中、日米間で当時厳しい交渉が行われていた環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の議論を持ち出し、日本側を驚かせた。02年2月のブッシュ大統領は、親密だった小泉純一郎首相と東京・西麻布の居酒屋で会食した。ブッシュ氏はアルコールを口にしなかったが、串焼きの盛り合わせなどを楽しんだ。レーガン大統領が1983年11月に来日した際は、中曽根康弘首相が東京都日の出町の山荘へ招待。両氏は「ロン」「ヤス」と呼び合う蜜月関係で知られ、中曽根氏が茶の湯で接待し、昼食は日本酒で乾杯してマツタケやすしを味わった。一方、74年11月、現職大統領として初めて来日したフォード大統領は、田中角栄首相と非公式な会食の機会はなかった。フォード氏は京都も訪れて料亭でてんぷらを食べたが、田中氏は同行しなかった。
B:米国に隷属的対応をしたことで、多くの国民は、米国は日本に何か厚遇を与えてくれるとでも思っているようであるが全く逆だ。
(1)中曽根首相:
私は日本経済の低迷は一九八五年のプラザ合意から始まったと判断している。日本を円高に誘導し、それによって、①日本製品を割高にして米国市場への輸出を困難にし、併せて、日本で生産するものは割高になるので、日本企業は海外に工場を移転させ、日本経済の空洞化を起こした。宮沢喜一氏は著書『聞き書 宮沢喜一回顧録』で次のように書いています。「1ドルが241円70銭、12月30日は200円50銭、翌年の7月には155円50銭。後年になりまして、プラザ合意の時にどれくらいまでドルを下げるつもりだったのか関係者に聞いてみてもだれも確たる考えがあったわけではないらしいですね。2割くらいと思っていたのではないかと思いますが」つまり、一気に日本製品が50%割高になった。このプラザ合意を実施したのはベーカー財務長官であった。中曽根首相は次のように書いている。「円高に踏み切ることを決断したのは六月二二日ベーカー財身長官に会った日でした。八五年六月にベーカー君と会って、(貿易黒字削減については)大蔵省にもう個別的な規制(対策)じゃだめだから総括的規制をやれといっているのですね。すべてモグラ叩きのようになっていて“このままではダメだから、円安を円高に持っていかないと、いつまでも続く」と考えたわけです。ここは思い切った円・ドル調整をやらなければ、という気がして、大蔵省と竹下君に準備させた」この円高で日本製品の輸出が困難になり、日本企業が海外に進出し、日本の空洞化が起こったのである。
(2)吉田首相
ポツダム宣言は「十二 前期の諸目的が達成され、かつ、日本国国民の自由に表明された意思に従って平和的な傾向を有し、かつ、責任ある政府が樹立された場合には、連合国の占領軍はただちに日本国より撤収する」と書いてある。つまり、日本が独立したら、米軍は日本から撤退することとなっている。サンフランシスコ講和条約で日本は独立した。首席代表は吉田首相である。その日同時に安保条約(旧)がむすばれ、後日、それを具体的な約束にするため、日米行政協定(今日の地位協定)が結ばれた。日本側と交渉する責任者ダレスは「好きなだけの軍隊を、(日本の)好きな場所に、好きなだけ置く」ことが米側の目的だとのべ、現にそれを勝ち取った。
首脳間同士の強い絆が出来れば、日本に優位に働く。そんな幻想から覚醒すべきだ。