飛騨の山猿マーベリック新聞

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≪ 自由党定例記者会見≫

2018年05月15日 16時41分30秒 | ●YAMACHANの雑記帳

2018.5.15 自由党定例記者会見

 参議院議員山本太郎 公式Web http://taro-yamamoto.jp/ 山本太郎となかまたち Web http://yamamototaro.org/ 山本太郎ツイッター https://twitter.com/yamamototaro0 太郎広報ツイッター https://twitter.com/taro_koho 山本太郎事務所 Facebook https://www.facebook.com/imahahitori?...
 
 
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≪コープかごしま≫「憲法守れ!トラックパレード」 2018年5月12日

2018年05月15日 13時25分12秒 | ●YAMACHANの雑記帳

コープかごしま「憲法守れ!トラックパレード」 2018年5月12日

2018年5月12日  コープかごしま労組として三年ぶりとなるトラックパレードを5月12日土曜日、生協理事会との共催で開催しました。今回のトラックパレードは安倍政権の下で『戦争ができる国』づくりに道を開くために、現行の平和憲法に自衛隊を明記し、武力行使や戦力の保持、交戦権を認める動きにストップをかけようと、鹿児島市民にアピールしようと計画したものです。  出発集会には51名の労組員と子供さんが参加し、上城組織運営本部長と溝口執行委員長のあいさつの後、今年入協した松元センターの大迫優友(ゆうと)さんが集会宣言を読み上げて、トラックパレードをスタートさせました。今回は34台のトラックを鹿児島センターと松元センターに出していただき、5台1組の隊列で鹿児島センターを出発し、鹿児島中央駅、天文館を経由し、みなと大通り公園で折り返す約1時間半のルートでした。5台隊列の先頭にはアナウンサーが乗車し、マイクで憲法を守ろうと市民にアピールしました。  また、同時に天文館では「平和憲法を守ろう」の署名行動を行いました。天文館では12名の方が参加され署名のほか、シール投票も行い通行人に協力を呼びかけました。一時間半近くの行動となりましたが合計で110筆の署名が集まり、大きな成果となりました。 国会では「森友・加計問題」や労働法の改悪に関する審議が続いていますが、安倍首相は秋の国会に憲法改正の発議を上程しようと準備を進めています。予断は許せません。できる限りの署名を集め、安倍政権に何としても発議させないようにみんなで力を合わせてがんばりましょう。 ・・・・・・・・・・ (集会宣言) 「憲法9条を守れ!」 「戦争できる国作り反対!」 憲法を守る運動を大きく広げましょう! 集会参加者のみなさん 安倍首相は5月3日の改憲推進派が開いた集会において「いよいよ私たちが憲法改正に取り組むときが来た。」「この一年間で憲法改正の議論は大いに活性化し、具体化した」とビデオメッセージで発言しました。憲法九条二項の後に自衛隊を明記し、自衛の措置は前項の規定を妨げるものではないと文言を入れ、実質的に九条を空文化させようとしています。しかも政府は集団的自衛権を閣議で容認しているため、海外のどこに行っても同盟国が起こす戦争に参加することができるようになります。 日本国憲法はたくさんの被害をもたらした戦争の反省の上に作られています。私たちはこの世界に誇れる憲法を政治や外交に生かしていくことによって、世界の平和に寄与していくものではないかと考えます。 私たちが働く生協コープかごしまでは、「よりよい生活」も「平和」があってこそ成り立つことを歴史の中で学び、「よりよき生活と 平和のために」というスローガンをかかげ、私たちの生協の大きな柱にして平和の取り組みを進めてきました。昨年の生協コープかごしま通常総代会では、「改憲の動きに対しては、平和で安心してくらせる社会の実現を目指して憲法を守る取り組みを強めます」と決議しました。 いま、平和で安心して暮らせる社会を求める国民の願いを踏みにじり、憲法を変え、戦争できる国づくりに向けて暴走する政府に「待った!」をかけるため、「平和憲法を守る署名」の推進をはじめとする憲法を守る行動をさらに強めていきましょう。 「憲法を守れ!」「戦争できる国作り反対!」を高らかに掲げ、本日の行動でその意思を示しましょう。                            2018年5月12日 コープかごしま労働組合・生活協同組合コープかごしま共催 2018年トラックパレード出発集会

堀内孝雄 恋唄綴り サンキュー( ´艸`)

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★開いた「パンドラの箱」、エルサレム分断 米大使館移転

2018年05月15日 12時56分45秒 | ●YAMACHANの雑記帳

US Embassy Jerusalem Dedication Ceremony

開いた「パンドラの箱」、エルサレム分断 米大使館移転

写真・図版在イスラエル米国大使館のエルサレム移転に反対し、パレスチナの旗を振って抗議する女性=2018年5月14日午前11時42分、パレスチナ自治区ガザ地区、杉本康弘撮影

イスラエルとパレスチナがともに首都と主張する聖地エルサレムを、トランプ米大統領は一方的にイスラエルの首都と宣言。14日に米大使館の移転に踏み切った。パレスチナの抗議デモへ向けてイスラエル軍は実弾や催涙弾を放ち、この日だけで2千人以上が死傷した。トランプ氏が開けた「パンドラの箱」は中東和平交渉再開の希望をつぶした。(エルサレム=渡辺丘、杉山正、ガザ=翁長忠雄)

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LIVE ≪ 山本太郎 議員 内閣委員会 質疑≫

2018年05月15日 11時31分29秒 | ●YAMACHANの雑記帳

LIVE 🌏 山本太郎 議員 内閣委員会 質疑

monbran
 2018年5月15日 #参議院#内閣委員会#国会2018 質疑者 山本太郎(希望の会(自由党))
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≪小沢一郎政治塾 塾長挨拶≫

2018年05月15日 11時13分08秒 | ●YAMACHANの雑記帳

小沢一郎政治塾 塾長挨拶

小沢一郎

小沢一郎政治塾

自由党の機関として設立された。「平成の松下村塾」を標榜し、「政治塾」と称しているが政治家養成のみならず、各界の指導者育成にも力を入れている。2003年からは、民主党との合併により政治塾は党の機関から小沢の私塾として存続している[1]。民主党の国政選挙候補者に塾卒業生の擁立が相次ぎ、松下政経塾と並ぶ政治家の育成学校となっている。なお松下政経塾は塾生に年240万円以上の支給(2年目以降は別途100万円の支給)を行っているが、政治塾では塾生への現金支給を行っていない。このことにより、小沢塾出身者は、野武士集団・雑草集団とも言われる[1]

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≪NNNドキュメント≫ 2018年5月13日 「南京事件II」

2018年05月15日 10時42分27秒 | ●YAMACHANの雑記帳

NNNドキュメント 2018年5月13日 18.05.13 「南京事件II」

NNNドキュメント
 NNNドキュメント 2018年5月13日 「南京事件II」
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≪中日新聞社説≫野中氏の思い胸に刻む 沖縄きょう復帰の日

2018年05月15日 09時51分19秒 | ●YAMACHANの雑記帳

野中氏の思い胸に刻む 沖縄きょう復帰の日

沖縄本島中部の宜野湾市にある嘉数高台公園(かかずたかだいこうえん)

沖縄に思いを寄せる政治家がまた一人この世を去りました。自民党幹事長や官房長官を務めた野中広務さん。その半生は沖縄の苦難の歴史と重なります。

http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2018051502000104.html

 今年一月二十六日、九十二歳で亡くなった野中さんが初めて沖縄の地を踏んだのはまだ三十代だった一九六二年。京都府園部町長としてパスポートを携えて米軍統治下の沖縄を訪れたのは、宜野湾市の「嘉数の丘」に、京都府出身の戦没者を慰霊する「京都の塔」を建てるためでした。米軍普天間飛行場を望む高台は太平洋戦争末期の沖縄戦の激戦地。京都府出身の犠牲者二千五百四十五人のほとんどが、この高台で亡くなりました。

妹失った県民の叫び

 那覇から嘉数の丘に向かう途中で、野中さんが生涯、胸に刻み続けた出来事に遭遇します。タクシーが宜野湾に差し掛かると、サトウキビ畑の中で急停車し、運転手が肩を震わせて叫んだのです。「お客さん、あそこで、私の妹は殺されたんです。アメリカ軍にじゃないんです」それは、野中さんも属した日本軍が、沖縄県民の殺害に関与していた衝撃の事実でした。野中さんの生前の回想によると運転手は一時間ほど、ハンドルに泣き崩れたままだったそうです。ようやく涙が収まったとき、野中さんはその運転手に「気の毒でしたね。ひどいことが行われたんですね」と声を掛けるしかなかった、といいます。沖縄は日本国内最大の地上戦の戦場でした。当時六十万県民の四分の一が犠牲になり、親しい人を失った悲しみと、今もなお米軍基地の負担と重圧に苦しむ県民の苦悩が、野中さんを沖縄と深く結びつけることになります。野中さんはその後、京都府の府議や副知事を経て、五十七歳で衆院議員に当選します。

軍靴で踏みにじるな

 国会議員としては遅咲きですが「政界の狙撃手」と呼ばれる辣腕(らつわん)ぶりで、田中派から橋本派へと続く当時の自民党最大派閥の中で実力政治家として頭角を現します。初めて閣僚に起用された村山富市内閣の自治相として阪神大震災やオウム真理教事件に対応し、政治手腕をいかんなく発揮します。しかし、沖縄のことが頭から離れることはありませんでした。九七年のことです。野中さんは楚辺通信所(読谷村)の使用期限切れを契機に、期限後も米軍用地の暫定使用を可能にするための改正米軍用地特別措置法案を審議する衆院の特別委員長でした。委員長は委員会での審議結果と経過を本会議で報告します。通常は用意された文書を読み上げるだけですが、野中さんは壇上で突然脳裏に蘇(よみがえ)ったタクシー運転手の叫びを紹介し、こう続けたのです。「この法律が沖縄県民を軍靴で踏みにじるような結果にならないようにしてほしい。そして、多くの賛成で可決されようとしているが、『大政翼賛会』のような形にならないように若い方々にお願いしたい」この発言は特措法改正のために当時第一党と第二党だった自民、新進両党が手を結んだことを、大政翼賛会にたとえてけん制したものでした。批判勢力を排除し、沖縄に安全保障の負担を押し付ける政治の在り方が、戦前・戦中と重なったのでしょう。沖縄県はきょう本土復帰から四十六年を迎えました。苛烈な米軍統治は終わりましたが県内には在日米軍専用施設の約70%が残ります。米軍による訓練や運用中の事故や騒音、米兵らの事故や事件も後を絶たず、県民は重い基地負担を強いられています。危険な普天間飛行場返還のためとはいえ、名護市辺野古という同じ県内への移設では県民の基地負担は抜本的には軽減されません。米兵らの特権的な法的地位を定めた日米地位協定の存在は、日本国憲法が沖縄では厳格適用されていない、との疑念も生みます。沖縄では今もなお「戦争」は身近な存在としてあるのです。

遺骨の一部を沖縄に

 野中さんは生前、本紙の取材に「沖縄を忘れることは第二次世界大戦を忘れることだ。戦争の恐ろしさを忘れないためにも、沖縄のことを絶対に忘れてはいけない」と語っています。自分の子どもたちには「私が死んだら、遺骨の一部を嘉数の丘の慰霊塔に納めてほしい」と託しました。ゆかりの人たちが沖縄を忘れないために、だそうです。時を経るにつれ、戦争体験世代は政界を去り、沖縄に思いを寄せる政治家も少なくなりました。自衛隊の増強が続き、安倍晋三首相自らが平和憲法の九条改憲論を提唱する時代です。「いつか来た道」を再び歩まないためにも、野中さんの思いを私たちも胸に刻まねばなりません。

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