■「世界名作劇場」10年ぶり“復活”
■公式ページ
何を血迷ったか、題材は「レ・ミゼラブル」。
なんたる無常。
レ・ミゼラブルなんて「コゼットお嬢さんの母親が、貧困で自分の歯を売る」シーンくらいしか記憶に残ってません。怖いよ怖いよ。
評判を見ようとネットを回ってみましたが、あからさまに狙いまくってるコゼットさんのビジュアルに、反感持ってる意見がちらほらと…。
でも正直、元々「名作劇場」ってそんな傾向があったと思うので「何をいまさら」な気がします。
てか、あの番組に高尚な何かを期待してる人は、「名作」って名称や「懐かしアニメ特集」の「感動のあのシーン」とかに騙されてるだけだと思う。
例えば、私がリアルタイムで見て、一番記憶に残ってるのは「愛の若草物語」です。
ワニに喰われるエイミーとか、他の姉妹が男と遊んでる中、一人本を読んでるエリザベスとか、放送事故とか、エイミーの勝利宣言エンドとか、ろくでもないことばかりが記憶に焼きついてる。
(つうか、「エイミーが主役」な時点で何かが間違ってる)
他のシリーズも、魔女と戦うピーターパンだの、性転換してるレミだの、「それは今やったら犯罪だ」なあしながおじさんだの、ろくでもないものばかり。
そもそも、娯楽小説である「赤毛のアン」や「あしながおじさん」と、教育書である「若草物語」を並列に扱ってる時点で、かの番組の立ち位置に気づくべきかと。
で、せっかくなので名作劇場版「赤毛のアン」の紹介ページを見てみたところ、
少ないキャラ紹介の中に、しれっとルビーギリスが混ざってた。
すげぇ、ジェーンやプリシラを差し置いて、何でお前ごときが!
ここしばらく、ハンドルで「RubyGillis」を名乗ってる私ですが、元ネタは「赤毛のアン」のルビーギリスです。
一言でいえば黄色。九条さんとアルテッサのダメなところを、「ぴっち」のココにぶち込んで煮込んだ感じの娘さん。
作者からまで「いらない子」宣言をされ、哀れ3巻で退場することになる面白キャラです。
「赤毛のアン」は100年前の話ということもあって、割と「真面目な話」扱いされがちですが、
実際に読んでみると現代の学園ものの先駆者と言えるような愉快な話です。
「ふたご姫Gyu!」を初めてみたとき、「ああ、『アン』みたいだ」と思ったくらいだし。
例えばこんな感じ。
アン・シャーリー:(建前上の主人公。妄想家)
「私、体罰って良くないと思うの!」
ジェーン・アンドリュース:(生真面目。現実家)
「でも、口で言っても分からない子もいるじゃない」
ダイアナ・バーリー:(無能。三度の飯より食事がすき)
ばくばくばくー!むしゃむしゃむしゃー!(我関せずとひたすらケーキの大食い)
ジェーン:
「世の中、そんなにうまくはいかないって」
アン:
「愛をもって接すれば、きっと分かってくれるわ!」
ルビー・ギリス:(才色非兼備)
「愛?そうよね、愛って大事よね!そういえば私、この間、隣の男の…」
アン:
(ルビーの戯言は無視)
「子供だってちゃんとした人間として扱わないと」
ジェーン:
(同じく無視)
「そう?まずは、きちんと躾けるべきよ」
ダイアナ:
(当然、無視)
ばくばくばくー!むしゃむしゃむしゃー!
ルビー:
「ちょっと、少しは私の話も…ぅきゃー!」(←何もないところで脈絡なく蹴つまづき、顔面殴打)
アン:
(いつものことなので無視)
「初めからあきらめてはダメよ!」
ジェーン:
(やっぱり無視)
「だったら、やってみなさいよ!」
ルビー:
「転んだ!鼻打った!痛い痛い痛い痛い!!」
アン:
(それでも無視)
「ねぇ、ダイアナはどう思う?」
ダイアナ:
「…え?ああ、うん、このチョコレートケーキ美味しいよね♪」
アン:
「…」
ジェーン:
「…」
…後日、「結局、ジェーンの言ってたことが正しかった」と頭を抱えるアンでオチ。
(体罰の実際の是非については時代性を考慮してください)
そして、全員から「あの娘はダメだから」と無視されるルビーにときめき。
「名作劇場」版は、そんな原作の爛れた部分をうまく料理してていい感じです。
「不運の白百合姫」の回とかお勧め。
一応「アン」の映像ものとしては実写の劇場版のが有名ですが、あれは「アン」に対して高尚な何かを見出してしまってる勘違い作品という気がする。
(アン・シャーリーを、素敵な想像力を持つ理想的なお嬢さん扱いするのは、レイン姉さんをそういうキャラだと思うのと同レベルで間違ってる。
あの「想像力豊か」描写はギャグでやってるんであって、それを「少女の理想像」みたいな解釈をしたらダメ)
まぁ、そんなわけで新シリーズ「レ・ミゼラブル」もちょっと楽しみ。
なんか公式ページのあらすじ読むに、「小公女セーラ」の焼き直しなんじゃないかとも思えますが…。
とりあえず放送局がBS。どうしたものか。
■公式ページ
何を血迷ったか、題材は「レ・ミゼラブル」。
なんたる無常。
レ・ミゼラブルなんて「コゼットお嬢さんの母親が、貧困で自分の歯を売る」シーンくらいしか記憶に残ってません。怖いよ怖いよ。
評判を見ようとネットを回ってみましたが、あからさまに狙いまくってるコゼットさんのビジュアルに、反感持ってる意見がちらほらと…。
でも正直、元々「名作劇場」ってそんな傾向があったと思うので「何をいまさら」な気がします。
てか、あの番組に高尚な何かを期待してる人は、「名作」って名称や「懐かしアニメ特集」の「感動のあのシーン」とかに騙されてるだけだと思う。
例えば、私がリアルタイムで見て、一番記憶に残ってるのは「愛の若草物語」です。
ワニに喰われるエイミーとか、他の姉妹が男と遊んでる中、一人本を読んでるエリザベスとか、放送事故とか、エイミーの勝利宣言エンドとか、ろくでもないことばかりが記憶に焼きついてる。
(つうか、「エイミーが主役」な時点で何かが間違ってる)
他のシリーズも、魔女と戦うピーターパンだの、性転換してるレミだの、「それは今やったら犯罪だ」なあしながおじさんだの、ろくでもないものばかり。
そもそも、娯楽小説である「赤毛のアン」や「あしながおじさん」と、教育書である「若草物語」を並列に扱ってる時点で、かの番組の立ち位置に気づくべきかと。
で、せっかくなので名作劇場版「赤毛のアン」の紹介ページを見てみたところ、
少ないキャラ紹介の中に、しれっとルビーギリスが混ざってた。
すげぇ、ジェーンやプリシラを差し置いて、何でお前ごときが!
ここしばらく、ハンドルで「RubyGillis」を名乗ってる私ですが、元ネタは「赤毛のアン」のルビーギリスです。
一言でいえば黄色。九条さんとアルテッサのダメなところを、「ぴっち」のココにぶち込んで煮込んだ感じの娘さん。
作者からまで「いらない子」宣言をされ、哀れ3巻で退場することになる面白キャラです。
「赤毛のアン」は100年前の話ということもあって、割と「真面目な話」扱いされがちですが、
実際に読んでみると現代の学園ものの先駆者と言えるような愉快な話です。
「ふたご姫Gyu!」を初めてみたとき、「ああ、『アン』みたいだ」と思ったくらいだし。
例えばこんな感じ。
アン・シャーリー:(建前上の主人公。妄想家)
「私、体罰って良くないと思うの!」
ジェーン・アンドリュース:(生真面目。現実家)
「でも、口で言っても分からない子もいるじゃない」
ダイアナ・バーリー:(無能。三度の飯より食事がすき)
ばくばくばくー!むしゃむしゃむしゃー!(我関せずとひたすらケーキの大食い)
ジェーン:
「世の中、そんなにうまくはいかないって」
アン:
「愛をもって接すれば、きっと分かってくれるわ!」
ルビー・ギリス:(才色非兼備)
「愛?そうよね、愛って大事よね!そういえば私、この間、隣の男の…」
アン:
(ルビーの戯言は無視)
「子供だってちゃんとした人間として扱わないと」
ジェーン:
(同じく無視)
「そう?まずは、きちんと躾けるべきよ」
ダイアナ:
(当然、無視)
ばくばくばくー!むしゃむしゃむしゃー!
ルビー:
「ちょっと、少しは私の話も…ぅきゃー!」(←何もないところで脈絡なく蹴つまづき、顔面殴打)
アン:
(いつものことなので無視)
「初めからあきらめてはダメよ!」
ジェーン:
(やっぱり無視)
「だったら、やってみなさいよ!」
ルビー:
「転んだ!鼻打った!痛い痛い痛い痛い!!」
アン:
(それでも無視)
「ねぇ、ダイアナはどう思う?」
ダイアナ:
「…え?ああ、うん、このチョコレートケーキ美味しいよね♪」
アン:
「…」
ジェーン:
「…」
…後日、「結局、ジェーンの言ってたことが正しかった」と頭を抱えるアンでオチ。
(体罰の実際の是非については時代性を考慮してください)
そして、全員から「あの娘はダメだから」と無視されるルビーにときめき。
「名作劇場」版は、そんな原作の爛れた部分をうまく料理してていい感じです。
「不運の白百合姫」の回とかお勧め。
一応「アン」の映像ものとしては実写の劇場版のが有名ですが、あれは「アン」に対して高尚な何かを見出してしまってる勘違い作品という気がする。
(アン・シャーリーを、素敵な想像力を持つ理想的なお嬢さん扱いするのは、レイン姉さんをそういうキャラだと思うのと同レベルで間違ってる。
あの「想像力豊か」描写はギャグでやってるんであって、それを「少女の理想像」みたいな解釈をしたらダメ)
まぁ、そんなわけで新シリーズ「レ・ミゼラブル」もちょっと楽しみ。
なんか公式ページのあらすじ読むに、「小公女セーラ」の焼き直しなんじゃないかとも思えますが…。
とりあえず放送局がBS。どうしたものか。