天と地の間

クライミングに関する記録です。

トレイルラン  「 宝満山―三郡山 」

2009年09月27日 | トレーニング
いつも平地を走っているので(といっても週1,2回程度であるが)、冬壁に向けて、坂道のコースも取り入れねばと常々思っていた。
で、10月頃からトレイルランをトレーニングに取り入れようとかと思っていたところ、このところ右肘の状態が芳しくないため、日曜
日は思い切ってオフにし、前倒しでトレイルランをすることにした。
トレイルラン。今でこそ、しゃれた名前が付いているが、その名の存在しないときからたまにしていた。そのトレーニングとしての山
の中のランニングがこれほどはやり、競技化するとは思いもしなかった。
 その理由は、欧米では老若男女問わず、バックパッキングが定着しているが、日本では、急登する山の環境から(それだけではない
が)登山は中高年を除いて、それほどはやってはいない。ということから、若い人の間では、急登するコースでのトレイルランはそれ
ほど流行らないのではと思っていたのであるが、愛好者は結構いるようだ。レースでは、十分に吟味してコース設定をしているのだろう。

 そのトレイルランを始めるにあたって、福岡の地理に不案内な私は、どういったコースがあるのか分からないため、知り合いに、耳に
した事のある油山のコースをメールで問い合わせたところ、無しのつぶて。こうゆうこともあろうかと、定期的にトレイルランをしてい
る安さんにも問い合わせていた。彼の薦めでは、宝満山が良いという。噂には、きつい所と聞いているが「初日だ。無理せず早足で歩い
て登ろう」と宝満山に行くことに決めた。
 あくる日、パッキングをしていると、メールが入ってきた。油山のコースを問い合わせていた彼女からだ。お・そ・い。おそいぞ!松
ジュン!

 宝満山。言わずと知れた英彦山、背振山とならんで九州では代表的な霊山である。
 竃門神社に着くと、さすがに福岡市内に近い山だけあって、お客さんが多い。見学もそこそこに、すぐに走り始めたが、狭い登山道と
多い登山者で立ち止まることが多く、やむなく早足にした。というのは、口実で実はきつかったのである。急登で一段が高いため、走り
には適さない。私にとっては。

  

山頂でお弁当をひろげる登山者の多いこと。   山頂からの展望。こんな近くに         
皆、笑顔で憩う。                 こんな良い山があるとは。


  
 
片方は錆びたリングボルト、もう片方は     なかなか見た目に良いクラック。
錆びた鉄の棒。なんとも大胆。         ただ、場所が・・・



 先を行く登山者をかわしながら山頂に到着すると、お客さんの多いのに驚いた。福岡では、近郊登山のメッカ的な存在なのだろう。
 山頂を一回りすると、トップロープが掛かっているのが目に付いたのでクライミングをやっているのだろうかと下りてみると、おじ
さんが二人登っていた。壁は意外に立っており、右のほうにはそそられるシンクラックが走ってたが、登れる本数はわずか。よくここ
までギアを持ち上げたもんだ。私は、お客さんが多いここで登る気にはならない。





小休止した後、三山郡山に向け走り出すと、宝満山までと違い、登山者が少なくなり、また、極端な高低差が無いだけに走しやすい。
それでもそこは山道。時折現れる急坂や荒れ道で何度か歩きを余儀なくされたが、概ね快適に走ることが出来た。
 折り返しはというと、ややばて気味。特に、宝満山から竃門神社までは登り並にきつかった。

 今回は、専用の靴を持っていないためにランニングシューズで走ったが、石の上に乗ると柔らかすぎるため、踏ん張りが利かず、バ
ランスを崩すときが何度かあった。やはり、トレイルラン用の靴でないと足元が危ない。
しかし、これがまた高い。


今回の行程 往復約11km

       3.1k       0.5k      2k
竃門神社・・・・・・・宝満山・・・・・・・仏頂山・・・・・・・山郡山
147m        830m     869m      936m
 
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

比叡Ⅱ峰奥壁 人形岩リボルト及びアプローチ整備

2009年09月23日 | 開拓
右腕の状態が思わしくないので、連休にもかかわらず登るのはやめて、開拓準備とアプローチ整備をかねて比叡に行くことにした。
日曜日の午後3時過ぎに一人軽四に乗ってのんびりと向う。7時到着すると、連休のわりには来ている人は少ない。これから入るのだ
ろうか。
 今日は、ゆっくり本でも読もうと久しぶりにテント泊にした。積読になっていた本を3冊ほど持ってきたが、結局、缶ビールを2本
飲んだら何時しか眠ってしまった。軽四の長丁場で疲れた出たのかもしれない。本は、また積読に戻る。

9月21日(月)
 Ⅲ峰のフィックスの張替えかたがた、アプローチを整備しようと鎌を持って行くと、トンネル入り口から左へと上がるアプローチ
が崩壊しており、やや歩きにくくなっている。後で聞いたところによると、1週間ほど前にあった地震が原因とのこと。一人ではど
うしようもないので、そのままし、Ⅲ峰へと行くとすでに入り口は藪に覆われ、自然に返っていた。早速、鎌を振りはじめたが、
どうも右腕が芳しくない。せめて入り口だけでも分かりやすく伐採しようと、とりあえずの伐採をし、フィックスを張り替えて下り
る事にした。

続いてメインのⅡ峰奥壁のアプローチ整備へ。
鋸、鎌、鍬の開拓3点セットを持って奥壁へと行くとわずか30分にもかかわらず、汗だくとなる。開拓途中の三つ子ハングの取り付
き基部に着くと、懸念であったルーフにあるスズメバチの巣が前回よりも大きくなっており、蜂も勢い良く飛び回っている。やはり、
掃除はやめたほうが無難と判断し、仕方なく取付までの伐採とマーキングを行った後、人形岩のアプローチを作るためにそちらへ向
かうことにした。

人形岩
 Ⅰ峰のピーク、もしくはⅠ峰北面のルート上からⅡ峰奥壁を望むとすぐにそれと分かる岩塔である。しかし、奥まった位置にある
ため、知っている人は数少ない。ルートも2本引かれているのみで、そのうちの1本は2ピッチまでで終了している。今回、私が狙
っているのはその1本をつなげるルートである。
記録には、3ピッチ目はクラックが途中で途切れているとなっており、開拓途中であきらめたのかと思いながらも、念のために当時
の開拓メンバーに3ピッチ目の開拓の了承と、やめた真意を尋ねたところ、開拓途中で稲光と共に雷が鳴り出したのでやめたとのこ
と。20年近く前のことのため、はっきりしないところがあるが、やめたのは事実のようである。

人形岩の基部まで行ってみると、取り付きまでのアプローチはマーキングは無く、羊歯と藪に覆われ、たどり着くまで羊歯を払いな
がらの藪漕ぎとなる。取り付きに着くと、最短で楽にたどり着けるコースを探し、再び鎌と鋸を携えて羊歯と木を切りながら戻る。
幸いなことに鋸を引くときは腕の痛みはそれほどでもない。一時間近くかけてアプローチを作り、マーキングも終えたところで、取
りあえず様子を探るため、1ピッチ登ることにした。

 Ⅱ峰周辺の岩場は、下部の風化が進んでいるようだ。ここも例外にもれず下部にやや風化が見られるが、登るにつれてよくなって
くる。カムもジャムもがっちり効き、快適だ。グレードは、あって10aぐらいだろうか。
 1ピッチ終了点より、2ピッチ目を望むとクラックが右に回りこんで終了点こそ見えないがクラックが続いているようであり、ブ
ッシュもあまり生えてはいない。なんとか2ピッチ終了点まで行けそうであるが、今日はここまでにし、フィックスを張り、懸垂で
下りる事にした。

庵に行くと、いつものメンバーは韓国遠征で出払っており、代わりに関西の会の方が7人来ていた。この晩は、関西のクライミング
の動向などを聞いたりして交流を深める。

 明けて火曜日。
 朝から小雨模様。しかし、少し待てば上がりそうな気配であるため、ゆっくりと過ごす。昨日、デポをしようかとも思ったが、雨が
気にかかり、フィックス以外は撤収したのが幸いした。しかし、今日はすべてを一人で担ぎ上げなければならない。
 雨が上がったのを見計らって、比叡へと向かう。Ⅱ峰下部に車を止めて、ザックにカム2セット、ボルトキット、ドリル、鍬、鋸等
を詰め込むと大変な重さになってしまった。30k近くはあろうか。一人では致し方ない。ゆっくり行くことにする。
 40分ほどかけて、人形岩取り付きへ。フィックスにグリグリをセットし、1ピッチ終了点へ到着後、リボルトのための穴を穿つと
ドリルの音が辺りへ反響する。おそらく、Ⅰ峰を登っている人たちが振り向いているだろう。一人でこんなことをしているところは極
力見られたくないが、これも致し方ないこととあきらめ、せっせと作業を進める。



      2ピッチ目




新たに作った2ピッチ終了点より取付を見下ろす。ロープが壁から離れている。




  人形岩の側壁。上部は薄く被ってくる。


 終了点打ち替え後、2ピッチ目の登攀に入る。1ピッチ目よりやや難しいといったところであるがグレードは同じ10aぐらいとい
ったところだろうか。カンテを回り込むとすぐ上に終了点が見えてきた。2ピッチ目までは作られているようである。2ピッチ目に到
着後、終了点上部を仰ぐと、クラックが続いているが途中で切れている。その先のフェースは薄被りでホールドは何も無い。絶望的で
ある。クラック部分も下部は指が入らない程度のシンクラックである。記録にある途中で切れていたとういうクラックは間違いなくこ
れであろう。あきらめたのが納得できる。私もここまで来て、がっくりと来たが、何か可能性があるかもしれないと、左へとトラバー
スして上部を窺うと、ブッシュが点々と上部へとつながったいるところを見つけることが出来た。行って見なければわからないが、3
ピッチは、ここにルートをとることに決め、2ピッチの終了点を既設の終了点から3m程はなれたところに打つことにした。さすがに、
ここからはパートナーがいなければ行けないだろう。無理はしないことにし、懸垂で下りる事にした。
 この日は、また庵に戻り、関西の人たちと談笑。明けて次の日は、疲れもあったため、朝、引き上げることし、関西の人たちとまた
の再会を期し、比叡を後にした。



途中で切れたクラック。そこまでもかなり悪い。人形岩の全体像を掲載できないのが残念。
次回ご期待。




 登攀しなければピークに立つことの出来ない岩塔は、やはり魅力的である。ガストン=レビュファの星に延ばされたザイルではないが、
ピークでザイルを手繰って下に投げるのも一興だ。是非とも立って見たい。
 まだ、三つ子ハングが開拓途中であり、また仕事を増やす結果になってしまったが、幸いにも三つ子ハングの取り付きから人形岩まで
は5分程度である。掛け持ちで出来そうである。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本匠遊歩道、魚道、切り株エリア

2009年09月15日 | フェース
・先月、一年ぶりに本匠に行ったが、今度は一月ぶりにまた、本匠に行く機会ができた。メンバーは私を入れて三人。



遊歩道エリアの「タラチネ」10dをトライ中の安さん

本匠デビューの人が一人いたので、最初は魚道がよかったが、日が差すために朝一、遊歩道に向かった。
先客は、三人。アップの後、ヌンチャクがかかっている「飛ぶがごとく」12dをレピートしようと取り付いたが、核心がぬめってフォー
ル。その後、これまたヌンチャクがかかっていた「飛ぶがごとくダイレクト」13bに取り付いたが、核心の入り口ではじき返される。数
年前にムーブはできたが点が線とならず、あきらめていたのであるが、今日取り付いて、核心手前ではじき返されてがっくり来た。
やはり、13bともなると酒なんぞ飲んでいられない。それなりの摂生をしないと。それに通いこむ必要もある。しかし、両方ともそれを
行う気力が今はない。ひとつのルートに固執し、何百回もチャレンジする人がいるが、私には到底まねはできない。11a,bぐらいを数多
く登るほうが楽しい。ということで、魚道、切り株エリアに移動し、11クラスを登ることにした。
連れのI辺さんも、安さんもここで2本ほど落とし、成果があった。来て良かった。



魚道エリアの「エンジェルタワー」11aにトライ中のI辺さん

ちょっと、気になったこと

 近年、ボルダーの影響からか、リードクライミングでも上半身裸で登る人が増えたように思える。登るときに気合を入れて裸で登る
のは分からないでもないが、一日中裸でいるのはどうだろうか?見ている人から嘲笑されているのも分からず、一人、悦に入っている
マッチョに近い心理状態のように見えるのは私だけだろうか。
 まあ、これが山や川原なら問題は無いが、遊歩道はなんといっても観光地である。若い女性も来る。わずか1mにも満たない遊歩道
で上半身裸の男と観光客がすれ違うという状況がどういうことなのか分からないのだろうか。それが分からないのが悲しい。もっと悲
しいのは、我々クライマーは登らせていただいているということを認識していない点である。
 おばかで間抜けな人には、ずっとそれを演じ続けさせてあげたいが、ことクライミングにかかわることであれば注意せねばならない。
そう思っているところへ、私の登る番が来て、1本登った後、移動のための片づけをしていたらすっかり忘れてしまった。
次回、行った折にいってやろうと思うが、そのときは寒くなってさすがに裸にはなっていないか。いや、寒いのをこらえて裸で通してい
るかも知れんな。この日も涼しかったし。

アメリカ人は、やたらと裸で登るが、彼らが裸になるのは、ちょっと意味合いが違うようだ。人は、日光を浴びないとビタミンDを組成
できないが、ある人の説によると、かつて日照時間の短い高緯度に住んでいた白人は、それがため、よく日光浴をしていたらしい。そ
れが遺伝子に登録されているらしい。それが災いしているのか、オーストラリアのほうでは皮膚がんが増えている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

比叡Ⅲ峰北壁ルート整備および、バリエーション開拓

2009年09月10日 | 開拓
3年ほど前になりますが、比叡Ⅲ峰北壁ルート整備とバリエーション開拓を行いました。
連休に遠征来る人が気が向けば登るかもしれないと思い、ここに記録を掲載します。
なお、この記録は、とある会に依頼されて書いたものです。

 「かねてより気になっていた比叡Ⅲ峰の北壁ルートに取り付こうと思い、開拓者のKさんに状況を聞くと、傾斜はかなり強くて最終ピ
ッチの抜け口が最も悪く、左のほうへ逸れて終了したとのこと。確かにⅢ峰のトンネル前からルートを仰ぐと、垂直近い角度でクラッ
クが左上している。むずかしそうであるがそそられる。
 フリー化は最終ピッチを除いてされているようだ。それ以上の情報はなく、取り付いた人も20数年前のフリー化以外、誰も取り付い
ていないのではないかと云う。そう言えば、Ⅲ峰北壁を登ったという話は聞いたことがない。
 開拓は28年も前のこと、整備には苦労しそうである。支点は、壁の色が鉄分を含んで黄色がかっているだけに、腐食が進んで使い物
にならないだろう。
 ともあれ、後はパートナーである。マルチピッチのクラックに付き合ってくれそうな人は限られる。



2006年4月9日(84・K1)

 ルート図を手がかりにアプローチを踏んでいくが、人の入った形跡がまったくないために藪に覆われ、取り付きにたどり着くまでに
苦労させられる。ここだろうと、目星を付けて10m程ブッシュ帯を上がっていくと、これだろうと思える壁が現れた。が、ここも人の
通った形跡がなく、またルート図からもずれている。しかし、他にはそれらしき引けそうな壁はない。ここと確信したが、下から見上
げた印象とは違い、クラックがすっきり伸びていない。上がれば見えてくるだろうと、ビレイ点を作り、登り始めるもルート図に表示
しているグレード(8)よりかなり悪い。客観性に乏しいほどグレーディングに違いがある。
 10m程登ると完全に腐食したリングボルトと残置ナッツが見えてきた。やはりルートはここでよいようだ。コケを落としながら1ピ
ッチ、フリーで登り、ビレイ点をステンレスボルトに打ち替えセカンドの確保にかかる。登ってきた長友さんもグレードには疑問を持
ったようだ。10aか10bはありそうな感じである。
 2ピッチ目も体感グレードはルート図より高い。想像していた通り、傾斜が結構ある。途中から下を見ると道路が真下に見えるほど
である。2ピッチ目はコケの掃除のためにテンションを入れたがフリーで通過。3ピッチ目のビレイ点は立ち木で行い、20m程のブッシ
ュ帯に入るも、急傾斜のため気が抜けない。
ブッシュ帯を抜け、4ピッチ目を確認したところで、今日のところはこれで終わることにし、スリングを岩に回して支点とし、懸垂で
降りる。
 今日、1、2ピッチを登って感じたことは、ボルト、ハーケンとも最少に打たれていたことである。当時はギアも悪かったはずである。
所々に残置ナッツがあったが、おそらくkさんが言っていた自作ナッツだろう。開拓者の意気込みと緊張感を感じた。

2006年4月30日(84・k1)

 今日は、行けるところまで試登しようと決め、登り始める。1ピッチ目、2ピッチ目をフリーで抜け、2ピッチの終了点を作る予定あ
たりで、ロープがまだ30mあまり残っていたのでそのままブッシュ帯に入り、前回、懸垂した地点までロープを伸ばす。k1さんが上が
ってきた後、4ピッチのビレイ点のボルトを打ち、小休止の後、登攀を開始する。30mあまり伸ばしたところでⅢ峰へ続く樹林帯が見
えてきた。後20mくらいだろうか。ここでピッチを区切りたいところであるが時間が無い。そのまま行くことにする。
フリー化されていない部分はこの上だろう。おそらく、工藤さんも悪いといっていた辺りであろう。「行って見なければわからない。
行ったときに試される」怖くはあるがその緊張感と期待の狭間がなんともいえない。
 終了点直下、やはり核心部が現れた。フェース部分に打たれた完全に錆びたボルトにお情け程度にプロテクションを取り、考えたム
ーブを試すが11はありそうである。ビレイ点からは50mぐらいか。しかもビレイヤーからは見えない。落ちたときのロープの伸びと外
側に投げ出された時のことを考えると体感グレードはいやでも増す。だが、ここまできた以上、終了点に立ちたい。意を決し、立ち込
む。スメアを利かせランジ気味にホールドを取りに行くとホールドは大きいが上に土が薄っすらとのっているために効きが悪い。砂の
粒子が指紋の間で転がる。
「滑る!」「落ちる!」すかさずその上の土に必死に4本の指を立て、辛うじて這い上がる。危ういところだ。

10月8日(84)

 壁が立っているために掃除は一人で行ったほうが安全だろうと一人でⅢ峰に上がり、懸垂をしながら5ピッチのビレイ予定点まで下
がり、ボルトの穴を2つ開けたが、そこでバッテリーが空となり、作業中止を余儀なくされることに。前夜、充電はしていたものの、
しばらく使っていない間に寿命が来たようである。バッテリーを調達して出直しである。

10月21日(84)
 
 前回、終了点直下の凹角を掘ればクラックが出そうな箇所を確認したおり、処理しにくい羊歯と膨大な土の量に掘ろうかどうかと躊
躇したが、せっかくのクラックルート、少々苦労しても掘ろうと今日は鍬を持参でⅢ峰に上がる。
懸垂で3m程下ると今日の最大のお仕事が始まる。鍬で羊歯の茎を払い、土を掘る。コーナーでしかも左上しているだけに右手しか使え
ず、バランスが非常に悪い。
 鍬を振っていたからか、今頃は野良仕事をしているだろう老父母のことがチラッと脳裏をかすめ、複雑な思いに駆られたが、それは
それ、これはこれと今は要らぬ思いを振り払うごとく、鍬を一心に振り続ける。1時間半余りで7m程掘り下げて小バンドに着くと、
右手の皮が破れている。これでは野良仕事の手伝いもおぼつかないだろう。
それにしても、掘り起こした土の量はかなりのものである。おそらく、28年前の開拓当初も埋もれていたのではないだろうか。
 この後、前回打てなかった4ピッチと2ピッチの終了点を作って、安全のため錆びて朽ちたハーケンやボルトを落としながら下降し
たが、ルートから離され、掃除を行うことは困難を極めてきたため、下部は次回、登り返しで掃除をすることにし、この日の作業を終
える。

2007 4月14日(84)

 5月の連休までにはかたを付けようと、3月から天候のいい日を待っていたが、週末になると雨模様というサイクルになったために一
向に行く機会に恵まれず、機会を待っていたら今日となった。
 当初、誰か誘ってと思っていたが、まだ掃除が残っている。フォローをしてもらいながら、なおかつ、掃除もお願いするのも気が引
ける。やはり、一人が良いか。
 取り付きでキャメロット2セット、エイリアン小サイズ2セット、ナッツ1セット、ヌンチャク、ソロのためのシステムを担ぐと、さ
すがに「これで登れるのか?」と不安になるほどの重量になる。今日は掃除が主体だが、あわよくばフリーと思っていた気持ちが早く
も萎える。フリーは固執しないことにし、攀り始める。
1ピッチ目をフリーで通過し、2ピッチ目のビレイ点に着くと懸垂で取り付きまで下降。その後、ホールバックを背負い、ユマーリング
でプロテクションを回収しつつ、ノコで枝を払いながら再び2ピッチのビレイ点に着くと、取り付きから2時間近く要していた。この
調子で行くと夜間登攀を余儀なくされそうである。だが、これ以上の短縮は望めそうもなく、2時間ペースで行くことに決め、2ピッチ
目にかかる。
 2ピッチも運よくフリーで越え、そのまま区切らず3ピッチ目のブッシュ帯へ入り、4ピッチのビレイ点へ。
いよいよ佳境に入る。ここまで来るとオマケのフリーで仕上げが頭をもたげてくる。
 4ピッチ目は難なく通過し、最終の5ピッチへ。
出だしが結構悪い。安全を期し、クライミングアップ、ダウンを数回繰り返し、ムーブを探り、出だしを乗り越す。すぐに右の凹角に
移り込むが右の壁がやや前傾して左上しているためにバランスが悪い。この壁のシンクラックに小ナッツを決めた後、凹角内部のクラ
ックにカムを利かせながら、前回掘り起こしたクラックまでたどり着くと、周りは薄暮となる。
後、9m程。ここまで来ればなんとかなりそうと、小バンドで小休止し、いよいよまだ試していないクラックへ。
右手、右足をクラックに決め、体を上げるも、我が衣手は泥を纏いつつ、ずる、ずると下がっていく。もどかしい。ここへ来て、足の
踝にテーピングをしてないことに気付く。ソロのシステムに気を取られたばかりの注意力散漫か。右足の踝は皮がはげ、血まみれにな
っている。その血まみれの踝を岩に擦り付け、伸び上がる。
こんな、怪我をした部位を硬い無機質な物に強く当てる自虐的行為が他にあろうか?すべては落ちたくない恐怖心とルートを落とした
いという欲求のなせる業である。 フットジャムは、傷と血で効かせにくい。フィストジャムは、サイズが合わず、しかも土が付き、
壁を撫でる。「もっと念入りに掃除をしておけばよかった。!」
 無酸素状態で必死に左手を伸ばすが指は空しく空を切る。「ソロでは落ちれない、落ちたくない」そう思った刹那、無意識にロープ
を�拙み、テンションが入る。きわどい。事なきを得たがやはり、一発で登れなかったのは歯がゆい。
バンドまで後退し、ムーブを変え、再び登りなおすが、またしてもテンションが入る。
ここまで来ると、クライミング、その後のユマーリングと伐採でかなり腕力を消耗していることを実感する。そして、足もかなりむく
み、感覚が鈍ってきているようだ。立ち込みの支持力もなくなってきている。
 しばらく休憩を取りたかったが夜の帳はすぐに下りる。ゆっくりもしていられない。小休止の後、落ちるのを覚悟で最後の力を振り
絞り、あまいジャムに耐えながら左手を伸ばすと辛うじてホールドを捉えた。「これで終える」
 終了点のブッシュ帯に入り、休むのもつかの間、ヘッドランプを点け、5ピッチのビレイ点まで懸垂。再びユマーリングで終了点ま
でたどり着いたときには、しばらく動く気にも、さりとて感慨にふける気にもなれず、ただ、樹林帯の闇に視点を置き、しゃがみ込ん
で漫然とするのみ。
時計を見ると8時前である。9時間ぶら下がっていたことになる。くたびれるはずである。
 今日は家へ帰る余力は無いだろう。庵へ行こう。



後記
 北壁ルートは途中にブッシュ帯が入り、お世辞にもすっきりしたルートとは言えないが、いざ、取り付いてみると、久しく忘れていた
「何か」を思い起こさせてくれるものがあり、久しぶりに熱中させてくれた。いま、その「何か」と「これから」をゆっくりと思っている
ところである。
 
5月19日

 I辺さんの協力を得て、総仕上げの整備を行った。やはり、一人と二人では大違いであった。おかげで整備が大いに、そして楽にはか
どった。まだ草木が点在しているが、壁の傾斜が強く、なおかつ、下を道路が通っているために、落石を誘発させないことを考えて、こ
れ以上の伐採は行わないことにした。

 最後に、ビレイ点はステンレス製のボルト、ハンガーにしたが、すべての支点は、完全に腐食していたために、安全を考え撤去した。
よって、プロテクションはすべてナチュラルプロテクションとなるために、他のルートとは違い、多めのギアが必要となる。

以下は、フリー化した折に使用したギア一覧である。目安としていただきたい。
キャメロット(C4)
0.3×2
0.4×1
0.5×2
0.75×2
1×1
2×2
3×2
4×2
5×1

エイリアン
青、緑

ナッツ 1セット

ロープ シングルロープ

 本ルートは、九州ではめずらしく、オールナチュラルプロテクションのマルチピッチルートなった。ピンが無いために、ルート取り
に戸惑うかもしれないが、自らのイメージに依って進めば、おのずとルートは浮かび上がってこよう。支点に導かれること無く進む爽
快さは、ナチュラルプロテクションならではのものでる。
 言わずものがなではあるが、北面に位置し、登攀中はほとんど日が差さないために、比叡ではめずらしく夏向きのルートである。
以上




追記・・・・ビレイ点もクラックがそばにあればナチュラルプロテクションを使い、ビレイ点もボルトの設置を少なくしたいところで
あるが、記録のとおり、大半の整備を一人で行い、ソロで登ったため、ビレイ点はすべてボルト設置となった。
(ヨセミテでは、簡単なルートではビレイ点はクラックがあればナチュラルプロテクションで作るようになっていたが、難しいルート
では、やはりボルト設置が多かったようだ。)


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日向神 弁財天上部エリア 

2009年09月07日 | フェース
I辺夫妻、S君と現地で落ち合い、弁財天上部エリアに行く。
今日も結構にぎわっている。大牟田、久留米の人たち、山口のペア等。ほかに福岡市内の人達も。

涼風エリアで10aのルートをアップした後、二週間前にK1さんが初登した「やえぴん12b」の2登をねらってマスターで取り付いたが、
やはり、ヌンチャクをかけながらの登りはきつく、核心で何度フォールしたかわからない。終了点にたどり着いたときは、汗でシャワ
ークライム状態であった。

2便目 食事をした後、1時間程度休んで取り付いたが、一便目の疲労が抜けず、また、暑くヌメッて、どテンションでぬける。

3便目 日がかげるのを待って取り付いたが、離陸したところで体が重いのを感じる。ヌンチャクを回収しなければならず、持久力トレ
ーニングと割り切って登ることにした。
 だめもとで核心部で思いっきり飛びついたら何とかホールドに届いた。力がぬけたのが幸いしたのだろうか。ひょっとするとと思っ
て、レストをとった後、次の核心に入ると、きわどい状態であったがバランスに集中し、ここもクリアー。ヌメリでホールドの効きが
極めて悪かったが何とか完登することができた。
この時期にしては上出来。

これでリハビリは終了。次回からは本格始動しよう。といっても、たかだか知れているが。
それにしても、術後の手の痺れは未だに治らない。ずっとつづくのだろうか。心配だが、なんとかクライミングができるようになった
だけでも良しとするしかないか。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする