土、日ともにめずらしくオフにした。
しかし、下半身だけは使っておこうと、夕方、軽めのトレランに行くことにした。
行った場所は自宅から車で20分ほどの高尾山自然公園(大分市内)。
四季折々の風情が楽しめそうで、昼間走るには最適な場所だ。
昼間はウォーキングする人や、家族連れの行楽客でにぎわう。そういいながらも、そのにぎわいを私は今日まで知らなかった。なぜなら、
日ごろは仕事が引けた後に来るからである。
当然、その時分には人は殆どいない。そして、真っ暗である。その中で走るのであるが人々の歓声がまだ、そこここに浮遊しているよう
で、なんともいえない寂寥感に包まれる。生徒が去った後の校庭で一人走っているような、とでもいえば分かりやすいだろうか。
それを除いてはトレーニングする場所としては良い。公園は道を隔てて北と南に二つあり、私は両方合わせた周回ルートを設定して走っ
ている。1周が3.6k。途中に長い階段を入れている。
その階段は365段。多分、こじつけた段数なのだろう、階段の幅がまちまちで実に走りにくい。その階段も初めて走った時はえらく喘いだ
ものだが回数を重ねるたびに慣れてきた。
核心の階段。やはり一周目が一番きつい。
2周、3周と走るにつれて楽になってくる。
だが、暗闇に走るのは怖い。出そうなのだ。
下りに走る人はいても上りに走る人はいない。
高尾山自然公園の案内図。「H」が階段。縦横に遊歩道があり、
どうにでもコースが取れるがそのほとんどが分からない。
途中の短い階段。
冬壁に行くには平地を走っていても頭打ちだろうと久しくトレランを取り入れている。調子が上がってくれば、冬壁へのモチベーションも
上がってくる。トレーニングなくして冬壁はありえないと思いやっているが、やはり、苦しい。それを越えて出来るのも共に行く仲間がい
るからこそ。
だが、先日、その仲間の一人からトレラン中に怪我をして行けなくなったとの連絡があった。続いて、もう一人の仲間から家業が厳しくな
り行けなくなったとの連絡。年一回しか会わないために非常に残念だ。それともう一つ残念なのがこれまでのトレーニングの成果である。
昔ならばソロでも行くところであるが今はその意味も無いし気力もない。
連絡を受けて以降、もう走るのは止めようかと何度か思ったが、今日もまた走っている。距離は縮み、回数が減ったが。
いつでも行けるようにという気持ちでなんとか継続しているが、今、自分の気持ちが浮遊しているのを感じる。
しかし、下半身だけは使っておこうと、夕方、軽めのトレランに行くことにした。
行った場所は自宅から車で20分ほどの高尾山自然公園(大分市内)。
四季折々の風情が楽しめそうで、昼間走るには最適な場所だ。
昼間はウォーキングする人や、家族連れの行楽客でにぎわう。そういいながらも、そのにぎわいを私は今日まで知らなかった。なぜなら、
日ごろは仕事が引けた後に来るからである。
当然、その時分には人は殆どいない。そして、真っ暗である。その中で走るのであるが人々の歓声がまだ、そこここに浮遊しているよう
で、なんともいえない寂寥感に包まれる。生徒が去った後の校庭で一人走っているような、とでもいえば分かりやすいだろうか。
それを除いてはトレーニングする場所としては良い。公園は道を隔てて北と南に二つあり、私は両方合わせた周回ルートを設定して走っ
ている。1周が3.6k。途中に長い階段を入れている。
その階段は365段。多分、こじつけた段数なのだろう、階段の幅がまちまちで実に走りにくい。その階段も初めて走った時はえらく喘いだ
ものだが回数を重ねるたびに慣れてきた。
核心の階段。やはり一周目が一番きつい。
2周、3周と走るにつれて楽になってくる。
だが、暗闇に走るのは怖い。出そうなのだ。
下りに走る人はいても上りに走る人はいない。
高尾山自然公園の案内図。「H」が階段。縦横に遊歩道があり、
どうにでもコースが取れるがそのほとんどが分からない。
途中の短い階段。
冬壁に行くには平地を走っていても頭打ちだろうと久しくトレランを取り入れている。調子が上がってくれば、冬壁へのモチベーションも
上がってくる。トレーニングなくして冬壁はありえないと思いやっているが、やはり、苦しい。それを越えて出来るのも共に行く仲間がい
るからこそ。
だが、先日、その仲間の一人からトレラン中に怪我をして行けなくなったとの連絡があった。続いて、もう一人の仲間から家業が厳しくな
り行けなくなったとの連絡。年一回しか会わないために非常に残念だ。それともう一つ残念なのがこれまでのトレーニングの成果である。
昔ならばソロでも行くところであるが今はその意味も無いし気力もない。
連絡を受けて以降、もう走るのは止めようかと何度か思ったが、今日もまた走っている。距離は縮み、回数が減ったが。
いつでも行けるようにという気持ちでなんとか継続しているが、今、自分の気持ちが浮遊しているのを感じる。