中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

廃業

2006-12-24 17:40:30 | 身辺雑記
 今年最後の散髪に、行きつけのY理髪店に行った。最近胃癌の手術をして体力が衰えたために、店には出ていたが鋏を持つことはしなかった店主が久しぶりにやってくれた。始まってしばらくは雑談していたが、そのうちに「先生の頭を刈るのもこれで最後ですわ」と言った。私が教師をしていた頃からこの店に通っていたので、彼も彼の弟も、長くいる雇いの店員も皆私を今でも「先生」と呼ぶ。退職してからも「先生」と言われるのはどうも落ち着かない気分なのだが、この店では仕方がないと思っている。どうして?と聞き返すと、この年末限りで店を閉じると言う。突然のことで驚いたのと同時に、ではこれからはどこに行こうかと考えて、思わず「困ったなあ」と言った。
 
 彼は私と同い年であることもあって、長く通ううちに何とはなしに気の置けない関係になっていて、私の頭のことはちゃんと心得て、いつも満足できる仕上がりにしてくれていた。教師になった昭和30年代の初めの頃は、彼はまだ大きな理髪店の職人だった。その店は勤務先から帰る途中にあり、通っているうちに店では先輩格の1人の彼とは顔馴染みになった。その後独立して、たまたま当時私が住んでいた家の近くに店を持った。「28の時だったな」と彼は言った。「へえ、そんな年だったのか。お互いに若かったのだなあ」「そうよ。店を持ってから46年になる」。今更のように、過ぎ去った歳月の速さと遠さに驚いた。当時3歳くらいだった私の長男も妻に連れられて、この店で整髪してもらうようになり、次男も同じように馴染みになった。息子達は成人してもこの店が好きでずっと通っていた。「もう50年近くも来ていたんだね」「そう、半世紀だ」。半世紀と言う彼のその言葉で改めていろいろなことを思い出した。遠くなった頃のことなのに、不思議にそれほどの年月が過ぎたようには思えなかった。しかし、あの頃の私は硬くて多い髪を持て余していたが、今鏡に映っている私の頭は薄くなり白いものがほとんどだし、その私の頭を触っている彼の頭も白く、顔の皺も深くなっている。2人の上を50年近い歳月は間違いなく過ぎたことを改めて認識させられた。

 いつもと同じように、いや、気のせいかいつもより丁寧に仕上げてもらったように見える頭を見て「最後にYさんにやってもらって良かった」と言い、満足して椅子から下りた。他の客はいなかったので店の隅のソファーに腰を下ろすと茶と茶菓子を出してくれ、しばらく皆と思い出話などをした。彼は73、弟は71、店員は60を越している。お互いに年を取ったものだとつくづく思った。ひとしきり思い出話などをしてから腰を上げ、長い間有難うございました、どうかお元気でと言い交わし、頭を下げあって店を後にした。最寄の駅まで歩きながら、とうとう店を閉じるのか、何にでも終わりはあるからなあ、仕方ないなあと考えた。