大阪府茨木市のカソリック教会の司祭が、教会の清掃や食事の準備を手伝っている信徒の女性に対する強制わいせつ行為で逮捕された。司祭は自分の居住施設で、約70回にわたって教会の雑用などをしている女性を抱きしめたり、キスをする行為を繰り返したという。司祭は行為は認めたが「わいせつな意図はなかった」と言っているという。しかし、信徒の女性としては耐えられなかったことだっただろう。「抱きしめたり、キスをする」という行為が「わいせつ」だということはよく分からないが、合意の上でないと刑法上ではそういうことになるのだろう。
いずれにしても、厳格であるべきカソリックの司祭の行為としては非難されるべきものであることは確かだが、この司祭が私より1つ年下の74歳だということには呆れた。かつてはカソリック系の私立大学の学長を務めた経験もあるというから、それなりの学識や見識はあったのだろう。悟りを開いた高僧でもない限り、男はいくつになっても、聖職についていても、社会的な地位があっても、煩悩というものはあると思うが、それを抑えるのが正常というものだろう。今昔物語にも煩悩の地獄に堕ちた僧の話が出てくる。任意同行される司祭の姿をテレビで見たが、なんとも侘しい光景だと思った。
いずれにしても、厳格であるべきカソリックの司祭の行為としては非難されるべきものであることは確かだが、この司祭が私より1つ年下の74歳だということには呆れた。かつてはカソリック系の私立大学の学長を務めた経験もあるというから、それなりの学識や見識はあったのだろう。悟りを開いた高僧でもない限り、男はいくつになっても、聖職についていても、社会的な地位があっても、煩悩というものはあると思うが、それを抑えるのが正常というものだろう。今昔物語にも煩悩の地獄に堕ちた僧の話が出てくる。任意同行される司祭の姿をテレビで見たが、なんとも侘しい光景だと思った。