中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

議論下手

2009-02-19 10:28:05 | 身辺雑記
 新聞の投書欄にある大学生が政治を論ずることについて意見を述べていた。前半ではこう言っている。

  私は最近、政治についての議論のあり方そのものに限界を感じている。テレビやインターネットのやりとりを見ていると、延々と自分の意見を押し付ける。意見を受け入れてもらえなければ「あなたの意見なんて説得力がない」。
 相手が事実関係を間違えたり、納得できない発言があると、バッシングして相手を傷つけ悪者にしようとする。
 こんな「議論」はただの批判合戦である。若い世代には「そういうややこしいものに巻き込まれたくない」という政治へのアレルギーが生まれてしまうのだ。

 この意見はよく分かる。私もテレビの討論番組を見ると、つくづく議論が下手だなあと思うことがよくある。政治討論だけでなく、何かの問題で賛否両論を述べ合うときには、議論が高まってくると、相手の発言中なのにさえぎって自分の意見を声高に述べる。相手もすぐには引っ込まないから、まるで調子外れのデユエットのような状態になり、まことに聞き苦しい。この投書を見たすぐ後で、たまたまある討論番組を見たが、ちょうど政府紙幣発行の賛否について意見を闘わせていたようで議論も終わりに近かったが、まるで怒鳴り合いのような状態だった。深刻な議論の場ではなく、むしろバラエティー番組仕立てのようなものだったが、対立する相手に向かってがなりたてている発言者達が阿呆のように思えた。

 今でもやっているかどうか知らないが、以前徹夜で議論するテレビ番組があったようで、それを見た知人が、出演者の老人が議論が錯綜して興奮し、相手に向かって「黙れ、若造」と怒鳴っていたと嗤っていた。これは極端だろうが、とかく討論番組にはありがちなようで好きではない。ワイドショーでもそういう傾向があり、なぜ相手の意見を最後まで聴いてから自分の意見を言わないかと思う。「オレは、オレは」というような態度は見苦しい。それにとかくとんがったトーンの口調になることもあり、これは国会の委員会の質問者にもある。穏やかに相手に切り込むほうが効果的だろうと思うのだが、何かしら余裕がないのだ。

 日本人は議論が苦手なのだろうか。米国では小学生くらいの時から学校でディベートを教育するそうで、日本でも最近はその必要性が言われているようだが、まだまだの状態だろう。特にオトナの世界では、みっともないことが多いようだ。