中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

老老介護

2009-02-26 10:39:50 | 身辺雑記
 東京都大田区で、87歳の無職の男性が死亡しているのが発見されたという記事を読んだ。

 老人は年金生活者で、80歳の認知症の妻と知的障害を持つ51歳の息子と3人暮らしで、買い物や食事の準備、施設の送迎など、妻と息子の介護をしていたという。先月の半ばに妻が近所の知人女性に、最近お父さんが食事しないと話し、その女性が家を訪れて、布団の中で亡くなっている男性を見つけた。死後1週間以上が経過していたという。妻も息子も老人が亡くなったことが分からなかったようだ。警察の調べでは、死因は脳出血とのことだ。

 妻は1年以上前から認知症を患っていたようだが、それまでは息子を中にして、楽しそうに歩く姿が見かけられ、近所でも仲の良さが評判だったらしい。昨年4月に大田区の職員が息子のことで家庭訪問したときに妻が認知症であることを知り、介護保険の申請を勧めたが、男性は「私はまだ元気だから面倒は見られる。当分は死なないよ」と笑って断ったという。家事一切をしていた男性は、妻には「座っていればいいから」と言っていたようだ。妻は「本当に優しくしてもらっている」と感謝していたと言い、夫が亡くなったことを知らされて、これからが心配、何よりも寂しいと漏らしているそうで、胸が詰まるような思いがする。

 近所の知的障害者援護施設に通う息子の送り迎えも欠かさず、息子の手を引き、絶えず気配りしていたという。介護は大変だったらしいが、それでも施設の職員にも愚痴をこぼすことなく、辛さを感じさせない明るさがあったとのことだ。妻に対しても息子に対しても本当に優しく愛情を注いでいた姿が想像され、尊く思う。残された妻と息子は、大きな支えを失ってこれからどうしていくのだろう。隣近所の親切にも限界があるだろうし、行政はどれほどのことができるのか。他人事ならず気にかかる。

 市井の片隅で起きたこの出来事は、高齢化社会の問題、福祉の問題が複合していて、決して例外的な悲しい物語ではないだろう。もし自分だったらどうするだろうと考える。妻が今も在世していたら、認知症になっていることもあるかも知れない。私も妻にはそれなりに愛情を持ってはいたが、いかに愛情が深くても、毎日の厳しく辛い生活に耐えられるものか。心は揺らぐ。亡くなった男性は明るく振舞っていたそうだが、一日の生活を終え、眠りに就く前には、いったいどのようなことを思っていたのだろう。若いときから50年以上も障害を持つ息子を抱え、齢90を迎えようとする頃に妻が認知症になるとは、辛く思い人生だ。生きる望みを失ってしまっても不思議ではない。現に老老介護に疲れ果てて、配偶者を手にかけてしまうようなことも起こっている。87歳にもなるこの男性の心根と気力にはただただ言葉もないが、わが身に置き換えてみるとはなはだ心もとなくなってしまう。