私のブログへのコメントは少ないが、それでもコメントを交わしているブログ友で知っている60代以上の人たちは、男女ともにさすがにわきまえのあるコメントをくれる。だから、直接会っていろいろ話ができたら楽しいだろうと思う人は多い.
それに反して、この人はいったい何歳くらいなのだろうと疑問に思う例も少なくない。私のブログは私の管理責任の下にあるが、それはオープンなもので誰がコメントしようと自由だ。私のハンドル名は「中国迷爺爺」でいわば匿名だが、しかしある程度の自己紹介はしているし、私のURLを見たり、これまでの私のブログを読んだら、その匿名性はほとんどないのも同然だ。しかし私のブログを訪問しコメントする人は当然匿名だ。誰であれ自由に訪問し意見を述べる。それが面白い。だから私のブログは門も塀もない庭のようなもので、そこに入ってきて私にどんな意見を言おうと、入って来た者同士が意見を闘わせようとまったく自由で、むしろそれを読んでいると楽しいこともある。
だが、ここで年寄らしい狷介さを露呈するようだが、自由に入ってくるにしても、いわば「主人」である私には一定のわきまえとけじめを持って接してほしい。もちろん私はコメントを入れる時にはそのように心がけている。先ほど「この人はいったい何歳くらいなのだろうと疑問に思う例も少なくない」と書いたが、ちょっと見には20代か30代のように思えるし、内容を見ると4,50代にも思える、内容としては特に問題はないのだが、全体としての物言いがどこか杜撰で、ときには感じが悪い。概して「上からの目線」が少なくない。私がこれまで一番不快だったのは次のようなものだった。
私が前からのブログ友のSさんとコメントの遣り取りをしていると、初めての訪問者がコメントを入れてきた。要するに教職員の卒業式の国旗に対する態度の問題だった。それに対して私としては珍しいことなのだが少し気が立って、「私は以前からのブログ友のSさんの質問にお答えしました。それを横からまったく知らないあなたが、「だらだら法律がどうのと言う以前の」とか、詰問調で「「答えて下さい!!」と言われると、やはり不快感が先立って、答える気が起こりません。何よりも私のSさんに対する答えに対して、あなたが何を言われているのか、筋道だって理解できません。おそらく無理にお答えしても納得されないでしょう。悪しからず」と返した。
これに対してまた不快感を示すコメントが来たが、私はもう取り合わないことにした。それに対して別の訪問者が彼(おそらく)を励ますようなコメントをしたが、それに対して「影(蔭)でこそこそやるような元教師のブログにはあえて投稿しても意味がありません。時間の無駄ですので失礼します」というコメントを残して去って行った。直接私には何のコメントもなかった。捨て台詞と言うのか、品は悪いがイタチの最後っ屁と言うのか、どうにも感じが悪かった。ブログでどうやって「陰でこそこそ」やれるのか、それにわざわざ「元教師」というところに非常な侮蔑心を感じたものだ。その訪問者の名(おそらくブログ用のハンドル名でなくコメント用に適当に名乗ったのだろう)が「基本的人間のマナーの人」とあるのには、ブラックユーモアではないかと思ったものだ。
匿名というものはあまり濫用するものではないし、たとえ必要な場合に匿名を使っても一定のマナーやけじめが必要だ。ある新聞の川柳欄に「匿名でなければクレームきっと減る」というのがあったが、そうだろうと思った。