とりわけ大阪市で大きな話題になったことだが、市の新採用の職員の発令式に君が代を斉唱させ、訓示の最後には「国歌・君が代斉唱のとき、きちんと手は横、気をつけ。国際社会で外国に行った時に、前に(手を)組んでいたら格好悪い話なんですね」と言ったそうだ。市長支持者はこのような訓示を当然だ受け止めるだろうが、私には「そこまで言うのか」という気がした。
こういうことだから、市民なども卒業式の時に起立しなかったり、歌わなかった教師を処分することも当然と受け止められ、そのような教師を「バカ者」と罵り、「非国民」と言わんばかりの声も多い。そこでは「思想信条の自由」などは消し飛んでしまっている。そんなものは個人の主義主張を顕示する、人から飛び離れた。程度のものとしか考えられていないのだろう。だから市長も「国旗、国歌が嫌なら、日本の公務員を辞めろって言うんだ。君が代を起立して歌わない自由はある。それは公務員以外の国民だ」などという暴言を吐くのだ。
いったい日本の国以外で儀式のときに国歌を斉唱させたりする国はどれくらいあるのだろうか。Everyone says I love you !というブログがあって、なかなか鋭い論調を展開しているが、その中で、このことが触れられているので引用する。
「たとえば、アメリカという国はヨーロッパからの移民が原住民を追い立てて人工的に作った国ですから、それだけに、国旗や国歌という国家統合の象徴を重んじられています。 しかし、それ以上に表現の自由が保障されているのです。
アメリカでは、ベトナム反戦運動で多くの国旗が燃やされたことに対する批判から1968年連邦法をはじめ48州で国旗を保護する法律が制定されました。
しかし1989年、 米連邦最高裁は、「国旗を燃やす行為は言論の自由の権利の一部」とする判断を示し、国旗を保護する国と州の法律は表現の自由と思想良心の自由を侵害するものとして、すべて無効とされています。
国のやりかたに反対する表現行為として、起立しないどころか、国旗を燃やす行為でさえ、罰せられないのがアメリカです。
また、ヨーロッパでも、学校での国旗掲揚や国歌斉唱をすることが、そもそも殆どないのだそうです(内閣総理大臣官房審議室、および外務大臣官房儀典官室による資料 「諸外国における国旗国歌について」)。
イギリス: 普通の歴史と音楽の授業で取扱い、学校行事では掲揚せず歌わない。
オランダ: 特に教育する事はない。学校行事で掲揚や歌唱という事も特にない。
ベルギー: 国旗掲揚の義務はなく慣例もまちまち。国歌は教育されていない。
スペイン: 学校での規定はない。
ギリシャ:学校での規定はない
イタリア:教科書には書かれず、それによる儀式は行われない。
スイス: 学校内で実際に国歌を歌う事は殆ど無い。
ドイツ: 各州の権限で決められる。
オーストリア:国旗は学校で特に扱われない。
デンマーク: 特別の教育はしない。普通の授業で言及。国歌は行事で殆ど歌わない。
ノールウエー:特別な教育はしていない。両親が教えて子供はすでに歌っている。
スウエーデン:教科書に無い。国旗は教師に一任。国歌は学校で特別に教えない。
他方、中国の学校では月曜朝の斉唱が義務付けられており、また「国旗法」により、全日制学校での国旗掲揚が義務付けられています。これを尊重しなかった場合には「国旗侮辱罪」の規定があります。
橋下市長は2012年3月20日、関西ローカルの情報番組に出演した際に、高校の卒業式でマスクをつけた教員らがいたとして 「国際社会において非礼」 とも批判しています。
橋下氏が強調する「国際社会」って、ひょっとして、国旗国歌に最敬礼することが強制される北朝鮮や中国など全体主義の国のことなんですか」
日本と外国とは違う。日本は特別な国なのだとういうのなら敢えて何も言うまい。戦前、戦中の日本がそういう考え方の国だった。私は、やはり一連の橋下市長の言動はあの時代に回帰するような異様なものに思われる。彼の考えの根底にはおそらく全体主義があり、それが折々顔を出すのではないかと思っている。
(朝の散歩から)
椿
出勤途中らしい若い女性が、緩やかな坂道を小走りに降りてくる、右手には携帯を持って、それを見ながら行く。多分携帯依存症なのだろうが、転ばないかとはらはらした。携帯というものはそれほど心を惹きつけられるものなのか。