海津大崎に行く途中で、マキノというところにある「道の駅」に寄った。コゴミやタラの芽などの山菜や、琵琶湖のそばらしく鮒鮓や子鮎の佃煮が置いてあり、珍しくツクシがあったので買った。
「ツクシだれの子、スギナの子」とは言うが、ツクシはスギナの葉で、生殖のための胞子を作る胞子葉だ。筆の先端に当たる部分に胞子嚢が固まっていて、ここで作られた胞子が飛散する。近頃はこの辺りではツクシを見かけなくなった。スギナはかなりあるのだがツクシがない。ツクシの胞子がなくてもスギナは地下茎で増えていくからいいのだろうが、ツクシがないとやはり物足りない。
ツクシには思い出がある。中高生の頃滋賀県の大津に住んでいたが、家から湖岸の方に向かって歩いて行くと、途中に今はJRの湖西線になっているが、当時は江若(こうじゃく)鉄道という、大津と滋賀県高島郡今津町(現高島市)を結ぶ私鉄の路線があって、その線路があった。あまり列車が通らず閑散としていたが、春になると線路の間が何十メートルにもわたってツクシがびっしりと群生し、薄茶色の絨毯のようになり、春の野の土筆摘みなどという鄙びたものではなく、がばっと掴んで引き抜いて大量に家に持って帰った。家では夜になると母や私たち子どもが、ツクシの茎の節についている鞘(これを「袴」と言った)をアクで指を黒くしながら取った。そうやって処理したツクシを母が大きな鍋に入れてゆで、水に晒してから醤油で味付けした。こうしてできたツクシの佃煮は、胞子の苦みがあってなかなかおいしいものだった。酒の好きな父はとても好んでいた。
長男は結婚後滋賀県の湖東の野洲(やす)という所に住んだが、近くの土手にかなりツクシが生えていて、妻と遊びに行ったとき長男の家族と一緒に皆で摘みに行った。その一部を我が家に持って帰って妻が母がやったように料理してくれたのが懐かしい思い出になっている。
そのようなツクシだから懐かしく、買って帰って料理したが、成長しておおかたは胞子嚢が開いてしまい、私が好きな胞子の苦みが少なかった。やはり摘むのはまだ顔を出して間もなく、節が詰まっていて胞子嚢が固いのが良い。味も母や妻のものには及ばなかった。