中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

バレンタインデー

2009-02-08 11:30:39 | 身辺雑記
 近くの私鉄の駅にあるデパートでバレンタインデーのチョコレートの売出しが始まっている。まだ買い物客の姿は少ないが、しだいに女性達で混雑してくるのだろう。20社ほどが店を出しているが、チョコレートについての知識の乏しい私が知っている銘柄はG・・・・以外にはほとんど知らない。


 大阪のある高級ホテルが、バレンタインデーを前にして1個2万円の高級チョコレートの販売を始めたと言う。どんな形のどれくらいの大きさかは知らないが、いくら最高級の材料を使っても2万円にはならないだろうと思ったが、実はこのチョコレートの箱を開くと、5万8千円相当の部屋から、10万円相当のスイートルームまでの宿泊券が入っている「福袋スタイル」と言うことだ。福袋だと外れはないだろうから、それほど高いとは言えないのかも知れない。もっとも私などには縁のない代物だが・・・。50個限定で、初日は13個売れたそうだ。

 「アラフォー世代の本命チョコ」と銘打っているらしいが、妻が夫に贈るのならともかく、独身の女性が「本命」の男性にこのようなチョコを贈るというのは何やら思わせぶりだ。 世の中未曾有の不況で喘いでいる人たちは多いのに、こういう浮世離れした物が売れるのは、能天気な話だと思う。「アラフォー」は昨年の流行語にもなったが、この世代はこのように浮世離れしている女性が多いのだろうか。結構なことではある。

日本の良さ

2009-02-07 10:47:04 | 身辺雑記
 西安人で大阪の会社に勤めている邵利明(明明)の両親が来て2週間ほどたった。平日の昼間は明明が仕事に出ていて不在だが、両親は明明に地図を描いてもらって2人で街に出たりしているようだ。日本語はまったくと言っていいくらい分からないのに積極的なことだと感心する。

 明明を通じて日本の印象を尋ねてみると、非常に良いようだ。町も空気もきれいだし、店でもどこでも日本人は親切で優しい、治安も良いようだ(警官の姿をほとんど見かけない)という印象のようで、とても気に入っているらしい。そして、明明の結婚は日本人でも中国人でも良い、日本に住む中国人でも良い、子どもは日本で育てても良いといと言っているという。西安にいた頃は一人娘でもあり、大切にされていたのを知っているから、両親もずいぶん変わったものだと思う。

 日本に来た中国人の中には日本に好印象を持つ人が少なくないようだ。李真はかつて出張で日本に来た時には日本人はとても親切だと感じたらしいし、家族で日本に観光旅行で来た時には、父親は日本人は質が良いと言っていたという。上海の唐怡荷は日本に短期間いたことはあるが、とても日本には親近感を持っている。明明自身が大阪が良い、離れたくないと言っている。どれも短い期間だから良い面が印象に残るのだと言ってしまえばそうなのかも知れないが、それにしても良い印象を与えることは結構なことだ。

 私達は日頃、暗い出来事や殺伐な事件、自己中心的な行動を少なからず見聞きしているから、とかく日本や日本人の良さを見落としがちになっている。もちろん暗く良くないことは少ないに越したことはないし、それを少なくする努力も必要だが、それだけではなく、私達の国や社会にある良さをもっと見直して、それを伸ばし、大きくしていくことが大切だと思う。

悪質な中傷

2009-02-06 09:15:01 | 身辺雑記
 ある男性タレントのブログが「炎上」したという。このブログに「人殺し」などと抽象する書き込みが殺到したようで、このタレントは警察に被害届を出し、それを受けて警察で通信記録を調べて、書き込みをした数十人のうち、悪質な書き込みを繰り返した18人を特定して書類送検することになった。

 きっかけはタレントの所属事務所が「(東京都)足立区出身の元不良」というキャッチフレーズで男性を売り出したことで、平成元年に4人の少年が足立区で起こした女子高生コンクリート詰め殺人事件に、男性が関与したとの書き込みがインターネットの掲示板などで始まり、男性が昨年1月にブログを開設すると、さらに悪質な中傷書き込みが殺到しが数百件に上ったという。

 書類送検されるのは札幌市の17歳の女子高生や大阪府高槻市の45歳の国立大学職員の男などで、自宅や職場のパソコン、携帯電話から「人殺しが何で芸人やるんだ」「死ね、犯人のくせに」などと書き込んだようだ。女子高校生や、分別があってしかるべき中年の男が、このような悪質な行為をしたことには呆れてしまう。「殺人犯だと思い込んでしまった」などと供述しているらしい。この18人以外にも川崎市の29歳の女が「殺す」などと書き込み、脅迫の疑いで書類送検されたが、「ほかの人の書き込みを信用した」とか「正義感でやった」とか言っているようだ。どれも皆、およそ分別などは持ち合わせていない短絡的な思考の持ち主なのだろう。流言飛語にすぐに乗ってしまう体質が怖いし、とんでもない正義感があったものだ。叱りおく程度ではなく、きついお灸をすえてやることが必要だ。

 韓国ではブログに悪質な事実無根の書き込みをして、若い女優が自殺した事件がひとつならずあって問題になったが、政府が規制しようとすると、やはり「表現の自由」を楯にした反対が野党からもあるようだ。人権の保護と表現の自由とをどのように天秤にかけるかは難しい問題だろうが、事実無根の悪質な中傷を匿名で行う卑劣な行為は、やはり強く規制し罰するべきだと思う。



中国のひ孫達

2009-02-05 09:57:08 | 中国のこと
 西安の李真が男の子を出産した。昨年の秋以降に謝俊麗と孫璇がやはり男の子を出産したから、これで立て続けに男の子が3人出来たことになる。李真と俊麗は私を「爺爺(イェイェ)」、孫璇は「お爺さん」と呼んでいるから、私にとってはちょっと大きいが孫娘のような気持ちで来た。だから彼女達の子どもは曾孫(中国語では重孫とも言う)のようなものだ。

 3人とも出産するとすぐに子どもの写真をメールで送ってくれた。それを毎日見ていると、情が移って本当のひ孫のように可愛く思う。

謝俊麗の子ども
 昨年9月16日に産まれた。10月に西安に行った時に生後1月の祝い(満月酒)に出席したから、そのときに見ている。健康そうな子だった。
 名前は自軒(ツシュアン)としたのだが、俊麗の嫌いな作家の小説によく似た名前が出ていると聞いたので嫌になって改名するらしいが、まだ決めていない。かわいそうだから早く決めろと言っても、撓撓(ナオナオ)と言うからいいとのんきに構えている。撓撓は「掻く」という意味で、俊麗は妊娠中に肌が痒くてよく掻いていたので、愛称にしたと言う。
 08.9.22(生後6日目)

 08.12.12 

 09.1.31


孫璇の子ども
 昨年12月3日に産まれた。孫璇は西安人だが、上海の大学で日本語を教えている。出産のために西安に帰った。
 息子の名前は黄子宸(フアン・ツチェン)、宸は、元来は帝王の宮殿を指したことから、王位または帝王を意味する。愛称は橙橙(チョオンチョオン)、姓の黄にかけているし、成功の成(チョオン)の音にも通じるということだ。
 08.12.3(出生当日)

 09.1.10

 09.1.19


李真の子ども
 1月19日に産まれた。李真は西安外国語大学で孫璇と同級生、謝俊麗の先輩に当たる。
 息子の名前は陳佑寧(チェン・ヨウニン)。愛称は宸宸(チェンチェン)で姓の陳の音にかけたのか。
 李真が母親になったことには、とりわけ感慨深いものがある。現在の夫君と出会う前に何人か付き合った男性はいたが、どれもうまくいかず悩んでいた。チャットや電話でいろいろ相談に乗ったが、必ず幸せになるからと励ましてきた。結婚式にも出席したが、その幸せに輝く姿が嬉しかった。夫の陳偉君は3歳年下。中国では3歳上の妻は「金の煉瓦」と言うそうだ。
 09.1.20(生後2日目)

 09.1.?

 09.1.?

 この3人のひ孫達が健やかに成長することを願っている。秋には撓撓や宸宸に会いに行くつもりだ。李真は私を迷爺爺(ミィイェイェ ミイ爺ちゃん)と言っているとか、俊麗は撓撓にそう呼ばせると言っている。秋には撓撓は1歳になるから、片言で話せるようになっているかも知れない。あどけない声で「ミィイェイェ」と呼んでくれるのを想像するだけで顔がほころんでくる。 

上海東台路古玩街

2009-02-04 08:45:56 | 中国のこと
 江南水郷の旅を終えて帰国する日、帰国便が夕方だったので、市内観光をしました。これまで上海では豫園商場などいろいろ見ていますので、前に一度行きましたが雨だったのでゆっくり散策できなかった東台路古玩街に行きました。

 東台路古玩街は豫園商場に近い有名な骨董品街で、狭い小路の両側に骨董品の露店や店が並んでいます。長さは200メートルくらいあるようです。




 私は格別に骨董品に興味があるわけではなく、知識もありませんが、実に種々雑多なものが並べられていて、見て歩くだけでも楽しいものです。








 露店には番号(№)がついています。


 露店に並べられているものの中には、見るからにキッチュ(まがい物、俗悪品)のようなものが多く、おそらくは贋物もかなりあるのでしょうが、それはそれと割り切ればいいのでしょう。






 唐三彩まがいの像。おそらく贋物でしょう。


 こんなものが売れるのかと思いました。まさにガラクタです。もっとも右の鉄瓶のような物はひょっとすると掘り出し物かも知れませんが。



 それにしてもこのように種々雑多なものをどうやって集めてきたのか興味があります。没落した旧家から持ち出されたものなどもあるのかも知れません。

 露店の物は怪しげなものが多いのですが、その背後にあるちゃんとした構えの店舗にはかなり高価なものが売られています。もっともここの品も真贋のほどは分かりません。
 店舗には№なしの番号がつけてあります。






 私は日本の明治5年発行の1円銀貨を冷やかし半分で買いました。これは本物だろうと思うことにしています。本物とすると、いつ、どのようにして流れてきたのかと興味を待ちました。値段は忘れましたが、日本円で千円くらいだったでしょうか。
 


 語らい


 幼な子




国会のこと

2009-02-03 10:04:07 | 身辺雑記
 テレビの夜のニュースで国会の与野党の代表質問の様子を見た。相変わらず野次が激しく、議場は騒然としている。野次と言うよりも罵倒のようなものだ。この連中はいったい何をしているのかと思う。おそらく日本で、これほど騒がしく程度の低い公の場は他にはないのではないか。こんな低水準で品性の乏しい連中に、なぜ税金から高額の報酬を出さなければならないのか。演台上の質問者や答弁者の顔よりも、野次を飛ばしている議員の馬鹿面を映してほしいと思った。


  中川財務相が衆議院本会議で行った財政演説について、財務省が26カ所の訂正願を衆院事務局に提出したそうだ。それによると財務相は原稿にあった「参画」を「参加」と読んだり、「改革」を「改正」、「地域」を「地方」、「行って」を「図って」など、単純ミスがほとんどらしいが、「歳入」を「歳出」と間違え、数字でも「7兆4510億円」を「7兆4050億円」と2度も間違え、「経済を守る」を「経済を図る」と、日本語として成り立たない発言もあったらしい。他にも「渦中」を「うずちゅう」と誤読したらしいが、速記録は漢字で書かれていて読み方までは分からないので、訂正願いには入っていないと言う。

 体調が良くなかったこともあったらしいが、あまり弁解にはならないことではないか。野党からは、演説を練習しないで臨む気の緩みの表れ、まさに政権末期という批判もあるらしいが、そう言われても仕方がないことだろう。

  衆知のことだが、本会議での首相や大臣達の答弁は、あらかじめ質問者から事務方に提出された質問書を見て、各省庁の担当役人が答弁書を作成し、それが大臣答弁として読み上げられるものだ。自分で手を入れる大臣もあるだろうが、多くはそのまま読むのだろう。それはそれで仕方がないにしても、事前にしっかりと目を通しておけばつまらない間違いをして揚げ足を取られることはないのだ。

 財務相は東大法学部政治学科卒業と言うことで俊才なのだろうし、趣味のトップは「読書」だそうだが、つまらぬ味噌をつけたものだ。





春節祭

2009-02-02 11:15:08 | 身辺雑記
 H君夫妻達と神戸元町の南京町で開かれている春節祭に行った。神戸の南京町は横浜、長崎など日本で3箇所ある中華街だが、規模はあまり大きくない。神戸在住の華僑がいろいろな店を営んでいる。

 春節祭は1月26日(旧暦1月1日)の春節から開かれていて、行ったのは最終日で、日曜日のせいもあって大変な混雑だった。




 いろいろな食べ物を売る屋台がたくさん出ているが、どこも人が群がっていて、中には行列を作っている店もあった。


 町の中央にある小さな広場でいろいろな催しがあり、着いたときには獅子舞が始まる時刻だったがびっしりと群衆が取り巻いていて、とても近づけない。やがて賑やかな囃子が聞こえてきて始まったが、獅子の姿は飛び上がったときに時々頭がちょっと見える程度。見るのはあきらめた。
  H君撮影

 しばらく通りを歩いたが、何しろ大変な人出で食事しようにも店は満員だから、諦めて早々に引き上げた。H君達と何しに行ったのか分からなかったなあとぼやいたことだった。



 

猫のこと

2009-02-01 09:13:41 | 身辺雑記
 『本日のスープ』(大久保ゆう子著 求龍堂刊)という本を買った。料理の本ではない。スープという名の黒猫の写真集だ。新聞の書評を見て興味を惹かれて注文した。
 生後7ヶ月で著者に引き取られたが、パンという名のこれも黒い先住猫がいたので、スープとなったようだ。60ページほどのモノクロの写真集だが、実に可愛くほほえましい写真ばかりだ。帯に「目ぢから」とあるように大きな目が何とも魅力的だ。新聞の書評子は「一匹の猫の、個としての尊厳をきちんと認めた上での写真とでも言えばいいだろうか」と言っているが同感。世の猫好きには薦めたい。

              



 毎晩ベッドに入ると横になって本を読むのが習慣になっている。興味を惹かれると小1時間、読みふけってしまうこともある。その間、猫のミーシャが私の上に乗っていることが多い。切りのよいところで止めて眼鏡を外し、本と一緒に枕元に置くと、ミーシャは降りてきて私の顔の前に立つ。何を感じるのか分からないが、いかにも「終わったの?じゃあ」というような振る舞いがおかしい。一言二言声をかけてから明かりを消すと、ミーシャはしばらくモゾモゾしていて、やがて布団の中に潜りこんでくる。
 このほとんど毎晩の「儀式」は以前にはなかったが、今では楽しみになった。たぶん暖かくなったらしなくなるだろうが、しばらくは続くだろう。