中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

市長選挙

2009-04-20 11:14:53 | 身辺雑記
 2代続いて市長が収賄で逮捕され、天下に恥を晒したわが市の市長選挙が行われた。投票日は快晴の行楽日和で、そのせいかも知れないが、投票率は44.20%と前回を1.42%下回る低調さ。今度は何とかしてという思いの有権者が少なかったのか、これがわが町の実態かと寂しくもなる。

 投票所。我が家から5分くらいのところだから便利である。昼時だったからか、投票に訪れる人はまばらだった。


 最後の品定め。


 候補者の年齢は40代が3人、60代が3人の6人。女性は1人だった。そして衆議院議員も勤めたこの女性候補者が当選して、わが市としては初の女性市長が誕生した。

 選挙運動期間中のこの女性候補者の陣営は「女性市長で逮捕された人はいません」、「何よりも清潔な市政を取り戻すこと」と言っていたが、市民の信託を受けて市長に当選したからには、2代続いた汚名を挽回するように頑張ってほしいと思う。

チューリップまつり

2009-04-19 10:53:57 | 身辺雑記
 いつものようにHg君夫妻の車でHr君も一緒に、県北の豊岡市但東町の「たんとうチューリップまつり」に出かけた。休耕田を利用してチューリップ栽培をしている同町が、1992年から開いているイベントだ。


 100万本のチューリップが植えられていると言う。色とりどりで美しい。










 毎年10万本のチューリップを使って描かれる「フラワーアート」が呼び物で、今年のデザインはペンギンである。会場に作られた観覧台に上がって眺める。


 さまざまな品種見本も植えられている。




















明石魚の棚

2009-04-18 08:25:47 | 身辺雑記
 神戸市の西に隣接する明石には、瀬戸内に面して豊富な魚介類が水揚げされる漁港がある。そこから各地に送られるのだが、JR明石駅の近くにある魚(うお)の棚商店街でも売られている。所用で明石に出かけたついでに、久しぶりに立ち寄ってみた。

 魚の棚商店街には大漁旗が掲げられていて、いかにも漁港の商店街という雰囲気である。


 3時ごろに行ったので、ちょうど昼網で獲れたものが店頭に並べられていた。10年ほど前に行ったときには、もっと豊富に並べられていて活気があったように思った。










 明石と言えば何といっても鯛である。あまり大きいものは見当たらなかった。


 鯛の一夜干し


 明石は蛸でも名が知られている。


 茹で蛸
 

 煮蛸


 小蛸の煮付け


 干し蛸


 みりん干し


 明石ではイカナゴがよく獲れ、この稚魚は甘辛く煮付けた「釘煮」として人気がある。春先のイカナゴ漁の解禁日からは、明石や神戸の西部の家庭でも盛んに釘煮がつくられ、街中にその香りが漂うと言う。今年は不漁でイカナゴはとても高かったようだ。


 蒲鉾や竹輪などの練り物や、それらの揚げ物も多い。


 明石はたこ焼きでも有名で、ここでは明石焼と呼んでいる。


 よく街の店屋や屋台で売られているたこ焼きはソースたれをつけて食べ、いかにも粉ものと言う食感だが、明石焼きは玉子焼きと称して卵を豊富に使い、中はとろりとして茶碗蒸しのような食感である。だし汁をつけて食べる。



 


痴漢無罪

2009-04-17 07:45:02 | 身辺雑記
 63歳の大学教授が満員の電車内で痴漢行為をしたとされて起訴された裁判が最高裁まで持ち込まれ、1、2審有罪の判決が覆って無罪となった。痴漢事件が最高裁で無罪となったのは初めてのことと言う。

 この教授は3年前に小田急線車内で、女子高生に7分間にわたって下着に手を入れ体を触るなどの執拗な痴漢行為を行ったとされた。客観的な物証も、目撃証言もなかったが、被害者の証言には信憑性があるとして1、2審では強制わいせつの罪で懲役1年10か月の実刑判決が下された。
  
 これに対して最高裁は、満員電車の痴漢行為は客観的な証拠が得にくいうえ、犯人とされると被告も反論するのが難しく、「特に慎重な判断が求められる」と述べた。被害者の証言の信憑性については、(1)痴漢行為が執拗なのにもかかわらず被害者は積極的な回避をしなかった。それなのに教授を駅長に突き出した行為は必ずしもそぐわないこと(2)痴漢の被害にあって一度下車したにもかかわらず、再度同じ車内に乗って教授の隣に立ったなど、被害者の供述に疑いがあるとし、1、2審の判決は「必要な慎重さを欠いた」と指摘した。

 5名の裁判官の内、裁判長ともう1人は、被害者の証言には信憑性があるとした。女生徒が反撃に出たのは我慢の限界に達したからで、同じ車両に再び乗ったのは他の乗客に押し込まれたからだと言う。何だかその場を見たような解釈で少々納得できないが、これも裁判官の判断と言うことなのだろう。もしこのような反対意見をもう1人の裁判官がとれば、この教授は有罪となり収監され失職しただろう。たった1人の裁判官の意見で天国と地獄に分かれたことになる。

 この女生徒はおそらく実際に被害に遭ったのだろう。そうでなく満員電車の中で、前にいた男性を陥れるようなことをしたのなら悪辣な行為だ。ひどい恥辱を受けて動転した挙句のことだろう。そうすると犯人は他にいることになるが、それがのうのうとしていることに憤りを覚える。

 外見で人を判断するようだが、テレビのニュースでこの教授が記者会見している様子を見たが、きわめてまじめそうな印象で、悪質な痴漢行為をする人物だとは思われなかった。この事件のために大学は休職中で、大学ではこの判決を受けて復職の手続きをするそうだ。当然のことだろう。

 電車内などで痴漢行為をしたと告発されると、いくら覚えがないと弁解しても警察でも受け容れられず、裁判でも不利になるようだ。まったく理不尽なことで、今回の最高裁の判断が、今後の警察の取調べや裁判で、十分に生かされるようにと思う。確たる物証もなく、「この人が犯人です」と名指ししたことだけが有効な証言として採りあげられた結果として、罪を犯してもいないのに刑務所生活を強いられたり、職を失ったり、社会的な名誉が失墜したりするのはあまりにも理不尽だと思う。

 近頃は満員電車に乗ることは少ないが、もし乗った時は、特に若い女性のそばには近づかないようにしよう、人に押されてどうしてもそのような状態になった時は両手を胸に当てよう、などといろいろと自衛策を考えてしまう。それもこれも実際に痴漢行為を働く不埒な奴がいるからだ。このようは異常な人間は、痴漢行為を働いた途端に手が曲がってしまうようになればよいなどと現実離れした子どもじみた夢想をしたりする。まったく嫌な世の中だ。




何か理解できない

2009-04-16 10:02:16 | 身辺雑記
 大分市のパチンコ店に2歳の女児と男児を連れてきた両親が、遊技中に店外に出た女児が車にはねられて死亡した事故で、店側に損害賠償を求めていた訴訟の控訴審判決があったという記事を読んだ。

 女の子は店の台車に乗り、男の子が押して遊んでいたが、店外に出て赤信号の横断歩道を横断中に乗用車にはねられて死亡した。両親は店が監視を怠ったとして約2350万円の損害賠償を求めた。1審の大分地裁は店側に注意義務違反はないとしたが両親は控訴、これを受けた福岡高裁は1審判決を覆して「幼児同伴の入店を認める以上、(幼児の)監護を補助すべき義務があった」などとして、店側などに計約650万円の支払いを命じたというものだ。この訴訟が今後最高裁まで行くのかは分からないが、この記事を読んで、何か割り切れない思いにさせられた。

 高裁の言うところに従えば、パチンコ店は幼児同伴の入店を認めていたことになるが、わざわざ改まって入店を認めたというほどのことではなく、黙認していたくらいではなかったのだろうか。そのあたりの司法の判断については素人の私には分からないが、そんなことよりも、パチンコ店にわずか2歳の幼児を連れてきて、子どもは店内で遊ばせ、自分達は遊技に耽っていたという、その親のあり方が理解できない。

 パチンコは不健全な遊技で、そのような場所に子どもを連れて行くことはおかしいなどというつもりはない。人によって好き嫌いはあり、私はしないが、パチンコは庶民の楽しみとして認知されている。だからこの両親がパチンコが好きでも何も咎められることはない。しかし、なぜあのような喧騒に満ち、空気の良くないところに、まだ2歳の幼い子どもを連れて行かなければならないのか。ためらうことはなかったのか。どうしても遊びたいという気持ちのほうが強かったのか。自分達はパチンコに夢中になり、幼い子どもを放っておく、それが親というものなのだろうか。おそらくは20代の若い父親と母親なのだろうが、親としての分別が乏しいように思われてならない。

 いたいけない幼女が事故死したことは本当にかわいそうだと思う。しかし両親に放置されて店の外に出て事故に遭ったことは店の責任なのだろうか。おそらく従業員も気がつかなかったのだろうが、そのことが店の過失なのか。いったい根本の親の保護責任はどうなるのだろう。それに、わが子を失った親の悲しみは理解できても、店に注意義務違反の責任があるとして2千万円余りの賠償を求めるなどとはとても理解できない。

 親は子ども、とりわけ幼い子どものためには、自分の楽しみも辛抱しなければならないことがあるなどというのは時代遅れの考えなのか。それに、このように自分達の行動を顧みずに、すぐに訴訟沙汰にするのは日本も米国のような訴訟社会になって行きつつあるということなのか。いろいろ考えさせられてしまう。

 




便利だが・・・

2009-04-15 10:16:46 | 身辺雑記
 新しく建て替えたという知人の家で、何人か集まって食事をした。建ててから間もないということで、家の中はきれいで、システムキチンなどには感心させられた。システムに組み込まれた食器洗浄機やグリルなども立派で羨ましいほどだった。

 途中でトイレに入ったが、蓋が閉じた便座の前でちょっと思案した。いつもよく行く卒業生のHg君の家のトイレに入ると蓋が自動的に開く。その下の腰を下ろす部分の開閉は、備え付けのボタンを押すようになっている。閉める時もボタンで操作する。そんなことで、この知人の家は新築だから、トイレの便座も自動的に開くのかと一瞬思ったわけだ。しかし自動的やボタン操作式ではなく、手で開閉するこれまでのタイプのものだった。

 そんなことを話していると誰かが、近頃の小学生には水道の蛇口をひねることを知らないのがいると言った。用便の後で蛇口に手をかざして、水が出ないと訴えるのだそうだ。すると今も私立の幼稚園で働いているこの家の夫人が、そんな子どもは半数近くいると言った。近頃の新しい住宅では洋式のトイレが普通だから、用便後水を流すとその水で手を洗うようになっていたり、別に手洗いがついている場合には蛇口が自動式になっている。この幼稚園に通っている園児の家は新しいのが多くて、蛇口をひねることを知らない子どもも多いようだ。近頃は駅などのトイレでも自動式の蛇口は少なくないが、幼稚園や学校ではまだまだそこまではいっていないようだ。いずれにしてもそのような手をかざせば自動的に水が出る蛇口が当たり前だと思っていて、そうでないと戸惑う子どもが増えてきているのだろう。

 便利なことはいい。しかしそれに慣れてしまうと、それでないと困ったり、違和感を持ったりすることもある。我が家でもトイレの便座を10年ほど前に取り替えたから、洋式でウォッシュレットだ。知らず知らずのうちにそれに慣れてしまっているから、中国に旅行した時にはホテルのトイレの便座は洋式であってもウォッシュレットではないから、用を済ませた後も何かしら落ち着かない。そう言ったら、そんなことは日本だけですよとHr君に笑われた。ウォッシュレットどころか、今時の子は洋式そのものに慣れているから、和式になると用便できないこともあるらしい。脚が曲がらないとも聞いたことがある。退化と言うべきなのか。

 便利になることは大いに結構なのだが、その反面融通が利かなくなったり、突発的なことにはうろたえて対処できなくなったりするようなことになっては困る。ひとつのパターンに慣れてしまって、思考や行動までもがワンパターンになっては面白くない。


遺書

2009-04-14 09:14:27 | 身辺雑記
 先日学年同窓会があった13回生のK.M子が、今月4日に亡くなったという通知のはがきが息子さんから届いた。昨年9月に腹膜癌と診断されたが、既に転移していて有効な治療法はなかったようだ。享年66歳。

 はがきの最後に「故人が生前、書きしたためていた文章が見つかりましたので、ご紹介させていただきます」とあって、次のように記されていた。

 体が丈夫なことを売りものにしていた私ですが、今回ばかりはどうしようなく、運命に従うこととしました。
 皆様にお知らせするのは、ほんとうにさびしいことです。
 この日まで、いつもあたたかい応援と優しさをありがとうございました。感謝の気持ちで一杯です。
 皆様の思い出を宝物にかの地に旅立っていきます。皆様のご多幸をお祈りしております。
 さようなら

 一読して、どのような思いでこれを書いたのかと、その悲しみと健気さを思い涙した。

 M子は高校1年生の時に私の授業を受けた。少し太った明るい子だった。仲の良い友人達はその体型と姓をもじった愛称で呼び、私も同じように呼んでいた。卒業してからもずっと年賀状の交換は続けて、年賀状を見るたびに一度は会いたいと思いながら過ごしてきた。今年も来ていたが、いつもあった一筆の添え書きはなかった。もう体力を消耗していたのではないだろうか。

 旧い卒業生達も年を取ってきているから、この世を去ることがあってもおかしくはない。しかし、やはり私より若い卒業生が先に逝くと胸が痛む。これまでクラスやクラブの生徒達をずいぶん喪った。そのたびに、若いのにと悲しい思いをしてきた。今またM子の訃報に接して儚さを感じている。あの明るかった高校生の頃の面影を偲びながら、心から冥福を祈る。

             


健康

2009-04-13 09:18:36 | 身辺雑記
 健康指向の世である。ストレスが多いこともあるし、飽食傾向で健康を損なうことも少なくないということからきているのか。何かというと「ウツ」とか「ストレス」、「メタボ」とか言って脅かされるようなご時勢だ。

 健康情報に関心が集まっているのか、健康専門誌もあるし、テレビや新聞でも健康に関する情報を多く取り上げている。当然、不健康な状態にならないような予防や治療法に関する情報も多いようだ。健康についての情報を満載している月刊誌の目次に目を通すと、さまざまな予防法や民間療法が掲載されていて、ちゃんと検証したものだろうかと疑問に思うものや、中には眉に唾をつけたくなるようなものも少なくないようだ。このようなことをすべて実行していたら、いつまでたっても健康で、死ぬことなどはないようにさえ思えてくる

 サプリメントも持て囃されているのか、テレビにはそれらのCMが実に多い。本当かどうかは分からないが、愛用者というのが登場して、良い結果や体調の変化に満足しているようなことを言う。その画面の片隅には必ず読めないような小さい文字で「個人の感想であり、効果・効能を謳うものではありません」などとあり、薬事法の規制なのだろうが、ではこのサプリメントは何なのだと白けた気分にさせられもする。

 いったい健康とは、心の問題はさておいて、身体面に限るとどのような状態を言うのだろうか。先日会ったある卒業生の男性は、5年間で20キロ減量したそうだ。ウォーキングや軽いスポーツを心がけ、食事もダイエット療法ではないが気を遣ったようで、よくやったと思った。それでも数値はどれほどかは知らないが糖尿があると言う。これは良好な健康状態なのだろうか。

 私はスポーツはできないし、頑健ではない、それでも若いときから病気はほとんどしたことはないし、40代になってから退職するまで受けた検診にも引っかかったことがない。今でも血圧は、少量の降下剤を服用していることもあるのかまったく正常だ。時折やってもらう血液検査の各項目にも異常値はない。最近は食事の量は落ちているし多くは食べないから快食とまではいかないが、毎日快眠、快便だ。そうすると至って健康状態は良好ということになるのだろうが、近頃は坐骨神経痛のために、歩いていると右脚の付け根が痛み、ふくらはぎが痺れて難渋し、適当に腰掛けて休息することがよくある。それに疲労感があることも多い。そのようなときには自分が健康だとはとても思えず、毎日ウオーキングを欠かさず、ゴルフなどもする、隣の市に住むブログ友のOjさんや北海道のSiさんを羨ましく思う。

 かかりつけの医院の先生に近頃のこのような体調のことを話し、これで健康なのでしょうかねえと訊ねたら、難しい質問ですねと言って、車を例にして話してくれた。車でも長く使っているといろいろ部品などが傷んで取換えなければならないこともある。しかし新しい部品に合わせて運転すれば、古い部品はだめになる。そのときの車の状態に合わせて運転することが必要だと。健康と言っても、何のための健康かと目的を持つことが必要だ。健康が目的になるのはおかしいと思う。例えば中国に旅行することを目指し、それが達成でき旅も楽しめたら、それは健康的だと言えると思う。ざっとこんな話だったが納得できた。今の世は健康ブームで、多くの人が健康であることを志向している。しかし、案外何のための健康かを考えずに、ただ健康でありたいと願っているのではないだろうか。それは好きではないと先生は言った。

 年を取れば、若い時のような健康状態ではなくなることは当然だ。年齢によって健康の内容や基準が違う。それを忘れてしまうと、徒に若さを懐かしみ、時には無理をしてしまうことにもなるのではないだろうか。



同窓会

2009-04-12 09:10:12 | 身辺雑記
 私が初めて教師として勤めた高校の、13回生という学年の同窓会があった。私が勤めた年に入学した、いわば同期生のようなものだ。昭和33年、今から51年前のことで、彼ら彼女らも今では66歳になった。

 会は80人以上が集まって盛況だったが、東京や軽井沢、四国からも参加者があり、中には卒業以来初めてという者もあった。私はこの学年ではクラス担任をしたことはなく、授業だけだったが、顔を合わせるとすぐに分かるのが多く懐かしかった。生徒達も私の授業を受けた者はよく覚えてくれていた。しかしさすがに歳月は争えないもので、特に男ではかなり年を取った感じの者もいたが、中には昔のままという者もかなりいた。隣のテーブルに、昔の面影が色濃く残っている女の子(いつまでたっても昔の生徒は「子」なのだが)がいたので近づいて、「少しも変わっていないねえ」と話しかけた。彼女もニコニコしながら応答していたが、私がつけている名札に目を遣ると頓狂な声で「あら、先生だったのですか。同級生かと思って。失礼しました」と言ったので笑ってしまった。同級生と見られたのは光栄だが、それだけお互いに年を取ると年齢差が感じられなくなっていることもあるのだろう。

 その他にも懐かしい顔を見つけては言葉を交わして楽しく過ごしたので、予定されていた3時間はあっと言う間に過ぎ、最後は校歌を歌って散会となった。教師達にはお土産も用意されていた。

 振り返ってみるとこの時代の生徒達は、自分達と教師との間のけじめをわきまえ、そこから踏み込むことはほとんどなかったように思う。だから50年以上もたって、外見は年齢差以上に接近したようになっても、そのけじめはいまだに守られ、むしろ歳月を経てきただけの分別や礼儀というものが深まってきているように思えて快かった。歳月は立派な大人を創っていったのだ。彼らの前後の学年も同じような雰囲気がある。そういう時代だったのだろう。

 あの時代に、この学校の教師になったことは幸せだったとつくづく思う。そして、今頃の高校での教師と生徒の関係はどのようなものになっているのかとも思う。最後の2年間は別の高校に勤務したが、その頃には昔とはずいぶん変わったものだと慨嘆することもあった。今の高校生達も50年後にはやはり同窓会をするだろうが、それはどんな雰囲気のものになるのだろうかと考える。



母と息子の情景

2009-04-11 08:46:13 | 身辺雑記
 行きつけの医院の待合室で診察を待っていた。しばらくして診察室のドアが開いて、青い作業服を着た背が高く頑丈な体つきの50代の男性が、母親らしい老婦人の両手を持ち、後ずさりしながら出て来た。

 大きな声で礼を言ってから、私の近くのソファーに母親を腰掛けさせ、自分もそのそばに腰を下ろした。にこにこしながら母親に何か話しかけたが、その口調が実に優しい。笑顔も優しいものだった。すぐに立って母親の前にしゃがみ、カーディガンを取り出して着せたが、その手つきも細やかで、相変わらず笑顔で話しかけながら母親の顔をちょっと撫でたりする。その様子は心温まるもので、知らず知らずのうちに私は笑顔になって男性を見ると、彼も笑顔を返した。母親は歩くのが困難なようだが頭の働きのほうは普通のようで、話しかける息子に嬉しそうに答えているその様子には息子を信頼し、何か安心し切っているように思われた。やがて、支払いを済ませて母親をいたわりながら帰っていったが、男性は体つきが大きく頑丈そうで無骨のようであるだけに、その優しいしぐさがなおさら印象的で心地よかった。

 どのような家庭環境にあるのかは分からないが、おそらくは進んで母親の介護をしている、平凡な表現をすれば、孝行息子なのだろう。近頃は年老いた親を虐待したり、時には殺してしまうようなことも起こっている。そのようなニュースに接するたびに、いったいどのような親子関係だったのだろう、親は子どもを慈しんで育てたのだろうかと思う。我が子の手で命を絶たれることほど痛ましく哀れなことはない。特にそれが母親の場合には、我が腹を痛めて産んだ子なのにと強く思う。それだけに医院で見た年老いた母親と息子の姿は何か心休まるものだった。