中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

淡路島に花を観に。

2010-05-19 10:32:30 | 身辺雑記
 近くにあってこれまで講座に参加したり、パソコンについての相談をしたりしていたパソコン教室主催の日帰りバスツアー、「デジタルカメラピクニック」に参加した。行き先は淡路島で、メインは1年前に開催された淡路花博の跡地に造られた淡路夢舞台と国営淡路明石海峡公園の花の観賞だったが、その他にも立ち寄った。

 最初に行ったのは「パルシェ香りの館」で、そこにある大温室でフクシア(ホクシャ)を観た。フクシアはアカバナ科の植物で、葉腋から長柄を出してその先端に下垂しているさまざまな色彩や変わった形の花が美しい。
























エキウム

2010-05-18 08:51:32 | 身辺雑記
 隣接している西宮市にある甲子園短期大学の園芸実習場で、エキウムという植物が育成されているという新聞記事を見たので行ってみた。


 約500平方メートルあるという園芸実習場の一隅にエキウムがあった。




 エキウムはムラサキ科の植物でさまざまな品種があるが、これはエキウム・カンディカンスという品種で、イベリア半島南西の大西洋上にあるマディラ諸島の原産だそうだ。マデイラは特産のワインで有名。円錐状の長い花穂を2メートルを超える高さまで伸ばし、花穂には径1センチくらいの花がびっしりと着いている。株は数十にも分枝すると言う。英名は「プライド・オブ・マデイラ」と言うそうだ。




 花にはセイヨウミツバチが飛び回って、忙しげに採蜜している。


 生活環境学科の土橋豊教授がこの花を使った蜂蜜作りに挑戦中で、市内北部の養蜂家に話をして、エキウムのそばに巣箱3箱を置き、セイヨウミツバチ約4万匹を飼っている。6月半ばには約30キロのハチミツが収穫できそうだということだ。土橋教授は将来は西宮の特産品にしたいという夢を持っているとのことだが、どのような味がするのか興味がある。教授がインタネットで「カナリア諸島にエキウムを使った良質なハチミツがある」と知ったのが契機だそうだ。







 また日本の蜂蜜の半分を占める有力な蜜源植物であるニセアカシアが、その旺盛な繁殖力から2005年に外来生物法の要注意リストに指定され、駆除が検討されていることもあり、将来はこのエキウムが代替の植物になる可能性があるという期待もあるようだ。

 ニセアカシア(インタネットより)

 このエキウムのそばには、他の品種も植えられていた。







 実習場の花壇には生活環境学科の学生達の手によるものらしい、さまざまな季節の花が美しく咲いていた。若い学生達が花づくりに精を出している姿を想像するのは楽しい。
















 淡路夢舞台の「奇跡の星の植物館」(大温室)にあったエキウム。

              
               


 

初夏の夕暮れ

2010-05-17 08:24:19 | 身辺雑記
 夕暮れと言えば秋なのだろう。藤原定家の「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」などは有名で、秋の夕暮れの寂しさはひとしお身にしみるものとされていたようだ。

 だが、初夏の澄んだ空気の夕暮れもまんざらでもないと、買い物帰りに我が家の近くまで来てふと思った。このあたりは車がよく通る道を外れているせいで、普段からあまり物音がしないが、夕方はことに静かだ。時折聞こえる人声や足音も心なしか少し高く聞こえる。小学生の男の子が2人、「じゃ、バイバイ」と言って別れているのに出会ったが、その後はまた静かになるのもいい。心が穏やかになるのが快い。

 それでもやはり独りの夕方は寂しいものだ。こんな夕方にはいつも、妻がいてくれたら一緒に散歩するのにと思う。

              




一口残す

2010-05-15 08:46:35 | 身辺雑記
 私の妻はどちらかと言うと少食で、時々おかずを食べ残した。それも一口か二口で食べてしまえるような、ほんの少しだけだった。「それくらい食べてしまえばいいのに」と言うと、「もういっぱい」と言ったり、時には「この一口がデブになる」とおどけたりした。おいしかったと思う時に止めた方がいい、もうおなかがいっぱいなのに、それ以上食べると口がまずくなると考えていたようだ。それでも主婦だから、食べ残したものを捨てるようなことはしないで、次の食事の時までとっておいていた。

 若い頃から私はよく食べた。妻とは違って後少しだと食べ切ってしまい、食べ残すことなどなかった。一つには戦中戦後の食糧難の時代に育ったから食べ残すほどたっぷりと出されることはなかったから食べ残すという習慣がなかったし、また昔の家庭のしつけで、食べ物は残してはいけない、行儀が悪いとされていたこともあった。今は飽食の時代で、多くの家庭でつくる方もたっぷりつくるし、食べ残すことも当たり前になっているようだ。好き嫌いも個性の一つなどと分かったような分からないようなことも言われる時代だから、好きなものなら思い切り食べて時には肥満になり、嫌いなものは一切食べないということなのか。外で食事をすると、近くの席で食べていた若者が席を立った後を見ると、よく食べ散らかしたように料理が残されているのを見ると、つい苦い顔になってしまうことがある。

 よく食べ、かなり満腹になっても残すことをしなかった私も、やはり年のせいか最近は残すことがよくあるようになった。あと少し「頑張れば」食べ残さないですむのにと思っても、いや、いや、おいしかったと思っているうちに止めておこうという気持ちになり、そんな時にはいつも妻のことを思い出し、これだったのだなと合点したりする。後一口、一切れぐらい食べられるのだが、満腹になるとその一口、一切れが胸につかえるように思われてくる。その一口でせっかくおいしく食べたことがだめになってしまうように思うから、無理して食べないことにしている。

 
   (日曜日はブログを休みます)


     
 

バイカウツギ

2010-05-14 07:18:49 | 身辺雑記
 バイカウツギは初夏5月の花である。5月のすがすがしい空気に、美しい緑色の葉と白い花はとてもよく似合い、気持ちを良くしてくれる。







 バイカウツギは樹高2メートルほどのユキノシタ科の落葉低木で、古くから庭木や生け花の花材として親しまれてきたようだ。純白の4枚の花弁をつけ、梅の花に似たウツギのように茎の中が空ろな植物ということで梅花空木と呼ばれる。別名サツマウツギ(薩摩空木)。



 先端が2つに分かれ長く伸びた雌蕊の周囲に多くの雄蕊がある。 




 花言葉は「思い出」、「気品」、「品格」で 、6月4日の誕生花とされているようだ。




パスポートの更新

2010-05-13 09:27:02 | 身辺雑記
 2000年にパスポートの交付を受けてから10年たったので、更新の手続きをして新しいパスポートを交付してもらった。同じように有効期限を10年にするか考えたのだが、自分の年齢を考えて今回は5年にした。5年後には80歳を超えているから、そのときに海外に出かけるほどの元気があれば、また考えればいいと思っている。まあ、再度更新できればめでたいことだとも思うが、どうなることか。

 交付料は結構高い、交付手数料として、収入印紙代9,000円とと県の収入証紙代2,000円で合わせて11,000円(10年だと16,000円)。他に写真代が1,000円必要だ。10年前はいくらだったか覚えていない。多分値上がりはしたのだろう。

 10年のものは表紙の色は赤だが、5年のものは黒だ。それに写真はこれまでは実物を貼り付けていたが、今はパスポートに転写されている。その写真だが、10年前のものはやはり我ながら若い。自惚れて言えば、まだ壮年期の名残がないこともない。髪には黒いものが前のほうに残っているが、今はほとんど真っ白だ。それに髭を生やして、それがまた白いから、どこから見ても年相応の老人だ。それに、旅券事務所に備えてあるセルフ方式の証明写真ボックスで撮ったせいか、何とも人相悪く写っていて、これでは国際的な指名老テロリストのようだ。10年の歳月はこんなものかと改めて思う。



 何となく懐かしさもあって、古いパスポートのページを開いて眺めてみた。たくさんの出国、入国印が押してある。1回だけを除いてすべて中国に行ったときのもので、この10年間に45回行ったので、1回につき日本と中国で出入国でそれぞれ2回、併せて4回押印するから、180の印が押されていることになる。その最初は2000年の6月24日から27日まで卒業生のK君と、ある旅行社の団体ツアーに参加して西安に行ったときのもので、この時に今も家族ぐるみで親しくしている李真と知り合った思い出のある旅だ。



 この頃はパスポートの他に入国査証(ビザ)が必要だった。自分で領事館に行く時間もないし面倒なので、あまり安くない手数料を払って旅行社に代行を委託していた。この面倒な手続きも中国の場合は、2006年以降は15日以内の滞在なら免除されるようになった。



 パスポートに押される出入国印は日本(関空)のものはきちんと押印されているが、中国のものは概して汚く乱雑で文字がかすれて読めないもある。お国柄か。係官に対する教育の問題か。



 一度だけ2002年に妹を訪ねてマレーシアのペナンに行った。上下逆の紫色の角印が入国時のもの、その下の赤い五角形の印が出国時のもの。11月の中頃だったが、さすがに熱帯だけあってひどく暑かった。帰途に首都のクアラルンプールにも立ち寄ったが、建国は第2次大戦後だから、やはり中国とは違って歴史の古さを感じさせるものは乏しかった。




 使い古したパスポートで、いろいろな思い出も詰まっている。たびたび開いて眺めるほどのものではないが、とっておこう。

大町藤公園

2010-05-12 08:53:10 | 身辺雑記
 白亳寺の九尺藤を見た後で北に向かい、白亳寺のある丹波市の北西に隣接する朝来(あさご)市に入り、和田山町にある大町藤公園に行った。ここは百亳寺よりも面積は広く7000平方メートルあって「山陰随一の藤公園」と称している。駐車場も広く大勢の観光客が来園していた。

入り口のそばの壁面の藤。


 園内には藤棚が張り巡らされ、幅4メートル、総延長500メートル、藤の木の本数は120本と言う。







 色は紫の他に白、紅などがあり、どれも美しい。
















 周囲を藤棚で取り囲まれた場所は緑地になっていて、そこには2段や3段仕立てにした木がある。ベンチも置かれていて、休んだり食事する人達があった。


 この白花の木はまだ蕾だったが、満開になると見事だろうと思う。


 かなり長い花房もあり、最長1メートル45センチのものもあるそうだ。





 公園の上、山の裾には大町池と言う大きな貯水池がある。そこに鯉のぼりが舞っていた。




 天候に恵まれた一日、藤の美しい色と香りを堪能できた。

              


              

白亳寺の九尺藤

2010-05-11 08:21:56 | 身辺雑記
 県西北部の丹波市市島町にある天台宗の寺、五大山白亳寺(びゃくごうじ)は705(慶雲2)年に開基されたという古刹だが、ここでは毎年「九尺藤」を呼び物にしている。好天に恵まれた9日の日曜日にいつものメンバー(Hg君夫妻とHr君)で出かけた。

 早目に出発したので寺の駐車場にはまだ空きがあったが、それでもかなりの参観者が来ていた。

 寺域入り口の石碑


 藤はちょうど見ごろを迎えていた。

 九尺と言うと花房が約3メートルにもなると考えるが、「九尺藤」と言うのは種類の名称だそうで、実際には長くても1メートル50センチくらいだそうだ。実際の九尺を期待していくとやや肩透かしを食うが、それでも1メートルくらいに伸びた花房が密集しているのは見事である。








 このような木が広場に10本植えられていて、L字型に設けられた全長120m、幅9mの棚に枝を伸ばしている。




 藤棚の全景俯瞰。







 藤の花は蝶の形をしている蝶形花冠で、マメ科植物である。



 境内寸見.
 太鼓橋。白亳寺の呼び物。市指定文化財。長さ5.2m、幅2.05m、高さ1,75mで江戸時代中期の元禄年間の作と考えられている。「人間の迷いの世界から仏の悟りの世界に至る渡彼岸の思想を表している」と解説されているが、橋のカーブは極端に急で、とても渡れそうもない。彼岸に渡るのは至難と言うことだろう。


 回向本堂と山門。




 総本堂の薬師堂。その側面に駕籠が吊るしてあった。住職が使ったものか。


 


母の日

2010-05-10 08:53:04 | 身辺雑記
 昨日、5月8日は「母の日」だった。「母の日」を定めている国は世界には多いようで、その起源や日付もさまざまらしいが、日本は米国起源の「母の日」に倣って5月の第2日曜日になっている。

 例によってこの日も、バレンタインデーやクリスマスと同様に商業主義の格好の対象になっていて、デパートや商店ではさまざまなギフトが売られる。日本で「母の日」が始まった当初は一輪のカーネーションを贈る程度だったが、今ではさまざまなものが店頭に並べられている。Hr君の話ではプレゼントとして花束ならぬ野菜束を売っていたところがあったそうで、誰があんな馬鹿げたことを考えたのだろうとHr君は嗤っていた。

 私の母も妻の母もすでに他界しているし、妻もいないから私も子どもたちも感謝する母親はいない。子ども達はどのように思っているか知らないが、妻は子ども達に対して本当にやさしい良い母親だったから、「母の日」には母親を思い出して感謝してほしいと思う。私も折に触れて亡き母や義母には感謝している。

 近くのデパートの一隅に、幼い子ども達が描いたお母さんの絵が展示してあった。どの絵も愛らしく、子ども達が一生懸命に描いている姿が想像され、ほほえましい。母親も嬉しかったことだろう。子ども達が母親を慕う気持ちがいつまでも続くようにと思う。

左2歳。右4歳。


 左4歳。右6歳。


 左7歳。右8歳


 左8歳。右9歳。


 ちなみに、「母の日」に比べるともう一つ地味な感じのある「父の日」も世界のさまざまな国にあるようだが、日本では「母の日」と同じように米国起源に倣って6月第3日曜日になっている。「母の日」の花がカーネーションとされているのに対して、こちらはバラになっている。

受動喫煙

2010-05-08 11:21:00 | 身辺雑記
 最近次のような記事を読んだ。

 「職場での受動喫煙防止を議論してきた厚生労働省の有識者検討会は、労働者の健康を守る観点から一般の事務所や工場は原則禁煙とし、やむを得ない場合は一定の要件を満たす喫煙室の設置を事業者に義務づけることなどを柱とした報告書をまとめた。厚労相の諮問機関の労働政策審議会で具体的内容を詰め、来年の通常国会に労働安全衛生法改正案の提出を目指す。(以下略)」

 私は次男が生まれた年、31歳までタバコを吸っていた。1日に1箱かそれ以上吸っていたからヘビースモーカーの部類には入るのだろう。本数はともかく、今にして当時の自分を思い出すと、吸い方がだらしなく意地汚くさえあったと忸怩たる思いがする。朝起きたらすぐ火をつける。食事前に一服する。食後にまた一服。家を出て駅に向かう途中は歩きながら吸う。これが一番自堕落な姿だったと思う。学校に着くと一服。授業の合間にも必ず吸う。こういう調子だから、当時は受動喫煙という言葉はなかったが、喫煙しない人、タバコの煙が嫌いな人のことは考えることはなかった。そういうことでは喫煙者は自己中心的なところがある。

 次男が生まれたころは、職場での精神的な悩みもあって体調不良となり、いらいらすることが多くなり、当時よく目にした言葉では「不定愁訴」、ノイローゼ状態になった。気持ちを落ち着けようと思ってタバコを口にしてもだめで、あるとき思い切ってまだ数本残っている箱をゴミ箱に捨ててしまい、それ以来40数年まったく吸っていない。

 喫煙を止めると、タバコというものがいかに嫌なものかを折に触れて実感するようになった。私が勤務した教育委員会事務局のある課の1室はさほど広くはなかったが、そこに20人くらいが勤務していて、喫煙者は多かった。とりわけ私のいた係では私と事務の女性以外は喫煙し、私は前と左右からヘビースモーカー達の濃厚な煙の中に絶えず晒され、気分が悪くなるほどだった。

 その後、最後の勤務をした高校では職員会議の時の煙に悩まされた。最初に勤めた頃は会議中の煙などは気にもならなかったが、禁煙してみるとそれは我慢ができないくらいだった。そういう人は私以外にもいたのだろうが、当時は「会議中は禁煙しましょう」という提案をする者はなかった。すれば喫煙者に白眼視されかねなかった。それほどかつての私のように、他人の迷惑には無頓着、無神経な喫煙者が幅を利かせていた。

 だから厚生労働省の今回の一般の事務所や工場は原則禁煙とするという報告書には賛成だ。喫煙者の不満の声が聞こえそうだが、これが時勢というものだろう。一般の飲食店でも禁煙するようにしてほしいと思うが、2月に厚生労働省が健康増進法に基づいて多数の人が利用する施設では原則前面禁煙を求める通知を出したそうだが、これは努力規定にとどまっているようだから、まだまだ実現は難しいだろう。

 Hg君の家では屋内禁煙にしている。部屋が汚れることを奥さんが嫌うのか、奥さんの受動喫煙を気遣っているのかは知らないが、Hg君やHr君、時々来るKo君などは吸いたくなると、たとえ寒い冬のさなかでも外に出る。これは昔の私はしなかった殊勝な行動だ。それなのにその彼らは外で食事をする時には席に着いた途端にタバコの箱を取り出すことがよくある。さすがに食事中には吸わないが、食後は必ず吸う。食後の後の一服の旨いことは今でも覚えているが、吸わなくなった今では食後の満足感も減退するから、時には煙を手で払ったりして嗅がないようにする。これはタバコを吸わない者の悲哀だと思う。Hg君の奥さんがそばにいても遠慮しないから、彼の家の中での禁煙は奥さんの受動喫煙を心配してのものではなさそうだ。秋にはタバコは値上がりするというが、おそらく彼らが禁煙することはないだろう。

 最近は受動喫煙が有害なことはよく言われる。研究された結果では受動喫煙が引き起こす障害として 小児では突然死、学童期の咳、息切れ、小児喘息、成人では心筋梗塞、狭心症、動脈硬化、肺癌など多岐にわたるようだ。長男が生まれた時は小さい家に住み、寝かしつけている長男と同じ部屋でも喫煙していた。そのような自分に今は嫌悪さえ覚える。

 かつて私はよく喫煙していたから、タバコの旨さや一服した時の安らいだ気分は理解できる。だから一方的に喫煙者を責め、非難する気はない。喫煙者に必要なのは喫煙の時と場を心得るマナーと非喫煙者への思い遣りだろう。喫煙者が我が物顔に吸い、吸わない者が辛抱するのはいかにも不公平なことだ。喫煙者も相応の我慢をするべきだろう。それがあれば、喫煙者と非喫煙者は共存できるのではないだろうか。


  ((日曜日はブログを休みます)