中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

老人の車運転事故

2010-05-07 11:02:32 | 身辺雑記
 連休中のことだが、山梨県の北杜市のショッピングセンターに乗用車が突っ込み、買い物客7人が重軽傷を負った。運転していたのは79歳の無職の男性で、アクセルとブレーキを踏み間違えたと言っているようだ。

 同じ日に奈良県の天理市では76歳の無職の男性が自宅前で、前から歩いてきた79歳と74歳の女性2人をはねて死亡させた。同乗していた家族を降ろそうとした際に、やはりブレーキと間違えてアクセルを踏み、急発進したらしい。

 どちらも高齢者が起こした事故で、私は車を運転しないからよくは分からないが、ブレーキとアクセルの操作は車運転のごく初歩の、基本的なことではないのだろうか。それを間違えるということは、年齢から考えるとかなり長い間運転はしていたのだろうが、やはり集中力や反射能力が衰えていたのではないか。ブレーキとアクセルの踏み間違えは何も高齢者に限ったことではないようだが、インタネットでたどってみると、やはり高齢者が少なくないようだ。

 年を取っても車を運転しなければならないような事情はあるのだろうが、本人はもちろん家族も年齢とともに集中力や運転能力が落ちてくることは自覚して、注意するべきだと思う。年を取ってから人身事故、それも死者を出すような事故を起こしては、その後に残された人生は悲惨だと思う。

 70歳くらいを過ぎたら本人がいかに元気で、自分は大丈夫と言っていても、視力や反射能力などの検査をして、不適格であれば免許証は預かりにするくらいのことはあってもよいのではないか。それはむしろ、万が一の事を防ぐ老人への思い遣りでもあると思う。最近故人になったある知人は、65歳になったときに免許証を自発的に返上した。65歳はともかくとして、年を取ったと自覚したら、それくらいのことをしてもよいのではないか。何かにつけ、ワシはまだまだ若い者には負けんと言う元気さがあるのはいいことだが、やはり老いは容赦なく忍び寄ってくるものだということは自覚したほうがいい。
 




山菜のてんぷら

2010-05-06 09:19:13 | 身辺雑記
 Hg君たちと花巡りドライブに行った途中にある道の駅やJAの販売所に立ち寄った。その土地の農家が出している野菜や山菜は新鮮で、つい買いたくなるが私には手があまるからトマトだけ買った。Hg君夫人は道の駅が好きで立ち寄りたがり、寄るとあれこれ買う。タラノメやコゴミを見ると「明日てんぷらにしましょう」と言った。Hg君の家で皆で食べようということで賛成した。最近はHg君の家でよく食事をする。Hg君夫人はなかなか料理が上手い。先だっては私がふとワカサギのてんぷらが食べたいなと言うと、別に催促したつもりは無かったのに、しばらくして呼んでご馳走してくれた。

 私はフライやてんぷらなどの揚げ物が好きで、妻はよく作ってくれた。妻は揚げ物が上手で、広島にいた妻の母が送ってくれた牡蠣をフライにすると、私には絶品に思われたものだった。妻がいなくなってしばらくの間は自分で揚げ物をしたが、自分ですると食べようとするときには冷めてしまってあまり美味くない。それに揚げ物の油など後始末が面倒なので、近頃はしなくなった。それだけに揚げたそばから食べられるHg家のてんぷらは非常においしいものだ。

 花巡りドライブの翌日にHg君の家に行ったがHr君も来て、準備を手伝った。彼は小難しい食通ではないが、食べることには興味があり、自分の食べるものも丁寧につくっているようだ。Hg家で食事をするときには鍋物でもてんぷらでも彼が「奉行」になってくれる。

 材料。上から右回りに、コゴミ、木の芽(筍飯用)、ユキノシタ、タラノメ、ウド、エリンギ。


 ムカゴ(零余子)。ヤマノイモの葉の付け根にできる珠芽。ふかして塩をまぶしてある。なかなか美味いものだ。これも道の駅にあった。


 準備が整ったところで揚げることになるが、ここは例によってHr君の出番で、手際よく揚げていく。いつもながら手つきがよいのに感心する。


 からりと揚がった山菜はとても美味しい。次々に手が出て堪能した。

トマト

2010-05-05 09:28:20 | 身辺雑記
 池波正太郎の『江戸の味を食べたくなって』(新潮文庫)は味の通人のものらしく面白く読める本だ。池波正太郎はテレビ化もされて人気のあった『鬼平犯科帳』や『仕掛け人藤枝梅安』、『剣客商売』などの時代小説で有名だが、その中でさりげない江戸の料理の描写があって、私もテレビで楽しんだものだ。この本の第1章は「味の歳時記」と題して、一月から十二月までの昔の味を懐かしむエッセイが収められているが、その八月は「トマトと氷水」で、その中に次のような一節がある。

  子供のころ、私はトマトの皮を剥いてもらい、種を除(と)り、小さく切ったのへ醤油をかけて食べるのが好きだったが、小学校も五年生になると、弁当のほかに、
 「おばあさん。一つ持って行くよ」
 祖母にことわり、台所から一つトマトをランドセルへ入れ、昼食の時に塩をつけて食べる。
 「よくそんなものが食えるね」
 と、同級の生徒たちがいった。 
 彼らは、ほとんど、トマトが嫌いだったようである。
 トマト独特の、あの匂いを嫌がったのだろうが、いまのトマトには、いくら、あの匂いをもとめても消えてしまっている。

 このくだりを読んで、そうだ、そうだと頷いた。

 先日スパゲッティに使うために,赤く熟したトマトを2個買い、1個を冷蔵庫に入れておいた。冷やしてそのまま食べればうまいだろうと思ったからだ。しかし、いざ食べてみると味は浅く、匂いもなくてさっぱりうまくないのでがっかりした。最近のトマトに濃い味やトマトくさい匂いを求めても無駄だと分かっていたのに、赤く熟したその姿につい惑わされてしまった。

 トマトのあの匂いが懐かしい。夏の朝早く、まだ露が残っている頃に、庭に植えた株に生った冷たいトマトをもいでかぶりつくのは楽しみだった。食べた後は葉をつまんで押し潰し、指を鼻先に近づけて嗅ぐと、これも独特の青臭い匂いがするのが好きだった。近所の百均ショップの店先に、トマトの苗が並べられていたので、葉をつまんでみたが匂いはなかった。昔もトマトの実や葉の匂いは普通にはくさいと敬遠されていたのだろう。まして無味無臭のような今時のトマトしか知らない子どもに、昔のようなトマトを食べさせたら、きっとくさいとかおいしくないなどと言うだろう。トマトは色だけのものになってしまったのだろうか。寂しいことである。

 私の妻はトマトに砂糖をかけて食べた。いかにもミスマッチのようで、よくそんなことして食べるねと言うと、おいしいよと肩をすくめ、ニコニコしながら言ったものだ。砂糖は願い下げだが、池波正太郎が子どものころにしたという、醤油をかけて食べるのはどうだろう。一度試してみよう。しかしそれよりも、どこかであの懐かしい匂いのするトマトが手に入らないものだろうかと思っていたら、Hg君たちと藤やシャクナゲの花を観に行った折に途中にあったJAの売店で、これはどうだろうというのを見つけた。そばにいた女性の店員が、これはちゃんと土で育てたものだからおいしいですよと言ったので買って帰り食べてみると、確かに味は濃く、適度に酸味もあって昔のトマトに近かった。そうするとトマトのあの好きな匂いには土の香りが含まれていたのだろうかと思った。

              



花巡りドライブ(2)

2010-05-04 10:14:14 | 身辺雑記
 まだ盛りにはなっていなかった藤を後にして、さらに西の佐用郡佐用町の「しゃくなげの里」に向かった。この町は昨年8月の台風9号に伴う豪雨で、死者18人を出し、そのうちの2人はいまだに行方不明という大きな被害を受けたが、氾濫して悲劇を招いた千種(ちぐさ)川も今は落ち着いていた。

 「しゃくなげの里」は標高百メートル余の小高い山の斜面を利用したしゃくなげ園で、日本しゃくなげと西洋しゃくなげ150種15,000本あまりが植えられている。しゃくなげ(石楠花)はツツジ科の低木で日本には数多く自生しているが、その多くは変種だそうで、種としては4種か6種とされているようだ。外国産のものが園芸品種として多く導入されている。














 このしゃくなげ園の斜面はかなり急で、上り始めてしばらくしたところにある恵念堂の傍らの休憩所でしばらく休んでからまた上ろうとしたが、右脚のふくらはぎが張って痛くなってきたので、それ以上行くことを断念して、上がっていったHr君やHg君夫妻を待つことにした。

 休憩所までのシャクナゲは、もう花が衰え始めたものや盛りのもの、まだ蕾のものなどいろいろだったが、頂上まで登ったHg君たちの話ではよく咲いていたようだ。日の当たりにくい場所のものはこれからのようだったらしい。斜面の高さや日当たり、品種などによって、ここでは長く花が楽しめるようだ。


















 恵念堂の傍らにあったイチョウ。枝から大根を干したように気根が垂れ下がっている。


 園芸品種





 最後に少し離れた、県も西のはずれの赤穂郡上郡町の万勝院の牡丹を観に行ったが、着いてみると、係員らしい老人が、まだほとんど咲いていませんと申し訳なさそうに言った。入園料も要ることですからと言うので、観ることを諦めた。

 花のちょうどよい時期を訪れることは難しい。今度の私達の花巡りドライブの参考にした旅行社の観光バスにどこでも出会ったが、参加者は藤と言い牡丹と言い、かなり満たされない気分だったのではないだろうか。ともあれ、晴天に恵まれ、新緑の山々を眺めながらのドライブはなかなか楽しいものだった。

              


花巡りドライブ

2010-05-03 10:13:07 | 身辺雑記
 Hg君の家に送られてくる旅行会社のパンフレットの中にあった、藤、石楠花、牡丹の花巡りツアーのコースを頂戴して、観に行こうということになり、Hr君も加わったいつものメンバーで出かけた。行き先は兵庫県西部の播磨地方でちょっと遠出になった。

 最初は、宍粟(しそう)市山崎町の大歳神社の藤を目指した。ここの藤は千年藤と呼ばれて名所になっているようだ。境内はそれほど広くないが、中央に2本、ふた抱えもあるような大きな藤の木があり、それが枝を境内いっぱいに広げていた。


 立て札を見ると県指定の文化財で天然記念物、「天徳四年(西暦九六〇年)上寺の与右衛門が植樹したと云われ 」とあり、平安時代のことだから、まさに千年藤の名にふさわしい老木である。


 残念ながら今年の低温続きのために花期は遅れ、開花の状態はよくなかった。









 最盛期にはなかなか見事な眺めになるようで、境内の売店に置いてあった写真ではこのようになっている。


 藤の花は気品があっていい。白い藤もあるが、やはり藤は藤色が良い。
               


 気象予報士の半井小絵さんの『半井小絵の 季節の小箱』(かんき出版)の「初夏・梅雨」の章に「藤」という文があるので引用する。

 桜の華やいだ季節が終わると、祭りの後のような寂し
 さを感じます。それを落ち着いた気分にしてくれるの
 が優美な姿の藤の花です。古典文学や歌舞伎にも頻繁
 に登場し、家紋にも使われています。


 藤の家紋
下り藤 上り藤 藤巴
八つ藤

半世紀の付き合い

2010-05-02 11:20:39 | 身辺雑記
 Hr君に「あんた達とはもう50年の付き合いになるね」と言うと、彼は「そうですよ。半世紀です」と応じた。「半世紀か。長いなあ」と今さらのように言ったことだった。

 いつも集まって食事するメンバーの中心になったり、ドライブしたりするHr君やHg君たちは私と一回り違う今年64歳で、私が教師になってから4年目の1961年に入学し、生物クラブに入ってきた。熱心なクラブ員だった彼らは、思う存分高校生活を享受して卒業したが、卒業してからは1学年上級のU君たちとOB会をつくった。OB会と言っても女性の卒業部員ももちろんいて「オーバー」などと冷やかしたものだった。名簿上では今ではもう200人くらいになって、先日もそのうちの50余人が集まった。

 Hr君たちの学年はとりわけ活気があって、彼、彼女らが活動していた頃は、部員数は60名以上となり、全校一を誇っていた。あの頃は私も若かったからクラブの顧問として連日彼らと活動をともにし、あまり熱心に打ち込んだので、当時生まれて間もない長男を抱えていた妻は「度が過ぎます」と私をなじり、険悪な空気になったこともあった。その妻も校内最大のイベントである文化祭のクラブ展示を観に来たり、部員達と知り合うようになってからは理解をするようになり、親しんだ。とりわけHr君たちの前後の部員達には親しい感情を持ったようだったから、卒業後も機会があれば 彼らと付き合っていた。彼らも妻とは親しみ、私の子ども達を可愛がってくれた。妻の病が余命少ないことを知ると、たくさんのOB達を集めて会を開いてくれた。自分の病状のことは何も知らない妻は嬉しそうだった。妻の葬儀の時にOB会の代表が読んだ弔辞の中に「生物部のお姉さん、お母さんとして」というくだりがあり、彼らと一緒にいる時の妻の笑顔を思い浮かべて私は涙した。

 そのような時代から、早や50年、半世紀の歳月が過ぎ去った。私も教育委員会の事務局に異動したりして身辺が慌ただしく、仕事も忙しかったので、彼らと付き合うことはほとんど無くなったが、退職するとまた復活して今に至っている。特に近年はHr君やHg君達やその仲間とは、月に1回は集まって昼食会をするなど楽しみが多い。

 思い返せば50年の歳月の間にはいろいろなことがあり、少なくない卒業部員を喪う悲しみもあったが、やはり教師になって良かった、とりわけ「あの時代に」、「あの高校で」、生物部の生徒達に出会ったことは貴重なことだったと、折に触れてしみじみ思う。私は幸せ者なのだろう。

モッコウバラ

2010-05-01 11:46:56 | 身辺雑記
 ハナミズキとともに初夏の訪れを感じさせるのがモッコウバラ(木香薔薇)だ。先日卒業生達と昼食会をした後でHg君宅に集まったが、庭にはHg君が丹精こめて育てているいろいろな草花があるり、その庭の隅に大きなモッコウバラの木があって花の盛りだった。




 モッコウバラは中国原産の蔓性の常緑樹で、蔓性と言ってもかなり太く大きくなる。この季節に見かけるのは黄花ばかりで、キモッコウバラと言う。モッコウバラは本来は白花の品種だが、白花はほとんど見られないで、モッコウバラと言えば黄花の品種になっている。。


 妻はモッコウバラが大好きで、我が家のちっぽけな前庭にも鉢植えをしていたが、放っておいたのでどんどん成長し、やがて鉢の底から地中に根をがっちりと下ろしてしまい、高さは3メートル以上になった。ちょうど今Hg君の家の庭にあるものと同じくらいの大きさだったが、枝が密集して満開の時は見事で、通りすがりの人が感心して見るほどだった。妻の死後も成長し続け、その重さで幹が傾いてきたので、仕方なく切り倒してしまった。

 その枝を挿し木したものが近所のSさんの家にある。同じ花好き同士で、妻があげたものだ。もう10年以上たつが、上手く手入れしているのか小さくまとまっている。私にとっては妻の思い出の株だ。今年も花をつけたが、まだ蕾が多いので、これからもっと見栄えが良くなるだろう。