中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

ゴキブリを食べる。

2012-10-16 07:52:53 | 海外あれこれ

 アメリカフロリダ州ディアフィールドビーチというところの爬虫類ショップでゴキブリなどの大食い大会が開かれたという記事を見ました。ゴキブリのほかミミズやヤスデを生きたまま食べる競争で32歳の男性が優勝したとのことです。この男性はゴキブリ約30匹、ミミズ約30匹、ヤスデ約100匹を飲み込んだそうです。ところが優勝賞品の850ドル(約6万7000円)相当のニシキヘビを受け取って喜んだのも束の間、直後にこの男性は気分が悪くなって吐いて倒れたために病院に運ばれたが死亡しました。専門家の中には、他の参加者には異常がなかったことから、アレルギーが原因とすろ見方もあるようですし、ヤスデの体液には毒があるという説もあるそうです。

 まったく馬鹿げた企画をするものですが、こんな悪趣味なコンテストに応募者があることにも驚きます。生きたゴキブリ、ミミズ、ヤスデを食べるとは気持ちが悪く寒気がします。ホットドッグの大食い競争では日本人の青年が優勝したこともあります。こんな競争もばかげているとは思いますが、ホットドッグならともかく、ゴキブリとはアメリカ人の感覚は違うのでしょうか。飽食の挙句の愚行のような気がします。死んだ人を謗りたくはありませんが、つまらないことで命を落としたものです。最近珍しい愚かしいニュースだと思いました。日本でまねをしてほしくないものです。


愚痴

2012-10-14 18:33:31 | 身辺雑記

 自分でもバカだなあと思うのですが、今でも時々妻は本当に死んだのかなと思います、特に夜、消灯してから暗い中でじっとしている時や、目覚めの時に思います。もう13年もたつのにいまだにどうしたことかと思いうのですが、そういう時にはいろいろと妻がもういないのだという「証拠」をあれこれと思い返して自分を納得させます。それでも何か思い切れないものがあります。特に今頃は寂しさ一入の秋ですから、その思いが強いのかも知れません。未練がましいとは思うのですがどうしようもありません。

 これは前にも書いたと思うのですが、妻が逝く前の年の晩秋に、次男がドライブに誘ってくれ、彼の妻子も一緒にこの近辺をただ当てもなく回ってくれました。息子にしたら、少しでも母親と一緒に過ごす時を持ちたかったのかも知れません。秋の陽はたちまち落ちて辺りの田舎の景色が夕闇に包まれると、しきりに寂しくなって「寂しいなあ」とつぶやきました。妻は笑って「お父さんはすぐに寂しいと言うんだから」と明るく言いました。妻自身や幼い孫たちの他は、妻はもう長くないのだということを知っていましたから、「来年はもういないのだな」と思う私の寂しさはいつもの秋とは違って深いものがありました。運転している息子は黙っていましたが、涙もろい性格で母親思いですから、おそらく涙をこらえていたのではないかと思います。あの時の明るい妻の声は、今も思い出します。

 これを書いている今も、もうとっくに日が暮れて近所では物音もしないし、人声も聞こえません。こうして独りでいますと家の中には何の気配もせず、妻がいないことは嫌でも分かります。こういう時は独りの寂しさがいっそう身にしみます。

 私の知っている私よりも少し年下の女性は何年か前に夫を亡くしていますが、死んだ者を想っても仕方がない、おいしいものを食べたほうがいいとサバサバしていますが、何度もそれを聞くたびにそんなものかなと、何か味気ない寂しい人柄のように思えてきます。

  

 

 

 


徒然雑草

2012-10-12 08:33:38 | 身辺雑記

10月9日

 ○今朝、近所のSさんの家の前を通ったら、玄関先に奥さんがいて、庭の植物を触っていた。ずいぶん久しぶりだったので「お元気?」と声をかけたが、暗い無表情な顔で「元気です」とぼそぼそとこたえ呟いた。

 この人が認知症らしいという噂があってから、もう2,3年になるが、どうやら本当らしく、かつてははきはきと元気よくいろいろな活動をしていたのにと胸が痛んだ。年は亡妻と同じだから今年77歳のはずだ。ふと妻もあるいはこういうことになって、老老看護をしているかも知れないなと考えた。 

 ○開けた窓から気持の良い外の空気が入ってくるが、それには金木犀の香りが含まれていて、なお空気が澄んでいるようで良い気分になる。木犀は中国では桂花(グイファ)と言う。有名な観光地の桂林の市内の街路には木犀の大きな樹がたくさんある。花が咲くと街中に木犀の香りが充満するそうだが、私が行った時には9月でまだその季節ではなかった。安徽省の屯渓(Tunxi)に行ったのは10月で、桂花が至る所に咲いていて芳香が漂っていた。香りは日本の金木犀と同じだが花は白く、銀木犀のようだった。

  ○プロ野球はセ・パともに全日程を終えた。贔屓している阪神タイガースは今年は散々な成績で5位、まことにつまらないシーズンだった。身近なタイガースファンも途中から白けてしまって、話をしても投げ出したような調子になる。この球団はファンもスポーツ紙もちょっと甘やかしているのではないか。滑り出しで少し勝ちが続くとすぐに「今年こそ優勝や」とうわついてしまう。若手の練習も甘いと聞く。今季で引退する金本選手のようにひたすら練習に打ち込むような雰囲気がないと、これから当分は下位の座に甘んじるだろう。 

10月10日

 ○あるツイートにこんなものがあった。「(大阪市)議会で住吉病院を守れと主張した自民党市議に対し、橋下市長は『共産党みたいなこと言わないでください!守れとか、削るなとか、残せなんていうのは共産党にまかせておけばいいんです』と述べました。当の自民市議は『最大の褒め言葉だ』と言っていたそうな…」。

 ウルトラ右翼で共産党嫌いの橋下市長の言いそうなことだが、大阪市議会の共産党も民意を受けて選ばれている。それに対して公の議会という場でこのような暴言、雑言を吐くこの男の傲慢さ、偏狭さと器量のなさ、思い上がりはどうしようもない。

 


ノーベル賞受賞

2012-10-10 07:37:16 | 身辺雑記

 京都大学の山中伸也教授にノーベル医学生理学賞が授与されました。受賞理由は、素人には難しいのですが、マウスの皮膚細胞に4種類の遺伝子を入れることで、あらゆる組織や臓器に分化すろ能力と高い増殖能力を持つ「人工多能性幹細胞」(iPS細胞)作り出すことに成功した業績が評価されたとのことです。最初の成果が発表されてから僅か6年余と言う異例のスピード受賞で、それだけにその功績が大きいことが分かります。 

 9日の新聞の朝刊は、一面はもちろん二、三面も関連記事で埋められ、二十三面や二十四、五面にも大きく取り上げています(『毎日』)。読む気が起こらないような最近の政局関係のニュースよりも紙面に充実感があります。 

 山中教授は50歳という少壮学者で、さぞエリートの道を順調に歩んできたのだろうと想像しますが、実際は挫折の連続だったようです。最初に目指したのは整形外科医だったそうですが、臨床研修医の時には不器用だったために手術に人よりも時間がかかり、「じゃまなか」などとあだ名され、研究医に方向を変えたと言います。。今回の研究でも失敗の繰り返しだったようです。そのようなさまざまな障碍を乗り越えて今回の快挙となったのですが、しかし精励刻苦の努力の人という堅苦しい印象ではなくて好感が持てます。 

 日本のノーベル賞受賞者は、湯川秀樹氏以来、佐藤栄作氏の平和賞と言ういささか首をかしげるようなものを除くと18人目で、アジアでは群を抜いています。何でも経済力で国力をはかろうとすることよりも、このような、いわば文化力で国の水準を考えることも良いのではないかと思います。

 


映画を観る

2012-10-09 22:03:37 | 身辺雑記

 久しぶりに映画を観に行きました。降旗康男監督、高倉健主演の「あなたへ」。富山刑務所の刑務官である主人公(高倉健)が亡き妻(田中裕子)の、故郷の海に散骨してほしいという遺言を果たすために長崎県の平戸まで、自身の車で出かけ、途中でいろいろな人達に出会い、その人生に触れるというロードムービーでした。しっかりした脇役が固め、富山などの景色の描写も美しいものでした。平戸の海では老いた漁師の助けを借りて散骨を果たすのですが、この漁師の役をしているのが、つい先日87歳亡くなった名脇役の大滝秀治さんで、良い味の演技を見せていました。これが最後の出演作品でした。 

 名画とまでは思いませんでしたが、作品中のいろいろな人物には共感できました。高倉健は例によってほとんどニコリともしない演技でしたが、私の観方が浅いのか、妻を想う心情がもう一つよく分かりませんでした。 

 『東京』紙コラム「筆洗」から。

 高倉健さんはその存在感だけで主演を張れる希有(けう)な役者である。六年ぶりに出演した映画「あなたへ」は、故郷で散骨してほしいという妻の遺言の真意を確かめるために旅に出る男の物語だ▼スクリーンに高倉さんに劣らない存在感を見せつけた俳優がいた。散骨に向かう高倉さんを乗せる漁師を演じた大滝秀治さんだ。出番は短かったが、魂のこもった演技は強い印象を残した。この共演が最後の映画になった▼名脇役が八十七歳で亡くなった。一九五〇年、劇団民芸の創立に参加。舞台だけでなく、テレビや映画にも数多く出演し、飄々(ひょうひょう)とした演技は多くのファンを魅了した▼敗戦の年の三月、十九歳だった大滝さんは繰り上げ召集され、通信兵として暗号文を送る訓練を受けた。奄美大島への配置が決まった後、敗戦を迎えた▼時代の空気に敏感だった。八年前、東京新聞の取材に語っている。「ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争…、戦争はずっと続いてます。犠牲になる人の身になって考えてみてください。今の日本人には、その危機感がありません。戦争の悲惨さを知らない日本人の安穏さは危険です。今は昭和初期と時代の雰囲気はかなり似てますよ」▼映画の最後のせりふは「久しぶりにきれいな海を見た」。高倉さんはこのせりふを聞いた時、思わず涙がこぼれたという。遅咲きの名優は静かに去った。

 

 

 

 


ラクダの過労死

2012-10-09 21:08:15 | 中国のこと

 中国甘粛省敦煌の郊外の砂漠にある鳴沙山は観光地として有名で、ここには約千頭のラクダがいて観光客はこれに乗って砂漠を見て回ります。9月30日から10月7日の中秋節や国慶節の大型連休中に、鳴沙山に毎日8千人近くの観光客が押し寄せて、休む間もなく酷使されて過労のために死ぬラクダが相次いだそうです。午前5時半から夜中まで10時間以上歩き続けたラクダもいたと言います。ツアー責任者は餌を増やすなどしましたが、客を制限して休ませたりはせず、連休中に2日連続でラクダが死んだそうです。

   

 中国では大型連休は5月と10月にありますが、国内の需要を高めるために設けられたもので、年々旅行者が増えて観光地はどこも大混雑するようです。鳴沙山のラクダはそのブームの犠牲とも言えますが、このラクダの過労死に関して、休暇の在り方を疑問視する見方も出ているそうです。

 鳴沙山には2000年に行ったことがあり、ラクダにも乗ったことがありますが、その頃はそれほど混雑していませんでしたから、多くのラクダも脚を折ってのんびりと座り込んで休憩していました。今の中国は何かにつけて金儲けが幅を利かせていますから、かつては重い荷を背にしてシルクロードを往復した頑丈なラクダも、金儲けのための酷使には耐えられなかったようです。ラクダのおっとりしたような、もの静かな表情を思い出すと、人間の欲望の犠牲になってと哀れを催します。

 蛇足ですがラクダの乗り心地は良くありません。特に立ち上がる時には腰を落としたまま急に前足を持ち上げますから、後ろ向きにのけぞって倒れそうになりますし、座る時には後ろ足はそのままで前足を折って屈みますから、急角度で前につんのめりそうになります。日本の観光客の高齢の婦人が、落ちてけがをしたと聞いたことがあります。歩いている時も決して快適なものではありません。それでも夕日を受けて砂漠に映る ラクダと自分の影を見るとロマンティックな気分にもなり写真を撮ろうとしましたが、落ちそうでできませんでした。目の前のラクダの顔を眺めていましたが、見ようによっては奇怪な顔つきです。

 


徒然雑草

2012-10-08 10:48:28 | 身辺雑記

10月5日

 ○長野市のJR長野駅の在来線ホームに1頭の熊がいるのをJR東日本社員が見つけた。熊はすぐ逃げたが、約10時間後に駅から1キロ離れた市街地を流れる川沿いで発見され、猟友会員が射殺した。体長約1メートル、体重約80キロのツキノワグマの雄の子どもだった。餌の豊富なこの時期にどうして街中に出てきたのか分からないとのことだが、射殺しなければならなかったのだろうか。かわいそうに思う。 

10月6日

 ○中国雲南省昭通市で4日朝に大規模な地滑りで小学校の校舎が流され児童全員18人が生き埋めになって死亡した。地元当局は遺族に一律2万元(約25万円)の慰問金を出すことを決定した。これに対してインタネット上では非難が殺到していると言う。当局は誠意を示したつもりだったのだろうが、「いのちの値段が2万元?」、「幹部の財産はみな7桁なのに」、「理由もなく値段を決められた」などと批判の的になっているようだ

 ここは寒村らしいが、いかに子どもであっても2万元と言うのは安すぎる。どうせ当局はうやむやに済ませてしまうだろう。私も寧夏や湖南の寒村に行ったことはあるが、多くは貧しく、中にはこれが人間の住まいかと言うような生活もあった。 

10月7日

 ○千葉市の動物公園で生まれた生後3か月の双子のレッサーパンダの一般公開が始まったというニュースがあった。この双子は立ち姿が話題になった「風太」の孫に当たる。名前を募集しているとのことだ。姉がのんびり屋、弟は落ち着きがないという性格の違いも表われ始めているという。

 レッサーパンダは中国四川省のパンだ公園でたくさん飼っているのを見たが、とても可愛く、人気のあるジャイアントパンダよりも愛らしい。この世界にどうしてこんなに可愛い生き物がいるのかと不思議に思うくらいだ。

             6日から一般公開されたレッサーパンダの双子の姉(上)と弟=千葉市動物公園で 拡大写真 

  四川省成都のパンダ公園で。レッサーパンダを抱く邵利明。(2006.5.25)

  

10月8日

 昨日の夕方帰宅する途中で、かすかに金木犀の香りを嗅いだ、今朝はこのあたり一面に漂っている。近所を回って見ると一晩のうちに花が橙色に色づき開いている。空気はひんやりして、ああ、大好きな季節が訪れたなと嬉しくなった。

 

 

 

 

 

 

  

 
 

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中国迷爺爺の憂鬱

2012-10-06 20:58:20 | 中国のこと

 私のブログのハンドル名は「中国迷爺爺(チョンコゥミィイェイェ)」で、中国の友人とのチャットの時にも使っています。西安の李真の結婚式で来賓挨拶した時もそのように紹介されました。「中国好き爺さん」くらいの意味ですが、中国によく行っていた頃に李真が「本当に中国迷だね」と言ったのがきっかけで、中国の友人たちは今では「爺爺」とか「おじいさん」と呼んでくれています。そういうことで私はこの名前に愛着を持っています。

 私はもともと中国の歴史や文物には興味がありましたが、実際に行ってみると風景などにずいぶん興味を惹かれ、現地の人たちにも親しみを感じましたし、李真や謝俊麗の両親や家族と親しくなって-、中国好きが高じました。知人には街を歩いていると、「日本鬼子(ルーベンクイツ)」と蔑称で呼ばれた人もありますが、私には不愉快な経験はありません。むしろ観光地やレストランの階段で腕をとって支えてくれた気持ちのいいことがありました。それに機会があって中国の西部の貧困な農村地帯の子ども達の教育を援助する会にも入りましたので、別な面でも中国に関心を持つことができました。

 ただ中国共産党の一党独裁支配と言う体制には違和感を持つことはありました。よく知られているように、中国には日本の府県に相当する省があって、その下に、市、県、郷(ごう)、鎮(村)と行政組織が続きますが、中国共産党の組織はその行政組織に密着していて、それぞれに書記が配置されています。見方によれば党組織で自治体をがんじがらめにしています。それでも初めのうちは、あの広大な国土を支配するにはこれも仕方がないのだろうと、どちらかと言うと好意的に捉えていました。そういう考えは、ブログにははっきり書きませんでしたが、それでも中国に好意を持っていると言うことだけで、非難めいたコメントを受けたことがありました。

 その後、中国での人権無視の状況や、官吏(ほとんどは共産党員)の底知れない汚職、腐敗、極端な貧富の差を知るようになり、中国の体制に疑問を感じるようになりました。それでも私は一部の政治家や言論人が言うような問答無用の「反中国」の言辞には不愉快なものを感じていました。「中国」と言うと体制や国民をごっちゃ混ぜにして「反中国」を叫び、「嫌中国」感情を煽る偏狭さは不愉快でした。

 しかし、近年の中国の領土拡大主義的なあり方や大国主義的なあり方には疑問を持つようになり、それが尖閣諸島問題とそれに端を発した反日暴動には、それを容認するどころか、自国の「正統性」を国連などで主張する尊大さにはまったく、どうしようもしない国だと思うようになりました。「そんなことは前から分かっていた」と言う人もあるかも知れませんが、そういう人の多くは中国には行ったこともなく、中国人には友人や知人がいないのだろう、「草の根の友好交流」をしたこともない人なのだろうと思います。

 現在の日中関係は「中国迷爺爺」の私にとってはとても憂鬱なことです。先日私のブログにこんなコメントがありました。「中国に文句ある人、中国の名前自分に使うおかしく。これ矛盾失礼といいませんか」。文面からすると中国の人ではないのかとも思いますが、意味がよく分かりません。「中国に批判や文句がある人が、『中国迷』などと自称するのはおかしい。矛盾していませんか。中国に対して失礼ではありませんか」とでも解釈したらいいのでしょうか。上に書きましたように私は友人をはじめとする多くの中国人や、歴史、文物などが好きで「中国迷」を名乗っていますが、中国が好きな者が中国を批判しては良くないと言うような偏狭な考え方には同意できません。好きだから無条件で一辺倒というのは正しい姿勢ではありません。もしこのコメントを入れた人が中国人だとすると、民主主義と言うことを軽んじ、国民に教えていない中国政府の在り方を示していると思います。

 再度言いますが、私は今の中国政府の在り方には批判していますし、今回の反日暴動を見ると一部の中国人の野蛮さと低劣さに憤りを感じます。そんな時には親しい友人、知人たちや、教育援助をした回族の娘である馬軍霞(マ・チュンシャ)の顔を思い出すことにしています。


徒然雑草

2012-10-05 07:23:44 | 身辺雑記

9月30日

 ○今日は旧暦8月15日、満月で仲秋名月の日だ。中国では仲秋節と言って休日だが、この日には月餅を贈り合い、食べる。台風17号接近のために曇天で、名月は見られない。明日の十六夜(いざよい)の月でも見るとするか。

10月1日

 ○「月月に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」。小倉百人一首の中の人口に膾炙された一首だが、「この月の月」は陰暦8月15日の満月のことを言う。この月は「中秋の名月」だが、今年は昨日の9月30日で、残念ながら台風17号が接近したため曇り空だった。今日も「台風一過秋の空」ということにならず曇っていた。

 一海知義他『漢語いろいろ』(岩波書店2006年刊)によると、中国には「明月」ということばはあっても「名月」はないそうだ。今年は「名月」も「明月」も見られなかった。 

 

 ○前にも書いたが、街に下りていく途中のEさんの家には可愛い三人娘がいる。一番上のミユちゃんは小学校1年生、次のミズキちゃんは5歳くらいで、二人とも親のしつけがいいのだろう、私にも「こんにちは」、「さようなら」とあいさつするのが可愛い。ここしばらく会っていないので、どうしているのかなと思う。今日の夕方街で末娘のミライちゃんを抱いた母親に出会った。しばらく見ないうちに大きくなっていて、私が母親に挨拶をして「大きくなりましたねえ」と言うと、ミライちゃんは私をじっと見つめてかすかに笑みを浮かべたが、その表情がまたとても愛らしくて心が和んだ。良い娘たちで、この子たちが縁で両親と挨拶を交わすようになったのが嬉しい。 

10月2日

 ○新党「日本維新の会」の国会議員団の幹事長になる松浪健太議員が、自身のブログで「よほどのことがない限り、国政における決定は議員団ですべきことを橋下代表が認めた」と主張した。これについて橋下徹代表は「大きな方針や戦略については、今の国会議員団よりも僕の方が長けている。僕がきちんと方針を出します」と不快感を示した。そして「国会議員団の大きな方針に有権者がついてくれるのであれば、日本維新の会に所属しなくてもいい」と言い、さらに、「松浪議員だって維新の会に所属しなければ、ブログを(メディアに)チェックされなかった」と皮肉った(YOMIURI ONLINE)が、相変わらずの自信過剰のビッグマウスぶりで不快な人物ではある。維新の会メンバーからも「選挙で助けてもらおうと、自分たちが頼った橋下代表に文句を言うなんて本末転倒だ」との声が漏れたそうだが、。早々と所属政党を離脱して「維新の会」に入った国会議員達は「七人のサムライ」とか言ってイキがっていたが、このようにいかに見下されバカにされても、今更「維新の党」を抜けるわけにもいかない。哀れなことだ 


理解できない凶行

2012-10-02 07:51:38 | 身辺雑記

 京都の同志社女子大学の36歳の職員Aさんがが、自宅前の路上で刺殺されました。犯人は同じ大学の59歳の同僚で、同じく同僚の女性職員にストカー行為があり、その女性が被害者に相談していました。Aさんは事件の数日前には車の中で容疑者や女性も交えてストーカー行為をやめるよう1時間以上にわたって説得しましたが、それを逆恨みしたらしいようです。

  容疑者は30年前に文部省に勤務し、地方の複数の国立大学で勤め、高等教育の支援に詳しかったといいます。2004年から同志社女子大に移り、現在は教育・研究推進センター次長の職にあるとのことです。新聞に掲載された写真を見ると温厚な感じの紳士風ですが、この男は還暦も近い年齢で、それなりの地位もあるのになのに、ストーカー行為をし、それを止めるように言われて殺人に及ぶとは、女性にうつつを抜かすとこのように血迷ってしまうのかと呆れてしまいました。別居中だそうですが妻子もあるのに、それまでの経歴もすべて無にしてしまい、これから塀の中で長い間過ごさなければなりません。何という愚かなことかと思います。女性の相談に乗った被害者こそ災難ですが、学内にはハラスメント対策の相談員10名を置いているのに、女性は相談せずAさんを頼ったのが仇になりました。

 中高年者の犯罪が近頃よくニュースになります。中にはいい歳をして痴漢行為をする者があり、こんなのは病気だと片付けられることが多いのですが、殺傷事件も少なくなく、殺伐なことだと思います。しかしこの事例はどうにも理解できません。私がよく行く近所の店の主人は40歳代半ばですが、どうにも分かりませんと言っていましたし、最近通っている整骨院の受付の女性に、僕も気をつけようと言いましたら、○○さんは大丈夫ですよと笑われました。普通の感覚からすればそうなのでしょうし、この事件の容疑者と同じ職場の人たちは想像もしておらず、逮捕されてもまさかという気持ちだったようです。容疑者の心の闇は想像付きませんが、ごく普通の者でもどうかすると異常な心理状態に陥ってしまうのかと思うと、ちょっと怖くなります。