高校生の頃には古文(古典)という教科がありました。徒然草や、竹取物語、源氏物語などを習いましたが、3年の時には枕草子を選択しました。簡潔で趣きがあり、高校生の私も興味を持ちました。その中でも有名なものは、「春はあけぼの」で始まる、四季を描写した一節です。「やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」と続く春の光景を描いた短いものですが、何とも言えないほど好きで、目の前にその光景が浮かぶようでした。その後は夏に移り、それから秋になりますが、これがまたいい。
秋は夕暮れ。
夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。
まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。
日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
この一節を読むと、小学生時代に秋の夕空を高く雁の群れが鍵になったり竿になったりしながら西の方に飛んで行くのを眺めたことを思い出します。このような光景は近頃は見ていません。今では秋の夕暮れに西の空を眺めていますと、ライトを点滅させた飛行機が西の方に飛び去っていくのが見え、遅れて爆音が聞こえてきます。爆音が聞こえなくなるとひときわ辺りの静けさが身にしみます。これが今風の秋の風情かも知れません。
「日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず」は今もよく分かります。しかしこの辺りでは虫の音と言ってもコオロギくらいのものですが、子どもの頃はもっといろいろな虫の音を聴くことができました。まして清少納言がいた平安時代の頃はもっと様々な虫の声が聴こえ情趣深かったことと思います。
私は秋は好きですが、寂しくもあります。秋の寂しさについては、もう少し深まったら書きます。