ライトフロウズ ノウト:Lightflowz-Note

音の和 彩の波 響き合う
五感豊かなひとときを♪ 

ピアノと私のよもやま話♬

2022-03-14 | よもやまblog

ライトフロウズノウト 今日の1ページにようこそ♪

随分春らしくなりました

 

毎日のニュースで気にかかることも多いのですが

このページでは書きかけていた

ピアノの私のよもやま話を載せようと思います。

一回書いてみたいと思っていたのですが…

もしよければお付き合いくださると嬉しいです

 

写真はフリーのサイトからお借りした憧れの

ピアノサロンの画像たちです♪♬

名称は見つかりませんでした。

 

 

 

いちばん好きな楽器はと聞かれれば

迷わず「ピアノ」と答えます。

ピアノを習っていたのは幼稚園から高二頃まで、

音大受験をするかどうかの分岐点のようなタイミングで

そのとき通っていたピアノ塾はやめてしまいました。

素敵な先生とレッスンで、受験しなくても続けてはと

勧めてくださったのですが 当時音大反対の親と問答するうちに

ピアノを弾く気持ちが息切れしてしまったのでした。

それでレッスンに通うのは中断したのですが

 

ピアノ塾をやめるまでは日々のお稽古は土日も休まず

一週間七日、時間は幼稚園の時から少しずつ増えて

高校の時には一日約2時間、発表会前は3時間ほどは

練習で弾いておりました。今から思うと結構長い時間

弾いていたと思うのですが、小さな時から自然についた習慣で、

一日の練習時間も少しずつ必要に応じて増えたので

気が付いたらそのぐらいの時間弾いていた、という感じで

よほどの体調不良か旅行で数日家にいない日以外は

毎日弾いていたと思います。

 

もちろん、ピアニストをめざすかたやピアノの先生、あるいは

音楽の専門分野を目指すかたはきっと子供のころから

高いレベルの音楽教育を受けられる中で、

またプロの演奏家であれば、上に書いた私の練習時間などとは

比べ物にならないほど多くの時間とエネルギーでもって

楽譜に向かいピアノを弾いておられて私の例とは全くの別次元の

ことでありましょう。

 

私のは趣味の範囲のお話なのですが、

嗜みや楽しみで習う場合はもっと少ない練習時間・日数でも通える

お教室もあるようです。実際大学の時の友人で

「明日先生のところにいくから今日は弾かなくちゃ」

=他の日はあんまり弾いてない…という子もいて、

ピアノ教室も色々なんだなと思ったことを覚えています。

 

私の場合はたまたま、最初に習った近くの先生と

次のもうお一人の先生がどちらも

音大受験の生徒さんをたくさん教えるかただったという

ことがありました。

教室でのレッスンはほぼ週一(5週目のみ教室お休み)、

家での練習休みは週に一日でギリギリなんとか?~2日休むと先生との

レッスンでボロボロ、3日休みは論外=ろくに弾けない=レッスンにならない

(できれば前週のレッスン時に先生に状況伝えて課題を減らすお願い必要)

で、一日休んでも自分が大いに困る、ピアノの前に座りつついたたまれない

なんとも言えない気分を体験するので

いやでも…いやじゃなかったけど…次のお稽古で

先生の前で弾けるようにと毎日練習していました。

 

そして、そんなこんなでピアノの音は私の日常に

好きかそうじゃないかという”好み”の範囲をこえて

”ある”のが普通になったのでした。

 

ここ1年ほどは自分で弾くことが稀になっていましたが

家で聞くぶんにはピアノソロもしくはピアノ協奏曲・室内楽など

ピアノの入った曲をCDやパソコン、時にはテレビでその時の気分に

合うものを毎日のようにかけています。

家で聞く音楽のうち9割ほどはピアノ関係、あとの時間は

他の楽器か声楽・合唱、またはクラシック以外のジャンルの音楽を

聴くこともあります。

 

引っ越し前は週に何日かは

自分の手遊びで弾いていたのですが

ここ一年と少し、引っ越し後は何かと取り込んで

自分で弾くことが途絶えていましたが

そろそろ弾いてみようかな…と…あるいは朗読に

音をつけられるといいな、など思ったりもします。

 

よもやま話は三つほど

 

1)暗譜が早い&楽譜を見ない子でした

子ども時分のピアノお稽古の記憶では、初めて習う曲を弾くときは

楽譜を譜読みしながら片手ずつ練習して、両手合わせてミスなく

弾けるようになったら、暗譜で弾いてその曲はお仕舞、そして次の

曲を弾くという手順で、これはピアノお稽古では普通なほうと思います。

そして、両手で通してほぼ間違えずに弾けるようになると

暗譜(楽譜を見ないで弾くこと)するのですが

 

先生に「次は暗譜で」と言われるまでは

楽譜を見ながら演奏記号や表現の言葉の指示(標語)などしっかり見て

弾くほうが良い、とは子供でもわかっていた…のですが

どうした加減か私はいつも、暗譜してからでないとその一曲を

弾けないのでした。いちおう譜面台に乗せてはいても弾き始めたら

ほとんど見ない‥見られない、当然先生には「楽譜ちゃんと見てね」と言われるのですが

それができませんでした。弾く前後では、ミスしたところや

「ここ気を付けて」と先生が印される時には楽譜を見ておりました。

こどもの曲のことで、音符的にはほぼ正確だったと記憶するのですが、

強弱や細かな指示を全部覚えないで弾いていたと思います。

 

最初の先生が「表現」のご指導あまり熱心ではなかったので

多少甘く見逃してくださったていたかと思います。このかたは

ノーミスで仕上げ、という点ではたいへん厳しい先生でした。

この先生がお引越しされて、私にとって二番目の先生のピアノ塾に

通ったときには表現面少し改善してくださったと思います。

いずれにしても、あんまり上手な生徒ではありませんでした。

 

中学~高校でもまだ暗譜しないと弾けない=初見で弾けない

ほうでしたが、大人になってから、少しピアノ触る機会あったり

一時参加していた合唱の練習などの時に、初見でもある程度は大丈夫に

なったなとわかることがありました。

 

塾講師になり始めのころで こども英語講師としての受けた研修で

子どもが英語を学習して吸収するときに

インプットの優先順位が何タイプかあるという内容があったのですが

その時の先輩講師の言葉をお借りすると

「耳の子(音声優先)」「目の子(文字読む優先)」「手の子(書く学習有効)」

「体の子(体全体使うと効果的)」など大まかに4タイプほどあり

従って最適な学習方法はタイプによって違うということで

(実際のこども英語ではたいてい、学習ツールは

ほぼ全タイプのカバーするよう工夫して組み合わせされてます^^♪)

 

それでいくと私は、子供の時のピアノ学習では”耳の子”寄りだったのかも

知れないなとも思います。たしか小学生の夏休みのときのことだったか、

年上のいとこの家に遊びに行って数日お泊りするうち

いとこのお姉さんが練習で弾いていたソナチネの曲で好きなのを

耳で覚えて弾くことができた、ということもありました。

今の言葉で耳コピいうとか。。

これはもしかすると今はできないかもしれません。

子どもの頃には不思議とできた、という経験は

皆様もおありではないでしょうか?

 

 

2)一回だけ先生とのお稽古中に泣きました

最初の先生は厳格なタイプの女性でちょっとぐらいミスしても・・

とか、ものぐらいまででいいわと設定される課題を

生徒がクリアする点で妥協のない方でした。

ただ、きつすぎる言葉、ましてや体罰などは

全くありませんでした。(たまに物差しでたたく先生がいるなど

ききました…今はいないと思いますが)

後にも先にも一回だけ、もう小3ぐらいだったか

この時はどうしても思うように弾けなくて

自分で悔しくて、”泣きたくない”と我慢しているのに

涙がこぼれてきたことがありました。

そのまま”どうしよう?”と思いつつ弾き続け、

先生はおそらくお気づきだったはずですが

曲が終わっても何もおっしゃらず、お稽古終了~

帰る時も何もおっしゃいませんでした。

ちょっと泣きながら弾いていたことが

なかったことになって…たぶん恥ずかしかったので

私はとてもほっとしたのでした。

その時は子どもなりに結構がんばったてたのか

弾いていた最中の鮮明な記憶があります。

なんの曲だったは忘れました。不思議と

その時のピアノとテキストの色はよく覚えています。

 

3)魔法を時々使われた息子のピアノの先生のこと

息子も幼稚園から小6までピアノと、併設されていた

音符カードとともに音感・リズムに親しむ楽しい音楽教育の

音符ビッツのクラスに通っていました。

中学受験で止めてしまったのは惜しいことでした。

ピアノはスズキメソードでのご指導でした。

 

ピアノと音符ビッツの先生は数人おいでで

皆様優しくて明るいしっかりした先生方でした。

”魔法”を使われたのはピアノ教室のある音楽院の代表の先生で、

ご経験豊富で温厚で、当時は動きすぎる男の子だった

息子も暖かなご指導をいただいたのでした。

 

上にも書いたのですが、新しい曲の練習をするときには

譜読みしながら右手~左手と片手づつ練習して

両手を合わせる、で小さいときは一回で曲の最後まで

できなくても、その週にできたところまで、で次のお稽古

伺ってよいのでした。

 

片手練習の時,  息子(Tくんとします)が弾かない方の片手を私が弾いて…

Tくん右手&私左手、Tくん左手、私右手^^♪、

合わせて小さな合奏したのは今では楽しい思い出です。

 

魔法というのは…新しい曲を先生の前で弾いた時にあったことです。

新しい曲をはじめて先生のところで弾くときは、

まだ幼い幼稚園児のころは家で練習したところまでで弾きやめて

「ここまでできました」と”自己申告”していましたが

 

ある時のこと、私は後ろで先生とのお稽古見ていたのですが

新しい曲練習で そろそろこのへんで止まるかな

いう箇所の直前に

先生が「はい次♪」 と柔らかく仰ると息子は

まだ一回も譜読みも片手練習もしてなくて

全くはじめて弾くところになっても

両手で練習してきたと同じように続けて弾くのでした。

 

声にはだしませんでしたが、後ろでとても驚いた@@ 同じようなことは

その後も何度かあり、こども用の練習曲ではありましたが数小節は

ある時は見開き一ページ分(小さいテキストでした…B5横長サイズぐらい)

幼い手で譜読みも片手練習もしてない全くはじめての小節を

両手で弾けたことがありました。

 

先生にとっては珍しい出来事ではなくて

ほぼ、どの生徒さんとも起きたことらしく

「みなさん魔法と仰るのよ・・」と微笑んでおられました

その魔法を目の前でみてびっくりのお母さんたちの間では

度々話題になったのでした。子供たちは何が起きてたか

ほとんど気づかないようでした。

 

この魔法の種のひとつは、スズキメソードのご方針で

練習で弾く前にまずはその曲の美しい演奏をたくさん聴くと

いうところにあったと思われます。

今は音楽・語学でもCD付の教本・テキスト類は多く

ありますが当時はあまり見かけなかった

教本の全曲CDがついていて、練習前に何度もBGMのようにして

家で聴いていたので、子どもの耳から

曲の音楽が教本(スズキメソードの)を見る前に

記憶に入っていたのでしょう。

 

ただ、まだ本当に指も幼く、一人で譜読みもできない子を

一度も練習していない箇所まで 続けて上手に弾くようにと

誘うことができる先生は多くはいらっしゃらないと思います。

 

そういえば、こんなこともあったのですが…

いつもは息子&母ペアでこちらのレッスンに通っていましたが

ある時どんなタイミングだったか忘れたけれど

夫も一緒にいて、レッスンから帰宅後私に言うには

「先生がレッスン中に Tの演奏を止めても

(”ここはこう弾いて”や”よく楽譜見てね”という風に)

音楽はそのまま流れている」

そして私と一緒の練習の時に

(ちょこっと私も弾けるので子供の練習みてました)

”ここ違うよ”とか”もう一度弾いて”など

私がとめるときは

「音楽の流れがぶっつり途切れている」

と言われて大いに反省したのでした。

 

この先生のしてくださったピアノレッスンは大きく暖かく

「指導」「教育」と一言では表せない何か、

音楽性の豊かさと愛があふれている…

…レッスン時々魔法おきる、は

一朝一夕に真似できることではなくで、あるいは

時間をかけたからといってできることでもなく

ご指導の技術や知識のことだけでもない、

当時の私に必要で足りていない色々な素養を

見つめる機会もたくさんいただきました。

 

今でも、子供と一緒に過ごせた音楽の時間に感謝そして

現在はネット&SNSのおかげで、長年開発・普及してこられた

音楽・全人教育の発展を拝見することができます。私には道は遥かですが

子どもを豊かに育む教育者の理想のおひとりでいらっしゃいます。

 

 

ピアノを人前で弾くことは絶えて久しいのですが

今…特に今年はピアノのあるホール、サロン

教室がある場所ご縁がとても多いです。

ご縁のきっかけが

音楽とは全く関係のない場所だったというのも

何となく不思議ですが

 

嬉しい音楽・音とできれば声の輪が繋がって広がって

いくことはいつも願っています。

 

素敵なご案内が具体的にできるとき

またblogでも書かせていただきますね♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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