蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

風に舞いあがるビニールシート

2008年06月22日 | 本の感想
風に舞いあがるビニールシート(森絵都 文藝春秋)

短編集。他者のために見返りを求めることなく働く人の心情を描いた作品が多い。報酬を求めない、といってもそれは主として金銭的価値のことであって、他人(あるいは犬)のために努力することが結局は本人のアイデンティティとか存在価値につながっている、ということが、テーマになっているかと思う。

表題作は、国連の難民支援組織で働く男(エド)と結婚した女性を描いたもの。仕事(海外に赴任しての難民支援)にしか生きる意義を見出せないエドとのかみ合わない生活の中で、エドの死をきっかけにして、主人公の女性も難民支援に従事しようと決意する。

クサくなりそうなテーマを、むしろ正面から堂々と訴求していて、作者の意気込みとか熱意が、横向きがちな読者をひっぱりこんでいくような迫力がある。

風に舞いあがるビニールシートというのは、突然襲う苛酷な運命に翻弄される難民たちのことを指す。もしかしてこの比喩は作者独自のものではなくて、斯界では常套句なのかもしれないな、と考えてしまうほど、うまい例えだなあと思った。

誰かが舞いあがったビニールシートに手をさしのべて着地させないといけない、という使命感にエドは燃えていて、「私たち夫婦の幸せだって(家庭を顧みない夫のせいで)ビニールシートみたいに飛ばされそう」という旨の不平を述べる妻に「仮に飛ばされたって日本にいる限り、君は必ず安全などこかに着地できるよ。どんな風も命までは奪わない。生まれ育った家を焼かれて帰る場所を失うことも、目の前で家族を殺されることもない。好きなものを腹いっぱい食べて、温かいベッドで眠ることができる。それを、フィールドでは幸せと呼ぶんだ」と応えて、全くかみあわない。

表題作のほか、捨て犬を救うボランティア(これは著者自身が従事している)を描く「犬の散歩」、仏像の修復師を描く「鐘の音」がよかった。

単行本のカバー絵がとてもいい。ハヤシマヤさんという方の作品らしいが、単に絵としてもいいのだけれど、表題作のラストシーンともマッチしている。
コメント
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