5月は、とうとう1日も書けずじまいでした。
6月に入ってまもなく、
母が、父のいる天に召されました。
母の退院予定が決まり、
自宅で安心して過ごしてもらうための準備を進めながらも、
病状に不安が続いた日々。
わずか数日後の退院予定日を前に、
病状が急変した母は、
覚醒していればたえず呼吸困難が続いてしまい、
その苦痛をとってやるためには、眠ってもらうしかありませんでした。
病気は違いますが、
それは父のさいごと同じ状態でした。
しっかりとした鎮静をかけるまで
(あるいは、かけてからあとも)
本人の意思や感情はクリアだったので、
不安感もいっぱいで、
かえってそれが不憫でせつなかったですが、
さいごまで本当によくがんばってくれました。
これから先、母にしてやりたかったこと、
母自身にしてもらいたかったこと、
そのこころ残りが尽きることはないけれど、
悔いはありません。
急変しての再入院後、
ずっと続いていた息苦しさや心の苦しみから、
母がようやく解放され、楽になれてよかったです。
父と母、
自宅と病院とで、さいごの環境は違いましたが、
どちらも弟と一緒にさいごを看取ることができ、
死後のケアも、
それぞれに縁あった看護師さんと一緒にさせていただけて、
きちんと見送れたことは、
娘として幸せでした。
父と母がこの世にいないさびしさは、
このさきずっと抱えていくのでしょう。
それでも、しっかり生きていきたいと思います。
わたし自身が寿命を迎えるその日まで。
おかあさん、
さいごまでよくがんばってくれました。
これまで本当にありがとう。
だいすきなおとうさんに、やっとあえるね。
これからもわたしたちを見守っていてください。