福岡駅ターミナル前の風景
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成25年 第8回但馬検定(1級)問題より
記述式
【77】新温泉町や香美町に伝わる、麒麟獅子舞の麒麟は空想
上の動物で、大きな口と鼻の穴や金色の一本角など、ユーモ
ラスな表情をしていますが、この獅子頭にどこを噛んでもら
うと、子どもたちが健康に育つといわれているでしょうか。
正解は、【頭】です。
麒麟獅子舞は、鳥取市東部の樗谿神社から但馬に伝わったとい
われています。全国的にも、鳥取市東部と新温泉町の居組、諸
寄、浜坂、三尾のほか香美町の二つの町にだけ伝わる民俗芸能
です。
空想上の麒麟獅子の姿は、一本角のとてもユーモラスな姿です。
雌雄の二頭の獅子が舞う二頭舞は、浜坂宇津野神社と諸寄為世
永神社の2ヵ所のみで行われ、子どもの頭を獅子頭に噛んでも
らうと、健康に育つといわれています。
『だんにゃ~だんにゃ~』
但馬弁らしい言葉の一つに「だんにゃ~」があります。
「だんにゃ~」は、「気にしない、構わない」の但馬弁なので
す。
豊岡市では「だんにゃ~」ですが、ちょっと地域によっては
「だんね~」というところもあります。
「ありゃ~、ケンちゃんは花瓶割っちゃったの。だんにゃ~だ
んにゃ~、ケガして~へんかったらだんにゃ~で」と慰めます
ね。
コウノトリ伝説の久々比神社
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成25年 第8回但馬検定(3級)問題より
【51】但馬の「麒麟獅子舞」は、いつごろ伝わったといわれ
ているでしょうか。
(a)江戸時代 (b)明治時代
(c)大正時代 (d)昭和時代
正解は、(a)の江戸時代です。
麒麟獅子舞の起源は江戸時代になります。
鳥取県の樗谿(おうちだに)神社で、日光東照宮を象徴する
麒麟を頭にした麒麟獅子舞が、因幡東照宮の奉納芸能として
舞われました。江戸時代のいつの頃か、鳥取に広まった麒麟
獅子舞が但馬にも伝わりました。
現在の保存分布は鳥取県東部地域と、新温泉町、香美町のみ
で本州の他の地域ではみることができません。
麒麟は空想上の動物で、大きな口と鼻の孔、太い眉に立った
耳と金色の一本角とユーモラスな表情です。
背の中央を黒のビロードで縫い合わせた、真っ赤な胴膜を着
用して舞い踊ります。
但馬には、浜坂麒麟獅子舞、居組(いぐみ)麒麟獅子舞、三
尾(みお)麒麟獅子舞の他、諸寄(もろよせ)、栃谷田君
(とちだにたきみ)、七釜(しちかま)、福富(ふくどめ)、
和田、千谷(ちだに)、鎧(よろい)の各地で獅子舞が舞わ
れています。
二頭舞(雌雄の舞)は、但馬では浜坂宇都野(うつの)神社
と諸寄為世永(いよなが)神社の2ヵ所だけで行われ、子供
が頭を獅子頭で噛んでもらうと健康に育つといわれています。
『おくんなはれ』
~して「おくんなはれ」は、~して「ください」の丁寧な言
い方の言葉です。「おくんなはれ」は、「ください」の但馬
弁なのです。
「この回覧に見たというサインをして、次に回しておくんな
はれ」と言ったり、「ちょっと店を留守にしますんで、少し
時間をおいて来ておくんなはれ」と言ったりします。
どちらかといえば、ちょっと丁寧にお願いする時の言葉です。
百日は咲くという百日紅の花
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成25年 第8回但馬検定(3級)問題より
【50】毎年、8 月16 日に養父市大屋町の「二ノ宮神社」で
行われる、国選択無形民俗文化財に指定されている、踊りを
何というでしょうか。
(a)九鹿ざんざか踊り (b)久谷ざんざか踊り
(c)大杉ざんざこ踊り (d)寺内ざんざか踊り
正解は、(c)の大杉ざんざこ踊りです。
但馬には、神社やその土地に昔から伝わる民族伝統芸能がと
てもたくさんあります。「ざんざか踊り」もそうです。「麒
麟獅子舞」もそうです。
同じ芸能・踊りでも、伝わる地域によって少しずつ違いもあ
ります。
但馬には、「ざんざか、ざんざこ踊り」が5つの地域で伝わ
ります。
5つの「ざんざか、ざんざこ踊り」を覚える方法は、もちろ
ん頭の地域名です。それに踊りがどの神社でされるか、何月
何日かも覚える必要もあります。
もうひとつ、5つは全部県指定無形民俗文化財ですが、一つ
だけはさらに国選択無形民俗文化財が加わるのです。さらに、
「ざんざか踊り」と「ざんざこ踊り」の「ざんざか、ざんざ
こ」の二つがあることを覚えなくてはなりません。
5つのうち「大杉ざんざこ踊り」だけが、「ざんざこ」、あ
との4ヵ所は「ざんざか」と呼びます。そして「大杉ざんざ
こ踊り」だけが、国選択無形民俗文化財に指定されています。
まとめて5つを書いてみます。
九鹿ざんざか踊り 八鹿町九鹿 日枝神社10月第3日曜日
久谷ざんざか踊り 新温泉町久谷 久谷八幡神社 9月15日
大杉ざんざこ踊り 大屋町大杉 二ノ宮神社 8月16日
寺内ざんざか踊り 和田山町寺内 山王神社 7月第3日曜日
若杉ざんざか踊り 大屋町若杉 三社神社 8月16日
上記のとうり、「二ノ宮神社」は大杉ざんざこ踊り、国選択無
形民俗文化財に指定されているのは「大杉ざんざこ踊り」です。
質問に合致するのは、(c)の大杉ざんざこ踊りとなるわけで
す。
『おかえりんせ~』
但馬のお父さんお母さんは、息子家族がふるさとの実家へ帰省
しますと「おかえりんせ~」と言います。
城崎温泉の女将は、外湯に浸かって宿に帰ってきたお客さまに、
「いいお湯でしたかえ。おかえりんせ~」とやさしくお迎えの
あいさつします。
「おかえりんせ~」は、但馬の優しい言葉です。「おかえりん
せ~」は、「お帰りなさい」の但馬弁です。
「おかえりんせ~。風呂が湧いとるで~、ご飯できとるで~。
先に風呂に入るか~、ご飯食べるか~え」とやさしく問います
ね。
日高町上郷・近畿最大規模の河畔林
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成26年 第9回但馬検定(1級)問題より
【46】兵庫県指定有形民俗文化財の「農村歌舞伎舞台」が
あり、現在も「ささばやし(太鼓踊り)」の舞台として使
用されているのは、次のうちどの神社でしょうか。
(a)水谷神社 (b)四所神社
(c)安牟加神社 (d)鷹野神社
正解は、(c)の安牟加神社(あむかじんじゃ)です。
豊岡市但東町虫生(むしゅう)にある安牟加神社(あむかじん
じゃ)には、「農村歌舞伎舞台」が現存しています。
舞台では、「ささばやし(太鼓踊り)」が10月第2日曜日に奉
納されています。ささばやし「太鼓踊り」は、幣(ぬさ)を付
けた青竹を肩にかつぎ、唄にあわせて踊る「新発意(しんぽち)」
と、太鼓2人の計3人で行われます。
踊り手は小学生がつとめ、3つの演目に合わせて所作は単純で
あるが、太鼓打ちが向き合ったり3人が一列になったりして踊
りを奉納します。
全国的にも少なくなった「農村歌舞伎舞台」も、ふるさと但馬
にはこの安牟加神社と、養父市葛畑の「葛畑(かずらはた)の
農村歌舞伎舞台」2ヵ所が残されています。
ちなみに、(a)の水谷神社は養父市奥米地にある神社で、相
撲の所作を奉納する「養父のネッテイ相撲」が有名な神社です。
(b)の四所神社は豊岡市城崎町湯島にある神社で、城崎温泉
の氏神、温泉の守護神として信仰されています。秋の祭礼「だ
んじり祭り」はとても賑わいます。
(d)の鷹野神社は豊岡市竹野町竹野にある神社で、地元の人
には「浜の天神さん」と呼ばれて親しまれています。
『へ~から』
但馬弁で「へ~から」と言ったら、標準語の「それから」とい
う意味ですね。
「豊岡の但馬銀行・問屋町店に行ってきます。へ~から下宮の
方をぐるっと回って記念品を届けてくるわ」と言って出かけます。
但東町・モンゴル館 モンゴル騎馬武者
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成27年 第10回但馬検定(2級)問題より
【54】「ざんざか踊り」は但馬では5か所で継承されています。
次のうち神社との組合せが間違っているのはどれでしょうか。
(a)大杉ざんざこ踊 - 二ノ宮神社
(b) 若杉ざんざか踊 - 三社神社
(c)九鹿ざんざか踊り - 日枝神社
(d) 久谷ざんざか踊り - 宇都野神社
正解は、(d)の宇都野神社が間違っていますね。久谷ざん
ざか踊りは、久谷八幡神社です。宇都野神社は新温泉町にあ
り、麒麟獅子舞が行われる神社です。
但馬に残る「ざんざか踊り」は、その土地の氏神の夏祭りや、
秋祭りに、災厄除けや五穀豊穣を祈願して行われる神事です。
但馬には現在5ヶ所の神社に残っていますが、「ざんざか踊
り」と「ざんざこ踊り」の二つの呼び名があります。
養父市大屋町大杉(おおすぎ)の二ノ宮神社が、「大杉(お
おすぎ)ざんざこ踊り」、養父市大屋町若杉(わかす)の三
社神社が、「若杉(わかす)ざんざか踊り」、養父市八鹿町
九鹿(くろく)の日枝神社が、「九鹿(くろく)ざんざか踊
り」、新温泉町久谷(くたに)の久谷八幡神社が、「久谷
(くたに)ざんざか踊り」、朝来市和田山町寺内(てらうち)
の山王神社が、「寺内(てらうち)ざんざか踊り」です。
全国各地に似た踊りはありますが、締め太鼓の「ザンザカ、
ザットウ、ザカザット」の譜音からきたという、「ざんざか・
ざんざこ」という呼称は但馬だけといわれます。
『かえでる』
ヒヨコが孵化することを、普通はどう言うのでしょうか。
正確な標準語では、「孵る(かえる)」って言うんですね。
但馬の人は、ヒヨコや魚が孵化すること、孵(かえ)ることを
「かえでる」って言うのです。
漢字で書けば「孵出る(かえでる)」って言うのでしょうか。
「かえでる、かえでた」と言うのです。
「ケンちゃん、メダカの子がかえでてるよ~」と母ちゃんが
叫んでいます。
日高町・但馬国分に跡
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成27年 第10回但馬検定(1級)問題より
【78】新温泉町に伝わる踊りで、鎌倉時代中期に遊行上人と
言われた一遍上人が山陰地方を巡回した際に、念仏踊りを残
したことが起源とされる踊りは何というでしょうか。
正解は、【岸田さえもん踊り】です。
一遍上人が山陰地方を巡回した時は、「さいもん」と名付け
てこの念仏踊りを残したそうです。盆供養の行事として行われ、
手踊りで、さし手のなかに献物の形を、舞いの要素が優雅なも
のでした。
踊りの芸題に「熊谷直実(くまがいなおざね)」、「伊勢音頭」
「俊徳丸(しゅんとくまる)」、「藤吉出世(とうきちしゅっせ)」
など、古さや流麗な踊りは但馬内でも特筆すべき存在で、習得が
難しいといわれています。
新温泉町岸田に伝わるので「岸田さえもん踊り」と言われ、盆の
8月14・15日に行われます。
『いいてゃ~こといい』
なんでも好きなことを、アケスケ人の気にせずしゃべる人のこ
とを、但馬弁では「いいてゃ~こといい」と言います。
好き放題言うことを「いいてゃ~こといい」と言います。
「あの人は、いいてゃ~こといいだら~な。気にせんでも良いよ。
あの人はあんなんだから、いちいち気にしとったらしゃあれへん
しゃ~な」と言う時に使います。
あまり、アケスケなんでも「いいてゃ~こといい」になることは
良くないですね。
香美町余部御崎から見る日本海に沈む夕日
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成30年 第13回但馬検定(3級)問題より
【54】現在も「ささばやし(太鼓踊り)の舞台として使用さ
れ、壁から梁を出すというセガイ造の「亜牟あむ加か神社
の農村歌舞伎舞台」のある地区は、次のうちどれでしょう
か。
(a) 豊岡市但東町虫生 (b) 新温泉町海上
(c) 豊岡市竹野町轟 (d) 養父市葛畑
亜牟加(あむか)神社の名前からして、なかなか難読と言
えますが、この神社のある所も但馬の難読地名の一つです。
ここは虫生地区、豊岡市但東町虫生(むしゅう)です。
答えを先に言ってしまいましたが、(a)の豊岡市但東町虫生
となりますね。
この神社には、工夫した造りで舞台に奥行きがあるように見
せる、セガイ造りの「農村歌舞伎舞台」があります。
養父市葛畑(かずらはた)の農村歌舞伎舞台とともに、但馬
では数少ない貴重な建物なのです。
この舞台では、「ささばやし(太鼓踊り)」という民俗芸能
が踊り継がれています。
「ささばやし」は、稲の虫除けや雨乞いを祈願して奉納され
たものが始まりと言われます。
踊り手は小学生がつとめ、青竹を肩にかついで踊る「新発意
(しんぽち)」、曲は太鼓2人が叩きます。
所作は単純で、足踏みをしながら太鼓打ちが向き合ったり、
3人が一列になったりしながら、「入り込み」「屋敷踊り」
「花の踊り」を踊ります。
京都府との県境に近い但馬の東の端、但東町虫生地区では、
大切な民俗芸能が引き継がれています。
『~だら』
ものすごい但馬弁らしい言葉の一つに、何々の次に「~だら」
という言葉があるね。
ケンちゃんだったら図鑑見て、
「じいちゃんじいちゃん、この昆虫〇〇クワガタだろう。なあ
なあ。そうだね〇〇クワガタだね」って問いかけるね。
それが昔の子供は但馬弁で、
「じいちゃんじいちゃん、この昆虫〇〇クワガタだら。なあな
あ、そうだら~〇〇クワガタだで」って言うったんよ。
標準語の「~だろう」は、但馬では「~だら」って言ったんよ。
なので「そうだら~」って言うんだよ。
「クワガタだで」って言う「だで」も、「~だよ」の但馬弁なの。
「コウちゃんはケンちゃんの友達だで」って言うように使うね。
「~だら」だ「~だで」と、とても但馬弁らしい言葉の使い道な
んよ。
同じ「~だよ」って言うときも、少し強めに言うと、「~だがな」
「~だがや」と言うの。
一番わかりやすい使い方は、お母さんに注意された時、「今やら
~と思っとたんだがな」、「ちゃんとここに、なつべとこうとし
とったんだがや」なんて言うね。
「だろう」がもう少し上品な「そうだよ」、「そうでしょう」の
但馬弁は、
「そうだで」「そ~だら~」ってなるね。
使い道としては、「ケンちゃんは6才になったの。そうだで6才
になったで」と言うね。
「ケンちゃん腹が減った~。そ~だら~、ちゃんとご飯の時食べ
んからだがな」なんて使うね。
但馬弁のものすごく但馬弁らしい「だら」、「だで」、「だがな」
、「だがや」はいつ聞いても田舎の味わいいっぱいね。
平家落人の里は余部灯台のあるところ
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成30年 第13回但馬検定(3級)問題より
【53】「万歳」とは、正月に家々の座敷や門前で祝いを述べ
る祝福芸のことで、今日の漫才の起源といわれていますが、
兵庫県下に唯一残る伝統芸能「万歳」が受け継がれている
地区は、次のうちどれでしょうか。
(a) 豊岡市妙楽寺 (b) 豊岡市正法寺
(c) 豊岡市法花寺 (d) 豊岡市祥雲寺
今日の漫才の起源と言われる民俗芸能は、太夫(たゆう)
と才若(さいわか)の二人の巧みな掛け合いをみせる万歳
(まんざい)と呼ばれるものです。
江戸時代から受け継がれて、県下唯一残るこの万歳の継承
地区は豊岡市法花寺(ほっけいじ)です。
県指定無形民俗文化財の「法花寺万歳(ほっけいじまんざ
い)」と言われます。
答えは、(c)の法花寺です。
江戸時代後期、京都に出奉公していた村民が習い覚えて帰
ります。
帰郷後、農閑期に門口に立ち芸能をする門付け(かどづけ)
として発達し、その後正月に家々の座敷で祝いを述べる祝
福芸に発展します。
烏帽子に素襖(すおう)を着て扇子を持った「太夫」と、大
黒頭巾に裁着袴(たっつけばかま)に鼓を持った「才若」、
それに三味線ひきが加わり、二人の役者が巧みに掛け合いを
し、くだけた余興を演じます。
現代では非常に珍しい民俗芸能です。
第二次大戦中は中断しましたが、戦後間もなく復活し現在も
引継がれて演じられています。
『おく 客間』
じいちゃんが子供のころの家の話なんよ。
じいちゃんちは小さな貧しい家だったの。外からは障子の小
さな引き戸が入口だったの。
入ったところは土間で、裏までずっと続いてた細い通路だっ
たの。
裏口に出るところあたりに「くど」と呼んでた、かまどがあ
る炊事のスペースなんだわ。
まあ、江戸時代に出てくるような、薄暗い煮炊きする炊事場
なんよ。
それから上り口すぐの部屋は「みせの間」って言ったの。
今の茶の間だね。
それから次の部屋が「おく」って言ったね。
「おく」って客間のことなんよ。
但馬弁で「客間」は「おく」なの。子供の時分に「おく、おく」
ってよく言ってたんよ。
どこの子供も、自分ちの客間のことは「おく」って言ったの。
そして、その次の部屋は寝室。「奥の間」って言ってたね。
「奥」だね。
じいちゃんちには、「みせ」と「おく」と「奥」の3部屋しか
なかったの。
なので9人もいる家族、全部の部屋に寝にゃならんわな。
だから、本当は「みせ」も「おく」も「奥」も、三部屋みんな
寝室だったの。
三部屋みんな「奥」だったんだね。
でも子供の頃、友達には客間があるように、「おく」「おく」っ
て普通にしゃべって遊んでたんよ。
日高町城山頂上から浅倉方面を眺める
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成27年 第10回但馬検定(3級)問題より
【73】豊岡市法花寺に伝わる、正月に家々の座敷や門前で祝
いを述べる祝福芸のことを何というでしょうか。
(a)宮神楽 (b)万歳 (c)三番叟 (d)獅子舞
豊岡市法花寺に伝わる正月の祝福芸は、「万歳(まんざい)
」です。
県指定無形民俗文化財の「法花寺万歳(ほっけいじまんざい)
」と言います。
法花寺の万歳は、江戸時代後期に京都に出奉公していた村の
若者が、習い覚えて帰り農閑期に門付けされたといわれます。
正月の家々の座敷や門前でお祝いを演じる法花寺万歳は、兵
庫県下では唯一残る万歳です。
烏帽子に素襖(すおう)を着て、扇子を持った「太夫(たゆ
う)」と、大黒頭巾に裁着袴(たっつけばかま)を着て、鼓
を持つ「才若(さいわか)」、それに、三味線弾きのリズム
で二人は巧みに掛け合いを見せ、くだけた余興を演じます。
現在の「漫才」の起源といわれるこの民族芸能は、ふるさと
但馬のとても貴重なものなのです。答えは、(b)の万歳で
す。
『ぎゃ~ぶんわり~わ』
ケンちゃんね、但馬の方言で「人を気にすること、外聞
(がいぶん)」を、「ぎゃ~ぶん」て言うんだよ。
「悪い」を、「わり~わ」って言うの。
なので、「外聞が悪い、恥ずかしい」ことを、「ぎゃ~ぶん
わり~わ」って言うんだよ。
「アイティでエレベーター乗ってて、ドア出たとたんに滑っ
てこけたんよ。持ってる荷物放り出すし、みんな見てるし、
ぎゃ~ぶんわり~ことだったで」、
「ケンちゃんも気い付け~や。人に見られてぎゃ~ぶんわり
~ようなことならんように気い付けよ~で」。
町内随一のにぎやかさ、日高町岩中の地蔵祭り
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成27年 第10回但馬検定(3級)問題より
【72】新温泉町海上の傘踊りは江戸時代から伝わる「ある儀式」から派生したと
いわれています。「ある儀式」とは次のうちどれでしょうか。
(a)雨乞い (b)豊作祈願 (c)大漁祈願 (d)疫病払い
新温泉町海上地区で、8月14,15日の盆踊りとして伝わる「海上(うみがみ)
の傘踊り」は、第二次世界大戦後、海上地区の青年が隣町の鳥取市国府町に出向い
て習得したものです。
「傘踊り」の起源は鳥取市国府町と言われ、江戸時代から伝わる雨乞いの儀式から
派生したものと言われています。
踊り手は金・銀・赤の紙を貼った長柄の傘をリズムに合わせて回し、傘についた無
数の鈴を「シャン・シャン」と歯切れのよい音を響かせます。
2人一組で踊りを披露し、安来節(やすぎぶし)や名山節(めいざんぶし)に合わ
せます。
勇壮活発な舞は、県内でもその名が知れ渡っています。
答えは、(a)の雨乞いです。
ふるさと但馬にはたくさんの民俗芸能や踊りが伝わっています。
よくその起源を調べてみますと、豊作祈願であったり、大漁祈願だったり、厄病払い
や雨乞いだったりするのです。
『いっしく』
ケンちゃん。ケンちゃんはいつも図鑑をよく見ているね。
父ちゃんに買ってもらった図鑑が、8冊にもなったと喜んで、いつもいつも図鑑ばっ
かり見ているね。
「ケンちゃんは図鑑が好きだね~。いつも図鑑見ているね」と言うところを、但馬弁
で言うとこうなるんだよ。
「ケンちゃんは図鑑好きだしけ~、いっしく図鑑見ているね」となるんだよ。
「いつも」とか、「しょっちゅう」と言うことを但馬弁では「いっしく」と言うんだ
よ。
「いっしく」って、語感は子供の言葉のようで面白いけれど、大人が子供に注意する
時によく使うんよ。
ケンちゃんもこれから大きくなったら言われるだろうな。
「ケンちゃんはいっしくテレビばっかり見とらんと、ちったあ~勉強せんかいや」っ
て、母ちゃんの声が飛ぶだろうな。
日高町栗栖野・ペンションをバックにヒマワリ満開
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成27年 第10回但馬検定(3級)問題より
【68】但馬では、久谷・湯村・和田の3カ所で月遅れの端午の節句の頃に行われ、
その年の五穀豊穣や村の発展を願う伝統行事は、次のうちどれでしょうか。
(a)御田植祭 (b)お走り祭り (c)菖蒲綱引き (d)百手の儀式
月遅れの端午の節句(6月5日)に、かっては全国的にみられたこの民俗行事
は、現在では兵庫県北部の但馬地方、鳥取県、福井県、秋田県などに伝承される
のみとなりました。
五穀豊穣と村の発展を願って菖蒲の綱を引く「菖蒲綱引き」の行事です。
但馬には3ヶ所の町でこの行事が続けられています。
新温泉町久谷の「但馬久谷の菖蒲綱引き」は、石場つき唄に合わせて「エイトー、
エイトー」と引き合い、7回目の勝負を「納め綱」と呼んで、その年の豊作、年占
いをするのです。
新温泉町湯の「湯村の菖蒲綱引き」は、長さ100m以上の大綱を観光客も加わっ
て引きあう壮大さが特徴です。
香美町村岡区和田の「和田菖蒲綱引き」は、この地に残る大蛇伝説に似せて、村人
総出で編んだ大綱を3番勝負で綱を引き合い、村の親睦を深める神事なのです。
答えは、(c)の菖蒲綱引きです。
ちなみに、(a)の御田植祭(おたうえさい)は、豊岡市佐野の雷(いかずち)神社の
豊作祈願の神事です。
(b)のお走り祭りは、養父市養父市場の養父神社から約20km離れた養父市建屋
(たきのや)の斎(いつき)神社までを、約150kgもある神輿を担いで走る勇壮
な行事です。
(d)の百手の儀式は、香美町香住区余部の平内神社で1月に行われる、平家再興を願
って源氏の的に101本の矢を射る行事です。
(a)、(b)、(c)、(d)とも、ふるさと但馬ではとても有名な行事なのです。
『ぼう』
昨日、豊岡市民会館で柳生博さんの講演があったの。じいちゃん聴きに行ったん
よ。
文教府・夏季大学と銘打って、もう51回も開催されている、とても有名人の話が
聞ける講演会なんよ。
昨日は、アグネス・チャンと柳生博さんだったの。
日本野鳥の会会長でもあり、コウノトリファンクラブの会長でもある柳生さんの話、
よかった。
話の中で「あの有名な写真知ってますね」って話があったの。
「出石川の水辺で、但馬牛数頭がいて、近くにコウノトリがたくさんいて、野良着の
おばさんが木の枝を持ってコウノトリに近づいている写真、50年位前のあまりに
も有名な写真ですね」、
「もう30年位前のことかな。この市民会館でステージいっぱいに映された大きな
写真を見ながら、コウノトリ野生復帰の講演会があったの」
司会の柳生さんは「この写真は、昔普通にどこでもいたコウノトリの写真ですね。
このばあちゃんに当時のコウノトリのこと聞いてみたいなあ。もう亡くなってるかも」
と会場に呼びかけると、
「私ですよ~、その写真のばあちゃんは私ですよ~。今言うなら “コウノトリさん
ごめんなさい~” なんです」と叫ばれました。
その頃は、コウノトリは田んぼを踏み荒らすと思われてた迷惑な鳥、害鳥だったので
す。
ばあちゃんは木の枝で「シッシッ」と、コウノトリを「ぼう」てたんですって。
但馬弁で「追う、追い払う」を「ぼう」って言うんだよ。
「コウノトリが田んぼに来たら、ぼうてあっちに行けって追い払うんよ」なんて使い
ます。
「ぼう」は、コウノトリがたくさん但馬の里を飛んでいたころ、害鳥だなんて言われ
て「ぼわれて」いたんよ。
そういえば子供の遊びで「鬼ごっこ」ってあるね。
「鬼ごっこ」のことは但馬弁では「ぼいやこ」と言うんよ。
「ぼう」と「ぼいやこ」、語感が似てるだろ。
コウノトリがとてもたくさん飛んでた昭和30年ごろは、「ぼう」の「ぼいやこ」だ
とみんな言ってたんよ。
アップかんなべの緑のスロープ
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成27年 第10回但馬検定(3級)問題より
【67】「ざんざか踊り」は現在但馬の5カ所で継承されていますが、このうち
1カ所だけ「ざんざこ踊」と呼ばれる場所は、次のうちどこでしょうか。
(a)若杉 (b)久谷 (c)大杉 (d)寺内
ふるさと但馬には「ざんざか踊り」という、夏祭り・秋祭りに災厄除けや五穀
豊穣を祈願する神事があります。
但馬の各地5か所で執り行われています。
養父市大屋町大杉の「大杉(おおすぎ)ざんざこ踊り」、養父市大屋町若杉の「若
杉(わかす)ざんざか踊り」、養父市八鹿町九鹿の「九鹿(くろく)ざんざか踊り」、
朝来市和田山町寺内の「寺内(てらうち)ざんざか踊り」、新温泉町久谷の「久谷
(くたに)ざんざか踊り」です。
その呼び名をよく見ると、「ざんざこ踊り」と「ざんざか踊り」があります。
そうです。大屋町大杉だけが大杉ざんざこ踊りと、「ざんざこ」と呼称します。
「ざんざこ・ざんざか」の呼称は、雨乞いの形容とも締太鼓の「ザンザカ、ザット
ウ、ザカザットウ」の譜音からと言われます。
5か所の「ざんざこ・ざんざか踊り」は、踊る人数、踏舞の形、歌詞、衣装とそれ
ぞれ少しずつ違います。
同じような踊りは全国各地にあるそうですが、呼称の「ざんざこ・ざんざか」はこ
の但馬地方の5か所だけだそうです。
すべての踊りは県指定無形民俗文化財です。
「大杉ざんざこ踊り」だけは、さらに国選択無形民俗文化財となっています。
答えは、(c)の大杉です。
『ねぶる』
ケンちゃん、ミオちゃん。但馬の方言に「ねぶる」って言葉があるの。
ケンちゃんもミオちゃんも、普段から良く使ってるね。ばあちゃんだって「ねぶる」は
よ~く使うわな。
但馬弁の「ねぶる」は、ものを舐めるの「なめる」んよ。
「ミオちゃんはジュース飲むの、コップのスプーンすくっては、ねぶってばっかりだね。
ちゃんと口付けて飲んだら」なんて、ばあちゃんに注意されとったね。
「ケンちゃんはアメを噛まんと上手にねぶるんよ。バリバリ噛んだら歯を痛めるんで、ね
ぶった方がいいよ」なんて言うんだよ。
それからね、「ねぶる」はもう一つ意味があるの。
「ミオちゃんは昼寝しとらんから、夕飯の時食べながらねぶっちまったで」なんて、「ね
ぶる」は「眠る」時にも使うんだよ。
「ねぶる」は、「なめる」に使ったり、「眠る」に使ったり、ちょっとややこしい使い方
だね。
豊岡市戸牧・豊岡病院の救急救命ヘリコプター
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成28年 第11回但馬検定(1級)問題より
【76】国選択無形民俗文化財に指定され、養父市の水谷神社で毎年10月に行わ
れる民俗芸能は、何でしょうか。
養父市奥米地(おくめいじ)の水谷神社といえば、10月体育の日に奉納され
る「ネッテイ相撲」が有名なのです。
当日は、養父神社から神主を迎えて五穀豊穣を祈願する祭礼が行われます。
まず、境内社に合祀されている田和神社で「笹おどり」が奉納されます。
そのあと、水谷神社へ「ネッテイ相撲」が奉納されるのです。
ネッテイ相撲は古式相撲で、朝廷の節会(せちえ)相撲の名残りでないかと言わ
れています。
「ネッテイ」の由来は、当地では何度も繰り返すことを「練って、練って」と言い、
相撲の所作の何回もの足踏みの動作から、そう言われるようになったのです。
青色地の袴を着た舞い手二人が、上半身裸になって「ヨイ、ヨイ、ヨイ」と声を
かけ四股を踏むという、とても貴重な民俗芸能なのです。
答えは、【(養父の)ネッテイ相撲】です。
『わえ 私』
ケンちゃんね、自分のことをどう言うかいな。ケンちゃんは自分のことを「ボク」
とか「わたし」とか言うね。
昔の但馬では、男の子たちは自分のことを「わえ」って言ってたんよ。
「わし」っていう子もいたかな。
「ねえ、ねえ、今日のテスト分かったか。わえなんか自慢じゃないけど、全然分かれ
へんかったわ」なんて言うときに使ったんよ。
平成の今頃、「わえ」なんて言う子は一人もいないわね。「ボク」が正しいね。
ちょっと大きくなると「おれ」とか言うね。
あ、そうそう。自分のことが「おれ」なら相手のことを「われ」とも言うね。
「君(きみ)」とか「あなた」なんて上品に言うかわりに、「われ」とか「あんた」
とか言うね。
とにかく、但馬弁では昔の子供は自分のことを「わえ」って言ってたの。
但馬弁て面白いね。
日高町八代の家並み
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成28年 第11回但馬検定(2級)問題より
【57】但馬に残る次の民俗芸能のうち、お盆に行われないのは、どれでしょう
か。
(a)海上の傘踊り (b)岸田さえもん踊り
(c)丹土はねそ踊り (d)ささばやし太鼓踊り
それぞれの踊りが、どこの町でいつ行われているか見てみましょう。
(a)の海上の傘踊りは、新温泉町海上(うみがみ)に伝わる傘を回して踊る民俗
芸能です。
鳥取県から戦後に海上の青年が習って広めたのは、盆踊りの行事として始まった
のです。
無数の鈴をつけた長柄の傘を「シャンシャン」と回す踊りは、県内でも名が知れ
渡る勇壮活発な素晴らしいものです。
(a)は、8月14~15日に行われますから、お盆ですね。
(b)の岸田さえもん踊りは、新温泉町岸田(きしだ)に伝わる手踊りを主とした
念仏踊りです。
鎌倉時代中期に、山陰地方を巡回した上人が「さいもん」と名付けて、盆供養の
行事として伝えたものが今に残っているのです。
(b)も、8月14~15日に行われますから、お盆ですね。
(c)の丹土はねそ踊りは、新温泉町丹土(たんど)に伝わる戦国時代に仏前で供
養に剣術を踊ったのが始まりと言われ、歌舞伎の要素が入った踊りです。
これも8月14~15日に行われますから、やっぱりお盆の行事です。
さて、(d)のささばやし太鼓踊りは、豊岡市但東町虫生(むしゅう)にある安牟
加(あむか)神社の虫除け雨乞い祈願の踊りです。
新温泉町ではありません。
祭りも、秋の10月第2日曜日なのです。
この行事はお盆ではありません。答えは、(d)のささばやし太鼓踊りなのです。
ふるさと但馬の各地で、いろいろな民俗芸能がお祭り行事として、今にしっかり
伝承されています。
『彼岸花(ひがんばな)』
「彼岸花」って、じいちゃんちの墓にとてもたくさん生えてるだろ。
昔からずっと生えていたんよ。
「彼岸花」は葉っぱもなく、スックと一本立ちしてパっと赤く花開く、不思議な
姿の花なんよ。
きれいなようで、見方によっては気色悪い色も形も、ちょっと特異な花だね。
じいちゃんの子供のころから「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、家に持って帰った
らいけんよ。持って帰ると火事になるんよ」と、大人から教わったんよ。
狐の花とも、火事を呼ぶ花とも言われてあまり喜ばれない花なんよ。
「彼岸花」はお盆過ぎて秋が来て、彼岸の頃にきちんと去年も咲いていたところに
咲く花なんよ。
ケンちゃんちの墓、いつもお盆に墓参りするところ、秋に向かう彼岸の頃、墓も田
んぼも、あぜ道も、そりゃあ見事に「彼岸花」の花が満開なんよ。
きれいに咲いたハンゲショウの花
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成28年 第11回但馬検定(2級)問題より
【56】新温泉町や香美町に伝わる麒麟獅子舞はそれぞれに舞い方、囃しのリズ
ムなどが微妙に異なります。特に二頭舞(雌雄の舞)が行われている神社の組
合せが正しいのは、どれでしょうか。
(a)浜坂宇都野神社 - 三尾八柱神社 (b)居組大歳神社 - 諸寄為世永神社
(c)浜坂宇都野神社 - 諸寄為世永神社 (d)諸寄為世永神社 - 越坂牛ヶ峰神社
江戸時代の初期、日光東照宮から鳥取の樗谿(おうちだに)神社で奉納され、
いつのころからか但馬の新温泉町、香美町に伝わった麒麟獅子舞は全国では鳥取と
ここだけです。
新温泉町浜坂宇都野(うつの)神社の浜坂麒麟獅子舞、居組大歳(おおとし)神社、
三尾八柱(やはしら)神社、諸寄為世永(いよなが)神社や、栃谷田君、七釜、
福富、和田、千谷に伝承され、さらに香美町香住区鎧(よろい)の鎧麒麟獅子舞に伝
わっています。
麒麟は空想上の動物ですが、一本角とユーモラスな表情の面と、真っ赤な胴幕を着て
舞い踊ります。
新温泉町、香美町の中で2か所だけは二頭舞(雄雌)で舞います。
それは、浜坂(はまさか)宇津野神社と諸寄(もろよせ)為世永神社だけなのです。
答えは、(c)の浜坂宇都野神社 - 諸寄為世永神社となりますね。
ちなみに、(d)の中の越坂(おっさか)牛ヶ峰神社は、麒麟獅子舞はやっていま
せん。牛の神様の神社です。
『蚊帳』
ケンちゃんね、「蚊帳」ってどう読むかわかるかね。
「蚊(か)」の「帳(ちょう)」って書いて、「かや」なんだわな。
そもそも、「蚊帳(かや)」と言っても何のことか分からんね。
「蚊帳」は、蚊が入ってこないように細かい網の目のカーテンを吊ることなんよ。
寝る部屋の四隅にヒモで引っ掛けた、部屋いっぱいの大きさの網のカーテンなんよ。
四角い大きな網の箱になったカーテンを、「蚊帳」と言ったんよ。
じいちゃんが子供のころは、今と違って「蚊」がとてもたくさんいたの。
蚊は、刺して血を吸うだろ。吸われたらとても痒いだけでなく、伝染病だってかか
るかも知れない怖い害虫なの。
昔の夏は、今よりずっと蚊がたくさんいたの。
蚊取り線香もあっただろうけれど、夜寝る時には、もっぱら「蚊帳」を部屋に吊るのは
普通だったんよ。
布団を敷いた後、蚊帳を吊るのはお母さんだったり、上の姉さんがやってくれたの。
蚊帳の中に入るときは、ウチワでバタバタと風をあおぎながら、そっと蚊帳の端を持ち
上げて入るんよ。
蚊が蚊帳の中に入ってこないようにね。
夏の暑い夜、エアコンもなくって部屋はとっても暑いの。その上、麻の分厚い蚊帳は風
が走らなくってとっても暑いの。
そんな蚊帳の中は、暑苦しくってウチワでパタパタあおいで寝たこと思い出すね。
そんな暑苦しい蚊帳の中でも、子供らはけっこう嬉しくって、足を持ち上げて蚊帳の天
井を押したりして暴れまくって遊んだんよ。
昔の夏の夜は、布団を敷いて蚊帳吊って、パタパタうちわで蚊帳めくって布団にもぐっ
たの。
なぜか寝る前は、足を力いっぱい持ち上げて蚊帳の天井を持ち上げるのが遊びだったね。