大晦日の街の電気屋 アトム電器
(この写真は平成26年12月31日のもの)
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【83】海や鳥をモチーフにした具象彫刻が有名で、あさご芸術の森美術館に生涯
作品が展示されている文化勲章を受章した彫刻家は、誰でしょうか。
(a) 淀井敏夫 (b) 和田三造 (c) 白瀧幾之助 (d) 青山熊治
文化勲章を受章した朝来市佐中生まれの彫刻家は、淀井敏夫(よどいとしお)
氏です。日本の現代具象造形の第一人者だったのです。淀井敏夫は明治44年
(1911)朝来市生まれ、6歳まで過ごし大阪、東京に移り住んで、東京美術学
校(現東京芸大)木彫部で制作に没頭されます。作品に現れる独特の空間造形
は、高い評価を受けて、平成6年文化功労者に選ばれ、平成13年文化勲章を
受賞されたすごい人なのです。故郷の「あさご芸術の森美術館・淀井敏夫記念
館」に、生涯作品が屋内外に展示されています。
ちなみに、和田三造(わださんぞう)は文化功労者に選ばれた洋画家、白瀧幾
之助(しらたきいくのすけ)は日本美術恩賜賞を受けた洋画家、青山熊治(あお
やまくまじ)は帝展で特選を受け活躍を期待されていたが、若くして急逝した洋
画家。いずれも朝来市生野町生まれで明治から大正にかけて活躍された洋画家、
生野町出身画家の三巨匠と称されていました。
『大みそかの除夜の鐘』
ケンちゃんもミオちゃんも、今日の大みそかはUSJに行くんだって。いいね、
今夜の大晦日は、USJで新年を迎えるカウントダウンだってね。ケンちゃんたち
は、父ちゃん母ちゃんに連れられて楽しい年越しするんだね。いいねいいね、本当
にすばらしいことだね。うらやましいくらいだわ。いい時代に生まれてホントいい
ね。
じいちゃんの子供のころから、大みそかにはNHKの紅白歌合戦はあったんよ。
普段は夜更かしなんかしたことのない、田舎の子供たちも、大みそかの夜は12時ま
で起きていても許されたの。ラジオから聞こえる歌合戦を聞きながら、家族みんな
でこたつの中でミカンを食べたね。
何も娯楽ってない時代なんよ、大みそかの夜といってもラジオの歌合戦を聞くくら
いなんよ。ところが子供だわ、なかなか眠たくって起きとれないの。12時の除夜の
鐘が聞こえるまで起きとれないの。すっかり寝てしまっている子供たちを「除夜の
鐘が聞こえるで~、お~い起きんか」と、母ちゃんが起こしてくれたことを思い出
すね。
12時ごろの世界って、子供のころは体験することがないから、「ゴ~ン、ゴ~ン」
と聞こえる深夜の世界が、何か別世界に来たような気になったね。
カウントダウンなんてハイカラなこともない田舎の大晦日は、「ゴ~ン」の除夜の
鐘で明けたんよ。
城崎温泉デザインのLAWSONとお月さま
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【82】豊岡市出石町出身の洋画家で、女性美を追究した作品を多数描き、1996 年
に文化勲章を受章した洋画家は誰でしょうか。
(a) 宇野雪村 (b) 平山郁夫 (c) 福沢一郎 (d) 伊藤清永
平成8年(1996)に文化勲章を受章した洋画家・伊藤清永(いとうきよなが)は、
豊岡市出石町の生まれです。答えは(d)の伊藤清永です。
明治44年(1911)に、出石町下谷(しもたに)の由緒ある禅寺に生まれた伊藤清
永は、寺を継ぐことなく画家を志します。東京美術学校在学中から公募展に出品、卒
業後も美術展への出品で高位の入選を繰り返しています。
伊藤清永の作品は、女性美を追求しその美しさを礼賛する独自の画風を確立し、洋画
家としての極みに達します。数々の作品は多くの受賞に輝きます。伊藤画伯の業績を
顕彰して、故郷・出石町には「伊藤清永美術館」が建てられています。
新温泉町出身の宇野雪村(うのせっそん)は、現代書道の先駆者としてとても有名
な書道家です。彼の死後(平成7年)、偉大な書道家を顕彰する「宇野雪村賞」全国
書道展が毎年実施されています。
平山郁夫は日本画家、福沢一郎は洋画家としてとても有名な人物ですが、但馬との関
係は特にありません。
『鳥の仕掛け』
ケンちゃんね、じいちゃんが小さいころ、近所の兄(あん)ちゃん「兄(あん)ち
ゃんといっても、20歳くらいの村の若者」に、よく「鳥の仕掛け」を見せてもらっ
たんよ。その頃は今よりずっと雪がよく積もったの。
雪の降る冬になると、山の小鳥も大きい鳥も、エサがなかなか取れないものだから、
里にエサを探しに下りてくるの。田んぼも畑も真っ白な銀世界。そんな雪原の真ん中
に、地面が見えるまで雪をよけるの。1m四方くらいの地面を作って、そこにサンダ
ワラ(ワラで作った丸い座布団みたいなもの)を敷くの。
パラパラっと鳥のエサを撒いて、丸い大きな手つきにツッカイ棒をして、鳥の仕掛け
を作るの。ツッカイ棒には細いロープが手元まで繋いであるの。遠くで兄(あん)ち
ゃんたちは「見とれ~よ。今に鳥がエサを取りに来るから」と、小さい子供たちに見
せるの。
すごいね、エサを探してお腹をすかした鳥たちが、サンダワラの上にヒョイヒョイと
入ってくるの。「それ~~」とロープを引っ張って、手つきがパタッと落ちるの。
「やった、やった~」と、兄(あん)ちゃん達は大喜びです。「そら見~、捕れただ
ら~な」と、見物している小さい子らに得意げに叫びます。
昔の冬は本当に雪がよく積もりました。近所の兄(あん)ちゃん達は、鳥の仕掛けで
次々と大きな鳥を捕まえて「そら見い、取れただら~な」と見せてくれたんよ。
豊岡市佐野 雪の円山川
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【81】「栃の木」「白き花」などの歌集で知られるアララギ派の歌人であり、医師でもあった
丸山修三の出身はどこでしょうか。
(a) 新温泉町春来 (b) 香美町村岡区
(c) 香美町香住区 (d) 養父市関宮
医師でもあった歌人・丸山修三(まるやましゅうぞう)は、香美町村岡区の生
まれです。答えは、(b)の香美町村岡区となります。
「忍法帖」シリーズで有名な作家・山田風太郎も、医者の家に生まれ東京医科大
学を出た医師の卵です。但馬の作家や歌人は、偶然にもお医者さんなのです。
丸山修三は地元の要望に応えて、生涯を生まれ故郷のへき地医療に身を捧げます。
そのかたわら、アララギ派の歌人としての活躍もとてもすごかった人物なのです。
『正月のもちつき』
今日、ばあちゃんが「たじまんま(JAのスーパー)から、餅を買ってきたよ」、
「綺麗だったから “モチばなぎ” も買ってきたよ」と言ってたんよ。
よく見たら、真空パックに入った丸い餅です。白と赤の餅を枝に付けた
“モチばなぎ” です。懐かしい「餅花木(もちばなき)」です。
この頃は、とても横着になってしまい、年越しのこの時期になっても「もちつき」
をしません。つい数年前までは、それでも餅つき機で正月の「モチ作り」をしました。
それが、今では「サトウの切り餅」じゃありませんが、正月のお餅はスーパーから買
ってくるようになりました。
じいちゃんの子供のころは、27日、28日のころになると、村々の家から「ペッ
タン、ペッタンコ」と、夕刻に餅つきの音が聞こえたんよ。どこの家でも「ペッタン、
ペッタンコ」と、家の外によく聞こえてたんよ。
だいたい、どこのお家も農家だったからもち米は自分ちでとれるの。正月ぐらいは、
餅をたくさん作ってにぎやかです。
木の臼(うす)を出してきて、庭先でお父さんが杵(きね)で餅つきです。竈(か
まど)でもち米を蒸して、七臼(ななうす:一臼は2升のお米)も、八臼もついたん
よ。丸くまるめてマツブタに並べるの。山形に伸ばして、薄く切って豆餅やかき餅に
なるのやら、伸ばして四角に切って角餅になるものやら、草餅も作ったんよ。
そして、山から採ってきた「モチばなぎの木」に、子供たちは小さく切った餅を付け
ていくの。枝が餅でたわむほどに沢山つけるの。きれいにできた「モチばなぎ」は正
月飾りに添えて、華やかに祭ったんよ。
28日ごろは、どこの庭先からも「ペッタン、ペッタンコ」の音が響いていたんよ。
出石川のコウノトリ
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【80】新温泉町諸寄の出身で、社会的弱者への教育に尽力し「飛騨聖人」と呼ば
れた社会教育者は誰でしょうか。
(a) 近藤朔風 (b) 小島徹三 (c) 東井義雄 (d) 篠原無然
社会教育者として「聖人」とまで呼ばれた人物は、諸寄(もろよせ)出身の篠原
無然(しのはらむぜん)です。答えは(d)の篠原無然です。
篠原無然が「飛騨聖人」と呼ばれる理由です。
明治22年(1889)に新温泉町諸寄に生まれた篠原無然(本名:禄次)は、神戸商
業学校に通いながらも、寺院、教会などに通い修養書を読みあさります。さらに、
修養の場を求めて飛騨の平湯というへき地で、代用教員として働きます。その地で
戸主会、青年会、処女会などを創設したり、飛騨女工の労働条件を改善するために
工女組合を組織したり、慰問活動をしたりします。無然の名声は広がり、東京、大
阪からも社会事業や福祉事業の調査の依頼が来るほどになります。活躍の場は広が
り各地を回ります。仕事の帰り、平湯へ帰山する際、安房(あぼう)峠で遭難して
しまいます。36歳の若さで命を落としてしまいました。
飛騨の地での篠原無然の活躍を偲んで、「飛騨聖人」と人々は尊敬の念で呼ぶよう
になったそうです。
ちなみに、豊岡市出石町出身の近藤朔風(こんどうさくふう)は、日本の気象観
測の創始者・桜井勉の五男として生まれ、「菩提樹」「野ばら」「ローレライ」な
どの名曲の訳詞・作詞家として活躍した人物です。
養父市八鹿町出身の小島徹三(こじまてつぞう)は、法務大臣などを務めた政治家、
豊岡市但東町出身の東井義雄(とういよしお)は、教育者として最高の栄誉である、
広島大学ペスタロッチー賞を授与されたとても高名な教育者です。
『たこあげ』
ケンちゃんね。じいちゃんの小さいころの、正月の休み前後の遊びって「たこあ
げ」があったの。冬は北風が強く吹いて「たこ」がよく上がるからかな。昔から雪
はよく降ったが、時には冬空も晴れることもあったんよ。晴れた寒い澄み切った冬
の青空に「たこあげ」したんよ。
「たこ」は店で買ってきたものに、長い足はチラシの紙なんかを継ぎ足して糊付け
したの。出来るだけ長い長い足をつけたね。
晴れた北風の吹く日に、糸につけた「たこ」を一生懸命走って、空にフワ~~っ
と上げたね。風をよく受けるように、グイグイと糸を上手に引くの、そうするとど
んどんと「たこ」は空の上がっていって、姿がポツンと小さくなるほどに遠くに上
がるの。
男の子たちの楽しい「たこあげ」が、田んぼの道から、堤防の上から、あっちでも
こっちでも上がっていたんよ。
西気地区の雪景色
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【79】養父市関宮出身の作家「山田風太郎」の作品の中で、一世を風靡した人気
シリーズは、どれでしょうか。
(a) 三度笠 (b) 捕物帖 (c) 忍法帖 (d) 必殺仕事人
旧養父郡関宮町出身の山田風太郎(やまだふうたろう)の作品ジャンルは、もう
メチャクチャ多岐にわたって目も眩むほど、発表した数も膨大なものでした。
ミステリ時代小説から始まって、探偵小説、怪談・SF・恐怖の奇想小説、ユーモ
ア・官能小説、戦争小説、伝奇小説、推理小説、普通小説と、手当たり次第の広が
りだったのです。
その中でも、昭和34年(1959)に発表した「甲賀忍法帖」を皮切りに、忍法帖シ
リーズで一世を風靡します。山田風太郎は、奇想天外な発想をもとにした作品を次
々に発表する、戦後日本を代表する娯楽小説家として活躍しました。
答えは(c)の忍法帖となりますね。
『ババ抜き』
ケンちゃんケンちゃん、父ちゃんとミオちゃんと、それに母ちゃんも一緒にトラン
プやってるの。こども園のクリスマス会で、サンタさんにもらったトランプ良かった
ね。「むかしのどうぐトランプ」なんて、とても勉強になるトランプだね。昔の道具
がわかって楽しそう。
今日はトランプの「ババ抜き」遊びをやってるの。同じ数字を揃えて、持ってるカー
ドを減らしていくババ抜き、ケンちゃんもミオちゃんんもよく分かって楽しいね。
父ちゃんがジョーカーをなかなか取ってくれないって、ケンちゃんすねたらあかんよ。
上手いことして、父ちゃんにジョーカー取らせるんだわ、絶対取るから。
じいちゃんが子供のころにも、トランプ遊びはあったんよ。もちろん、普通の柄の
トランプ、ババ抜きももちろんあったよ。昔はね、テレビもなかったの。ゲーム機も
なかったの。家の中でみんなで遊ぶって、トランプはよくしたね。兄弟そろってやっ
たし、友達と一緒に楽しんだね。
「ババ抜き」は、トランプ遊びの中でも一番楽しいゲームだったね。今も昔も、ワイ
ワイ言いながらトランプ取り合いする「ババ抜き」って、本当に楽しい遊びだね。
ケンちゃんミオちゃん 仲良く自転車遊び
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【78】豊岡市出身で国土保全に尽くした「赤木正雄」の業績により、世界共通語
になったのは、どの言葉でしょうか。
(a) BOUSAI(防災) (b) CHISAN(治山)
(c) SABO(砂防) (d) CHISUI(治水)
自民党派閥政治が最も華やかりしころ、田中角栄全盛のころ、よく聞きました
ね。「砂防会館、砂防会館」とよく聞きました。自民党の最大派閥だった木曜ク
ラブ(田中派)の事務所や、田中角栄の個人事務所があった砂防会館です。
全国治水砂防協会が入る会館でしたが、平成28年(2016)には50年の歴史を
終えて解体されています。その「砂防」です。
豊岡市引野(ひきの)出身の赤木正雄は、全国の治水砂防に尽力した凄い人で
す。「砂防の神様」と称されるくらいに凄い人でした。
赤木正雄が推し進めた治水砂防の方法は、「SABO(サボウ)」の言葉として
世界共通語となったほどです。答は(c)のSABO(砂防)です。
豊岡市街の入口には、リュックを背にして工事を指揮する姿の「砂防の神様・赤
木正雄」の銅像が、台座の上から円山川を望んで立っています。
『三角乗り』
ミオちゃんの大好きな、ピンクの自転車買ってもらったね。今日は兄ちゃんと
一緒に、自転車に乗って遊んだね。兄ちゃんの後を追っかけて、力いっぱい自転
車踏めるね。上手上手。ミオちゃんは、兄ちゃんよりずっと早く上手になったね。
じいちゃんが小さい時、3歳のころには自転車なんかなかったんよ。子供用の
自転車なんか作ってなかったかな。三輪車も買ってもらったことなかったんよ。
そうだね、じいちゃんが初めて自転車に乗ったのは、10歳くらいになった頃か
な。小学生4年くらいの時かな。大人の自転車に乗ったの。でも、まだ身長が低
くて自転車のサドルにまたがっても、足が地面に付かないの。
仕方がないから「三角乗り(さんかくのり)」って方法で自転車に乗ったんよ。
そのころの自転車は一直線のパイプと、上から下に向かって三角形のフレームが
あったの。足の短い子供は、三角形のフレームに片足を突っ込んでペタルを漕(こ)
ぐの。
自転車をやや斜めにして、立ち漕ぎのような格好で乗ったんよ。じいちゃんだけ
じゃあないよ。そのころの子供はみんな立ち漕ぎの格好で、村の中をどこにだっ
て器用に乗って走ったんよ。早く大人になって、サドルにまたがって乗りたかっ
たけれど、子供はみんな三角乗りばかりで楽しんだのよ。
日高町頃垣・西部福祉センター前のコウノトリ
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【77】朝来市和田山町出身で、農民の喜びや悲しみを歌う「農民歌人」と称され、
但馬歌壇の父ともいわれているのは、誰でしょうか。
(a) 前田周助 (b) 原 六郎 (c) 前田純孝 (d) 藤原東川
但馬歌壇の父といわれていたのは「藤原東川(ふじわらとうせん)」です。答
えは、(d)藤原東川です。
藤原東川は明治20年(1887)朝来郡東河(とが)村宮に生まれています。農家
の後継ぎのため進学かなわず、農業のかたわら勉学に励みます。29歳の時、若山
牧水主宰の「創作」の誌友となり、本格的に歌人としてスタートします。
「野良ぐるま ひきてかえるに道遠く いつしか月の光をぞ踏む」
農民の喜びや悲しみを歌う「田園歌人」「農民歌人」と称されるようになり、但馬
の歌壇に大きな足跡を残します。
また、地元東河村の村長に42歳でなり、69歳まで和田山町の町政に奮闘します。
昭和41年(1966)享年79歳で、多くの人に惜しまれながら生涯を閉じました。
ちなみに、香美町小代区出身の前田周助(まえだしゅうすけ)は、今日、最高
級の和牛と称される「但馬牛」の基礎となる、牛の系統「周助蔓(しゅうすけつ
る)」の改良に一生をささげた偉人です。朝来市佐中出身の原 六郎は、明治の経
済界に君臨した実業家として有名、新温泉町諸寄出身の前田純孝(まえだすみた
か)は、「東の啄木(たくぼく)、西の翠渓(すいけい:純孝の号)」と並び称
された、明治時代末期の歌人で有名です。
『紙飛行機』
ケンちゃんはこのごろ、折り紙をよくしてるね。折鶴なんて、上手に作ってるね。
紙飛行機も、上手に作って飛ばしているね。いつの間に、そんなに上手に作れるよう
になったの。じいちゃんが子供のころも、紙を折り曲げて紙飛行機よく作ったね。き
ちんと、ていねいに折り曲げて、翼にも色々工夫して折り目を付けて、ちょっとでも
遠くによく飛ぶように、何度も何度も作ったね。広い田んぼに向かって、何度も何度
も飛ばして遊んだんよ。ケンちゃんも紙飛行機を今から作って飛ばしていたら、きっ
ともっともっと遠くに飛ぶ飛行機作れるようになれるよ。
メリークリスマス サンタが今夜はやってくる
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【76】養父市大屋町出身で養蚕技術の改良、指導にあたり、江戸期の代表的養蚕
書「養蚕秘録」を著したのは、誰でしょうか。
(a) 上垣守国 (b) 堀田瑞松 (c) 中江種造 (d) 河本重次郎
答えは、(a)の上垣守国(うえがきもりくに)です。大屋町蔵垣(くらがき)
に宝暦3年(1753)に生まれた上垣守国 は、18歳の時先進地の福島で養蚕を学
び、蚕種(さんしゅ:蚕の卵)を但馬に持ち帰り、但馬の養蚕業育成に一生をさ
さげた人です。のちに蔵垣村の庄屋も務め、48歳の時には養蚕の技術書「養蚕秘
録」も出版、シーボルトもこの本をオランダに持ち帰ったという優れたものでし
た。大屋町には、上垣守国養蚕記念館でその功績をたたえ、守国の資料が大切に
保存されています。
堀田瑞松(ほったずいしょう)は豊岡市城南町出身、明治の彫刻家の大家であ
り我が国の専売特許第1号を獲得したことで有名な人物です。
中江種造(なかえたねぞう)は豊岡市京町出身、明治の鉱山王として成功、「中
江済学会」という育英基金を創設し現在でも続いています。また、豊岡市上水道
建設費を全額寄付したことでも有名で、市内には立派な銅像が建っています。
河本重次郎(こうもとじゅうじろう)は豊岡市出身、日本近代眼科の父と称され
るとても有名な人物で、明治の日本で、眼科の技術を先進国の水準に近づけるた
めに、大いに貢献した人物です。
『サンタクロース』
ケンちゃんミオちゃん。今夜はクリスマスイブだね。三日も四日も前から、ケン
ちゃんもミオちゃんも言ってたね。「僕はサンタさんに〇〇頼んだの、私は〇〇よ」
と言ってたね。『そうだね、お父さんお母さんの言うことをよ~くきいてたら、サ
ンタさんはちゃんとプレゼントもって来るよ』とじいちゃん言ったね。ケンちゃん
は「う~ん、こども園に来たサンタさんは歩いて来たけど、うちには空からトナカ
イのソリに乗ってくる来るかな」、「どうして家の中に入ってくるんかな」と、い
きいきと話します。とても楽しみにサンタの来るのを待っているようです。
じいちゃんも小さいとき、家にサンタさんがやってきたんよ。靴下を枕元に置い
ておくの。朝起きてみると、靴下の中に何が入ってたと思う。じいちゃんの小さい
時のサンタさんのプレゼントは、「キャラメル3粒」だったんよ。でもね、滅多に
食べられないキャラメル、さすがサンタと思ったね。よく見ると、姉ちゃんの靴下
にも、妹の靴下にも、だれの靴下にも「キャラメル3粒」だったんよ。
かばんの町豊岡を走る かばんの乗り合いバス
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【75】次の祭りのうち、例年、開催日が一番遅いのはどれでしょうか。
(a) 和田山地蔵祭(朝来市) (b) まいそうまつり(養父市)
(c) 柳まつり(豊岡市) (d) 川下まつり(新温泉町)
夏が訪れると、ふるさと但馬の町々に楽しい夏祭りがやってきます。早いもの
は、7月に入って14日前後に先陣を切って「浜坂ふるさと夏祭り」、しばらく
して16~17日ごろに「八鹿夏祭り」、23日には「日高夏祭り」と続き、7
月第3日曜日が新温泉町の川下(かわすそ)まつりです。そして、8月1~2日
の「豊岡柳まつり」と夏祭りも最高潮となります。そして、8月も残り少なくな
るころの8月22~23日が「和田山地蔵祭」となるのです。但馬の夏の一番遅
いころの夏祭りです。答えは(a)の、朝来市和田山町の和田山地蔵祭りです。
『チコニコチン』
ケンちゃんケンちゃん、じいちゃんが小さいころ「チコニコチン」っていう、
ビー玉を転がす遊びがあったの。ビー玉ってガラスの丸い球なんよ。ラムネって
飲み物があってね、そのビンの口をふさいでいるのもビー玉なの。ラムネのビン
の口のゴムを外して、ビー玉をとって遊んだこともあったんよ。そのビー玉を地
面に転がして、陣地をとったり取られたりするゲームが「チコニコチン」なの。
チコニコチンの時だけは、ビー玉を指で転がすのがちょっと変わってるの。右
手の小指と左手の小指を絡ませた格好で、ビー玉を右手の親指と人差し指で持つ
の。左手を地面に付けた格好でポイっとビー玉を目標に転がすの。
そんな独特な投げ方をする「チコニコチン」は、小学校のころの男の子の定番の
遊びだったんよ。懐かしいな~。
国道9号線を鳥取へ 道の駅 きなんせ岩美
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【74】高さ約 7m の大松明が有名な朝来市和田山町の竹田松明祭の起源は、江戸
時代中期に起こったどんな災害に由来するでしょうか。
(a) 地震 (b) 水害 (c) 火災 (d) 竜巻
和田山町竹田の「竹田松明祭(たけだたいまつまつり)」は、江戸時代中期に
起きた大火災に由来した祭りです。答えは、(c)の火災です。
この祭りは毎年7月23日に行われます。当番がお神酒とお供えをもって、朝来
山中腹の愛宕神社に登ります。午後八時、祭礼の開始の合図とともに、円山川河
川敷の大きな松明に火がかけられます。昔は10本以上あった直径約1m、高さ
約7mの大きな松明は、現在は2本となったものの、夜の空に燃え上がる松明の
火は、豪快に夏の夜空を焦がします。
『かくれんぼ』
このごろはね、いい大人が「かくれんぼ大会」するんだって。何年か前から、ふ
るさと但馬の名湯の里・湯村温泉で「かくれんぼ大会」が開かれているの。今年は
6月に開催されたの。なんと「第18回全日本かくれんぼ大会」というから話がす
ごいね。
「も~いいよ!」という掛け声をスタートに、たくさんの「おに」が「隠れ人」を
探して町中を走り回るんだって。「おに」も「隠れ人」も仮装行列みたいなユニー
クな格好して、あっちでもこっちでも「見つけた~、捕まえた~」と、はしゃぎ回
るんだって。とっても楽しそうだよ。
じいちゃんが小学校の頃は、お宮さんの境内に集まって「かくれんぼ」をしたよ。
「オニ」は木に向かって手で目をふさぎ、「もういいかい、まあだだよ」の掛け声
を聞いて、隠れている友達を探すの。
じいちゃんが隠れる方の役になって、公民館の陰に隠れていたことがあったの。「も
ういいよ」と掛け声をかけて、じっと待っていたんだけれど、5分経っても10分
たってもオニさんは見つけてくれないの。探してくれないの。とうとう出て行ったら
、みんなは帰ってしまってて友達は一人もいないの。一緒に遊んでいたことをウッカ
リ忘れられたんだね。
「おにごっこ」や「かくれんぼ」なんて、一緒に遊んでた友達忘れて置いてけぼりに
なることあるね、注意、注意だね。
道の駅 きなんせ岩美
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【73】養父市のお走り祭りで、神輿を担いで渡る「川渡御」が行われるのは次のう
ちどの川でしょうか。
(a) 大屋川 (b) 建屋川 (c) 米地川 (d) 八木川
豊岡市瀬戸を切り開いて但馬の泥海を開拓した、斎(いつき)神社の彦狭知命
(ひこさしりのみこと)に、養父神社の養父大明神が但馬五社を代表してお礼参
りするという行事が、「養父のお走り祭り」です。
養父神社から出発した神輿は、20km先の建屋(たきのや)にある斎(いつき)神
社に向かいます。向かう途中の大屋川を神輿を担いで渡る、「川渡御(かわとぎ
ょ)」が激流の中で行われます。これで答えは分かります。答えは、(a)の大
屋川となります。
養父神社から出発して二日目の、斎神社での神事です。養父神社の神輿と、斎
神社の神輿が激しくぶつかり合って練り合わせます。養父神社側は、「ハットウ、
ヨコザァルカァ」と掛け声をかけると、斎神社側は、「ヨウーゴザルカ、ハット
ウ」と返します。
4月中旬の土日に二日間にわたり、往復40㎞の道のりを練り歩くとても有名な
「お走り祭り」の行事です。
『コマ回し』
コマ回しは正月の時にするだけじゃあなかったんよ。男の子たちは年がら年中、
コマ回しして遊んだね。
コマって木でできた円錐形に、軸が真ん中に刺さっているの。木綿の中太のロー
プを器用に軸の上に引っ掛け、三角になった円錐部分にクルクルと巻き付けるの。
指に挟んだヒモを持ったまま、コマをビューンと前に投げ出すの。クルクル・ク
ルクルっと、着地したコマは勢いよく回り続けるんよ。楽しかったねコマ回しは。
コマ回しが上達すると、投げたコマを手のひらに受けて、両手に広げたヒモの
上をスルスルとコマを乗せて、右から左へ、左から右に移動させるの。
上手な子はいろんな妙技もできたね。それから、二人か三人で同時に投げたコマ
を、回転しながらぶつかり合わせるの。先にこけたほうが負け、最後まで回って
勝ちなんよ。鉄のリング(ハチマキ)を巻いたコマ同士を戦わせると、カチ~ン、
カチ~ンと火花が散って楽しかったんよ。
本当に男の子らしい遊びで、自分用の大切なコマを握って集まったんよ。
道の駅 あまるべ
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【72】江戸時代、出石藩主が始めたとされる「出石初午大祭」は、但馬に何を告げ
る祭りとして有名でしょうか。
(a) 春 (b) 夏 (c) 秋 (d) 冬
3月の第3金曜日がやってくると「出石の初午(はつうま)の日は、いつもよう
荒れるなあ。必ずと言っていいほど雪が降るわな、それも風をともなって」と昔か
ら言われるように天気が悪いです。でも、「出石の初午が過ぎるともう雪は降らな
い」とも言われてるのです。
そうです。初午大祭を境に、但馬の冬は春に季節が切り替わるのです。なので「出
石初午大祭」は、但馬に春を告げる祭りとして有名なのです。
江戸時代、出石藩主が旧暦2月の最初の午(うま)の日に、大手門をを開放して、
城内にある稲荷神社に参詣することを許したことに始まったという出石の初午大祭
は、三たん(但馬、丹波、丹後)一の大祭だといわれ、とても大勢の人でにぎわう
のです。答えは(a)の春ですね。
『めんこ』
昔わね、「めんこ」っていう遊びがあったの。男の子の遊びだよ。「めんこ」は、
丈夫な厚紙を丸い形や四角い形で作ってあるの。大きさもいろいろ、描いてある絵
は映画のスターだったり、スポーツ選手だったりしたよ。
メンコを駄菓子屋さんで買って、男の子は何枚も持っているの。どうして遊ぶかっ
て。地面に置いた50cm角ぐらいの箱の上にメンコを置くの。順番に、男の子は
自分のメンコを箱の上のメンコをめがけて打ち付けるの。
自分のメンコで並んだ相手のメンコが捲(めく)れて、ひっくり返ったりすると勝
ちとなるの。それとも、箱の上から吹き飛ばされて地面に落ちても勝ちとなるの。
、
順番に手持ちのメンコを次々と投げて、勝ったの、取られたのと遊ぶゲームが、
『めんこ』なんよ。相手のメンコを上手に吹き飛ばしたりするために、自分のメン
コのフチを少し折り曲げたり、勾配を付けたりいろいろ工夫をして勝負するの。男
の遊びとしては、本当に毎日のように、楽しくメンコの取り合いをして遊んだんだ
よ。
大岡山遠望
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【71】養父市別宮の八幡神社の年初めの祭礼で、上下2つの組が競い合い、最
後に上組が勝つことで豊作が約束される伝統行事がありますが、何を競うので
しょうか。
(a) 相撲 (b) 弓矢 (c) だんじりのぶつけ合い (d) 綱引き
養父市旧関宮町別宮(べっく)は、氷ノ山を背にした美しい棚田風景が有名なと
ころです。その別宮に伝わる年の初め(1月9日)の行事が、「別宮のお綱打ち」
と言われるものです。地区の八幡神社で、村人が太い大綱を上組下組に分かれて綱
引きをします。7回綱引きをするのが習わし、そして最後には上組が勝つようにす
ることも決まっています。それが、その年の豊作を約束する祭礼だそうで、大綱は
大きなケヤキに飾って、村の魔除けとして祀られるのです。答えは、(d)の綱引
きなのです。
質問の相撲は、養父市奥米地の「ネッテイ相撲」が有名。弓矢は、香美町香住区
余部の平家落人伝説に由来する、「百手(ももて)の儀式」の矢引(やびき)の行
事が有名です。だんじりのぶつけ合いは、豊岡市城崎町湯島の「城崎だんじりまつ
り」での、大だんじりがぶつかり合う各所での「セリ」が有名です。
『おしくらまんじゅう』
ケンちゃんね、じいちゃんの子供のころの遊びって、こんなことをしてたんよ。い
くつか順番に思いつくまま、書いてみるわな。今日は「おしくらまんじゅう」だよ。
昔も、今のように同級生だけじゃなくって、男の子だけじゃなくって、幼稚園から小
学生まで、近所のみんなは家に集まったり、お宮さんに集まったりして遊んだんだよ。
今のようにテレビゲームなんてなかったの。何かみんなでワイワイ話したり、いろい
ろな遊びを考えてやったんよ。
冬の寒いこの頃は「おしくらまんじゅう」って遊びやったね。6~7人の子供たち
が、境内の真ん中あたりで、背中同士を押し当てて固まって押し合いやるの。「おし
くらまんじゅう、おされて泣くな。おしくらまんじゅう、おされて泣くな」と掛け声
をかけながら、ワイワイと固まるの。
別にムチャクチャしないよ、押し合いが楽しいくらいに、ワッショイワッショイとや
るんよ。下級生の小さい子も固まりの中に入って、楽しいくらいの押し合いなんよ。
「おしくらまんじゅう、おしくらまんじゅう」と言って、村の子どもたちは体をふれ
あい、声張り上げて、ただそれだけの遊びを楽しんだのよ。みんな仲良しばっかりだ
ったんだね。
六方平野の朝
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【70】香美町にある三川権現社では、無病息災などを願って大祭が開かれ、護
摩供(ごまく)が行われる。この祭事は何月に行われるでしょうか。
(a) 1月 (b) 3月 (c) 5月 (d) 11月
香美町香住区三川は三川山のふもとにあります。役行者(えんのぎょうじゃ)が
開祖と言われる三川権現社は、西暦675年にこのふもとに蔵王権現を祀って開か
れたと伝えられています。
知恵の火で煩悩を焼くという、護摩供(ごまく)と言われる檜葉(ひば)の白い煙
をを立ち昇らせるお祭りが「三川権現大祭」です。毎年5月3日に開催されます。
答えは(c)の5月です。
『かしわのすき焼き』
ケンちゃんね、ケンちゃんもミオちゃんも肉が好きだね。鍋でコトコトと炊いた肉
や、じゃがいものおかずおいしいね。今は、いつでもすき焼きや肉じゃがなんか食べ
るけれど、昔は肉ってなかなか食べれんかったんよ。じいちゃんの小さいころは、ほ
んの時々、一年に2回か3回のごちそうに「かしわのすき焼き」があったの。
じいちゃんの小さいころの家には「ニワトリ」を飼っていたの。10羽くらいいた
かな。名古屋コーチンという茶色のニワトリなんよ。ニワトリが生むタマゴは、大切
な栄養源になったの。風邪をひいたりして体に栄養つけんならん時には、キリで穴を
あけてチューチューと生卵を食べれと、よく母さんが言ったね。
それから、「今夜はかしわのご馳走するぜ」と父さんが言って、ニワトリを一羽捕ま
えて、首を切って木に吊り下げるの。血を抜いた後は、ムシャムシャと羽をむしって
丸裸、母さんが料理して、トリをさばいて肉にしてしまうの。小さいのや、少し大き
いタマゴもたくさんニワトリのお腹から出てくるんよ。
肉も卵も、今晩のごちそうの「かしわのすき焼き」になったんよ。本当に滅多に食
べれない肉のごちそうが、じいちゃんちの昔は「かしわのすき焼き」だったんよ。
真っ白に雪化粧の出石町小坂の田んぼ
(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より
【69】5 月5 日に中学生達が初節句を迎える男の子がいる家々を回り、門前で
丸い輪を描きながら5 本の幟を持ち祝う「幟まわし」が行われるのは次のうち
どの神社でしょうか。
(a) 日出神社 (b) 出石神社 (c) 中嶋神社 (d) 宇都野神社
「幟(のぼり)まわし」は、出石町宮内区の行事として代々続いています。宮内
区にある神社は、但馬一の宮として知られる「出石(いずし)神社」です。答えは
(b)の出石神社となります。
なお、日出(ひで)神社は豊岡市但東町畑山にあり、後醍醐天皇の皇子の恒良親
王が幽閉されたという黒木御所の跡や、舞殿(農村歌舞伎舞台)がある神社です。
中嶋(なかしま)神社は豊岡市三宅にあり、お菓子の神様である田道間守命(たじ
まもりのみこと)を祀る、とても有名な神社です。
宇都野(うつの)神社は新温泉町浜坂にあり、川下(かわすそ)祭りや、大鮑(お
おあわび)が船の穴をふさいで遭難を救ったという伝説が由来の「鮑之霊水(あわ
びのれいすい)」が湧き出ることでも有名です。
ふるさと但馬にある神社は、どれも由緒正しき神様を祀り、いろいろな伝承の話
が豊富なところです。
『スキー教室』
今年はスキー場に早く雪が積もったね。さっそく日曜日には、ケンちゃんは父ちゃ
んに連れられて雪遊びをしてきたそうだけれど、良かったね。楽しかったか。
日高町には昔から神鍋にスキー場があっただろ。なので、地元の小学生も中学生だっ
て、冬になるとスキー教室があったの。府中の子供たちも親に連れてってもらう子も
いただろうけれど、じいちゃんちは親にスキーに連れて行ってもらったことはなかっ
たね。でもね、一月の雪のとっても多いころに、アップ神鍋あたりだったと思うけれ
ど、一日たっぷりスキー教室があったの。
スキーこそ本物を貸してもらったけれど、靴は長靴だったね。スキーにガチっと長
靴をハメるの。小学生の頃は長靴スキーでけっこう滑れたんよ。その頃はリフトなん
てなかったのか、乗らなかったのか、皆スキーを履いて横向きになって、ザクザク・
ザクザクと斜面を歩いて上がったことを覚えています。
ほんの少し上がっては、斜面をスス、スーっと滑っていくの。そして、またザクザク
と斜面を歩いて上っていくの。それでもとっても楽しかったね。汗をかきかき、何度
も何度も滑ったことを思い出します。
「ただいま~。楽しかったよ~」と家に帰ると、母ちゃんの里のばあちゃんが来て
いました。ばあちゃんは、府中よりもっと田舎の山奥の生まれだそうで、「若い時は
スキーを履いて学校に通ったんで」なんて、雪国の話をよく聞いたんよ。
冬の雪国但馬の子らは、スキー教室で一日たっぷり楽しんだんよ。