明日はアトムの社長会

2013年10月31日 | アトム電器
(FAXで送られてきます。大阪社長会の席順表ですいつも満席凄いです)
 
               
私のブログ、月初めに開催されますアトムの社長会がある時は、「本日はアトムの社長会、はびきのコロセアムに出かけます。」という書き出しで始めて色々書いて、「羽曳野からの帰り道、車で走っていつもです。その日の会議の中身を想い、ブログの話に繋ぎます。」なんて言葉で締めくくります。

もう、何回書いてきたでしょうか、何十回も書いてきたことでしょうか。社長会当日のブログは、アトム電器の中身でいっぱいでした。

明日はアトムの社長会、正確にはアトムの大阪社長会なのですいつものように、FAXで会議の席順表がやってきます。

アトム電器チェーンは全国津々浦々隅々までも、アトムの看板掲げて頑張るお店がいっぱいですね。
なので、明日は大阪での大阪社長会を開いてその後は、全国の主要都市での開催をしなけばなりません。
あまりに広く多いい加盟店の為に、11月1日の大阪会場だけでは出来ません。
今回は、11月5日に北から仙台会場、東京会場、静岡会場、金沢会場と南下して、広島会場に福岡会場と開きます。

最近の数ヶ月、当店の社長会への出席は息子の役目となりました。
息子もわが店の大黒柱に成長しています。アトムの社長会で聞いてくること大事なことは、やはり大黒柱の役目でしょうね。
明日の大阪社長会も、いつものように巨大な会場を満席埋めて凄いです。

写真では分かりにくいですが、横に12列の席がずらっと後ろまで20数列並びます。
社長会の会場の雰囲気は、出席したものしか分かりませんが、なかなか話が濃くって素晴らしい。なので、アトムに興味関心のある全国のお店、見学の街の電気屋さんも後ろの席に陣取りますね。

そうそう、アトムに関心のあるお店が、社長会でアトムの様子を知ることもずっと昔からやってました。
社長会の他に最近数年前からは、全国のあちらこちらの会場で、街の電気屋さんの参加を募ってアトムの勉強会が開かれますね。

例えば、10,11月直近では「アトムチェーン徹底研究」と銘打って、10月13日は新潟卸センター、10月20日はホテルグランシェール花巻は開催済みで、11月4日は埼玉ソニックシティー、11月17日は沖縄商工会議所で電気店のお悩みやの相談会が開催ですね。

さらに、街の電気屋さんの二代目のための「地域電気店二代目勉強会」を、11月24日に東京・八重洲ホールで開催します。

わが店の二代目は明日の社長会に出席し、濃い濃い情報や、商売の貴重なヒントを腹いっぱいに貰って勇んで帰るでしょうね。



《どこにでも 参加できます 社長会》

えっ、また店に取りに帰れって

2013年10月30日 | お客さん宅で
(洗面所の電灯をLEDにしましたよ。隣の風呂もですか・・・・・・・)


Mさんは、一人暮らしのおじいちゃんです。
Mさんは、ちょっと頑固で、「言いたいこと云(い)い」の、小言ぶつぶつしゃべる、ちょっと苦手なお人です。(「言いたいこと云(い)い」とは、好き勝手な言い分をへっちゃらに言い放つこと)

リ~~ンとMさんからの電話です。
のっけから名前も語らず、「わしの声聞いたら分から~がな、どちら様ですかなんて、何たわけた事~を云っとるんだっちゃ。用があるから掛けとるんだがな」と、頭からケンカ腰です適いませんね。

『どのようなご用件ですか?』、
「何~に云っとるんだね、すぐに来ておくれっちゃ、用があるから電話しとるんだがね」、
『そのご用ってのが、何のご用ですか、何を用意していけばよろしいのか聞いているのですが』と、丁重にお話しますねMさんへ、、訳の分からん性格ですから怒らせては困ります。

「部屋の蛍光灯、お前のところに付けてもらった、あの長い蛍光灯が一本パカパカしとるの。一本だけ持ってすぐ来ておくれっちゃ」と、やっと何がしてほしいのか云いますね。

『Mさ~ん、こんにちわ~、蛍光灯診に来ましたよ』と、一人暮らしの男の所帯、Mさんちはプレハブのような小さな小さな平屋のお家です。
40Wの直管が2本の作業場につけるような蛍光灯です。パカパカ点滅してます。蛍光管をグロー球と一緒に取り替えますね。

「明る~なったがな、み~や、ちゃんとな街の電気屋なら一々云わんでも、どうですかと球ぐらい取替えに来るんだわ、ちゃんとせんかえ」と、感謝の気持ちはないです勝手気ままな小言です。
「一本替えてもらったら隣のが暗ら~感じるな、ちゃんと気~利かして、これも替えましょうかと云わんかえ」と、一本だけと云ったことなど忘れてる。

『ちゃんと、こんなこともあろうかと4本も持ってきましたよ、何なら台所の分も替えましょうかね』、
蛍光管を取り替えた後です。
「この壁のコンセント、差込みが3っつなんだわ、テレビに、ブースターに、子機の充電器だろ。それ寒む~なって来たがな、ファンヒーターとコタツのコードが差し込めんのだわ」、「コンセント横に作ってくれんかな~」とおっしゃいますね。
「なに~、差込みを増やすタップを持ってきてない、あかんがな」、

『差込みのことは、ついぞ聞いていませんでした。いつも持っていますテーブルタップが、Mさんちの場合は3コ口の平タップがピッタリなのです』、
「そしたらそれ取ってこんかえ」、『えっ、店に取りに帰れって・・・・・・・』、仕方ないです。暇人の時間をもてあましてるMじいさんの云うこと、気ままでムチャクチャですよ適いませんね。

『ハイ、取りに帰ってきました。ピタッと平たく差し込めるでしょ。コードはしっかり安全に差し込んでね』と説明します。
「アトムさん、云い忘れとったわ。洗面所の電気が暗いんだわ、診て~な、風呂もついでに診といて」と、又々別の用事を云いつけますね。
『何ですか、20Wの電球ですよ風呂もどちらも、これじゃあ暗いですね』、
「60Wか100Wの電球、店に帰って取ってきておくれ」と、今度はちょっと遠慮気味です二度目です。

取りに帰りました。
電球がいるとは分からんかった、車を走らせ何往復も、街の電気屋電球一個に苦労をします。
『取ってきましたよ。この器具はプラスチックで40Wまでしかダメですよ』、
「40W付けてみんかえ、明るかったらええがな」、「暗いわ~、もっと明るくなかったら風呂も怖いがな」、
何を云ってるのですかこの頑固じいさんは、一人住まいが怖いのだって、

『LED電球なら明るいですよ』、
「それを取りに帰らんかえ・・・・・・・」?????、
『ちゃ~んと持って来ていますよ。60W相当の明るい明るいLEDですよ』と、ポケットの中から出しますね。
「高いな~、LEDは高いがな、でもしゃあないか」と、納得じいさん諦めますね。

『この箱に40,000時間って書いてあるでしょ。毎日10時間でも10年なのよ』、『Mさん、Mさんは風呂に1時間も入りますかね。毎日1時間使って100年かな?』、
「わしはな、毎日入らんの。二日にいっぺんだ、三日にいっぺんの時もあるがな」、
『ふ~ん、頑固で小言ばっかりのじいさんは、二日にいっぺんですか。何なら200年持ちますよ。せいぜい、あの電気屋が高いLED付けた付けたと、ブツブツ云いながら200年ばかり長生きしておくれや、頼みますよ』と笑って返事をいたします。



《頑固です そのうえ小言 ばかりです》

待つって長いわ~

2013年10月29日 | その他
(きれいに色付きました。国府テラス駐車場の楓の紅葉です)


豊岡病院へ親戚のばあちゃんを付き添って順番を待ちました。待った待った待ちました。

「身元引受人をしていただいてますから、今日の診察、豊岡病院へ家族として付き添いに来てください」と、特養ホームから電話がありました。
診察の予約時間は午前11時30分です。

きっかりに病院入口に到着しますと、ホームの車から車いすで降りてくるところです。『お世話になります。診察に連れて来ていただいてありがとうございます。家族の付き添いがいると云うことでまいりました。ありがとうございます』と挨拶しまして入ります。

今日は、ホームから二人のおばあちゃんが診察です。ホームからは、運転手の男の人と看護師さんのSさんが、二人のばあちゃんを連れと来られていましたね。
中待合に車いすの二人のばあちゃんを案内し、座って順番を待ちます。

『病院のことですよ、予約と云っても2~30分は待つことになろうね』と看護師のSさんと話します。待てども待てども順番が来ない、なかなか呼んでくれません。
「呼ばれても他のドアばかりに入っていきますね。7番の呼んでほしいこちらはなかなかですね」とSさん話す、今日は、どうも診察の流れが遅いです。

待ちましたね~、待った待った待ちました。
やっと呼ばれたのは、予約から1時間以上過ぎてますよ、12時40分過ぎですね。
診察を、丁寧にお医者さんから受けました。「それじゃあ、この後は血液検査で採血の方に、そしてCTも撮りますね。心電図も取りますから順番に行ってください」と、それぞれの検査の部屋に進んで、採血や撮影や測定を順番に廻ります。
それぞれの所でも順番が少しずつあります。終わったのは1時を過ぎてる1時半にも近いです。お昼はとっくに過ぎてます。お腹もすきます疲れます。

さあそれからですよ、
再び診てもらいます科の外待合で、名前を呼ばれるのを待ちますね。
検査の結果を先生から聞くためです。待ちました。待ちました。
車いすのばあちゃんを前にしまして、看護師さんと私と三人待ちました。なかなか順番来ないよ呼ばないですね。
看護師のSさんは、「検査の結果は、なかなか先生のところに行かないのかしらね、検査がある時は待たされますね」と云って、待ちくたびれる私たちを慰めますね。

「特養の入所待ちでも一緒ですよ。とてもたくさんの順番待ちなのです。順番を待つ間に、ホームに入りたかった方でも待ち切れずに、亡くなってしまわれますの」なんてお話繋ぎます。
『うちのばあちゃんは、ホームにさっさと入所させていただいてありがたかったです。何年も待たねばならん。どうしようかと心配してたのですが助かりました』なんてお話しいたします。

まだ呼ばれないです。
どんどんと、待ってる患者さんの人数は少なくなります時間は過ぎる、待っても待っても呼ばれませんね。
1時半ころから外待合で、じっと座って待ちました。お腹がすいてきます。お茶でも飲もう、ペットボトルでごまかしますね。
待ちました。待ちました。座禅でも組んでるように待ちました。
じっと待つってことは長いですな~、本当に長いですな~、試練のようなじっと座って待ちました。

呼ばれました。
ありがたい。
時計を見ますと、3時半をとっくに過ぎてるやないですか。びっしり2時間以上の待ちでした。
診察の前に、中待合で1時間、検査の結果説明に、外待合で2時間ですよ。
病院に着いてから、帰りの外に出るまでに4時間半以上、昼抜きで、我慢しましたけれど。健康な者でも病気になりそうなほどに疲れます。



《病院は 待って待っての 我慢です》

ボタンの簡単なのがいいよ、じいちゃんによ~く教えといてね

2013年10月28日 | お客さん宅で
(柿の実がたわわについてます。仲良し家族の団欒のように見えますね)


「電子レンジが壊れてしまったの~、カタログもって相談に来てくださ~い」とMさんちの若旦那から電話です。
「家内が勤めから帰ってくるの、7時くらいになるの。夜になって申し訳ないけれど、家内と相談してもらえますか」と優しい若旦那は話します。

6時半過ぎです。
『奥さんは7時ころになるでしょうか。7時にめがけてお伺いさせていただきますよ』と電話し、iPadにレンジの写真を撮りこみますね。

『こんばんわ~。Mさんこんばんわ~』と、玄関開けますニコニコと大きな声出し挨拶します。
廊下のずっと先が茶の間と台所、茶の間から顔だしばあちゃんは、「アトムさんかえ、よう来ておくれんさった、夜分にすみませんね~」と、こちらに負けない笑顔で廊下を走って出てきます。

『レンジが壊れたそうですね。相談に来させていただきましたよ』、
『若奥さんはお帰りでしょうか』と声をかけ、廊下を過ぎて茶の間に入って話します。
茶の間の炬燵には20歳くらいの孫息子さんが、夕食しながらテレビです。

茶の間の続きの台所、もう、ずっとずっと大昔に買っていただいたレンジを見ながら話します。
『そうね、もう10何年も経ってこのレンジも頑張ってくれたね。新しいのと交代させましょ』と、若奥さんに話しながら、コソンと収納してありますレンジ台の幅を測ります。

「まあまあ、アトムさん。こっち、こっち来て、こっちのテーブルでお話聞くわ」、
「仕事の帰りに近くの大型店に寄ってきました。レンジのカタログをいっぱいもらってきましたよ」と云って、シャープに東芝、日立やパナソニックと出しますね。
「皿に給水するとか、タンクからスチームとか、見てもどんなのが良いか分からないわ。あれが出来るこれが出来るのと難しいのいやよ。簡単で使いやすいの教えてね」とテキパキ要望話します。

アトムの特選品カタログ取り出して、『ハイ、今のレンジ台にはこの寸法しか入りませんね。アトムの定番の、このパナソニックのレンジは給水タンク式のスチームオーブン出来ます優れもの、操作もシンプル簡単使いやすいですよ』、
『ハイ、iPadの写真を見てね。店にはアトムの定番品をいつも展示しています、これですよ』と、特選品カタログと、iPadと、奥さんの持ち帰ったカタログを並べて説明します。

風呂から上がってきましたじいちゃんが、相談の様子を覗き込み「わしは酒の癇かな、わしでも使えるのがええけど」、
ばあちゃんはニコニコ若嫁さんに、「使いやすいの、あんたが気に入ったので良いがな」と声かかけ掛け奥さんは、「アトムさん、アトムさんの勧めるこのパナソニックにするわ。普段はね、おじいちゃんが酒の癇を一人でよくするの、なのでワンタッチか二度タッチくらいで出来るのにしてほしかったの、これでいいわ」と納得ですね。

『明日お持ちします』、
「助かるは。私は何とか見ればわかりますが、じいちゃんによ~く教えといてね。ボタンの簡単なのがいいよ、じいちゃんによ~く教えといてね」と、
奥さんの返事を横に居て、ニコニコ話を聞きますMさんや孫息子さんも、「ええんと違う、アトムさんのお勧めで」と笑顔に出して頷きますね。

Mさんちのご家族みなさんは、仲良し家族で素晴らしい、枝にたわわに片寄せあって実る柿のような感じです。



《いいですね 仲良し家族 団欒の》

ふるさとの、峠の読み名は難しい

2013年10月27日 | ふるさとの話
(トンネルの入り口にあります峠の標識、長くて難しい名前です)


ちょっとドライブに行こうかと、家内と二人で走ります。
竹野町の健康福祉センター前を通り過ぎ、少し行ったところを右折します。すぐにJR山陰線の踏切を渡り、まっすぐ進んで走ります。

突き当りの山に向かって、坂道を右裾に阿金谷(あこんだに)の集落を、下に見ながら坂道を進みます。
険しい坂道です。急カーブもあります。峠に差し掛かったところにトンネルがあります。

トンネルの手前に立ってる峠の標識には、「鋳物師戻峠」と書いてあります。
始めて見る人にとっては、ちょっと読みにくい不思議な読み方の峠です。
でも、ふり仮名も書いてありますからすぐ分かります。「いもじもどしとうげ」と読みますね。
ふるさと但馬では結構その名は知られています。「鋳物師戻峠(いもじもどしとうげ)」と読むのです。

でも、名前の意味がちょっと不思議ではないですか。ふるさと豊岡には、峠の読み名やその意味のとても難解なものがありますね。
日高町には「瘡の痂嶺」って名の峠があります読めますか。「瘡の痂嶺(かさのふたとうげ)」って読むのです。
竹野町から城崎町に抜けますこの「鋳物師戻峠(いもじもどしとうげ)」も、なかなか難解意味深長なものですね。

昔々、奈良か平安朝の頃です。
銅や鉄を使って仏像を作る者を鋳物師と云いました。その鋳物師が、京の都から但馬のこの地に仕事で通りかかった時のことです。急峻な山道を進み山頂近くにさしかかり上を見上げると、とても巨大な岩が山からにょっきりと突き出ています。
大きな岩は帽子をかぶるように、二段になって今にも崩れ落ちそうな姿、そのとき運悪く地震が起こり、目の前の大岩が揺れ始めます。

鋳物師の頭上に転げ落ちてくるようなのです。
鋳物師は恐ろしくなって、一歩も前に行くことは出来ず、来た山道を戻って引き返したそうです。
それ以来、この峠は怖い怖い「鋳物師戻峠(いもじもどしとうげ)」と呼ばれたそうな。

ふるさとには、「瘡の痂嶺(かさのふたとうげ)」とか、「鋳物師戻峠(いもじもどしとうげ)」なんて、ムチャクチャ難しい読み名の、その意味とってもユニーク不思議なものがありますね。



《あれからも 大岩落ちず そのまんま》

ミッチー正垣とその仲間たち

2013年10月26日 | 季節(秋)
(豊岡市民プラザで、正垣さんたちの「実りのコンサート」を聴きました)


今日の午後、2時間ばかりです。アイティ7階の豊岡市民プラザ・ほっとステージに出かけます。

正垣稔さんが率いる「ミッチー正垣とその仲間たち」の秋のコンサートです。
「実りのコンサート」と題して、毎年開催されます今年で9回目、家内と聴くのは今度で二回、土曜日の午後ですちょっと抜け出し出かけます。

うちのお客様でもあります正垣さんが、「今回はカメラマンがいないのよ、アトムさんのカメラでパチパチっと撮ってもらえませんか」と頼まれて、前列近くに座ります。

ミッチー正垣とその仲間たちは、ギターとボーカルの正垣稔さんを中心に、フルートやマンドリンにギターにベース、それにキーボードにピアノやドラムを演奏する総勢9人のメンバーなのです。
それに家族の長男次男さんも、お父さんに似て歌が上手い、正垣ファミリーとしてボーカル出演いたします。

正垣さんは60代後半のお年ですが、その歌声は軽やか爽やかきれいな声で、どんな曲でも歌います。
演奏する仲間たちも、実に楽しそうに和気合い合いと、コンサートのステージを盛り上げますね。

今日の演奏品目は、「もしもピアノが弾けたなら」から始まって、無縁坂/星のフラメンコ/恋/舟歌/河/あずさ2号/島唄/海その愛/積木の部屋/甘い生活/LoveLoveLove/ブルーシャトーと続きます。

しみじみ歌う「舟歌」がよかったですな~、
八代亜紀の舟歌、歌詞をなぞるだけでも「しみじみと、しみじみと」とよい歌です。それを熱唱する正垣さんの歌声もよかったですね。


「舟歌」 八代亜紀
作詞・阿久悠  作曲・浜圭介


お酒はぬるめの 燗(かん)がいい
肴(さかな)はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり 灯(とも)りゃいい

しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌いだすのさ 舟唄を

沖の鴎に深酒させてョ
いとしのあの娘(こ)とョ 朝寝する
ダンチョネ


店には飾りがないがいい
窓から港が 見えりゃいい
はやりの歌など なくていい
時々霧笛が 鳴ればいい

ほろほろ飲めば ほろほろと
心がすすり 泣いている
あの頃あの娘を 思ったら
歌いだすのさ 舟唄を

ぽつぽつ飲めば ぽつぽつと
未練が胸に 舞い戻る
夜ふけてさびしく なったなら
歌いだすのさ 舟唄を

ルルル・・・・・・
ルルル・・・・・・


《秋の午後 ミッチー節を 聴きにいく》

ありがたいが、ありがたくないような

2013年10月25日 | その他
(ここにも「こうのとり」の名前を冠むりにした、施設があります豊岡ですね)


本日、「こうのとりスタジアム」にちょっと用事で立ち寄りました。

ふるさと但馬の豊岡は、言わずと知れた「コウノトリ」、「こうのとり」「鸛(こうのとり)」の町ですね。
豊岡市を走っていますと、大きな通りにも商店街にも「コウノトリ」の名がつく看板やイラスト飾りがいっぱいあって、

あちらにもこちらにも、国道の大きな道路標識に「ここは但馬(たじま)豊岡、コウノトリ翔(かけ)る郷(さと)」の表示がとっても目立ちます。

豊岡市にあります施設にも当然ですね、「コウノトリ」と「こうのとり」の名前を冠して名付けます。
コウノトリを増殖し、育てて放鳥しています中心施設が「県立コウノトリ郷公園」、その中に「コウノトリ増殖センター」に、「市立コウノトリ文化館」などの施設があって、観光客に広々開放されてます。
訪れた観光客は、特産品店の「コウノトリ本舗」でお土産に、無農薬・特別栽培米は「コウノトリ育むお米」や「コウノトリ米」を買い求めます。

本日訪れた市立の野球場は「こうのとりスタジアム」、もちろん豊岡市の飛行場の名前も「コウノトリ但馬空港」と云いますね。
そして、京都に向かうJR列車は「特急こうのとり号」、宇宙に飛び立つJAXAの宇宙ステーション補給機「こうのとり4号」は、8月4日種子島から見事に宇宙に飛び立ちました。

てなわけで、ふるさと但馬の豊岡は、そこらかしこに「コウノトリ」の名前が溢れます。


今日のブログは、こんなことを書くのではなかったのです。

市や学校に納める電気製品のことです。
公平、廉価を旨とした購入のため当然ですが、街の電気屋さんは、市の競争入札によって買っていただき納めます。

不思議ですな~、テレビや冷蔵庫やエアコンのことです。市の施設や学校関係の、入札見積り依頼が度々来るのですが、昔からです、なかなか滅多に落ちませんなあ~。
何ぼ安く入札しましても、アトムの気張った仕入れ値ギリギリで入札しても、滅多なことでは落ちませんですな。

不思議なほどに落ちません。当店の価格が他の店より高いのです。他のお店が安すぎますね。

ところが不思議なことがあります。

入札に掛けなくてもいいようなお話、例えば、学校のラジカセが故障したの、教室の電気が点かんの、市の管理する防犯灯の球を替えてほしいの、施設の非常灯が点かんのなんて、それぞれの事務員さんが、どこかの電気屋さんに頼まなくてはならんようなお話が、どんどこ・どんどこ当店に、やって来ますね不思議です。
予算化の事前の参考見積りってものもよく来ます。

こう云うことです。

いろいろ事前に値段を調べる係に、ご利用になるのです。でも、量販店と同じですな。本番の入札では全部ボロ負け、買ってくれないダメですね。
ところが、後のアフターサービス、ゴチャゴチャ用事、修理や球替え作業は当店ですね。

いつも不思議に思います。ありがたいが、ありがたくないような話です。

当店の入札価格が高いから仕方がないけど、今日もまた、細い細いポールにハシゴの防犯灯の球替え作業、その報告で市の担当者にお願いします。

『出来ましたら、あの作業しにくい防犯灯の分は、時には他のお店に頼んで下さいね。平等に振ってください頼みます』と云って、ささやか請求書を提出します。



《細々(こまごま)な 修理ばっかり よく来ます》
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アトムさん、年賀状の宛名書きしてもらえませんか

2013年10月24日 | お客さん宅で
(iPadを開いて『これこれ、これが一番ですよ』とお話しします)


なんでも頼まれますな~、

リ~~ンと電話です。
「あの~、アトムさんは年賀状の宛名書きをされてませんか」、『えっ、年賀状ですね。年賀状の宛名書きはプリンターでやってますよ。毎年お客様への宛名書きは、パソコンの顧客台帳からやってますよ』と答えます。
「違うの、違うのよ。宛名書きって、アトムさんの年賀状のと違うのよ。私の年賀状の、宛名を書いてもらえませんかと云うことなのよ」と、電話のUさんは話します。

『なになに、ハガキの宛名でしょうか。表(おもて)面の宛名ね』、『あの~、裏面の年賀状本文はパソコンで作って差し上げたことはあります。いる枚数プリントも頼まれましたよ』、
『でも、宛名はお客さまが書かれましたよ。宛名書きね、宛名書きは請け負ったりしていませんが』とやり取りいたします。

『こんにちわ~、ばあちゃんこんにちわ~。近くまで来ましたから寄らせていただきましたよ』と、一人暮らしのUさん宅へ、iPad一つ持って訪問します。
『どうしたのですか、年賀状の宛名書きって』と尋ねると、
「年を取って、目が見えにくいし、手に力が入らないし、宛名書きが億劫なのよ」と話です。
「年賀状はね、親戚の子が局に勤めてるの。毎年印刷までも、どれにしますかと注文に来てくれるのよ。でも、今年は宛名書きが困ったわ」と心配そうに伝えます。

Uさんは、10年ほど前に旦那さんと東京から豊岡に引っ越して来られました。引っ越しの次の年に、台風23号で家はどっぷり床上浸水、えらい目ですよ大変でした。
6、7年前よりうちのお客様になっていただき、何かと沢山ご贔屓でした。ところが、2年ほど前にご主人と死に別れ、自分も病気で身も細る、すっかりお年を召されます。

もともと、元気でシャキシャキ東京気質、デジカメで撮った写真をパソコン駆使し、年賀状も自分で印刷でした。
ところがご病気のころです。パソコンも調子を悪くして治らずに、プリンターも友達にやってしまったと云いますね。
「アトムさんとこで、宛名書きはしてもらえませんか」と頼まれましたが、お客様の住所録まで預かっての、打ち込み作業はちょっとやってませんと断りますね。

『Uさん、これを見てください』と、テーブルの上にiPadを取り出して、サクサクと画面を出してインターネットで検索します。
『これがよろしいではないですか。カシオの「プリン写ル」って商品ですよ。ハガキの印刷や写真のプリントが出来ますよ』、
『これはね、Uさんなら簡単よ、パソコンよりも簡単ですよ。簡単に名前や住所を入力できる。年賀状の宛名書きが、簡単さっさと出来ますよ』と説明します。

『あのね、年賀状の宛名だけではもったいないですね。実は、メモリーカードを差し込んで、デジカメの写真もパッパッときれいに印刷できますよ』と説明します。
「高いのでしょう」、『別に干支の印刷とか、裏面のプリントしないなら、一番安い80番でよろしいですよ。なんなら、昨年の型の70番があれば、1万円台で用意できるかも』とお話進めていきますね。

宛名書きを本当はしてほしかったのでしょうが、パソコンの使えてた、デジカメ持ってるばあちゃんですから、ここは元気を出していただくためにカシオの「プリン写ル」にいたします。


《ばあちゃんは 今度はカシオ 使います》 

今日は霜降(そうこう)

2013年10月23日 | 季節(秋)
(秋の花、きれいなコスモスの花びらとススキの穂です)


私の拙いブログも、昨日で2,000回目の投稿となりました。
途中には、300文字にも100文字にも満たない横着ブログも数多くありましたから、2,000と云いましても実質そんなに多くはありません。
毎日何か書こうと頭を巡らせていますが、中々気の利いた話が書けません。
今日も特別面白いネタがありません。仕方がないです。暦をペラペラめくります。


季節は巡りて春夏秋と、過ぎていきます本日は秋も終盤霜降(そうこう)ですね。

季節の区切りを表す言葉に、「二十四節気」というものありますね。
春は初めの立春迎え、一年スタートいたします。
立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨は春節気、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑は夏節気、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降(そうこう)は秋節気です。

今日からおおよそ15日間です。次の節気の立冬までの季節、露が冷気によって霜となって降り始めることから、霜降と呼びますね。
木々の葉が、紅葉しはじめるようになります。立冬までの間に吹く風を、木枯らしと呼びます。どんどんと、朝の冷え込みが強くなってまいります。

今日から15日後の、11月7日は冬の始まり立冬となって、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒と冬節気、それを過ぎれば陽ざし春です立春迎え、一年めでたく巡ります。

今年は何ですね、この時季になっても台風が次から次へと日本列島をめがけてやって来ます。
今日も台風27号の影響が出始めたのでしょうか、午後になって雨足が激しくなってまいりました。夜半を過ぎるころから、風も強くなってくることでしょう。

思えば9年前、ふるさと但馬を襲った台風23号は10月20日のことでした。
この年も、次から次へとところ変えては、各地に災害をもたらした台風多発の秋が過ぎ、『おかげさんで運よく、ふるさと但馬はいつもそれて被害もなくて』と思っていたら、シーズン最後の最後の台風が、未曽有の洪水被害をもたらした台風23号でした。

今年も同じことです。
全国いたるところに被害の爪跡を、今のところ、ふるさと但馬はさほどの被害はありません。
9年前以上に多発の台風ですが、今、目の前に来てます27号、28号が、まさか正かの大雨や暴風を持って、但馬に来ないかと心配します。
本日は、台風前夜の雨降りしきる、秋の節気の霜降ですね。



《降るごとに 冷気強まる 雨の朝》
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膨張は躍進と崩壊の分岐点

2013年10月22日 | その他
(いらんと云うのに、資料を置いて帰る困ったお方です)


『なんのご用件でしょうかね?、あっ、もう何年も前から何回も何回も、資料を送り付けてこられて困っています』、
『きっちりその度に、電話できつくきつく断っているのに、ダメですね』と云って、なぜダメなのかの理由を、滔々と言含めて返事です。

それでもひつこいですな~、
『資料なんぞ置いて帰っても、何にもなりませんよ。手の内バレバレ、アトムの方がもっと上いく戦略を、考える肥しになってしまうだけ無駄ですよ』と云っても置いて帰ります。

某・大手家電量販店の、傘下FCチェーンに加盟しないかという勧誘の訪問受けました。

訪問を受けた数日後です。ニュースで大きく報じてました。

「ヤマダ電機、なぜ苦境に?、上期連結決算初の赤字~計画狂う中国進出、ネット通販台頭で現場混乱」と出ています。
10月15日のヤマダ電機の決算発表で、2013年4~9月期が42億円の赤字に転落したという内容です。赤字に転落した理由をいろいろ詳しく報じています。


松下幸之助の生涯という一文に、門真地区に本店・工場を建設した時の様子を描いたものがあります。

《真使命の自覚を転機に、松下電器は新たな発展段階に入った。工場を増設しても、注文に応じ切れなくなり、所主は新しい本店・工場を建設しようと決心した。
そこで、大阪市内に土地を求めたが、適当な所がない。たまたま門真地区に店員養成所を建てるために買収を進めていた土地があり、これを新本店・工場の建設予定地にした。

ところが、門真地区は大阪から見て東北方向の「鬼門」に当たる。
昭和恐慌の記憶も新しいときで、7万平方メートルの広大な敷地を買収しての工場群建設に業界は驚く一方、放漫経営ではないかとの声が起こった。
「鬼門」のことは、所主も気になったが、ふと「東北方向が鬼門なら、日本の地形はどこも鬼門ばかりだ」と思い至り、迷うことなく建設に着手した。

この進出に際して、所主は、「組織の膨張は、やがて崩壊に通じやすい。松下電器は今躍進か崩壊かの分岐点に立っている。新しい工場を生かすのは人である」と説き、全員を奮起させた。

幸いこの門真地区への進出は成功し、松下電器はこの地を拠点に世界的企業に成長し、開発が遅れていた門真地区は急速に発展していく。》と、門真進出の様子をこう書いています。


その時に、松下幸之助38歳が社員に言った言葉がこうですね。


およそ世間を見ても、組織が膨張することは、やがて崩壊への道程である例が大変多い。
組織が大きくなればなるほど人びとはただその華やかさに幻惑され、つい浮ついた気持ちになりやすく、隅々まで統制が届かず、経費はかさむばかりで、遂には崩壊へと導く。

この意味において松下電器は、いま躍進と崩壊の分岐点に立っているのである。・・・・・(中略)・・・・・本所将来の発展、衰亡は、
かかって諸君の双肩にあることを考え、一事一物にも細心の注意を怠らないよう、この際、特に一言しておく。


これが有名な、松下幸之助の言葉、「膨張は躍進と崩壊の分岐点」というものですね。


膨張に膨張を続けてきたヤマダ電機はどうでしょうか。
しつこく勧誘に回り、困ったお方が置いて帰った資料を見ながら。中国進出のつまずき、ネットに対抗で現場の混乱のニュースを見ながら、覇権的な膨張拡大は衰退への第一歩と、つくづく・つくづく感じてしまいます。



《ダメですよ 街の電気屋 付き合わぬ》

よう来てくんなった。京都・久美浜の「豪商・稲葉本家」へ

2013年10月21日 | ふるさとの話
(明治の中期、京都府納税額第一位だった久美浜の「豪商・稲葉本家」を訪ねます)


(国登録有形文化財の、豪商・稲葉本家の建物正面です)


 中庭の喫茶コーナーで、稲葉本家ゆかりの「ぼたもち」を食べました。そしてお土産に、その「ぼたもち」とこれも久美浜名物の「丹後のばら寿司」を買い求めます。

昨日の日曜日、家内と二人で出かけます。
久美浜町の海岸沿いで開催されていました「久美浜・まるかじり祭り」に出かけます。

あいにくの雨模様です。
小雨になったものの、会場の地面はぬかるんでいます。餅まきまで待てません。早々に切り上げまして、近くのちょっと有名な建物を訪れました。

京の都からずい分と遠くの、丹後のそのまた外れの久美浜町です。
但馬の豊岡の隣町ですから、大阪・京都からはずっとずっと遠くの田舎の町ですね。
その久美浜町には、バス停の標識にも「豪商・稲葉本家前」ってなものがあります凄いです。

久美浜の町の中心に、でんと構えた大きなお屋敷があります。自由に見学させていただけます。
北前船貿易や、幕府の公金預かり所などで財を成した、「稲葉本家」という大きな大きな建物があるのです。

「豪商・稲葉本家」は、およそ400年ほど前です。初代喜兵衛は、織田信長の家臣団・美濃三人衆の一人稲葉一鉄一族の縁者と言われています。
稲葉喜兵衛が美濃の地から、丹後は久美浜へ移り住んでから、稼業は代々「糀(こうじ)屋」を生業にしていました。
糀(こうじ)って、酒や味噌・醤油を作る時の麹ですね。

そのうち、日本海沿岸交易業掛屋なども営み隆盛を極めていきます。そして、この地方随一の大地主になっていくのです。
享保のころ、今から300年ほど前になりますが、幕府の公金預かり所となります。今でいえば日本銀行の丹後・但馬版というところ、近隣諸藩の金融を独占する豪商に上りつめていきました。

明治以降にになっても、それからも豪商であり続けて、明治中期のころは京都府下一位の多額納税者であったといわれています。
さらに、当主は郡長、府議、町長、衆議院議員と公私共に重責を務めていくお家です。

第13代当主・稲葉市郎右衛門氏の後は、その長男、次男とも戦死されたために、稲葉家は実質絶えてしまって、今では久美浜町が広大な屋敷建物を譲り受けて管理されています。

順路に沿って座敷や庭を見学していますと、喫茶コーナーのマスターが近寄ってきて、

「この離れの部屋はね、蜂須賀斉昌公がお越しになると云うので、そのために建てられたのですよ」、
「この釘隠しは双葉の金具、将軍様が三つ葉なので、双葉が許されたのは凄いことなんですよ」、

「第13代当主の立派な銅像が玄関先に立ってるでしょう。美濃の方角を向いてるのです」、
「この大きなお屋敷も、ここ50年ほど空き家だったのです。10年ほど前に久美浜町が譲り受けて立派に保存なのです」、

「惜しいことに、久美浜町にこんな豪商がいたこと知らんかったでしょ。京都府でも有数の豪商のこと、多くの人に知ってほしいですね」なんてガイドをされますね。

仕方がないです。
喫茶コーナーで、明治元年に久美浜線開通を祝って、稲葉家が地域の人々に配ったという、稲葉本家ゆかりの「ぼたもち」を注文いたします。
特産品コーナーで、「丹後のばら寿司」の由縁を聞いてしまった。これも買わねばなりません。

久美浜って、京都府のずっとはずれの片田舎町です。そんなところに、立派な豪商だった大きな大きな屋敷建物があるのです。



《知らんでしょ 京都府一の 豪商が》

身近な選挙です

2013年10月20日 | ふるさとの話
(豊岡市議会議員選挙のポスター掲示板です)

(貼り出されました。立候補者のポスターが30枚貼り出されます)


一週間ほど前の新聞には、
「豊岡市選管は18日までに市内505ヵ所にポスター掲示場を設置する。掲示板は縦約1.4㍍、横5.4㍍の大きさで、34人分の立候補者のポスターが掲示できる枠がある。」と出ています。
豊岡市では市議会議員の選挙が、20日告示の27日投開票で行われます。

4年ぶりです。前回の選挙では、定数26のところに27人の立候補でした。
新聞には、「9月30日に行われた立候補予定者説明会には、今回から2減となった定数24に対して32陣営(現職19、元職1、新人12)が出席した。」と出ています。

二日前です。
散髪屋さんでサンパツされながら、店主とまわりのお客さんとの会話を聞きました。

「立候補のポスター掲示板、えらい大型のもんだね~。高くつくだろうに、豊岡は広いので何枚くらい用意するんだろうね?」、
私は、『今朝、知ってる看板屋さんが私の店の前に設置でしたよ。台風が過ぎ去るのを待って急いで取り付けに回ってますと。およそ50ヵ所くらい頼まれてますと言ってましたよ』と話します。
「何百ヵ所なんだろうね~、豊岡じゅうで300ヵ所かな400ヵ所はあるかな、凄いもんだね」、
『なに云ってますかね、新聞には500ヵ所ちょっとと出てましたよ』、

『それこそ、立候補予定の数って今回はすごいですね。定数が減ったのに32人も立候補するそうですね』、
ハサミを動かしながら店主は「そりゃあ多いわね、8人も落選かね。まあ前回の1人よりも、今回は8人もね~、落ちる仲間が多くって・・・・かな」なんて話します。
隣に座っていたお客さんが「違うよ、立候補者は予定より2人減って30人ですよ。6人落ちるの、何故だろうかね、2人立候補するのをあきらめたのは・・・・かな」なんて話が飛び交いますね。

夕刻です。
立候補者のポスターが次々に貼られていきました。30の枠に貼られます。

市議会議員の選挙は、国や県の選挙に比べて一番身近な大切な選挙です。
国の選挙などは、国のかじ取りを誰に任せてどのようにするか、どんな国造り、どんな外交をしてくれるのか。政策ってのか、政治信条ってのか、色分けはっきりしています。
選ぶほうも、自分の信条に照らし合わせて、割合にこの人この政党に任せようと、選びやすいものです明快ですね。

ところが、身近で大事な自分の町の選挙となると、ちょっと勝手が違います。
どの立候補者のポスター見ても、きれいな言葉や、歯の浮くような訳のわからんフレーズ並べて、言ってることはどこも同じようなものですね。
誰もかれも、豊岡の未来を夢のような美辞麗句で語りかけてる感じです。
なかなか選ぶ基準が難しい、市議会議員選挙って身近な大事なものですが、ちょっと難儀なことですね。

ところで、夜になってもまだポスターを貼ってない、空いてる枠が2つあります変ですね。
28枚しか貼ってないです不思議です。貼り忘れたのでしょうかね、それとも立候補していないのか、妙に気がかりいたします。



《笑顔です ポスターみんな 笑顔です》

卯左衛門(仮名)の「オジいサン」にクイズの賞品当たったよ

2013年10月19日 | 店内外の話
(「オジいサン」に出てくる徳一じいさんみたいな、卯左衛門(仮名)さんの話)

 京極夏彦著・小説「オジいサン」は、独居老人の益子徳一と、「オジいサン」から見ると冴えない電気屋、「田中電気」の二代目とのお話しです。
一冊全編にわたって、街の電気屋・田中電気の二代目が、徳一じいさんに地デジのあれこれを説明したり、徳一じいさんが電気屋に対して苦情小言をいう話です。

《田中電気辺りが教えてくれても良さそうなものだと思う。それが二十年以上に亘(わた)り蛍光灯や電池を買い続けている優良顧客に対する礼儀だろうと思う。それなのに。
売りつけようとするだけだ。その手に乗るか。
・・・田中電気め。
恩知らずである。
親爺が築き上げた身代も、あの二代目でお終(しま)いだ。
まだまだ小僧なのだ。徳一がテレビを買った時、あの男は中学生か何かだった筈だ。丸顔に面皰(ニキビ)をくっ付けて、詰襟(つめえり)かなんか着ていたじゃなかったか。態(なり)だけは一人前になったけれど中身は変わっていないじゃないか。だから店を継いでも所帯も持てないのだ。・・・・・・・》

会うごと話すごとに、徳一じいさんは、亡き親父のあとを継いで、真面目に世話をしている二代目に、苦情小言を言い続けているのです。
小説の最初から最後まで、「オジいサン」さんの話かと思ったら、街の電気屋のお年寄りを相手の奮闘記でもありますね。

当店のお客さまの中にも、いく人かの男独り所帯のお家ってありますね。
訳あっての、まだお年寄りでない男一人所帯を除(の)けますと、ご老人で独り暮らしってのはN・Uさん、N・卯左衛門(仮名)じいさんしか見当たりません。

卯左衛門さんは、80をちょっと超しています独り暮らし。なのに体は丈夫で口達者、仕事の依頼だって説明だって、いつも何故だか怒り口調です。
ひょんなことから当店のお客様になって、小説に出てくる徳一じいさんじゃないけど、苦情小言ばかりのお人です。

「お前んところのクイズは、なんぼ出しても一(ひ)っとつも当たれへんっちゃ」と、ブツブツ・ぶつぶつ言いながら、それでも毎月持参です。
『卯左衛門さんよ、いつもいつも一番にクイズ出してもらってありがとうさんね。当たったこともありますよ。半年くらい前に、ちゃんと賞品のテッシュペーパーを5箱も差し上げたやないですか』、
『クイズはね、たくさんの回答者があるのです。一回でも当たったら良い方なんよ』と、宥(なだ)めてお話しいたします。

今日です。
大感謝祭の案内状と一緒に差し出すクイズ、ヒントも仕上げて清書です。
毎月です。集まったクイズの回答の束から。グルグルっとかき混ぜ。当選者を3名決めますね。

「グルグル・ぐるぐる」かき混ぜま手に取った、
S地区のT・Kさんが10回出されて初めて当たる、K地区のH・S子さんが2回目ですおめでとう。
さあもう一人です。
グルグルと。3枚目のクイズの回答を取り上げました。なんとなんと。2回目の当選です。A地区の卯左衛門さんに当たりです。
よかった~、クイズはもう40回以上になりますが、卯左衛門さんは今回で12回目の応募で、2回目の当選おめでとう。
これで、苦情小言の怒り口調の「オジいサン」は、どんな顔して賞品の品を受け取るでしょう。



《どこにでも 徳一じじい おられます》

LEDサーチライト

2013年10月18日 | 店内外の話
(夜長の秋になって感じます。外から店を眺めてちょっと暗いと感じます)

商売やってて、店に福が来るってどんな時。
それは、明るく明るく、元気がいっぱい弾けるようなお店でしょ。

店って、明るくなくてはいけません。
明かりも売ってる電気屋さんならなおのこと、店の中も店の外も、明るく元気でなくっちゃいけません。

当店、店の中はLEDの直管をびっしりと、点灯しましてムチャクチャ明るい元気です。ところが、店の外ですちょっぴり暗い、これは困ったいけません。
アトム電器の看板に替える前は、「Santopおおうえ」の大きな看板と、スマートラインにネオンをつけて、かなり目立って映えました。



(500WのLEDサーチライトが手に入りました。これを取り付けてみよう)

よっし、明るさ500W相当のLEDランプのサーチライト、これを付けてアトム電器の看板を照らしてやろうと考えました。
店の正面の看板には、地面にブロック置きまして地上から照らしてやりますね。



(大きなアトムの看板を掲示板からサーチライトで照らします)

国道沿いの看板には、でんきや便りの掲示板に取り付けた、LEDサーチライトで照らします。


(見違えるように明るくなりました。実際に目で見る明るさは写真以上に映えますね)

今までは、夜になりますと店舗の壁面は真っ暗なため、アトム電器の看板は見えません。
アトムの立て看板だけが、一人ポツンと頑張って夜のお店を知らせます。

LEDのサーチライトはたった50Wの電気で物凄い、ムチャクチャ明るく照らします。
やりました。店の中は明るくなくっちゃいけません。店の外も大事です。夜長な秋です冬も来る、外も明るくなくっちゃいけません。
LEDサーチライトが2台、街の電気屋アトムの店も、明るく元気になりました。



《福が来る 店の中外 明るいと》

細長い池か湖か?

2013年10月17日 | ふるさとの話
(ふるさと但馬の母なる川・円山川を、玄武洞駅あたりから上流を眺めます)


本日、城崎町は来日のIさん宅に向かいます。

円山川に沿って走る道路は車がトロトロと、川の流れと同じように、どうした訳かとてもユックリ走ります。玄武洞駅のちょっと手前から、下の道を外れて山沿いを縫って走る上の道に入ります。

小高いところを走りますから、川向こうの玄武洞公園や、下の円山川が一望のもとに見えてまいります。
車を止めて写真をパチリ、ふるさと但馬の母なる川・円山川を、玄武洞駅あたりから上流の流れを眺めます。

円山川は、兵庫県の真ん中背骨の当り、日本海側と瀬戸内側とのちょうど真ん中あたりの山の中、生野の里から流れ出ます。
この川は、全長が68Kmですからほんの短い川なのです。日本一の信濃川や利根川などとは、比べものにならないほどに短い小さな川なのです。

標高640mほどの生野の里は円山地区を出発し、しばらくは結構急な勾配で流れてきます。
ところがどうでしょうかね、八鹿を過ぎて日高を過ぎて、豊岡の市街地の入り口付近出石川との合流するあたりから、川の流れはえらい緩やかになり、流れの幅もとても広くて水量たっぷり・流れはユッタリの大河の趣になりますね。

豊岡から城崎方面に車で走っていきます。
右手に見える川の流れを眺めていつも思いますね。流れが全然ないな~、
下流からの風に波打つ水面を見ていますと、ヒタヒタ・ヒタヒタと上流に水が遡っていくような、細長い大きな池を見ているような錯覚を覚えるくらいに緩やかですね。
玄武洞付近から日本海の河口までは、もう5Kmもあるかないかですから、海の延長みたいなものです。

円山川の下流域、豊岡市のちょうど市街地付近から、河口までの10Kmほどの区間は、川の流れの勾配がおおよそ10、000分の1くらい、日本の河川の中でも有数の緩やか勾配の地域です。
10Km走って標高差が1mですから、もう海抜ゼロmの流れが、延々と道路に沿って続くようなものです。

玄武洞駅の上あたり、山沿いの道を走っていまして下を見て、円山川のユッタリ流れを眺めます。


《海までの 10Kあまりも 緩やかに》