明日から平成20年

2007年12月31日 | 私の思い
                   (区の氏神様も新年準備)

朝一番、Kさんの奥さんからお電話、
「見積もっていただいた炊飯器とポット取り寄せて、年明け早々頂くわ」、
ナショナルの(遠赤蓄熱ダイヤモンド包み炊き銅釜)という、仰々しい呼び名のすごく高い商品です。
『こりゃ、大晦日に幸先いいぞ』と、思う間もなく別のKさん(お爺さん)から、
「エアコン熱いの出ん、今日取り付けて」と、大きな声でお電話です。
『今日は大晦日なんで無理です、すぐ行って診ますよ』と、駆けつける。
何のことは無い、フイルターのものすごい目詰まりで一件落着。
悪かったと云って、セラムヒーターと加湿器とカミソリをお買い上げ、
「先日、土手からおばあさんと一緒に車で下まで転落、車はペシャンコ、免許は警察に返上」なんて、怖いお話も聞いて帰りました。
午後は、区の氏神様「熊野神社」の迎春準備の飾りに出かけ、
夕刻、寒風のなか店のガラス拭き、それに迎春の飾り付けです。
一年間、ほんとにご苦労さんと感謝しながら店の掃除です。

あと一時間足らずで平成20年になります。
平成を昭和に置き換えると、私の生まれた昭和20年です。
歴史として知る昭和の20年間は、昭和6年の満州事変、12年の日中戦争に南京事件、
16年の真珠湾攻撃から20年の終戦と続き、
浜口・犬養首相や斉藤・高橋大臣らが凶弾に倒れる事件の連続、苦しい戦争や不穏な世相の時代、
ほんとうに、辛く悲しい私たち父母が歩んだ難苦な時代でした。
でも昭和20年からは不死鳥のようによみがえる日本の姿、戦後の歳数は私の歳数と一緒です。
平和の照り輝きを年号にこめた昭和、人々の心が平(たいら)に成(なる)ことを願った平成の年号、
どちらの20年も願いに反し、年号に申し訳ない時代の消耗でした。
軍部の解消で光が見えた昭和20年に比べ、殺人の多発、偽装の社会、政治の混迷、中国との関係、
どれをとっても昭和の20年よりも深刻な平成の19年間、これ以上の深淵は見たくありません。
きっと平成の20年からの年月は、昭和20年からと同じように、
不死鳥がやってきて、いやコウノトリかも知れません、日本を再び理想郷の世界に飛び上がらせてくれるような気がします。
政治も経済も、世界環境も生活環境もどんどん変革していくことでしょう。
私たちの電機業界も、もちろん激動の変革が予想されます。
アトム電器の語源となってる「全ての基の原子」、「天地自然の理(ことわり)に従う心」を基本とした考えで、
商売を通じて「社会貢献」に徹するという、アトム電器の経営理念を、
さらに推し進める年にしたいなあと考えながら、除夜の鐘を待つ時間になりました。

三十日は晦日(みそか)

2007年12月30日 | 季節(冬)
                      (店の外は雪降り)

今日は朝からとても寒く、雪おろしの突風が吹き抜け、店ののぼりが引きちぎられんばかりです。
風がやむと西の空から雪雲が、垂れ下がるように迫ってきます。
午後は、喫茶店MにBSアンテナの取り付け、雪がちらほらするなか、
寒いのなんの、喫茶の中はポカポカ、『ああいいなあ、電器屋つらいな~』、
ここしかないという取付場所は植木の枝がぎっしり、寒い上にやりにくい事この上なし、へこたれました。
工事からの帰り道、Yさんの駐車場で焚き火といい匂い、ちょっと寄って暖をとり、
つきたての栃餅をいただき一服です。

太陰太陽暦の和歴では小の月が29日、大の月が30日、「三十」を「みそ」と読むそうです。
30歳の女性を「三十路(みそじ)の女」という、「みそ」です。
ちなみに当店12月で創業33年、「三十路プラス3年」になります。
えっ、「33回忌」ですって、そうとも言います、縁起のいい年回りです。
余計な事を書きましたが、
「三十日」は、「いちにち、ふつか、みっか、よっか・・・・十日(とおか)・・・二十日(はつか)・・・三十日(みそか)」と数えて、「みそか」と読みます。
すなわち、毎月の最後の日を晦日(みそか)と言います。
本当は30日が晦日なのですが、新暦では31日まであるため、12月31日を一年最後の晦日、大晦日(おおみそか)と云うそうです。
月の相(形)を弦(つる)、望(もち)、晦(つごもり)、朔(ついたち)で現し、
晦(つごもり)は、「月隠り(つきごもり)」で最後の日を意味し、晦日(みそか)の翌日を朔日(さくじつ)、朔日は月が現れる日の意味だそうです。
昔の大晦日は30日、今は31日が大晦日というわけです。

明朝は、店の周り一面雪景色になりそうです。

ああ、忙しい

2007年12月29日 | その他
                    (とりあえず片付いたゴミ)

ATMへ入金のため、スーパーに立ち寄りました。
「もーいーくつ寝ると、お正月、お正月には~凧あげて~」と、館内をメロデイが流れます。
つい先日までの1ヶ月間は連日連夜、「ジングルベル・ジングルベル、鈴が鳴る」だったのに、ほんとに気ぜわしいことです。
街を走る車も、「多摩」だとか「尾張小牧」だとか「水戸」なんて、遠く関東の車も見られ、ふるさとで正月を過ごす車でしょう。
今年も残り3日になり少しあせってきました。
たった一ヶ月ほどでゴミ置き場はダンボールの山、
リサイクル品や金属類は業者が片付けましたが、ダンボール類はとうとう持ち込みはタイムアウト、
濡れないように、とりあえず発砲スチロールを空き箱に詰めると、
あるわあるわ14箱、まいりました、くたびれました。
冷蔵庫が熱い、ファンヒーターが油漏れ、電灯の付け根がショートした、
アンテナがこけてる、蛍光灯の球持ってきて、蛍光灯の器具換えて、
テレビとBSすぐ付けて、パソコン診て、MD出てこなくなった、
DVD教えて、エコキュート凍結しないか診て等々、たった一日に次から次に電話です。
『ああ、忙しい、忙しい、年末はもう嫌だ』と、叫んでしまいます。

来年は大変だ

2007年12月28日 | アトム電器
                   (アトム電器の体験冊子)

先日、S販売会社の方が年末の挨拶にご来店、
「来年3月にはA市にケーズデンキが、夏にはF市にヤマダ電機が大型店舗をオープンのようです」と、お話です。
F市はちょっと距離があるもののA市はやや近い、新聞チラシも入るだろうな、何かと価格の引き合いにされるだろうなと、今から憂鬱になります、
当市にある量販店だって、対抗上価格訴求をよりエスカレートするだろうし、
量販店同士の競争だけで納まらず、街の電気店にもいろいろ影響が心配されます。
そんな事を思いながら、Mさん宅でテレビの調整をしていると、
「本部のMです、2年前のアトム電器の体験冊子をもう一度送ってもらえませんか」と、電話です。
全国の電器屋さんに加盟を呼びかけるとき、参考になればと作った冊子です。
当店にも大型量販店のB社やK社から、FCやVC加盟の勧誘資料が再三送られてきます。
来年は、わが地方の地域店にとって大変な年になるだろう、大変なことになるなら、
よっし、こちらから先手を打って、『アトム電器の加盟勧誘でも頑張ってみるか』、という気になってきましたよ。

BSアンテナ工事

2007年12月27日 | お客さん宅で
                        (BSアンテナ)

Hさんの奥さんから、「衛星放送が映らない、設定しなおしてもBS電源がすぐ切りになる」とか、「リモコンでBS一発切替できない」なんて、お電話です。
『むむ、奥さんできるぞ、BS電源だとか、設定だとかなかなかやるね』と思いながら訪問、
BS内臓ビデオで受信です。リモコンは奥さんがいろってBSをスキップオンです。
調べるとアンテナ回路のショートによる、ビデオの保護回路動作でBS電源のOFFでした。
『さあ、BSアンテナはどうかな』と見てビックリ、ものすごく古い代物で錆びている。
屋外でありながら近くに屋内用分配器、それも錆び錆びです。
原因はBSアンテナ、取り替えてついでに分配器も屋外用に、
『さあ、バッチリだ』と思いきや、レベルが60dbμしか出ない、
ひさしが邪魔している、この付近ではどうしても良好に受信できない、
結局、別の金具と極太パイプを取りに帰って瓦越え設置です。
『74dbμ出るじゃないの、昔取り付けた電器屋さん、最初から大屋根に頼みますよ』、
なんてぶつぶつ言いながら、すごっく晴れ渡った空の下で工事は完了しました。

年末に、『痛ぁ~』

2007年12月26日 | 季節(冬)
                      (息子のスノーボード)                     

昨夜おそく、ナイタースキー場から帰った息子、すまなさそうに、痛そうにしながら、
「やっちゃった、ボードで転倒して無茶苦茶、尻打撲、歩くのぎりぎり、ものすごく痛い~」だそうです。
テレビを見ながら休んでいた私はドッキリ、ビックリ、『あ~あ、あれだけ注意してくれよと言ってたのに』。
友達の骨折やら、少々の打撲を数知れず経験しながら、よりによって年末の超忙しい時に、『も~、かなわんわ』という気持ち、
ボード歴はもう11年のベテランなのに、頭でも打ったらどうすることか、
『大ケガせんうちにボードはやめてくれ~』と叫びました。
本日は朝一番病院に駆け込み精密検査、帰っても歩くのがやっと、
「シーズンこれからと言うのに今年のボードはアウト、もう引退しようかな」と、息子はしょんぼりです。
私は、あれもこれと発生業務をこなし、一日中ふうふう、『一刻も早く全快してくれや』と、祈るばかりです。

日本一の豊岡市役所

2007年12月25日 | ふるさとの話
                     (豊岡はコウノトリだらけ)

今日も大型の石油ストーブを修理して、2台豊岡市役所の本館に納めました。
日高町他5町と豊岡市が合併してから、今まで縁の無かった豊岡市役所にも用事があるたびに訪れることになりました。
うわさには聞いていましたが実際に訪れてビックリしましたね~。
建物が古いこと、その質素さというか、表現が悪いが粗末さと言うか、「建物はズバリ、日本一粗末な市役所」ですな。
建物は白亜のコンクリート造りですが、入り組んだ内部は木造で迷路、
迷路の先に継ぎ足しのような建屋、部署の入口表示は紙に手書き文字、
ドアも木製で、取っ手も取れたままの傷だらけな代物、
各部署の間仕切りも簡素で床は板張り、狭くごちゃごちゃした空間の頭上はチェーンで吊った蛍光灯の明かり、
気のきいた暖房エアコンは見当たらず、暖房は修理した大型の石油ストーブです。
一言で言えば、昭和20年代にタイムスリップ、でも現実は平成の世、
職員の皆さんは、いきいきてきぱきと職務に精励しておられます。
全国には税金の無駄遣いと批判の、御殿のような市役所がいっぱいなのに、
まあ、不思議なのはコウノトリでこんなに有名な町の市役所、
いろんな意味で、一度見学の価値がありますぞ、
全国に自慢できる「日本一質素、粗末でも頑張る市役所」、ここに有りって感がします。

勲章

2007年12月24日 | お客さん宅で
                        (Yさんの勲章)

カラオケの修理にYさん宅を伺いました。
もうずいぶん昔の、なつかしいレーザーカラオケです。
LDディスクは挿入できるものの全く動作せず、預かって帰ることにしました。

Yさんは、ずいぶん若くして地域の役員を請け、議会にも長期間選出されました。
議長も長く勤められ、本当に地域のために頑張ってこられた方です。
今年の秋の叙勲にあたり、自治に極めて功労があった人に授けられる旭日雙光章(きょくじつそうこうしょう)を授与され、勲章と章状が立派な額縁に収められていました。
何はともあれ大変な栄誉、奥さんはじめご家族の支えが、Yさんの長年の活躍の基になったと感じました。

12月もいよいよ大詰め、
世間では三連休だ、クリスマスイブだ、忘年会だと言いますが、
電気屋は相変わらず、バタバタと無休で働きずくめです。
「電器屋さん、いつ休むの」と、エアコンを点検に行ってFさん、電球を取替えに行ったSさんに同じことを聞かれました。
『ありがたいことです、仕事が楽しくてたまりません。お金はたまりません、勲章ももらえません』と、
負け惜しみの冗談を言いながら、
早く帰って『クリスマスケーキでも食おうか』と、足早に別れました。

天皇誕生日

2007年12月23日 | 私の思い
                     (今日は旗日でした)

今日は旗日で祝日、天皇誕生日です。
125代今上天皇は、今日74歳の誕生日をお迎えになられました、おめでとうございます。
新聞記事を読みますと、天皇陛下の公務ってものすごい量のようです。
一般の人間のように、定年だ、年だからと仕事を控えようなんてことは出来ません。
日本中を訪問され無理にならぬよう、なにとぞ体をいたわり、
昭和天皇の御年(87歳で歴代一位)を、はるかに超えられるまで元気でいて頂きたいものです。
(昭和天皇は在位62年で歴代一位、明治天皇は61歳在位44年、大正天皇は48歳在位14年です)

上品な奥様がご来店され、「かに釜めしの素、まだありますか」とおっしゃいます。
『えっ、あれは2週間前の売り出しの時だけですよ』、
奥さん、「あんまりおいしかったので、他の人に差し上げようと思いましてお聞きしました」とのこと、
『売り出しの時、一見でお越しになり、お買い上げ記念品の(かに釜めしの素)を売ってとおっしゃった奥さんですね』。
商売は見知らぬ人との一瞬の縁もあります。どんな喜びをどこかで伝えているかわからない事もあるものです。
アトムと出合った事もほんのちょっとした縁から、人は出会ったり、出合った人とも離れたり、人生毎日出会いや別れの「縁」の連続です。
アトム本部のHさんが都合退職されたと言う連絡を受け、ふっとそんなことを思ってしまいました。

ちょっと大変な工事

2007年12月22日 | お客さん宅で
                        (ゴミがいっぱい)

昨日は久しぶりの晴れ、午前中のBSアンテナは順調、午後のエアコン工事も短い日の暮れに間に合って順調に終わりました。
ところがほっとしたのも一日だけ、本日は冷たい雨が一日中ずっと降り続きサッパリです。
無理をしてでもやらないと終わらない、そう思いながら雨の中、
つるつる滑る危険な屋根の上でBSアンテナ工事を無事完了、
Yさん、「フルハイビジョンの液晶にしてよかった、綺麗に映るなあ」と感心されます。
午後、雨が降り続く中、エアコン取り付け場所がちょっとゴミ場状態、
ゴミで足元がフワフワするほど捨ててある、『どうしてカキの殻やいろんなゴミが、ナゼ~』、といって匂いを我慢しながら、濡れながらさっぱりな工事でした。

明治41年生まれ

2007年12月21日 | ふるさとの話
                        (凱旋記念碑)

母校、府中小学校の正面入り口には、「明治37・38年戦役、凱旋記念」と記した、
高さが5m程の立派な石柱が2本、真東の東京に正座するがごとく立っています。
裏面には日露戦争に出兵された近郷の方々のお名前が誇らしげに彫られ、100年以上経った今も、一字一字はっきり読み取れます。
日露戦争の立派な戦勝・凱旋記念碑なのです。
日本中いたるところに、「忠霊碑」とか「忠魂碑」は多く見かけられますが、
戦争に勝った凱旋の記念碑は、非常に珍しくほとんど存在していません。
府中小学校のこの石柱も、昭和20年代前半の占領時代にはセメントで表面を塗りつぶし、その名残りが私の小学校時代の写真には写っています。

それから3年後の明治41年が私の父の生まれ年、西暦で言えば1908年です。
この頃は夏目漱石、石川啄木など明治の文豪と言われる人がキラ星のごとく活躍しています。
作品によっては、およそ30~40年前の維新の意味を回顧しながら50年後、100年後の日本の行く末を暗示しているものもあるようです。
明治41年から50年後は、大東亜戦争を経て昭和33年、今流行の「3丁目の夕日」の時代です。
そして、さらに50年後が来年の平成20年、西暦の2008年、明治の文豪が案じた以上に日本は劣化が進んでいるようです。
来年はどんな年になるかなあ、親父がもし生きていたら100歳か、なんて考えながらあと十日しかない2007年をあくせくしています。

CS放送が映らない

2007年12月20日 | お客さん宅で
                     (UHF・BCブースター)

一週間前にKさん宅へ、最新型フルハイビジョンの液晶テレビを設置しました。
茶の間に登場した薄型のテレビは、気恥ずかしいほど晴れやか、
『これが地上デジタル放送ですよ』、Kさん「うわ~、きれい」、
『BS放送はこんなにチャンネルがありますよ、103チャンネルのハイビジョンはいい番組してますよ』と案内、
Kさん、またまた、「わあ~、きれい、番組表もすごい」と感激です。
ところがCS放送が受信できません。

配達が一段落した今日、息子と2人で配線の点検です。
Kさんのお内はテレビ端子が7ヵ所、もともと配線が古くちょっと分りにくい状態です。
まず旧型のBSアンテナをBS・110°CSアンテナに交換、
ブースターもメインの4分配器もCS対応2655MHz仕様のものに交換、
7ヵ所のテレビ端子も、平行フィダー線仕様から最新型に交換、
壁内は古いものの同軸配線でラッキー、やっと6ヵ所がCS受信しました。
ところが肝心の茶の間がどうしてもだめ、
天井裏から茶の間に至る、手の届かない隠れた回路に何かがあることまではわかったがとうとうCS映らず、
地デジ受信はた易いが、CSの場合古い配線は大変、デジタル110番でなくこちらがデジタル119番になりそうでした。

元気なシルバー世代

2007年12月19日 | お客さん宅で
                  (ソリマチの農業経営簿記)

Iさんは80才、昔酪農家、今も農業に精がでます。
『ご注文のパソコン、入荷しましたのでご来店ください』と、電話すると午後一番にいらっしゃいました。
「プリンターも調子悪いので買う、ここで使えるようインストールして」と、ご注文です。
『農業経営簿記も、ちゃんと使えるようしておきましたよ』、
『Iさん、いつからパソコンしてるの』と、尋ねますと、
「S社(地元のソフト会社)が出来た時からだよ」とのこと、
昭和60年なのでもう20年以上のキャリア、恐れ入りました。

Tさんは75才、ご主人をなくして一人暮らしです。
1年前にDVDレコーダーをご購入、それまでのビデオテープに比べ「簡単、簡単こんな使いやすいもの早く買えばよかった」と、
HDDにどんどん録画、ディスクにも記録してどっさり保存、
その上、レンタルから1週間分ドーンと借りるそうです。
DVDを軽々使いこなすご婦人、恐れ入ります。

Sさんも78才、ご主人なくしてからカラオケ道場通い、
発表会のきらびやかな衣装、一人で熱唱の晴れ姿写真を見せながら、
「全く歌なんて唄ったことなかったんよ、カラオケは楽しいよ、電器屋さんの奥さんも、公民館に練習きてほしいわ~」と、おすすめ、
家内はとてもとてもです。元気なSさんには、会うたびにカラオケをすすめられるので恐れ入ります。

目の付けどころが、シャープでしょ、

2007年12月18日 | お客さん宅で
                   (シャープとコロナのタンク)
本日Tさんにシャープの石油ファンヒーターをお届けしました。
ご主人、目が全く見えませんが、物置でタンクに灯油を入れてこられます。
今までは、コロナ(写真右)。栓はワンタッチ式で便利ですが、タンクをひっくり返して運びます。
今度は、シャープ(写真左)。本体からは太くて持ちやすい取っ手で取り上げ、そのまま置いて給油、栓もワンタッチです。
ひっくり返す必要なしで、運んで本体にストンと入れます。
栓が閉まってなくて油をこぼす様な失敗はありません。
目の見えないTさん、「使いやすい、感激しました」と大喜びです。
コロナもその他のメーカーもひっくり返すのが当たり前、でもシャープは違いました。

シャープって他にもすごいです。
昭和28年には白黒テレビを国産第一号で発売(14型175,000円、ちなみにカラーテレビは昭和35年東芝の17型42万円が第一号)、
昭和37年には電子レンジ国産第一号(業務用)を発売しています。
今では普通の、液晶モニター付のビデオカメラは、ソニーでもパナソニックでもなく平成4年にシャープから「液晶ビューカム」として発売しています。
右にも左にもドアが開く不思議な冷蔵庫、
水槽に穴がないのに脱水できる、不思議な全自動洗濯機など、
「目の付けどころが、ちょっと違う」不思議なメーカーです。
今は液晶アクオスでおなじみですが、「目の付けどころが、シャープでしょ」は、
シャープペンシュルを発明した、創業者・早川徳次氏の血をそのまま今に継いでるって感がします。

電気製品の製造年

2007年12月17日 | 店内外の話
                     (2006年製の敷毛布)

Oさんがご来店、「電気の敷毛布ある~」とお尋ねです。
私が、『暖かくてお買い頃価格のありまっせ』と言いながら、
展示している商品を見せてご説明、
『3,480円で超特価、さあ買って』と広げたのがいけません、
今年仕入れた商品なのに、06年製とラベルにくっきり表示です。
Oさん、「去年の商品やないの、まけといて」と値切られます。
『しゃあ~ない、2,980円、ハイ一丁お買い上げ』と、当店500円儲けそこない、Oさんニコニコ、
『お客様満足なら、まぁいいか』と妙に納得です。
もう20年も、それ以上昔になりますか、ほとんどの電気製品に製造年の表示です。
テレビの場合、「98/1-6製」とか冷蔵庫も洗濯機も電気毛布まで、「2003年製」のように表示です。
暖房器などは、必ず数台ずつ年越し在庫となり、どうしても翌年には年式遅れ、やっぱり売りにくくなります。
食品の製造年月日、賞味期限、消費期限が日本中大問題になっていますが、
電気製品に「製造年」てどうして必要なんでしょうか、電気店泣かせの表示じゃないかと、つくづく思います。